世界情勢の動き、経済動向、市場の相場の動きを、私が結構細かく見るようになったのは2016年にマレーシアに来てからのような気がします。
その前のゴールドコースト時代は、「一般常識的な見方」しかしていなくて、細かな情報を集める時間もなかったし、そこまでの必要性も感じていませんでした。ただただ「物価の高騰に悩まされていた」程度のことで、世界の、オーストリアの、日本の将来を深く考えることな無かったように思います。
またこの10年のSNSの発達によって、情報量が格段に増えたのもあるんでしょう。だからネット内で情報を探そうと思えばいくらでも出てくる。ま、玉石混交の世界で、情報選びも難しいとは思いますが、情報が多すぎるのも困ったもんだみたいな気がしています。
フト思うんですよ。そんな事を気にしていない頃のほうが幸せだったな、って。
「知らぬが仏」で、来年、隕石が落ちようが、世界大戦争が起きようが、特大のインフレが来ようが、日本円が1ドル200円になろうが、逆に米ドルの覇権が終わりを告げようが、所詮、自分がそれを変えられるわけでもないし、【対処方法】を考えたところで、どれほどの効果があるのか。
また、それらが来るのか来ないのかも定かではないわけで・・・。
とは言うものの、我が家の基盤そのものが崩壊しそうになった「リーマンショック」にしても「クレディ・スイスの破綻」にしても【全くそれを想定できなかったのか】に関しては「想定しようともしていなかった」というのが答えで、今のように情報収集をしていたら「逃れることは不可能ではなかった」ような気がするんですよ。
少なくとも「バカ面して見ているだけ」ということは無かったろうと。
「過ぎたことは終わり」ではなくて、当時に戻ってその頃の情報を探してみると、「見逃していた情報があまりにも多い」のがわかる。ま、そんなのは「後から見れば誰にでもわかる」ことでしかなくて、「タラレバ」を考えても意味がない。
でも少なくとも「そういう見方がある」のだけでも知っていたら、それを「様々な想定の中の一つ」として持つことは出来ただろうと思うのね。でも「まさかぁ、そんなことが・・」と思うはずで、十分な対処が出来たとも思えない。
でも実際にそれらが起きた時に「成すすべもなく、ただただ呆然としていた」というのが気に入らないわけです。
地震や津波も同じで、「注意喚起があれば、とりあえずそれが起きるのを想定してみる」ことは重要で、何も考えずにいるほうが「間違いなく不安はない」わけで、その方が幸せなのは間違いがないと思うのね。
で、起きたら起きたで「しょうがない。不可抗力だ」と考えてしまえばそれで終わる。無防備だった自分を責めないほうが幸せなのは間違いないと思う。
今、私はそういう考え方に誘惑されている途中。(笑)
実際に「心配するようなことは起きない」かもしれないし、【心配するほうが馬鹿】というのもわかるんですよ。
やっぱり人は「危険が目に見えないとわからない」わけで、見えていない危険を気にしていたら病気になる。というか、それを気にするのは病気かもしれない。
でも今の私は、「危険は目に見えていない」ものの、「ゴゴゴゴ~~~と地響きが聞こえている」ような感じがするのね。その地響きはただの勘違いかもしれないし、それはそれで終わったしまうことなのかもしれない。
地球が出来て、生物が生まれ、人間が誕生して今に至るまでに何度も何度も大災害や大きな変化に襲われ、まさに「自然淘汰の繰り返し」があったのは間違いがなくて、そのなかでどうにか生き延びた種がその後に広がり繁栄し、そしてまた淘汰の嵐の中で生き延びて今がある。
でもそれらの私達の祖先は「偶然、生き延びただけ」で「危険を事前に想定して、逃れてきたわけじゃない」と思う。
それって何億年というスパンで考えようと、何十年、何年というスパンで考えても同じで、「今、生きているのは偶然でしか無い」とも思う。
これは年齢も関係なくて、若くして重病に罹ったり、交通事故にあったりして命を失う人は少なくないけれど、だからといって「常にそんな事を想定し、準備し、対応策を考えながら生きる」なんてできるとも思えない。
でも私が感じる、この「ゴゴゴゴ~~~」と聞こえる地響きを無視することも出来ない。
先日、北海道のニセコのニュースを見てもそれを感じました。
ニセコが恐ろしいことになっていると聞いても、自分はニセコに行く気はないし、多分、一生行かないと思うし、やっぱり「対岸の火事」でしかないのね。「大変ですね~」なんて他人事にしか思えない。
でもニセコで起きていることは、それこそコロナじゃないけれど、「これから全土に広がること」かもしれないし、実際に「千客万来@豊洲」にも来ているインバウンド価格だと言われるインフレも、その影で「ニセコの住民に何が起きているのか」も日本全土に広がる事かもしれない。
その理由は簡単で、「ニセコがああいうふうになった環境はニセコだけではない、日本の構造的問題があるから」でしょ。
「介護が崩壊しつつある」というのは言われてみればなるほどだけれど、私はそんなことを想像もできなかったし、まさか厚生労働省が「介護が崩壊する」様な【訪問介護の基本報酬を引き下げた】なんてことも知らなかった。
「社会福祉施設の破綻」がニセコだけの問題とは思えない。これからもっと働き手は減り、老人の比率は増えるのに。でも「老人介護」に力を入れすぎても、その後の老人の減少を考えると大きなそして長期的な投資が出来ないのもわかる。
文字のニュースとしてはこちら。
インフレがもたらす問題は深刻で、「若干のインフレ傾向」ならまさにそれは好景気の印でもあって、経済は活発化する。でも「コストプッシュ型のインフレ」は話は別で、「需要が増えたからインフレになるのとは全く違う現象」だし、国民の収入も釣られて上がるどころか、現実は「給与を下げる方向に動く」のが当たり前じゃないですか。
大手企業はメンツもあるし、人材確保の必要性から「給与アップ」をするけれど、じゃぁ、中小企業はどうなのよとなれば、「倒産が増える」ことになるし、飲食店も同じで、「格差が広がるばかり」で問題解決にはならない。
ホリエモンがいつも言っている「値上げが出来て値下げ競争に晒されない商品開発とブランディングが必須」というのはそのとおりだと思う。
じゃぁ、日本の金利を上がればよいかというのも、理屈的にはそのとおりかもしれないけれど、金利が上がって喜ぶのは「お金を握りしめている老人だけ」で、ローンを抱えている若者や借り入れが多い企業は真っ青だし、日本政府もそれは同じ。
そして円安は「金利だけで決まるわけでもない」し、日本という小さくて大きな国の運転は難しいのだろうし、どうするべきかなんて私にはわかるはずも無いのだけれど、このままでは「格差は広がるばかり」で、【かなり厳しい淘汰が激化する】ように思えて仕方がありません。
サラリーマンは企業に依存するしか無いし、老人は国に依存するしかなくて、「自分で立ち上がって道を開け」なんてのは「冗談じゃないよ」レベルの話でしか無い。
世界情勢も分けわからない状態だし、景気が良く「見える」アメリカもとんでもない巨額のお札を刷りまくって維持しているのがわかるし、それでいて「ほころびが出ている」のは間違いがなくて、「景気が良い、収入も多い、株も高い」と皆が万歳三唱している状態じゃないのはあきらかじゃないですか。
新NISAも同じで、私は50歳過ぎから投資を真剣に考えるようなことは「しない方が良い」という考え方。それは多くの人たちが考える投資法は「運任せ」の手法だと思うし、「結果が出るのに時間がかかる」から、真剣にやるべきものじゃないと思うのね。
でも若い人たちは別で、「今からでも経験する」のは非常に良いことで、「自分は儲けられる」という意味もない自信を持っている人が多いように思うけれど、【最初は皆がそう思うから始める(起業も同じ)】わけで、結果はどうあれ「経験を得る」のは良いことで、それは若いから出来ることでもあるし、歳を取ってもその経験は無駄にならないと思うから。
「リスクのないところには利益もない」という大原則を若い内に知るのは重要だと思う。
でも50歳を過ぎてからの「リスクを取る」のはかなりの危険を伴うと思う。投資金額も若い頃とは桁が違うだろうし、結果が出る頃には年寄りになっているはずで、「思ったようにはいかなかった」場合、「取り返す術もない」のが普通だと思うから。
だからやるならローリスク・ローリターンでも「債券投資」が良いと私は思うし、外貨建てなら年率5%以上に回すのは難しくない。でも外貨建てなら「為替変動リスクがつきまとう」わけで、それの対処方法がわからなければ、結局は「運を天に任す」ことになる。
とは言いつつ、「もっと円安が進む可能性もある」けれど、年寄りがそんな中で丁々発止出来るとは思えないし、私は「ただ流れに身を任せる生き方」も決して悪くはないと思うんですよ。
「自分が大きくなれなかった」ことって多くの人たちが経験していることでもあるし、まだ「諦めが付く」と思うのだけれど、「歳を取ってから大きな損失を出す」のってかなり辛いものがあるはず。それは精神的なものだけじゃなくて、現実的に「かなり落とした生活を受け入れる必要がある」から。
私が2023年に経験した人生最大の損失ですが、自業自得だとは思うものの70歳を過ぎてからのそれはかなり厳しいものがあります。
私は、本来は「歳を取ったら欲を出さないのが大正解」だと考えるタイプです。
でも私自身は「強欲丸出し」です。ただそれは若い頃から同じで、当時からの経験やノウハウの積み重ねがあるから「逃げる時の逃げ足は早い」「リスクが高いもの、投資法とは距離をおいている」からどうにかなるのね。また予想外の失敗があっても「生き残る余地を常に残している」から。
これはリーマンショックで「もう俺は終わった」と思った経験があるから、「常に最悪を想定して対処方法を持つ」ことを覚えただけのこと。でも元々の秀でた才能もないし、大ボケをかますこともあって、今はどうにか生きていられるレベル。
でももしも私がそういう経験がない年寄りジジーだったら「君子危うきに近寄らず」が一番で、新NISAを使うにしても、S&P500インデックスの「Buy & Hold」だとか「安くなったら買い増しをする」みたいな、理想論とは全く別の投資をすると思います。
じゃぁどうすれば良い?と、もしこのブログの読者が今頃それを思うのであれば、やっぱり「何もしない」のが良いと思います。「やるならどうするべきか」はもう繰り返し繰り返しこのブログに何年も書いてきたし、それを読んでもピンと来ないってことは、「そういう考え方が自分には出来ない」と諦めたほうが間違いがないと思います。
「常にポジティブであること」は重要だと思いますが、「積極的に何もしない」という考え方もあるはずなんですよ。常に「突撃モード」が良いのは最前線の一兵卒の話で、年寄りになったら「勝てそうな戦い」でも「積極的に逃げることが重要な時もある」のがわかるはずなのね。
当然、わけのわからない「高利回りの投資」に投資するのは年寄りがすることじゃないと思います。そういう投資は世界中に溢れかえっていますが、「これに失敗したら生死に関わる」ぐらいに大げさに考えてみることが重要でしょう。
それとも「宝くじ」を買うつもりで、遊び金で遊ぶかのどちらかじゃないでしょうか。
積極的に投資する。積極的に何もしない。運を天に任せてみる。いろいろな考え方があるし、そして「いろいろな結果になる」のでしょう。
そして「今まで経験したことのない大きな自然淘汰が始まる」ような気がしています。
今までもそういうことは何度も起きたはずですが、私が感じる昨今の「大変化」は私が70代になって初めて経験するような厳しいものに思えています。
これを乗り越えるためには「臨機応変に動く」ことと
人の行く 裏に道あり 花の山
この真理を忘れないことだと思っています。「他人と同じことをする」のは「うまく行っても標準レベルにしかならない」ということでしょう。
今、問題なのは「その標準レベルがどんどん下がりつつある」ことじゃないんでしょうか。昔みたいに「普通に頑張っていれば中流階級を維持できた」なんてことはもう完全に終わったと思っています。
日本人は未だに勤勉で頑張る性格だし、技術力の高さもかなり高いとは思うのですが、「儲けてもそれが海外に出てしまう構造」「既得利権を持つ勢力ががっちり守りを固めている構造」がしっかり形成されてしまった日本であるかぎり、国民の生活レベルは上がらない。
景気が良いように見えて、物価も収入も上がっているアメリカやオーストラリアも「庶民の生活はどんどん厳しくなっている」という株価からは見えない現実もある。
私にはそれらが「大地震の前触れ」にしか思えないのです。だからノホホンとはしていられない。
でも最後に書いておきたいことですが、「株価が大暴落」したとしても【それをチャンスに大きくなることも可能】なのが今の市場システムだということ。このことは何度もこのブログに書いている通りで、「株価が上がる」のと「株価が下がる」のは【同じ利益追求のチャンス】ってことなのね。そしてそれは為替もコモディティーも、そして暗号通貨も同じで「下げでも利益が出せる」のが今のシステム。
皆さんが大好きなETFでも「原資産が値下がりすると利益が出る」ように設計されたものがいくらでもあるじゃないですか。
でも世の中の大多数は「値上がりすることばかり期待」している。
これをこの業界では「飛んで火に入る夏の虫」と呼ぶ。あるいは「ネギを背負った◯◯」とか。
私もそう思っています。
多くの人が大好きなアメリカのS&P500も下げて来ましたね。どうなるんでしょうか。私の見方だと「撤退サイン」の後に「売り出撃サイン」が4月10日に出ています。でも下げトレンドは確定していないから、全力で売ることも控える状態。大事なのはこの後に来るであろう上昇波の大きさとそれが陰転する瞬間。ま、ダボ流の見方でしかありませんが。
私はバイデン政権としてはなんとしてでも「大統領選までは高い株価を維持したい」と考えていると思いますが、イラン・イスラエル紛争も、イスラエルは「反撃すると国会で決めた」と聞きますし、イランがホルムズ海峡を封鎖しただけで、世界中は大パニックになりますし、ウクライナ戦争もどうなるかわからず、「世界の混乱時はチャンス」と見ている国々や大きな勢力もあるし、今は石油価格も落ち着いていますから、市場は「危機は遠のいた」と見ているのでしょうが、何が起きるのかはわからず。
株式市場が崩壊するようなことが起きたら、「実はそれは大チャンス」と見ているトレーダーも多いことを是非、お忘れなきよう。上だろうが下だろうが「大きく動く時はチャンス」です。
でもそういう「本音」を言ったりブログに書くような人は非常に少ないから、一般の人はそういう「事実を知らない」のね。
大惨事や株価の下落で利益を出すなんていうと「それは人に非ず」だと考える人も少なくない。未だに株式投資を「その企業を愛し、より良くなるように期待し、社会に貢献する」みたいなことを真顔で言う人も少なくない。
ま、それはそれで人それぞれ信条は違いますから一向に構わないのですが、私は「皆が駄目な時には自分も道連れになる」という発想は全くないんですよ。当然、良くなる時には皆が良くなるのが一番なのは間違いがないにしてもです。
大企業や機関投資家とて「下げに対処するためのヘッジ」はどこでもやるのが当たり前で、でも「どういうヘッジをしているのか一般には見えない」から、多くの人は彼らも「Buy & Holdで相場の動きを眺めているだけ」だと思ってる。
「運を天に任せる投資」「利回りの良い投資話」でどうにかなるなら、世界から貧困はなくなる。