思った通りの読者の反応 「スシローのお寿司」に関して

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マレーシアに上陸したスシローには大きな期待をしていました。またスシローはすでに東南アジア各国で展開していてかなりの出店規模。

やっとマレーシアにも来てくれたと思ったし、マレーシアへの出店が遅かったのは「マレーシア市場をどう読むか」「どんなレベルの寿司を出すべきか」の判断の難しさがあったからでしょう。

でも来てくれた。私は本当に嬉しくて、他国のスシローの動画を見てみたら「期待」以外の何もなかった。

ところが、実店舗に行ってみたら「嘘だろ?」と思うレベルで、動画で見ていた他国の店とは随分、内容が違う感じがする。

でもそれはそもそもの「それぞれの国の和食の広がり」を見てもわかるわけで、マレーシアにも高級和食店はいくらでもあるけれど「格差が大きい国」で、「中間層」でまだまだ和食を楽しむほどの広がりはないのだろうと思う。お隣のシンガポールも含めて、マレーシアとの「所得格差」って大きくて、それは「寿司のレベル」にも直接関係すると思う。

当然、出店する企業はそこを重視してどんな形態でどんなレベルの和食を「どんな価格で提供するか」計算するのは当たり前。

で、スシローが出した結果が、マレーシアスシローのお寿司に出ていると思った。シンガポールにしてもタイにしても「美味しい和食店はいくらでもある」わけで、そういう市場との兼ね合いを考えた場合、「寿司のレベル」も他国では問題があってもマレーシアでは十分という読みもあったんじゃないかと思うんです。

でも私はシンガポールも他の国のスシローで食べたことはないし、日本のスシローさえ行ったことがない。だからそれぞれは「同じスシロー」だとしてもどういう違いがあるのかはわからない。でもユーチューブ動画を見ると「違いがある様に見える」のね。

スシローには専業で日本一としてのプライドもあるだろうし、新たにマレーシアに上陸する限り、「それなりのことはやってくれる」と期待していたけれど、私には良さを感じることはできなかった。それどころか「かつてのドンキ」に比べたらドンキのほうがはるかに良かったし、随分、変わってしまい魅力もなくなってきた今のドンキとスシローが今、競いあう感じで、それは私が見たかった「寿司の戦い」ではなかった。

でもマレーシアには大手の回転寿司店はあって、そういう「回転寿司業界」の中ではスシローはトップに立てるのかもしれないとは思うものの、そもそも多くの回転寿司のレベルは「日本人向きとは全く思えないレベル」であるわけで、そのなかでスシローが優位性があっても日本人には大きな意味はないと言えるんじゃないだろうか。

やっぱり専業で日本一であるスシローがそのプライドを賭けて狙って欲しかったのは「先発のドンキを凌駕する」ことであり、スーパーで売っている「日系の店」が提供する寿司より一段上のレベルであるのだけれど、その私の夢は簡単に崩れてしまった。

でもビジネスとしたら「日本人なんか関係ない」わけで、いかにローカルの人達に受け入れてもらえるかであり、「競合」として見ているのは「現存の回転寿司店」であるのは間違いがなく、そこで勝てて初めて「マレーシア上陸の成功」があり、マレーシアでも多店舗展開する土台となるのは私にもわかる。そもそも私が回転寿司店のオーナーだとしても、「日本人は完全無視する」のは確実で「五月蝿いだけで売上には結びつかない、そして人数も少ない日本人」を相手にするほうがおかしい。

そんなことはわかりきっているわけですが、他国では「違うレベルの寿司を提供している」と思うと残念な気持ちが抑えきれない。

ま、そんな息子と二人で行ったスシローで感じたことを前のエントリーに正直に書いたわけですが、やっぱり多くの人がスシローに大きな関心を持っているのはわかった。それは「閲覧数の多さ」からそれがわかる。

ところがですね、他のエントリーより閲覧数が多かったそのエントリーですが、面白いのは「応援クリック数が他のエントリーより少ない」ということ。

ここに閲覧者が何を思ったのかが出ているのね。

それは私がそのエントリーを書く時に危惧していたことそのものだったということ。

ブログを書くのって実は結構悩みどころがあって、「本音を書くことより大事なことがある」のね。それは「閲覧者が喜ぶことを書く必要がある」ということ。これはどんな分野でも同じで、だから閲覧者も増えるし、アフェリエイトをやっていれば当たり前のこと。(このブログはアフェリエイトはやっていない)

特に食レポは「そこそこ良かった」ような話がベストで、それでお店も閲覧者もハピーになって全ては丸く収まる。

逆に、「行こうと思っているお店を悪く書く食レポ」って閲覧者の出鼻をくじくだけで、それは「楽しみを奪われる」ことになるし、お店にも良いことはないし、その店を好きな人もいるわけで、「悪いことは書くな」ということになるのね。中には「お前、何様だ?」と思う人も必ず出てくる。私だって、偉そうに書くブログを読むとそう思いますもの。(笑)

ま、それがブログの世界で、それが(いわゆる)「イイネボタン」が押されないことに繋がる。私のブログで言えば「応援ボタン」の押される数が、閲覧数に比べて極端に少ないという形で出てくる。

私もそういう「常識」はわかっているんですよ。

でも私にはそれは「虚構の世界」に思えるのね。ブロガーはお笑い芸人でもタレントでもないわけで、「好印象を持たれるような書き方をする」のが良いとは思えなくて、私はなんと思われようと「本音だけを書き続けたい」と思っています。

そもそもが「情報提供」を目的としたブログではなくて、「私の生き様を残しておきたい」という思いでブログを書いているのは前からそういうブログだと書いていて、いつの日か、天井を見つめながら毎日を過ごすようになった時、「ブログを読み返してみる」のも楽しみの内。またログは全てパソコン内に残してあって、いつの日にか子どもたちや孫たちが私の生き様に興味を持って読もうと思えば読めるようにしてあります。

それはかつて偶然、私が「父が若い頃の日記を見つけた」ことが影響しています。その日記は太平洋戦争中に書かれた日記で、最後のページは「広島に新型爆弾が落ちたらしい」という文章でその日記は終わっていたのですが、その日記を読んで「初めて父を身近に感じることができた」んですよ。父母って誰よりも身近な家族なのに、「何を感じ何を考えながら生きてきたのか」を私は全く知らなかったのね。両親としての父と母を知っているだけで、若い頃から彼らはどんな生き方をしていたことさえ知らない。でもその父の若い頃の日記を読んで、一人の人間としての父を知ることができた。だから私は日記は書かないけれど、こんなブログでも残しておいたら、それこそ30年後、50年後でも私の子どもたちが私の生き様を知ることが出来るって重要だと思ったわけです。

だから本音を書くことが何よりも重要で、嘘は書けない。提灯記事を書く理由も必要もない。私がブログを書く時ですが、「将来の自分や子どもたちが読む」という想定で書いていると言っても言いすぎじゃないと思う。だから「細かいこと」を書くのも重要で、こんなクソ長いブログになる。

でもそれは「自己満足」であって、それによって「閲覧者を含む他の方々を傷つけること」があるのもわかるのね。

それでも私は本音を書き続けようと思う。そして私がブログを書く思いって、みなさんが想像するより「真剣だ」ということでもあるんですよ。

そして私がそういう風にブログを書く自由は、読みたくないブログは読まないという閲覧者の自由があるのと同等だと私は思う。

でも今回「書かないほうが良いことを書いてしまった」と思ったのは間違いない。

きっと「思いやりが足りない」と思われているのだろうと想像すると、万年、強気の私でも心が折れるときもある。(笑)

 

 

 

 

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