焼肉屋に勤めてみたかった・・・

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若い頃ってアルバイトをするのが普通だと思います。

私も高校生時代の16歳からやっていました。飲食店ね。

家が貧乏ってことはなくて、母は新橋の飲食店の女将で、でも親父が相場師&弱電関係の輸出業で大損することもあったから浮き沈みは凄かった。高校時代は、まぁ、巷でいう「ボンボン」みたいなもの。だから高校生のくせして渋谷にあった「壁の穴」という日本のスパゲティ専門店の走りみたいな店に入り浸っていて、そこの親父さんに可愛がれて「いつもツケで食べていた」んですよ。ところが当然、いつか支払う時が来るわけで、でも大きなお金はないし、その「壁の穴」でアルバイトをすることになりました。高校生ですが、これがアルバイトらしいアルバイトの最初だった。

50年以上前の話。(笑)

「壁の穴」という店は一世を風靡した店で今でも何店舗かあるはずだけど、当時はカウンターしかない小さな店で私は「皿洗い」からスタート。でも慣れてくると「飲み物」を作ったり、火を使わない「たらこスパゲティ」を作ったり、これは「和えるだけ」だから一度覚えてしまえば簡単。これって今思うと面白くて、今、「たらこスパゲティ」を知らない日本人はいないと思うけれど、【壁の穴がたらこスパゲティの発祥の店】だと後で知りました。私が「日本で初めてのたらこスパゲティを作っていた」のは今になれば、最高の思い出です。

その後、大学時代は母の経営する飲食店の厨房で働くようになりましたが、「オーナーの息子」だからやりづらいところがあるのね。他のスタッフたちが何を考えているのかなんて簡単に想像できる。そもそも調理なんか何も出来ないし、「便所掃除」「店舗の前の道の清掃」「ゴミ出し」とか、それは「私の仕事」として定着させて、皆がやりたくない仕事を中心にやっていましたっけ。

その店は「ヨメが継ぐ」という暗黙の了解があって、私自身が継ぐことは一切考えたこともなかったのだけれど、他の仕事もしつつ、年月とともに店の仕事も覚えて行って「私が思う理想の店」に向けて変えて行くことできたのは良かった。そして後に店の責任を持つようになっても「便所掃除」は私が店にいる時には私の仕事でした。「便所掃除」って私は今でも「商売の原点」だと思っていて、そこから学ぶことは多いし、自分を戒める意味でも重要な仕事だと思っています。

でもその店も時代の変化には乗れず1990年には長い歴史に終わりを告げて閉店。ちょっと変わった店で名も知られて、テレビのニュースとかバラエティ番組に何度も出ていたのだけれど、何よりも重要なフロアのスタッフ集め、教育が難しく、もちろん給料が高くないと人が集まらない業態で、もう採算が合わない時代になったのね。閉店の日はお店から新橋駅の近くまで100メートル以上お客が並び、テレビ局も来て、ニュースになったほど。中には「今までありがとうございました」と大きな花束を持ってきてくれた(顔も名も知らない)客もいて、それを一生忘れることはないと思います。

でも閉店したから「継ぐはずのヨメさんも継ぐことはなく」て(ヨメさんは子供が生まれるまでその店で働いていた)、もしあの店が続いていたらオーストラリアに渡るなんてことはあり得なかったはず。当然、今マレーシアに住むこともなく、人生って偶然と偶然が絡み合って決まるものだと痛感しています。

でも私の飲食店でのアルバイトって、やっぱり中途半端で「料理人」としての技術を取得することはなかった。料理は好きだったけれど、それ以上じゃなかったし、「料理人」という将来は想像したことさえありませんでした。

これが今になって「もったいなかった」というか「失敗した」と思うんですよ。後々の人生の何の役にも立っていないのだから。

その点、私の次男坊は学生時代にゴールドコーストの中心地サーファーズパラダイスの「老舗和食店」でアルバイトをして、当然、皿洗いから始まるのだけれど、彼の好奇心があったにしろ「経営者が親切だった」のね。「魚介類の仕込み」とかも教えてもらうようになったのね。当然、完成品としての「料理」をさせてもらうことはあり得ないにしても、「仕込みの大筋は理解した」ってのは凄いと思うんですよ。これは次男坊が偉いというより、「経営者の温情」が半端じゃなく厚かったのだと思います。

でもま、今でもオーストラリアの和食店の下働きは「ワーキングホリデーの若者」がやるのは良くあるケースで、「洗い物しか出来ないようなのはいらない」ってことなんだろうとも思います。

次男坊にしてみると「すごい技術を手に入れた」ことになって、その後は「自分で魚を買ってきて料理をする」のが生活の一部になったのね。良い寿司が握れるほどまでじゃないにしても、刺し身を作ったり、単純な料理ならいとも簡単に作ってしまう。

大きな魚を買ってきたり、和食パーティなんて今でもやっている様子。

これは彼が31歳の時に、「友人を家に呼んでパーティをやったよ」と送ってきた写真。驚いたなんてもんじゃありませんでした。私には絶対にできないこと。これも「学生時代のアルバイト」があったからできること。オーストラリアという海外で魚介類を含む「和食材」を手に入れることさえ一般家庭では難しいのに、それを手に入れ、自分で料理まで31歳の(日本を知らない)オーストラリア育ちの次男坊ができるなんて、今でも信じられないぐらいです。

私の友人に「若い頃、焼肉屋でバイトをしていた」のがいるんですが、その彼は「どこでどんな肉を買うか」「それらをどう処理するか」「揉み込み用のダレ、付けダレの作り方」もしっかり学んでいて、彼の作る焼肉はまさに「焼肉店の焼肉」でした。また一緒に飲みに行く時には、彼が「これお土産ね」と「漬け込んだカルビやハラミ」「タレ」をごっそり持ってきてくれたり。

そんな時に、なんで私は「飲食店のアルバイト」を真剣にやらなかったのかと思うんですよ。私は何も出来ない。そしてそれは飲食店でアルバイトしたこともない長男も同じ。だから今、マレーシアにいても苦労している。(笑)

今思えば、それこそ「駅前の中華料理店」でも「小さな居酒屋」でも「焼肉店」でもアルバイトをすりゃよかったと本当に思うんですよ。でもやっぱり「仕事を覚えたい」という【意欲が何よりも重要】で、私にはそれが欠けていたように思います。スパゲティ専門店の「壁の穴」でのアルバイトも、私は調理を覚えようなんて気は全くありませんでしたから。

でもおかしなもんで、歳を取ってから調理に興味が出てきたのね。というか「科学の実験と同じだ」と気がついて、それの面白さにのめり込んでいるって感じでしょうか。

でも「美味しいものを作るには程遠い」のね。ま、これは「センス」と「ベロの性能」が大いに関係があって、それは生まれ持ったもののような気がしていて、私には所詮無理だろうと諦めています。我が家族の中では「私が一番駄目」なのはかなり前に気が付きました。

と言いつつ、ユーチューブで「プロが作る料理」には非常に大きな興味を持って見ていて、和食でも洋食中華でもまた海外の未知の料理の動画も真剣に見るのが好きです。でも「素人の料理」やクックパッド的なものには全く関心がないのね。

そんな毎日を送っていますが、ある動画を見つけたんですよ。「焼肉屋の跡取り募集」という動画。

その店のオーナーはいわゆる古いタイプの料理人ですが、それでも多分私より若いだろうけれど、「考え方はよーく理解できる」のね。

私もできることなら、この店で数カ月間でも修行したいと思った。マジにそう思った。

またマレーシアに住んでいなくて、「日本で住んでいた」とするなら間違いなく「調理師学校」に通いたかった。いわゆる「プロを目指す人達」が行く学校ね。「寿司専門学校」でも良いと思う。でも若いお嬢様方が行くような「お料理教室」には全く興味がない。

人生、やり直すことができるならやりたいことは山程あります。

いやいや、今でも遅くない、「やろうと思えば何でもできる」なんて思うタイプの私ですが、やっぱり70歳も超えてくるとね~。身体が言うことを聞かないから「忙しい現場」、しかも長時間働くのは難しいと思う。そもそも飲食店って「ブラック企業」なのが当たり前ですし。

だからユーチューブでプロの料理を見つつ、エッセンスだけでも取り入れて「家で調理実験をする」のが限界。

ところが~~~~~~~~~、欲しい食材が手に入らないのがマレーシア。

でもま、餃子にしても麻婆豆腐にしても「突き詰めたらいくらでも上を目指せる」わけで、そんな方向で行こうと思います。

あ、そうそう。昨日、面白い調味料を見つけたんですよ。

中華料理ですが、あの中華らしい風味を出す調味料で「五香粉」てのがありますよね。我が家はアレの強烈な風味は好きではないのですが、「ちょっとだけ使う」と中華らしい料理になるので使うことは多い。

で、ユーチューブでプロのレシピを見ていると当然「五香粉」(あるいはそれを構成するハーブ類)は良く出てくるわけですが、時々「十三香調味料」ってのが出てくるんですよ。でもそんなのは聞いたこともないし見たことも使ったこともないのですが、昨日、偶然見つけました。

Shopeeで発見。

このパッケージはユーチューブでもプロが使うのを見ていたので、これに間違いはないと思い買ってみました。

主に「鶏の唐揚げ」に使うようですが、楽しみです。

でも「なんだこれ?我が家には合わないわ」なんてのが多いわけで、この「十三香調味料」も「ビンゴ~~!!」となるかどうかは全くわからず。

当たる確率なんてまさに「千三つ」(千に3つ)みたいなもんだろうけれど、それでも探すことを諦めなければ(我が家にとっての)「宝物」って見つかるのね。それが「原了郭の黒七味」「ろくすけの塩」「旭ポンズ」だったり、「ナガイのもずくスープ」「久原本家 茅乃舎だしパック」とか、「フランスの発酵バター」「(粉チーズではなくて)パルメジャーノレッジャーノ」などもそうで、灯台下暗しで「気が付かないけれど、家の料理が劇的に変わる宝物は身近にもある」から面白い。

牛肉も同じで、オーストラリアという牛肉大国に住まなければ一生気が付かなかったかもしれない「牛の頬肉」とか、世の中って宝物ばかりかもしれない。

何度も何度もこのブログに書きますが、(日本人として)全く食べる意欲がわかないマレーシアの魚類でも、とんでもなく美味しい魚に遭遇することがあるのね。

この(ちょっと怖い)NSKで偶然見つけた「スマ(カツオ)」は我が人生で食べた一番美味しいカツオだったと言っても間違いじゃないと思う。

3キロで約1000円。とんでもなく安い値段。

やっぱり「宝物は探せば見つかる」と信じて進むしかないのね。

でも「ハズレばかりの日々」の覚悟が必要で、その愚痴につきあわされる読者の方々はもうウンザリかもしれませんが、本音を書かないブログなんて意味がないと思っていますので、私は書き続けるつもり。それを読むのが耐えられないと思うなら、読まなければ良いだけのことと思っています。

あ、そうそう。これは書くつもりはなかったのですが書くことにします。

あるお店から「鶏のミンチ」を買ったのですが、これが我々のイメージするミンチじゃなくて「すり身」だったんですよ。こんなのを見たのも買ったのも、食べたのも初めて。

すり身ですから、ミンチ料理に使うとかなり違和感があって、これで作るものとしたら「(マクドナルドの)チキンナゲット」みたいなものか、(決して日本式ではない)「ボールにして鍋にいれる」ことぐらいしか思い浮かばず。これは「鶏つくね」とは全く違うものになってしまう。

でもまだ美味しいなら良いのですが、「なんだこれ、イマイチだなぁ」なんて思っていたら、息子が「これ鶏?鶏の味がしない」なんて言い出しましたから、残っている1キロ以上のミンチは「捨てる」ことにしました。これって本当に心が痛くなるし、鶏に申し訳ないなんて思う気持ちで一杯なのですが、使うこと無く冷凍庫の奥に入れたままというのもおかしなもんですので、「捨てる勇気」を行使することにしました。

ヨメさんなら何かしらこれで作るとは思いますが、ヨメさんは今は日本。どうにもならず。

鶏さん、ごめんね~~~~~~~。本当に申し訳ない。

 

 

 

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