このブログはマレーシアの情報発信をしているわけでもなく、ダボというジジーが毎日、何を考え、どう生きているのかの「記録」です。日記みたいなものかもしれず、いつか本当にヨイヨイになったときに、読み返してみたいと思うし、私の子どもたちや孫が「オヤジ、おジーちゃんってどんな生き方をしていたのだろう」なんて思うときが来たら是非読んで欲しいと思っています。
実は私も随分前ですが、私の父が若い頃、そして戦時中だった頃の「日記」を見つけたのね。それは毎日のこと、なんてことのない生活のことが書いてあり、最後は「広島に新型爆弾が落ちたらしい」というページで終わっていた。
その日記を読んだ時に、父を一人の男として見れるようになったのね。父や母ってかなり長い間一緒に住んでいますが、ではどういう思想を持っていたのかとか、何を大事にして毎日を生きてきたのかとか、そういうのを私は全く知らなかったのね。父母という誰よりも近い肉親なのに、「何を考えていたのかも知らない」ということに自分でも驚きました。
でも父の日記を読んだ時に、「一人の友人」みたいに身近に感じたし、へ~~こんな事を考えながら生きていたんだと非常に興味深いものを感じました。だからこのブログもそんなふうになったら良いなと思っているわけです。
ま、身勝手なブログですが、10年以上も続けていますとなぜか「常連さん」も増えてきて、会ったこともないのに昔からの知り合い、幼馴染みたいな親近感も感じるようになってきて、やっぱり恩返しと言っては言いすぎですが、何かそんな方々のお役に立ちたいという気持ちが強いんですよ。
でも私に何が出来るわけもなく、ただのジジーですし、マレーシア情報にしてもそんなのは世の中にいくらでも転がっているわけですし、かと言って「ちょっと笑える時間を提供したい」というエンタメ系でもないし、だったら私が何に拘って生きてきて、何を大事にしてきたのか、そんな中で何を感じたのか、何を見つけたのか、そんなことを書いたらもしかしたらお役に立てるかもしれないと思うようになりました。
トレードとか投資に関しては、ちょっと一般的ではない考え方を持ってやってきましたし、かと言ってその分野で大成功を収めたわけではないものの、ただの普通のオヤジでもこの程度のことはやろうと思えばやれるというのを示したかったし、その中でたった一人でも「ハッと感じるものがあって、役に立つ」こともあると思いました。
なぜなら、私がそうやって他人の言葉、生き方、やり方を見、そして真似をし、ノウハウを盗み、譲り受けて今の私があるからなのね。
細かいトレードのことも書いてきましたが、これも時と共に変わることですし、人それぞれに合う合わないもありますし、どんどんジジーになってきたこともあって「一番、重要だと思うことはしっかり伝えたい」と思うようになりました。
でもそれは私がそう思うだけのことであって、私の考え方がベストであるわけもなく、多くの考え方の一つでしか無いわけですが、でも「こういう考え方を持っていたから自分は生き延びることが出来た」という私にとっての「間違いのないこと」ってあるのね。
それを誰がどういう風に思おうが全く関係なくて、そして興味がなければ読まなければ良いだけのことで、でも「悩みから抜け出せない時」って誰にでもあることから、もしかしたら「たった一人の読者にでも良いことが起きるかもしれない」と思うし、それだけでも十分なのね。
で、今回、読者とのやり取りの中に、自分の考え方のまとめみたいなことを書きまして、それをブログ本文の中に転機しておいたら良いかもしれないと思いました。
元のエントリーはこれ。
古いエントリーが表示されているかもしれないので、是非、「投稿日」を確認してください 世の中は新NISAで盛り上がってるみ…
常連の方からこんなコメントが付きました。そしてそれに対してのレス。やり取りが続きます。
入道
今から10年前、まさか日経平均株価がバブル時の高値を超え4万円をつけるとは思わなかったでしょう。
つまり、この先10年後、どうなるかはまさに神のみぞ知る世界。
だからといって長期投資は駄目かというと、成功するかもしれないし、失敗するかもしれない五分五分という感じで構えておいたほうがいいのでしょうね。その未来に賭けるか、何もしないか、は本人の責任。
いま世間で長期分散積立がある種の常道、王道のごとく扱われているのは、ちょっと気持ち悪いですね。
dabo_gc
もし勝率が5分5分だとしたら、私は絶対にやりません。8割でもやらないだろうなぁ。だったら「為替変動リスク」があっても「外貨建て債券」にしますわ。20年だったら2倍以上の期待利益があるんですから。
>その未来に賭けるか、何もしないか、は本人の責任。
そもそもその考え方がおかしいというのを私はいつもブログに書いていて、「未来に賭ける」という発想を捨てるところから始めるべきだと思っているわけです。
たとえば、Aさんがボールを一つ持っていて、「これをこれから投げますが、15秒後にどこにあるか予想してください」と言ったらどうしますかね。ここで「あそこだ、いやこっちだ」と皆が言い始めたらおかしいと思いませんかね。私なら、「Aさんがボールを投げるまで待ちます」し、そしてその弾道を見れば、どのへんに落ちるかわかるじゃないですか。それから「あの辺」と答える。
いつも書いている「傘を差すのか差さないのか」と同じで、私達は雨が降っていないのに傘は差さないじゃないですか。でも「降るかもしれない」と思う人は【傘を持って出かける】わけで、雨が降ったら傘を差す、雨が振らなければ傘は差さない。
「俺は傘を差す」「俺は傘を差さない」と決めて出かけようとしているのが、今の新NISAで盛り上がってる人たちのように思えるわけです。
で、入道さんみたいに「成功するかもしれないし、失敗するかもしれない五分五分という感じで構えておいたほうがいいのでしょうね」という人が出てくる。
そしてこの考え方が非常に危険なのは「なぜ80%の参加者が相場で負けるのか」を考えていないってところ。「上がる、下がる、動かない」の3つしか動きがないのに、どうして80%の参加者は負けるのか。これがわからないと「5分5分の勝負」をしても【必ず負ける】のね。これはカジノで遊んだ経験がある人にはわかるはずで、勝率がほぼ50%なのに、多くの人は負ける。それは「負ける方にしか深層心理は動かない」ってこと。
そもそも「株が安い時には買おうと思わない」し、「高くなると早く買おうと思う」という心理が誰にでもあるわけで、それをそのまま放置して「確率は五分五分だ」なんて思っていたら、まず負けると思って間違いがない。
この世界はやっぱり私はゼロサムの世界だと思っていて、「負ける人が多いのは非常に良いこと」なのね。でも「そういう構造になっている」ことをこのブログの読者の方には理解して欲しいわけです。
でも「ゼロサムの世界ではない」と思わせることを「関係者はやる」わけで、まさに「政府がその筆頭」だと思うし、アメリカの株高は「狂ったような借金経済」があるからじゃないですか。日本も同じ。株が右肩上がりで上がっていると「皆がハッピー」だけれど、それを演出するのに「莫大な借金をし、金を注入し続ける」のがミエミエなのに、良く皆さんその舞台の上で「踊り続ける」のか本当に不思議です。
でもその舞台に登らないと株価上昇の恩恵には預かれず、「借金経済のツケだけはいつか支払わされる」としたら【もっとやばい】わけで、だから「舞台に登るしか無い」と考えるのは順当だと思います。
舞台の上でニコニコして踊っている人たちを「しっかり観察することが重要」で、皆が嬉しそうに笑って踊る中で、派手に踊っているけれど、【目は決して笑っていない人たちがいる】のに気をつけるべきで、「彼らは煽りに煽って、舞台から飛び降りてごっそり儲けるチャンスを伺っている」のは間違いがない。「利益確定をしない限り利益は出ない」のを忘れてはならないわけで、「この舞台の上で踊り続けていれば安心」という【雰囲気】に飲まれたままの人たちは【いつか、必ず狩られる】のがこの世界の歴史、常識だと思います。
「損切りが出来ない人が多い」のも同じで、そういう人が多ければ多いほど、プロ、ハイアマは儲かる世界。でも自分の「間違った考え方を変えたくない人達」は【上がるまで待てば良い】と考える。「雨が降っていてもいつかは止むのだから、傘も差さずに我慢すればよい」と考えるのと同じ。この考え方は「自分の中では正解」かもしれないけれど、こういう人たちが「プロやハイアマの飯の種である」というのも事実。
雨なら「待てば止む」かもしれないけれど、「下がった株は何十年もそのまま」とか「倒産する会社も間違いなくある」のを忘れるべきじゃないと思います。「だからインデックス投資なんだよ」と思うんでしょう。「アメリカが危ないならオルカン(全世界株=オールカントリ)インデックスなら良いじゃないか」と、こういう考え方って「雨が降ったら傘を差せばよいだけ」という考え方を【完全無視している】のに気が付きませんかね。
【買って放置しているだけで儲けたい】という考え方を持ち続けていてそれでどうにかなるんですかね。そしてこの考え方って「何か一発大きく上がる銘柄はないものか」と考えるのと同じなのね。いつまでも「ビットコインを買えばよかった」と思い続ける人はそういう傾向があるのははっきりしている。
「雨が降ったら傘を差す。雨がやんだら傘は差さない」という【アタリマエのこと】をすればよいだけなのに・・・。でも多くの人たちは【傘を差したり差さなかったり、そういう面倒なことをしたくない】と考えるのね。「Buy and Holdが一番」なんてことで儲かるなら、相場で損する人はいなくなる。
「愛する人と一生、添い遂げたい」なんて思っても投資の世界では絶対にそれは通用しない。(笑)
そもそも「売らなければ利益確定できない」のに、Buy & Holdが大原則って、なんなんですかね。一生売らないの?
私がなぜそう考えるようになったのかは、「椅子取りゲームで常に負けていた過去がある」からです。普通はそこで「やっぱり余計なことはしない方が良い」と離れていくのが普通ですが、私は諦めなかった。それだけのこと。
でもカジノ狂いをしていた時期もありましたが、カジノだけは「絶対に勝てないようになっている」のを実感した時、一切やらないようになりました。だから宝くじも絶対に買わない。(笑)
でもカジノに行くつもり、宝くじを買う感覚で「新NISAにつぎ込む」として、それを自覚しているのなら良いとは思います。希望通りに「夢をたくさん見させてくれる」はずだから。でも「高値を掴んだ人たち」は何十年も悔しい思いをし続ける。
カジノも宝くじも「結果が出る時」はきっちり設定されていますが、株式の長期投資には「終わりがない」のね。だからうまくいかなくても「いくらでも自分に言い訳が出来る」し、宗教のように「祈り続けるだけ」なのが何十年も続いたり。それで「やっと一息つけた」という人も実はこのブログの読者の中にもいるんですよ。
山一證券や拓銀、あるいはシャープの株を後生大事に持たずに良かったですね~、としか言いようがない。私もJALの株で大損した経験がありますが、「そういうスリルを楽しみたい」という思いは誰にでもあるのかもしれない。でも、そうだったらやっぱりカジノに行くのが正解だと思います。
もし将来が見えづらい株式投資は自分には合わないと思うのであれば、「債券投資」をしっかり勉強してみるのが良いんじゃないですかね。私みたいに「債券投資=定期預金」みたいな考え方でも30年以上のスパンで考えると「知らない間に3倍、4倍になった」なんてことが起きるし(でもオーストラリアではごっそり課税される)、そして「クレディ・スイスで大損」みたいなことがあるにしても、私は株式投資より債券投資が自分には合っていると思っています。
その代わり、「基本となる収入はデイトレ、短期投資の投機で稼ぐ」わけで(多くの人が給料をもらうのと同じ)で、その【二刀流で生きてきた】のは良かったと思うし、逆をいうと「二刀流だからどうにかなった」とも思っていて、FIREで「定収入はなくなった」とか、「歳を取って定年」とか「自分の基礎の収入になる部分がない状態」で新NISAにチャレンジなんてのは私は自殺行為だと思うし、50代、60代は「新NISAはやめろ」という専門家がそこそこ多いのも、私は「その通り」と思うのね。「うまく行かなかった時にどうするのか」という話し。
私の債券投資の場合は積極的に利益を追うという感じではなくて、「不要不急のお金は裏庭に埋めて忘れてしまう」様にしているだけ。年利7%以上で回る時代が結構長く続いたのはラッキーで(10%で回る時代もあった)、年利7%の複利って10年でほぼ2倍、20年でほぼ4倍、30年で8倍になるのね。でも近年の低金利時代で7%の確保は難しくなって、既発債で10%で回っていたクレディ・スイスで勝負をかけたらものの見事にやられた。(笑)
ま、どれだけリスク管理をしているつもりでもやられることはあるわけですが、私は「債券投資ほど楽な投資はない」というのが本音です(定期預金は楽勝というのと同じ 笑)。これからの時代のダボ家はそこから前進したいですが、それは私の次の世代に託すつもり。もうジジーの私の脳みそではキャパオーバーだから。(笑)
それと「税金」って本当に難しい問題で、どれほど稼いでも25%以上取られたら資産を増やすのはかなり難しいと考えています。ましてや「その利益から生活費を出す」なんてことをやっていたら「まずインフレにも勝てない」と考えるべきだと思っています。これはちょっと簡単に計算してみればすぐに分かることなのね。でもその計算をする人って意外に少ない。なぜなら、「税金もインフレもどれほど悩んでもコントロールできない」と信じ込んでいるからなのね。でもそれが事実なら、「いくらまでなら使ってよいのか」ぐらいは計算するべきで、例えば7%で回って25%の税金を支払い、なおかつ3%のインフレがあるとしたら、自分が使えるのは「2.25%以下」なわけで、もし1億のキャッシュがあって7%に回っても、自分が使えるのは毎年225万までとなる。それ以上使ったら「目減りする」わけで、利回りが5%だったら毎年使えるのは75万円のみ。もし3%だったら、確実に「目減りして貧乏になっていく」のは確定。
でも「5%で回すのも簡単ではない」というのが現実。これじゃいつまで経っても「増えない」わけで、それどころか「都合が悪いことは頻繁に起きる」のが人生で、「綱渡りと同じ」じゃないですか。
かつてマレーシアでは「マレーシアでは定期預金で3%という凄い金利がつくと大喜びしている人が多かった」ですが、私は3%で喜んでいてどうするの?と皆さんが「このやろー」と思うようなことをブログに書き続けてきました。3%で回して、税金を払って、その金利を使ったらどうなるのか簡単にわかるじゃないですか。あっという間にインフレにやられる。
「でも日本の金利より遥かに良い」のは間違いがなくて、でもそれは日本に住んでいれば「デフレの世界」だから良かったわけで、マレーシアという普通にインフレがある国では「3%で喜んでいたら大変なことになるのは明白」じゃない?
「金利とインフレ」って常に【対になっているもの】だから、それを前提に考えないと絶対にうまくいかない。ましてや税金や生活費も大いに関係してくるわけで、きっちり計算しないとならない。
ここで一つの結論が導き出されますよね。「税金が安い国」で「インフレ率も低く」「物価も安い国」に住み、「インフレの大きな国の通貨を持つ」のが正解となるんじゃない?インフレが大きな国は「金利も高い」ですから。私がこのブログに昔から書いている「自分が住みたい国があるのと同じ様に、お金にも住みたい国がある。それを分けるべき」というのとはそういうことなのね。(お金が住みたい国とは、通貨という意味でもあるし、それを置く国という2つの意味がある)
でもそこには「為替変動」という大きな大きな落とし穴がある。
だから「FXで為替変動に立ち向かうスキル」が必要となるわけで、でも「マレーシアリンギットは世界通貨ではない」のであって、FXも先物も存在しない。だから為替交換となれば「キャッシュ」しかなくて、これでは「手数料負けする」のが当たり前で、当然、ヘッジも不可能。
結局、「世の中にはうまい話はない」と思ったほうが良くて、やっぱり「やるべきことは嫌でもやるしかない」んじゃないですかね。「自分には無理」と思うのなら、自分の生活向上は夢のまた夢となる。日本では「下流老人」なる言葉が流行って久しいですが、そうやって「流されていく」のが人生で、やっぱり「難しいことでもそれをやっていくしかない」んじゃないですかね。
その一つの方法論として「ミニマリストになる」というのもありでしょう。「無駄遣いしない」のは当たり前で、「必要なものさえも買わない覚悟」がないとうまく行かない。でもその考え方は「川の流れに抵抗しているだけ」であって、私は「川の流れ以上の強さを持って泳ぎ切る意思が重要だ」と思うわけです。そうじゃないと「頑張る人たち、頑張る国に間違いなく置いていかれる」んじゃない?
私は「金があるなら贅沢三昧しても良い」という考え方は全く持っておらず、説明するのは難しいですが、私は私なりの「分相応」というのがあると思っていて、いくら大金持ちになってもきっと今の(ケチ臭い)考え方は変わらないと思ってます。と同時に、「お金がなくても維持したいレベル」があって、その範囲の中で生きていけたら文句なしだと思っています。
でも「お金がある人はどんどん使ってくれないと世界は回らない」わけで、裕福な人もいて、彼らがお金を使うから「新しい技術、サービス、製品」が世にでてくるわけで、その恩恵はピラミッドのてっぺんから裾野まで広がると思っています。逆に「世界中の人がミニマリストになる」なんてことが起きて、「贅沢は敵」だと思うようになったら、この世からアイフォンも消えるし、美味しい食事を提供しようとする良い飲食店も無くなる。当然、「芸術」なんてのは花も咲かずに衰退するんじゃない?
だからやっぱり「皆が豊かになろうとする」のは正しいし、素晴らしいことで、稼げる人はガンガン稼げばよいし、「そこまで必要がない」と思うのであれば、世の中は困っている人ばかりなんだから、寄付でもなんでもすりゃいいじゃないですか。
「え?まさか」と思う人もいるかも知れないけれど、実際に家庭の中でどうしてますかね。自分だけ美味いものを食べて、子供はお茶漬けで構わないと思う人っているんだろうか。それどころか、家族のために自分は我慢する人は大勢いるわけで、それは家庭も社会も同じだと思うんですよ。
だから私は「足るを知れ」という考え方が大嫌いで、このブログでも私にそういうコメントを残す人は複数いました。でも私にはその人達が「足りている」とは思えないのね。ただ「自己中心的に考えれば足りているんだろう」とは思った。でも困ってる人たちは世の中にゴマンといて、毎月1万円のお金があれば命が助かる人も世界には少なくない。そういう「他人のこと」は【見て見ぬふり】をして「自分だけを考えれば足りている」んでしょう。
私はそういう人たちが多いのは「恐ろしい」と思うぐらいで、「オヤジはうまいものばかり食って、俺達にはお茶漬けを押し付ける」と子供が考える世界と同じで、そういう人の「足るを知れ」という言葉には「冗談じゃねぇよ」と思うのね。
もし自分に年収1億稼げるスキルが有れば稼げばいいじゃないですか。「そんなにいらない」と思うなら、毎年7千万でも8千万でも寄付すりゃ良い。それだけでどれほどの人たちの生活が助かるか、どれほどの命が助かるか。
でも「足るを知れ」という言葉の奥深さを考えれば、「自分だけを考えた場合の充足度を知れ」という意味だと思うのね。つまり世の中には「自分だけのためにもっともっと稼ぎたい人」って多いわけで、年収1億でも「もっと稼いで独り占めして、自分のために使いたい」という人は多いのかもしれない。そういう人に対して「足るを知れ」という言葉の意味があるのだろうとは思う。
私は「金は天下の回りもの」だと思っていて、それが川の流れだとすれば、「その流れが大きく、早い川に入りたい」と子供の頃から思っていたんですよ。そうすれば「自分の収入も大きくなる」し、それは「使えるお金が増えること」でもあって、自分の家族や親族、縁ある人たちと分かち合うことが出来ると。そしてその【枠】っていくらでも大きく出来るわけで、村、町、市町村、県、国を考えても同じなのね。
馬鹿だと思うでしょうが、私は年に1000億円あっても良いと思っていて、もし自分がそれだけ稼げたら、「日本のシングルマザーとその子どもたち」を救うには十分で、身寄りがなく困っているような老人達も「毎日のご飯」ぐらいは食べられるように出来るかもしれない。
もし自分に稼ぐ力があったら、是非ともやりたいことって山のようにあるのね。世の中には素晴らしい人たちが多くいて、頑張っているのは見えるじゃないですか。お金にもならないようなことに人生を賭ける人っていくらでもいて、私はそういう人たちの手助けもしたいのね。リターンが少ないどころか、リターンはまったく期待できないけれどやるべきことがあると進む人は結構いて、私もその人達の「夢と希望に乗りたい」し、投資家が出てこないと止まってしまうようなことも「継続できて結果が出る」かもしれないじゃないですか。
私はそんなことを夢想するだけで、「グズグズしていはいられない」と思うのね。自分には絶対に出来ない素晴らしいことに私が参加できるチャンスもあるのかもしれないんですから。
でもま、大きな事ばかり考えてもしょうがないわけで、まずは自分が少しずつでも大きくなるにはどうするべきかが毎日の課題。
これを難しく考える必要はなくて、昔から世界中で皆がそうやって生き抜いてきたはずで、「小学生レベルの勉強もしたくない」、「でも高卒以上の学歴は欲しい」なんて思っても無理なのは明白で、意外にやればどうにかなっちゃうのが世の中かもしれない。でも日本の場合は「日本そのものが大きく育って、それに国民はボーッとしていても押し上げられた」と私は思っていて、やっぱり「積極的に頑張らないと世界には負ける時代になった」と思っています。
ボーっとしていたという表現は悪いとは思いますが、日本は素晴らしいところがあるものの、「生産性が低い」と言われていますよね。また海外を見ていると「決断と実行の速さ」って日本にはないものがあるのも間違いがないのね。つまり「海外は日本に追いついた」というか、「日本とはまた違う良さを持って伸びてきた」と思うんですよ。でも「短期的な考え方しかしない」とか「安全性、完成度が低い」とか問題はあるにしても、「動きが間違いなく早い」のね。そして「トライアンドエラー」を怖がらない。その辺で日本は間違いなく遅れていると私は見てるし、「日本は凄い、素晴らしい」という「うぬぼれ」が今の日本の足を引っ張っていると思うんです。「教育度も高い」「民度も高い」とかそれに酔っているような感じまします。それを私は「ボーっとしている」と表現するわけで、日本の競争力という意味で、「国民的には負けているもの」を感じます。安全保障に関しても後手後手だし、海外に物申す政治でも国民でもなく、「お人好しで良いのだ」と皆が考えているんじゃないかと思うくらい。当然、「お金」に関しても同じで、未だに「清貧が良い」と考える日本人は多いような気がします。その癖、「新NISAで頑張るぞ」って、気持ちはわかるけれど、リアリストじゃなければ勝てない世界なのに大丈夫かと気がかなりなわけです。
だから「新NISAで頑張る」というのも良いと思うんですよ。でも多くの人はボーっとしたままそれを利用しようとしていると感じるわけです。でも逆を返せば、「だからこそちょっと頑張れば前を走れる」とも思うのね。
日本も、自分も「その転換期にある」という自覚は重要かもしれない。
皆さんもそういう経験って子どもの頃からしているはずなのね。学校の成績が悪い時に、ちょっと頑張ってみたらどんどん順位が上がったなんて経験はあるはず。でも真剣に頑張ること無く、小学校を卒業して中学に入り、「さぁこれからは新NISAですよ」なんてことになって、ボーっとしてはいないにしても「前と同じような考え方」で勝てるわけもない。運動、スポーツも同じじゃないですかね。【楽をしてどうにか生き抜こう】なんて考え方は絶対に通用しない。それが出来るのは小学生まででしょう。
要は「敵も競争相手も外にいるのではない」ってことじゃないかと。自分の最大の敵は「自分の中に存在している」ってことだと私は思っています。
何度かブログでも紹介したこのユーチューバの「動画で説明している情報、知識、ノウハウ」があるだけで、大きく変わると思います。彼の過去動画を見て、「目からウロコが落ちた」ことは何度もありました。
今、これを読んでいる読者の方も、このユーチューブ番組の過去動画を見てみることを強くオススメします。私も若い頃にこういう知識があったら、そして長く続けている債券投資も始めの頃にこういう知識があったら随分違った人生を送ったかもしれないと、本当に思いますもの。
https://www.youtube.com/@yohei-chokin/videos
入道
ヤバイ、火に油を注いでしまった。。。
私はブログを読み続けていますので、daboさんのおっしゃることは分かります。
私はNISAの毎月積み立て長期投資はやりません。
dabo_gc
あははは
>ヤバイ、火に油を注いでしまった。。。私はブログを読み続けていますので、daboさんのおっしゃることは分かります。
いやいや、入道さんは「私に書く機会を与えてくれた」んですよ。
もしかしたら、漫才の「ボケとツッコミ」でそれがあるから成り立つのかもしれないのね。
ボランティアをありがとうございます。(笑)
>私はNISAの毎月積み立て長期投資はやりません。
私だったらどうするかですか、何をするにも「元手」が必要じゃないですか。これがないと何も始まらない。そして実はその元手を作るのが何よりも難しいと思うんですよ。
だからNISAの積立の前に、私は「積立預金」を始めるかもしれない。これは少額でも「常に増える」ようにして貯めて、「チャンスが来たら新NISAに突っ込む」という感じかなぁ。チャンスが来ない、見えなければ「その積立預金を続けるだけ」みたいな。
当然、「下げ相場でも利益を出すチャンスだ」と思えば空売りもする。
でも新NISAで信用取引って出来るんだろうか?FXや先物、CFDって駄目なの?
そんな基本的なことも知らない私。(笑)
今回、レスとして書いた内容は、私の言いたいことの「集大成」みたいなものだから、この入道さんのやりとりを「そのままブログ本文に載せようか」なんて考えています。(^_^)v
入道
ふふふ。どうぞどうぞ材料として使ってくださいな(^^)
NISAの積み立て枠(120万円)は、金融庁に認定された投資信託&ETF「のみ」組み入れ可能。残り240万円は個別株にも使えます。現物のみ。
初心者、初級者に自由に売買できるようにすると、短期で売り買い、ハイレバ商品を買ったりして損をする人が出てくるので、一定の制限を設けるのは仕方ないですね。
dabo_gc
>初心者、初級者に自由に売買できるようにすると、短期で売り買い、ハイレバ商品を買ったりして損をする人が出てくるので、一定の制限を設けるのは仕方ないですね。
なるほど。そういう意味で新NISAに制限をかけることは良いことですね。
もしそれぞれに違うニーズがあれば、それに合う証券会社に別口座を作ればよいだけのことですものね。
>ふふふ。どうぞどうぞ材料として使ってくださいな(^^)
では「ツッコミ」が欲しいときには、合図を出しますね。(^_^)v