ブースター接種は【不要である】と世界が動き出した様子 ( ̄口 ̄∥) & ブログ運営もなかなか大変です

世界は「ブースターショットが必要」だと動いてきましたよね。だから三回目の接種が広まっているし、国によっては4回目に入っている国もある。

ところが今年2022年になってから突然、その方向性が変わったような報道があるんですね。

ロイターがEUは4回目のブースター接種は不要であると表明】とのニュース。今、推めている3度目のブースターで終了するということでしょうか。

Reuters

The European Union's drug regulator on Tuesday expressed dou…

これって180度、方針が変わったことを意味するんじゃないですかね。それも1-2ヶ月の間の変化。これって単に一学者の発表ではなくて「EUそのもの」であることに注目。

一体何でこんなことになったのかですが、気になる報道も出てきています。

これはブルームバーグの記事です。わけわからないメディアの報道ではないところも気になります。

【頻繁なブースターは「免疫システムに悪影響を与える可能性がある」】と。つまり我々人間が元々持っている免疫反応が弱まるということですか。

Bloomberg.com

European Union regulators warned that frequent Covid-19 boos…

またこんな研究レポートが注目されている様子。デンマーク発。

ファイザー、モデルナのワクチンは「オミクロンに対して60日後には効果は無し。90日後にはマイナス」という内容。これってとんでもない話で、90日後にはマイナスの効果ということは、【非接種者より感染リスクが有る】という意味

ただし、この論文はまだ評価されておらず、これからこの内容が議論の対象となるということでしょう。

世の中では「ブースター接種が重要」と言う専門家もメディアも多いし、そこに「救いを求める人達」がいるのもわかる。でもこういう真逆の研究や報道があるのも無視してはならないと思っています。

くれぐれもご理解いただきたいのは、私は「こうあるべき」「これが真実だ」と言いたいのではないということ。そもそも私にはそんなことがわかるわけもなく、とりあえず「アンテナは張っておきたい」と考えるだけだし、こういう「大きな動き」に気がついたらそれをブログに書くのは私の役目だとも思っているだけのことで、その内容をどう考えるかは皆様の勝手。

ブースターショットに関して消極的、あるいは後ろ向きになる理由は他にもあるのだろうと個人的には思っていて、

○  オミクロン株の驚異は以前より減っている

○ 医療費負担に政府が耐えられない

○ だから風邪と同じレベルに引き下げようとしている

だと思います。こんなのは素人考えでしかありませんが、世界では「オミクロン株は放置」に近い対応を取っていると感じますし、ワクチンや治療費に関しても各国政府はとんでもない額の支出をしているわけで、それが今後継続するのは難しいのは当然だと思うし、「行動制限をしない」のも「自己責任」ということで【政府の責任を逃れる考え方】でもあると思うわけです。行動制限の対価としての保証をしないで済みますから。

日本も同じで、本当にそれが医学的、感染学的に正しいのかどうかはわからないものの、二類を五類に変更しようという動きが活発になっているのを報道からも感じます。

オミクロン株は感染力が強いので、「陽性者は入院」「濃厚接触者は隔離」を原点としていると、それこそ医療リソースは逼迫するし、医療従事者の多くも隔離されてしまうなんてこともすでに起きている様子。当然、経済全般に渡って多大な影響があり、交通もストップしている例は海外にもあるわけで、その場合、「感染者の隔離だけでそれが起きている」し、日本のように「濃厚接触者の隔離をすると経済崩壊は早い」だろうというのもわかる。

二類を五類に変えるべきという論者の論点はそういうことだと私は理解しているのですが、「医療崩壊が早まる」「経済が崩壊する」というのが二類を五類にする理由になるのかどうかは疑問。本来なら「医学的」「感染学的」にどうあるべきかが問われるべきだと私は考えますが、それは理想論でしか無いのもわかる。

でもま、二類を五類に変更せずとも、運用を変更することは出来るはずで、「医療従事者は濃厚接触者でも業務につくことが出来る」とか、経済全般でも「規定の運用は緩和される方向で動く」のだろうと想像しています。

ここからは毎度の与太話。

私がオミクロン株は生ワクチンと似たようなもので、オミクロン株が広がれば「ワクチン接種が広まったのと同じことが起きるかもしれない」と書いたところ、いくつかのコメントを頂きました。ま、それは根拠がない、ファクトもない極論だと。

そんなことはわかってますがな。

そしてちょっと私ががっかりしているのは、私がそういう「ある考え方」を書いた時には【持論を展開しているのではなくて、そういう専門家がいる】という紹介の仕方をしています。当たり前ですよね。専門家でもない私がそんな持論を展開できるわけがないのですから。

でも学術的な裏付け、データも合わせてそういう説を唱える専門家っていろいろいるわけで(ワクチンは不要だという専門家も存在する)、そういう人たちはそれなりに「論拠とデータを持っている」のね。それを合わせて持論を展開してくれないと、私達素人にはちんぷんかんぷん。だからそういう専門家の「説明動画」も合わせて紹介しています。これはコロナに限らず、世界情勢や経済に関しても同じ。

ところが、このブログを読む読者でも「紹介した動画は見ていない」のが私にも分かるコメントを結構貰うんですよ。で、私に疑問をぶつける。あるいは証拠は?ファクトは?と言い出す。

だから紹介した動画を見てくださいってことなんですよ。

そもそも私は「世の中で当たり前に言われていること」をこのブログで紹介したいなんてことは一切なくて、「え?嘘だろ?」とか「そんなのあり?」「なるほどねぇ、そういう考え方もあるのか」というのを主に紹介しているわけです。

中には「とんでもないことを言う専門家」もいるわけで、その筆頭は「武田邦彦教授」です。私は彼を尊敬していまして、でも彼の主張することに同意すると言うより、「彼の考え方の基本」が素晴らしいと思うわけです。まず常識を疑い、自分を疑い、広い目で疑問を持ち、解決策を見つけるという「アタリマエのこと」が実は我々には難しいと私は思っていて、そんな自分の殻をぶち破ってくれる素晴らしさを私は武田教授に見出しています。

「あいつは学者の風上にも置けないやつだ」と毛嫌いする人が多いのも良くわかります。私でさえ、「ぶっとびすぎじゃない?」なんて思うこともありますが、でもなぜ彼がその結論に至ったかの道のりを私は重視していて、その主張内容というより「その前提になる基本的な考え方」に私は心打たれるのです。

だから彼の言う嘘みたいな話をここに紹介することもありますし、それは他の学者や専門家も同様で、「こんなことを主張する専門家もいるんだ」と私自身が揺さぶられますし、私はその揺さぶりを読者にも提供したいと思っているわけです。

だから私が書いていることに「ファクトだの根拠だの」と言われるとがっかりするわけです。だから「それを主張している本人の説明動画を見てくれ」としか言いようがないのね。そしてそれを見て、「これは違うな」とか「なるほど」と思うのは人それぞれで、私は結論を求めているんじゃないんですよ。

でも世の中は「だから何が言いたいんだよ」と結論を求める人が多いのもわかる。

これは長年このブログに書き続けているトレードに関しても同じで、世の中の人って「答えを知りたい」と思ってる人が大半なんだなといつも感じていました。大事なのは答えではなくて、「答えを導き出す方法」「様々な想定をしてみることが重要」なわけで、そもそも答えは人それぞれ違うことって世の中にはたくさんあるわけです。

でもその真意を理解できない人ってこのブログの古い読者にも実は多いのね。残念だと思うことは実は今までも非常に多かったんですよ。でもそれでも良いと思っていて、それは私と子供との関係で私が学んだことでもあります。

私の言わんとする事を理解してほしいと子どもたちには思うわけですが、「全く通じてないな」と思うことは非常に多いのね。私としては非常に焦るわけで、「こんなに大事なことを伝えようとしているのに」と本当に困る時が何度もあったんです。

でも諦めることはしませんでした。いつも細々と煩いことを言うオヤジのまま。(笑)

それが随分と月日が経ってから「無駄じゃなかった」のがわかるのね。私の子どもたちも二人共30代になりましたが、今になって「あの時、オヤジが言っていたことは【このことなのね】」なんて言われることがあります。それって大きな変化で、そうなってからは実例や経験、もっと深く広い視野でそのことを私は伝えることが出来るし、彼らもその時、初めて「聞く耳を持った」ってことなんですね。

私はそれを聞いて、「あれほどしつこく、喧嘩までしながら伝えたのは間違いじゃなかった」と思うわけです。「こいつら、どうせわからないだろう」「何十年もすればわかるさ」なんて放置したら、大事なことに気が付かなかったかもしれない。

私は商家に生まれて、子供の頃から「商いとは」「お客様とは」「お金とは」「男とは」「神様とは」とか、その他、商家として知るべきこと、やるべきことを事細かくしつこく教えられてきましたが、今になってああいう家に生まれ育ってよかったと思うことが本当に多いです。そしてそれを私の子どもたちにも伝えたいと思うのだけれど、「煩がられる」のね。でも私は諦めない。

それとちょっと似たようなことをブログでも思うんですよ。

このブログは情報提供ブログではないけれど、何か読者に「考える切っ掛け」ができたら良いなと。

10年以上続けているこのブログですが、実は「トレード関係」で私がキッカケで勝てるようになったという人に数名連絡をもらったことがあります。あるいは海外の子育てとか移住とかに関して、非常に参考になったとも言われたことがある。

そんな時、10年以上続けてきたブログですが、「その一人のためになった」だけでも十分だと思っているんですよ。私は「真剣な人がいれば、そのたった一人のためにだけでもブログを書き続ける」という考え方でいます。

私が書いていることって、ちょっと斜め目線で一般的に言われていることとはズレていることが多いと自分でも思うんですよ。でも私にしてみるとそれが真実で、巷でいわれていることは「美化されたもの」「理想論」「一般論」でしか無いと思うことが多い。私はそういうものは【理解はしやすいけれど、実は役に立たない】と考えていて、それを広める片棒なんて絶対に担ぎたくないのね。

だから私は常に異端児であろうと思うし、そういう自分で良いと思っているし、そうだったからこそ私には今があるわけで、世の中の「当たり前」の通りに生きてきたら、私はもうとっくのとうに消えていったと思っています。

でも今の私も「あるキッカケ」があったから存在しているわけで、そのキッカケがなかったらどんな人生になったのか想像すると怖くなる時があります。オーストラリアに行くこともなかったろうし、今、マレーシアにいるのもそうで、そもそも紆余曲折がありながらもそこそこ平和に、豊かに過ごせているのは、「私に変化をもたらしたキッカケがあったから」なんですね。今の自分を自分だけの考えで作り上げたなんて全く思っていなくて、「偶然のもの」としか思えないんですよ。そしてそれは「あるキッカケ」「ある人の一言」から始まったのね。

私は今後もおかしなことを言うなぁと思われる自分でありたいと思うし、しかしそこに「真実のかけらがあるのかもしれない」と思うことを書いて行くつもり。それは理想論でも机上の空論でもなく、私が実際に考えて歩いてきた道のことを書こうと思うし、それしか私の存在意義なんてブログの世界には無いんですね。

オミクロン株が今後どうなるか。ワクチンの未来も私には何もわかりません。

また陰謀があるというのも私にはわからない。でも「裏に存在する大きな力、勢力」というのはいつでもどんなときでも存在していて、世の中をある方向に動かそうとする力は常に働いていると考えます。だからそれを陰謀と呼べば陰謀になってしまうのかもしれないけれど、「陰謀がない」ということは「計画性がない」のと私はイコールだと言っても良いと思っていて、「計画を全部あからさまにいう政府も企業も個人も存在しない」と思っています。だから真意が見えないこともあるし、それはそれで仕方がないと思っています。

と同時に、ある勢力には必ずそれに対抗する勢力も存在するわけで、私はコロナのこと、ワクチンのことに関しても、「心ある人達が存在する」のを信じていて、その人達を応援したいと思っています。ただし、あることないこと、自ら検証すれば出来ることも検証せずに陰謀論をぶちまけるのには耳は傾けようとは思わないだけ。

それと「押し付け」は困りますね。他人に押し付けたいほど真剣なのはわかりますが、「自分には間違いがない」という前提で私に考え方、行動を変えろと迫る読者もいるのね。

私は「真実はそれを見る人の数だけ存在する」と思っていて、学者の中でも千差万別の考え方があるような内容を、ド素人がある特定の人達の主張だけを真実だと決めつけるのは私には受け入れられないこと。でも無視はしないし一応頭に入れますが、私は「常に無党派」みたいなもんです。立場が違う、視点が違うだけでも真実は違ってみえるのが普通ですから。

また「真実でも隠す必要があるTPOが存在する」のは私にはよくわかるんですよ。わたしもそうやって生きてきたし、世の中はそれで動いているはず。特に「政治の世界」は隠し事ばかりでそうじゃなければ成り立たない不思議な世界でもあると思っています。「戦争も政治」でしかなくて、自然発生的に起きるなんてことはありえない。

でも真面目な人ほど一つの方向性に固まってしまうのはブログをやっていてもよくわかるのね。でもそれはそれでその人の自由でとやかくいうべきじゃない。と同時に、私にもその自由を認めてもらわないと困るわけです。

そんな読者との意見の相違いが発端で、10年以上の付き合いがあった読者との別れも最近、経験しました。コロナ、ワクチンの話がキッカケです。

残念。本当に残念だと思います。

「私は右へ行く」「私は左へ行く」という意見の違いがあっても「お互いうまくいくと良いね」という基本が欲しかったのですが・・・。問題の根が深ければ深いほど「溝も深くなる」というのを経験しました。

でもま、そういう経験も「このブログは単なる読み物としてのブログではなかった」という証拠かもしれなくて、分かれることにはなったけれど、いつかまたコロナも一段落して、再び出会いがあると良いなと思っています。

     
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