私自身は、世間でいうほどのChatGPTの利用価値が見いだせないでいますが、それは私の場合であって、仕事をしている人達には使えるだろうし「使わないという選択肢は無い」んじゃないかと思うくらい。
でも重要なのは、「自分にどういう利益があるのか」であって「ChatGPTをどう使うのか」じゃないと思うんですよ。主役は自分であって、いつもの仕事のルーチンでChatGPTがどう使えるのかを探るべきであって、ChatGPTがどれほど凄くても自分の仕事に活かすことが出来なければ何の意味もない。
でも若い人や仕事を探している人だとすれば、ChatGPTを活用できる方面に進むのは正解かもしれないと思っていて、ChatGPTって仕事の効率化、無駄な時間を減らすには使えるはずで、つまりChatGPTを理解するということは「淘汰される仕事がわかる」という意味でもあって、仕事上では「ChatGPTを使える場所」も見えるだろうし、その知識そのものが飯の種になるかもしれない。少なくとも「淘汰される側」からは逃れることができるかもしれない。
私自身は淘汰される側どころか、もう消えていく人間なのは間違いがなくて、ChatGPTそのものを学ぼうという気はほぼないのですが、これからの人たちは「まず何よりも先にChatGPTを理解する」ことが最初かもしれない。私達が読み書きや四則演算を覚えたのと同じ様に。寺子屋で教えるべきはChatGPTみたいな。(笑)
ホリエモンが訳がわからなくても、とにかくChatGPTを使え!と吠えています。
大正解かもしれない。
ChatGPTの生みの親であるサムアルトマンが慶応大学での講演で話したこと。
ChatGPT生みの親が日本の学生に伝えたい 人生哲学とAIの未来
私は彼の言う【AIによって「世の中のタスクは減るだろうが、ジョブは減らない」】というところが気になりました。
多くの働く人たちは「AIによって仕事を奪われるのではないか」という心配があると思いますが、彼は「タスクは減るけれど、ジョブは減らない」と。これってそのとおりかもしれなくて、コンピューターが世に出た時、あるいは計算機、コピー機が普及したときに【便利な時代になるだろうけれど、奪われる仕事があるだろう】と皆が心配したのを思い出します。
実際にそろばんで計算する人は劇的に減ったし、コピー機やワープロの普及によって清書したりガリ版刷りの仕事も消えた。これは古代も同じで、ノコギリが発明されたら木こりの仕事は減ると考えた人は多いんじゃないですかね。漁業も「漁網の発明」は劇的な変化をもたらした。当然、それによって仕事を失った人は多いけれど、それは実は【タスクが減った】だけであって、オフィスで働く女性や木こりや釣り師の仕事内容に変化が起きただけで、彼らの仕事がなくなったわけじゃない。
でも間違いなくそろばんは売れなくなったし、ガリ版刷りの機具も市場から姿を消したのは間違いがないけれど、それをもって「仕事が奪われる」と考えるのは、【新たな道具の出現によって世界がどう変わるのかが見えないから恐怖が生まれる】だけかもしれない。そして道具や技術の進化って常に起きているわけで、みんなその波に乗って今までも生きてきたんですよね。当然、そこには「乗れない」人たちも多くいて、破産、一家離散、自殺なんてのはいつの時代にもある。
私自身は「進歩や進化の恩恵は受けている」にしても、懐古趣味があるのでしょう。そろばん技術を取得するのは素晴らしいと思うし、自然と対話しながら木々を切ったり漁をしたりというのも非常に大事で、私はそこに【大事な感性が生まれた源泉がある】と思うんですよ。仕事の効率化や大量生産、大量消費というのも【豊かになるには必要】なのかもしれないけれど、なんだか「ちがうんじゃね?」みたいな思いが常にあります。
それに拍車がかかるであろうことが「AIの進化」であって、それで本当に人間が感性豊かで幸せな生活が送れるのかは疑問。
でも、もし「自分の時間が増える」としたら、そして益々リモートワークも進化するとしたら、「自分が望む生活ができるようになる」のかもね。トトロが出てきそうな田舎に住むも良し。キャンプ生活を週の半分するもよし。毎日釣りをしながら仕事もこなす生活すら可能になるのかもしれない。当然、仕事やお金儲けに燃える人たちは内容も充実するのかもしれない。
きっとそういう時代に私が生きたとしたら「取り残される側」だと思うし、「最先端技術に助けられたスローライフが良いとは思わない」し、AIとの付き合い方が下手な人達もいるだろうし、益々世の中は多様化、格差が広がるんでしょうね。
世界は「多様化は良いことだ」と信じ込んでいるようですが、私はそうでもないだろうと思っていて、皆で似たような価値観を持ち、皆で力を合わせて頑張って富は皆で分けるみたいな文化も嫌いではない。でもそういう中でも落ちこぼれはいて、「村八分」もあれば「生きていけない人」も出てくるのはどんな社会でも同じなんだろうと思ったり。
どちらにしても「自分の生き方は自分で決める事ができる環境」って素晴らしくて、そういう国に生まれ、そういう国で生きていけるって素晴らしいと思う。
全ては自己責任って厳しいかもしれないけれど・・・・・
AIをどう使うかはそれぞれの勝手。でも「AIなんてわかんな~~~い」というのはお話にならないと思う。
うちのヨメさんはとんでもないほどの機械オンチで、パソコンは全く使わない。スマホの使い方も良くわからない。でもテレビを見たりアイパッドでユーチューブを見ることはどうにかできるレベル。ネットサーフィンはしないし、ブログも読まない。
こういう人がAIの時代にどう生きるのかに興味があります。(笑)
でももっとAIが進化し、AI搭載ロボットが普及してくれば、「何でもかんでも、家事もロボットに頼む」「わからないことはロボットに聞く」「退屈したときにはロボットと遊んでもらう」なんてことになるんじゃなかろうか。
こういう時代になったら、子どもたちに「学校へ行け」というのが難しくなるんじゃないですかね。「ロボットがいるから十分でしょ」となりそ。
これって冗談じゃないのは、海外で子育てをしているとやっぱり「日本語の勉強」「日本と同じ学力」が必要だと思って、【日本語補習校】とか「塾」に通わせるじゃないですか。通信教育もいろいろある。
我が家の子供達もゴールドコーストで日本語補習校に通っていて、息子たちは現地の学校よりも日本語補習校が好きだったし、日本語の勉強も、漢字の書き取りも頑張ってやっていました。成績もそこそこ。
ところがですね、多くの師弟たちは【現地校の勉強も大変になってくると、日本語補習校に行くのを嫌がる】ようになるのね。「日本語なんて全く必要ないのにどうしてこれほど勉強しないとならないの?(現地校の)成績が落ちても構わないの?」と親に言うようになるし、親もそりゃそうだとなるケースが多くて、日本語補習校も小学生はごっそりいるのに、小学校高学年から中学になるとどんどん人数が減るのね。多くの子供達がやめていった。そして「その学年用の教科書は難しくて使えない」様な状況にさえなってくるのね。中学生なのに小学生の教科書で勉強したり。
AI搭載ロボットがどんどん進化して便利になるほど、これと似たようなことが起こるのは必然だと思うんですよ。「ロボットに聞けば全てわかる。頼めば何でもやってくれるのに、どうして学校で勉強を続けないとならないの?」って。
じゃぁ、好きなことをやらせれば良いじゃないかとなるんでしょうが、自分なりの目標を持って頑張る子どもたちがどれほどいるんですかね。私が子供なら、間違いなく「ゲームに没頭する毎日」を過ごすし、似たような子どもたちとのコミュニケーションを何よりも大事にすると思いますもの。あるいは「興味や趣味は広い方が良い」なんて、その日その日に思いついたことをやって、飽きたら違うことをするみたいな生活になるのはほぼ間違いがない。(笑)
「子供を甘やかすな」という親は多い。でも生活の中にAIが入ってきて、AI搭載ロボットまで家庭に入り込んできたら、それらと子供を遮断することなんて不可能で、うるさいことをいう親よりも「新型のロボットHanakoが一番好き」なんて言い出すかもしれない。
そして「ママ~~。パパが新型ロボットHanakoと一緒に寝て何かゴソゴソやってるよ~~~」なんて時代も来るはず。(笑)
少子化対策?もう何をしても駄目かもしれませんね~~~~。そもそも「結婚しない」なんてのが普通になったり?
私もこんなロボットに介護してもらいたいし。(笑)
100年後の世界を見てみたいな~~~。