我が母国の日本には本当に良くなって欲しいのだけれど、私が見ている限りでは坂道を転げるように落ちる姿が見える。
日本を代表する大会社がどんどん駄目になっていくのも寂しいし、最近の「東芝の三分割」には本当に驚きました。
東芝は12日、新たな中期経営計画を発表した。企業価値向上につなげるため、会社全体を事業別に3分割する方針を盛り込んだ。…
これって「物を言う株主」の望む通りになるってことだと思いますが、その株主とは「金亡者」と断定するしかないと思うんですよ。
巨大な企業を分割するにはメリットデメリットそれぞれあると思いますが、株主から見れば、「採算の悪い事業は切り離せ」ということであって、「儲かる事業に特化しろ」でもある。それぞれの特徴がはっきりしている分社化なら「投資家としては投資がしやすい」のは間違いがない。
私には、これは日本が世界の投資家に食い荒らされているようにしか見えません。
どんな企業も投資家も「利益を最大化する」のはわかりますが、事業も人の営みと考えた場合、「利益第一主義」って滅亡へまっしぐらに進んでいるように見えるんです。
ま、私は古い考え方を持っているし、竹中平蔵氏は日本を救ったかもしれないけれど、その方法しかないのか?と私は思ってきたし、日本の伝統である「談合」なんてのは【皆が生きる知恵】であるし、「終身雇用」や「年功序列」もそれなりに意味があるから長年それでやってきたし、【それじゃ勝てない時代になった】からそれらは「悪しき慣習」として切り捨て、全てを合理的に考えて変更するって、私には短絡的にしか見えないんですよ。
結局、解決は難しいから「もっと簡単に、合理的に考えようじゃないか」ということでしかなくて、もちろん「コストカットが命題」となれば【切りやすいところから切る】ようになるのは仕方がないとは思う。そしてそれを株主は強いるし、その言うことを聞く経営者を送り込んでくる。
そして弱者は弱者で、その中での勝敗に拘るようになって益々、格差は開く。そしてその弱者も株式を持ったときには「強者の論理に豹変する」のでしょう。
このまま行けばどんな世界、どんな日本になるかわかりきっているじゃないですか。
もう30年ぐらい前ですか。あのお笑いタレントの「タケシ」が週刊誌にコラムを持っていて、「大会社ってのは、仕事のできないやつ、窓際族でも食わせることができるから大会社なんだ」と書いていたのが忘れられません。
昔は「会社は誰のもの?」という質問に「社員のもの」と答える人は少なくなかったんですね。今でも武田邦彦教授はそう言うけれど、私はその考え方って「バカじゃないか」と40代まではずーっと思っていたんですよ。でも世の中を広く見れるようになった50代過ぎは、「会社は株主のもの」と言う考え方に疑問を持つようになりました。
株主のものなのは間違いがないのだけれど、それで全てが決められて動いていく企業で良いのか。こういう会社の行く末って、私は見えていると思うんですよ。
学歴に関しても、近年は「学歴は関係ない」という人も企業も増えてきた。私はここにもちょっと異論はあるのだけれど、「大事なのは実力だ」というのは良く理解できる。
学歴がなくても実力があればどんどん上に上がり大きくなれる社会は良いと思う。
でもここで大事なことは「実力主義」は「学歴主義」と所詮、同じものだと思うんですよ。いろいろな色の色紙があったとして、「やっぱり青が一番だ」「いやいや、赤でしょう」というのと同じで、変な色、変わった色は無視される、排斥されるのは同じことじゃない?
「学歴がなくても実力があれば問題ない」というけれど、じゃぁ、実力もイマイチな人はどうなるの?排斥されて当たり前?
世の中の大半の人は「実力があるか?」と聞かれても、胸を張って「当然!!」と言える人って少ないんじゃない?
でも世の中は実力主義だから「実力があるように見せる人も増えてくる」でしょ。アメリカ人、オーストラリア人、中国人にはそういう人が多いと思う。
ま、それが現実なんだろうけれど、「日本にはもっと大切にしていたものがかつてはあった」と思うんですよ。談合なんて非難の的になるけれど、それがあるから余裕を持って技術開発もできたはずで、「悪い面ばかり見るのは間違い」だと思うんです。コスト削減が第一で、売値も安くしてきた韓国勢、中国勢に日本の老舗は負け続けだけれど、その代わり、市場にはろくでもないものばかりが蔓延る時代になってしまったんじゃない?
国が後押しする技術開発や研究も「金になるものが優先」で、日本は今後もうノーベル賞は取れないだろうという専門家も多い。近視眼的に見れば無駄でも長期的には金のなる木もあるのだろうけれど、そういう未知数を受け入れない社会になったし、韓国や中国を見れば問題点ははっきり見えるんじゃないですかね。
でも中国はまだ偉くて、重点的な莫大な投資を政府は惜しまない。でも日本はそれも消えてなくなった。
それが今、どんどん日本では進んでいくのを感じています。そして日本は世界の金亡者に食い散らかされていく。それに負けてなるものかと、日本人もどんどん金亡者化して目先の利益を追いかける。経済界も政治家も安全保障には目をつぶり、中国に秋風ばかり送るのはなぜなのかも合点が行くじゃないですか。世界の流れさえも無視する日本になって、目先の金しか見ていない国のトップを走るように成り下がったように私には見える。
そりゃ「結果が何よりも重要」なのはそのとおりで、私も結果主義者。
でもねぇ、「利益を出すためには利益を追うべき」という考え方が正しいとは思わない。
これは誰でもある程度、歳も取り経験を積んでくるとわかるはずで、利益を追いすぎて失敗したなんてことは日常茶飯事なのね。でも採算度外視は馬鹿のやることにしろ、長期的視野は非常に重要で、科学技術なんてまさにそういう分野じゃないんですかね。サービス業もそうで、だから利益ばかり追いかけているとろくな製品、サービスもできないなんてことが普通に起きる。
でも利益を優先しないでちんたらやっていたら倒産した、なんてことが普通に起きる。(笑)
だから正解は無いし、臨機応変にやるしかないのだけれど、今の日本を見ていると【海外の金亡者に食い荒らされている】としか思えないんですよ。シャープしかり、日産然り、そして東芝、お前もか?という感じ。古くは銀行がその餌食になったこともありましたよね。
世の中が弱肉強食なのは当たり前だけれど、それがどんどん加速している世界、日本に私は恐怖を感じます。
だからこそ、社会主義思想がアメリカでも広まってきたのかと思うわけですが、それも私には正解には見えない。きっと緊急時の「社会主義的措置」は大事だと思うけれど、社会全体がそれになったらとんでもなく恐ろしい世界だと思うわけです。
ではどうするべきか。
これの正解もないですよね。
私としては「自分で自分の世界を作る」ことを選びましたが、リスクが多すぎて他人様に勧められる生き方ではない。
逆に、自分の子供達にどうアドバイスするかとなると、「絶対に負けるな」「でも曲がったことはするな」というしかない。ま、これは現実主義、結果主義の私が子どもたちが小さい頃から掛け続けたプレッシャーで子供たちも「世の中はそんなもんだ」と思っているからどうにかなっているけれど、たまに彼らの愚痴を聞くと、今の生き方が本当に幸せなのかどうかは疑問。
次男坊が小学生の頃に言った言葉を思い出します。
「パパ、僕はお金持ちになるために、日本人みたいに死にものぐるいで働こうとは思わない」ですと。
私はこれに、「お前ね、日本人は【普通に生きる為】に死にものぐるいで働くんだよ」と言ったら目を丸くして驚いていましたっけ。(笑)
そんな次男坊は、今、かなり仕事はキツイというけれど、9時5時の仕事だし、休みもたっぷり、残業もなければ突然の転勤もない。日本じゃ「楽な仕事」の部類じゃないかなぁ。
そんなことを考えながらマレーシアを見てみると・・・・。この国も不思議な国。
幸せってなんなんですかね~。
東芝の三分割って私にしてみるととんでもなく悲しい出来事なんだけれど、これは「敗者として当然、受け入れるべきこと」でしかないのかと思ったり。
勝てば官軍、負ければ賊軍なのはいつの時代も変わらないってことでしかないんですかね。
その中で「必ず勝つ。勝てる」という自信がある人は頑張れば良いと思うけれど、これもまたかなり大変だと思いますわ。あのシャープでさえ飛ぶ鳥落とす勢いだったのが崩れたのは一瞬でしたよね。東芝だって、日本を代表する、日本そのものと言っても良いような企業。それが世界の資本家たちに食い荒らされていく。
私は近年、流行っているFIREには否定的な考え方を持っているんだけれど、それの巷で言われていることとは違う、本質的な「FIREとは自己責任の世界で自分の力だけで食っていく」という意味だとすれば、そういう選択はやっぱり良いかもしれないと最近、思うんですよ。
大資本と大資本、大企業と大企業のとんでもない戦いの中で一兵卒として働いて討ち死にするのか、あるいは大将になるのかはわからないけれど、そういう生き方そのものを否定するという考え方を私は40年貫いてきたわけで、これはこれで良いかもしれない。
でもそれとて、勝てば官軍、負ければ賊軍なのは同じ。
正解は無い。
でも今、日本が世界の大資本に食い荒らされているのは間違いがない。その中に自身の身をおいて良いのかどうか私には疑問。それはまず日本が「どうあるべきか、どこへ行くかの指針が決まっていない」と思うから。そもそも何のために戦うのかがわからない。
上の動画の最後の方で非常に大事なことを言っていましたよね。
規制がゆるくまさに資本主義の理屈で動いているアメリカでは、東芝に起きたようなこともすぐ起きる。ところがですね、国家として【手放してはまずいものはしっかり保護している】というところ。
やっぱり民主主義にしても資本主義にしても、日本のそれらは【借り物】でしかないから、どんなメリットデメリットがあって、それにどう対処するかの【ノウハウがない】ってことだと思うんですよ。
日本は明治維新から「外国かぶれ」になって、海外のものは何でも秀でていると受け入れてきたけれど、表面的なことばかりで本質的なところをないがしろにしてきたんじゃないかと思っています。憲法がまさにそれ。安全保障も「無事を祈るだけ」みたいな。
日本、頑張って欲しいなぁ。
若者たちは外国かぶれせずに、日本の文化と伝統をしっかり守りながら新しく躍進する日本を作って欲しいなぁ。