今回の正月は、「お節はいらない」「いややっぱり必要だ」と慌てて伊勢丹に行って買い物をして、でも元旦には突然「和食店に行こう」ということになって、家で食べたのは(手抜きの)「お雑煮」だけ。
私としては中途半端ではあるものの、伊勢丹で数種類は買ってきたわけで、それがいつになっても食卓に出て来ないし、おかしいなぁと思っていたんですよ。
でもヨメさんは「家でお節は必要ないけれど、【仏様にも何も無しとは行かない】」と言っていたわけで、確かに家族で我が家の仏様にご挨拶をした時には、少量ながらお節が並んでいたっけ。
でも買った量は多くはないにしても、仏様用に使ったのはそれこそ小皿にちょっとだけで、残りはどうなったのか気になっていました。
そんな時に、「これ、食べてみて」と私のところに持ってきたのは、伊勢丹で買った「伊達巻」。
「食べてみて」と持ってくる時には、なにか問題があるときと言って間違いがないのだけれど、食べてみたらびっくり。まさにケーキそのもので姿かたちを見なかったらケーキ。まぁ、甘いのなんの。こういう伊達巻は初めて。
ヨメさんは「半端じゃなく甘いでしょ?」と言って、「食べたければ食べて。いらないなら捨ててね」とわたしの部屋に伊達巻を置いて出ていった。
こういうのは困るのね。私もヨメさんも「食事の時にご飯粒を残しただけで半端じゃなく怒られて育った世代」で、食べ物を捨てるなんてのは腐るかどうかなっていない限り、出来ないんですよ。だからヨメさんは私のところに置いていって、私に決めさせるわけですが・・。
結局、甘い伊達巻は頑張って全部食べちゃいました。(笑)
伊達巻だと思うから違和感があるわけで、甘いケーキと思えば「捨てるほどまずいわけじゃない」ので、どうにか完食。(笑)
そしてそれから数時間後、また何か持ってきたんですよ。「田作り」「昆布巻」「栗きんとん」でしたが、「これはすぐに悪くならないし、冷蔵庫の一番上に入れておくから、食べたければ食べてね」ですと。
つまりヨメさんは、それらを食卓に並べる意思は全く無いということ。
まぁ、あえて理由を聞かなくてもわかるわけで、気が向いたら食べようと思うし、そう思わなければそのうち消えているんだろうと思う。
しかし、巷では「伊勢丹に行けばいろいろある」とSNSに書いているマレーシア在住者はそこそこいるんだけれど、やっぱり若い人の感覚だなと思うわけで、お正月といえば親族全て集まってお節も正月料理もそれなりに頑張って正月を盛り上げるのが普通だった生活を長年やってきた私としては、「時代は変わったなぁ」と思うわけです。
でも近年の日本の正月のことは私にはわからないわけで、この「適当に済ますお節、正月料理」がそういう時代になったのか、それともマレーシアの特色なのかがわからないわけです。
日本のニュースやユーチューブを見ていますと、皆さんそれなりにやっているようで、やっぱり「マレーシアの和食の世界が縮小している」感じがあるのね。
伊勢丹のお節や正月料理も「伊勢丹が力を入れている」なんてことは全く無くて、「業者の一つがそれらを扱っていた」だけで、当然、伊勢丹はその業者に丸投げのはずで、プレッシャーが掛からない業者は独自の判断で「売れるものしか並べない」のは当たり前で、もうお節や正月料理は売れない時代、あるいはマレーシアで需要がないのを知っているのかどちらか。とにかく、伊勢丹自身はやる気が無いのは100%間違いがない。
そもそもマレーシアの日本人社会は小さいし、似ているようでも香港やシンガポールとは全く違うんですね。日本人の数というより、日本人の所得を比べてみると、香港やシンガポールは年収2000~3000万クラスの日本人ホワイトカラー、わけのわからない大金持ちの日本人がごっそりいる国。ここがマレーシアと大きく違うところで、MM2Hは実際のところ、売上に貢献する層ではないのは間違いがなくて、日本食の需要そのものが小さいのがマレーシアだと私は考えています。
だから香港やシンガポールへ行くとごっそりある「日本と全く同じものが食べられるお店」がまだまだマレーシアには少ない。だから和食材を扱う店、スーパーでも全く内容が違う。そもそも私達がよく知っている「小さな観光都市でしか無いゴールドコースト」よりも、マレーシアの和食材は貧弱なんですから。
そして今までは「お節の予約を取っていたり」、「正月には正月料理を揃えていた」店が、最近どんどん減っているのね。
私が知っている和食店なんて数は少ないわけですが、その中でも「お節はやめました」「正月は通常通りのメニューです」という店ばかりで、調べた限りでは私の知っている和食店で、「お節、正月料理を出す」というところは一件もなくなってしまいました。
これは単にお節、正月料理だけのことではなくて、全体的に和食界の危機が来ているような気がするのです。
でもいつも書いている通り、世界のどこに行っても「日本人の客をあてにする店は潰れる」のが普通で、「どうやってローカルの客を集めるか」が死活問題。だから「お節や正月料理」に興味があるであろうローカルは少ないことから、どうしたってそこに力を入れる和食店ってどんどん減るんでしょう。
でも「和食店」というより「和食フュージョン」みたいな、悪く言えば「なんちゃって和食店」はどんどん増えて、中でも「和牛」を扱う店が増えているのは異常だと思うくらい。でもローカルがそれを支えているんでしょうね。
どっちにしても、私達家族みたいな「古臭い日本人」が嬉しい「マレーシアの和食業界」とはならないと思っています。
とはいうものの、お節も正月料理もないと聞いていた、元旦のランチで行った「Sou Omakase Dining」という和食店は良かったです。
全く期待さえしていなかったのに、例年でも食べられないクォリティーのお節が食べられたのは本当に良かった。量も少なく、見てくれが豪華なわけではないものの、その内容は本当に「日本の正月を小さな宇宙に閉じ込めた」ような感覚さえありました。
小さな小さな具材一つ一つにもきっちり味を入れてあるのね。大の大人が真剣にオママゴトをしているような感覚もあるんですが、私たちは「そこまでやるか?」と感動しました。
「Sou Omakase Dining」のおまかせコースで出てきたこれにはかなり驚きました。
和食がまさに芸術だと言われるのはこういうことだと思ったくらいです。ほんの1-2センチの具材にもそれぞれしっかり手を入れて美味しく作り上げているんですから。
家でのお節に期待が持てなかった我が家だけに本当に嬉しかったです。
またこんな機会がないと話すこともない、我が家の長年の正月の決まりごとだとか、思い出だとか、そして「お節料理のそれぞれの意味」をオーストラリア育ちの息子に話すことが出来たのが嬉しかったです。
結納とか結婚式でも使う「縁起物」ってあるじゃないですか。そういうものの意味さえ知らない若者が増えている今、日本育ちではないけれど、息子たちには伝えていく義務が親にはあると思っていますから、そういう意味でも「Sou Omakase Dining」に行ったのは良かったと思っています。
しかし日本に限らず、世界が貧しくなってくると「一番最初に消えていくのが伝統とか芸術」だと私は思っていて、かつてヨーロッパで芸術が花開いたのも、それを後押しする資産家がいたからであって、京料理も同じでしょう。でも皆が貧しくなるとそれらは過去のものとして消えていく運命にあるわけで、そして「一度消えたらもとには戻らない」と私は思っていて、日本の神社やお寺を中心にして当たり前のようにあった催し物などもどんどん縮小していく現状に寂しさを感じています。そして日本では「有名な料亭が軒並み閉店」したのが残念で仕方がありません。
私が幼い頃育った新橋もそうで、今ではサラリーマンの街になりましたが、私が幼い頃にはきれいな芸者さんがたくさんいて、また小指を立ててお尻をふりふり歩く「オカマ」も多くいたのを思い出します(新橋がゲイバーの発祥地)。夜には遠くの方から「新内の三味線の音」が聞こえたり、お祭りには「芸者神輿」(芸者のみが担ぐ神輿)があったり、私も山車を引っ張ったのが忘れられません。
食べ物もそうで、私が子供の頃は「牛肉なんて高価なものは食べたことがない」のが普通でしたが、それなりにあの手この手でどの家庭でも美味しいものを作っていた時代。
懐かしいです。
ま、そんな感傷に浸っているのは馬鹿げているし、ましてやここは外国。
でも我が家のオーストラリア時代ではまだまだお節も正月料理も身近にありました。そして皆で正月を祝いましたし、そういう意味ではこのマレーシアの正月は異質なものを感じています。海外だから異質という意味じゃなくて、海外の中でもまだまだ日本らしい正月が残るところはあるわけで、マレーシアではそれが「洗い流されてしまっている」様な感覚さえあります。
でもそれもまた、マレーシアには日本人の永住者が少ないのも理由の一つだろうと思ったり。駐在組、長期旅行者(MM2H含む)がいても、そういう世界で日本の文化を維持継承することは起こらないのだろうと思う。でも永住者が多いと、「伝統を残して伝えなくてはならない」という思いが強くなるから、それなりに「日本の文化伝統は守られる」んでしょうね。ゴールドコースト時代でも神輿や山車を皆で作って、大きな文化祭みたいなこともやったのを思い出します。当然、主役は「オーストラリア生まれの日本人」「次の世代の若者」にターゲットを絞るわけです。
そういう意味でも、マレーシアってなんだか寂しいと思います。「盆踊り」があるのは良いと思いますが、日本の文化伝統をマレーシアの日本人社会にも残していこうという動きを私は知りません。
所詮、多くの日本人は「マレーシアに住むのは長期滞在」だからかもしれない。やっぱり「いつかマレーシアの土となる」という思いの強い日本人がいないと「日本的なもの」は根付かないのだろうと思っています。
そんなことが、日頃の「和食事情」からも見えてくるような気がするのです。そもそも日本人経営の大きな日本食材店が存在しないのが不思議。
ま、我が家もマレーシアに「長居をする気はない」し、所詮、腰掛けでしかないわけだから、偉そうなことは言えませんが・・・。