ミャンマーで地震があってかなりの被害が出た様子。
ただ私はミャンマーのことを全く知らないので、なんだかイメージが湧きません。でもなぜか1000キロ離れたバンコックでも被害があって建設中の高層ビルが倒壊したり。そういう意味ではバンコックの方が身近で地震の強さが伝わってきた。
近年、ホテルやコンドの上に「プール」があるケースがあって、その水が溢れて落下したようですが、もしもクアラルンプールやシンガポールでも同じような地震が来たら怖いですね~。インフィニティプールも多い中、ボーッとしてたらその水とともに落とされるんでしょう。あのシンガポールの超有名なホテルもパニックどころじゃないだろうと思う。
私は運が良いのか、大きな地震に遭遇したことは全く無くて、「揺れてるなぁ・・」ぐらいの地震しか知らなくて、阪神大震災の時も東日本大震災の時もすでに海外に出ていたので(ゴールドコースト)、恐怖が直接伝わってきた感じはない。
でも映像で見て「その場にいたらどんなだろう」と想像しただけでもゾッとする。
日本を出てからゴールドコースト、そしてクアラルンプールへと居所を変えてきたけれど、どこも「地震とは縁が無い場所」で、クアラルンプールは台風も来ないと聞いた。
これってあえてそういう場所を見つけて住んだわけではないにしても、心の隅っこに巣食う「不安」もないのは良いと思う。
ただクアラルンプールで気にしたのは「水害」で、巨大な台風が来ることはないにしても、「大雨は降る」わけで、水害が多い国と言っても間違いはない。
だからクアラルンプールのどの地域、どのコンドにするか決める時、地図を結構しっかり見て「海抜」を調べたり。でもクアラルンプールは内陸にあるので調べるべきは「近くの川の海抜」と「コンドの海抜」「地形」だと思い、それを見ていると結構「危ない場所」は多いのね。クアラルンプールという大都会でも「錫鉱山の跡地」はあちこちにあって、「大きな池」はかつての錫鉱山だったり、大きな湿地帯、くぼみ、谷があったのはわかる。でもそういう場所もしっかり開発されていて、パッと見た目ではわからないのね。でも地図で等高線を見るとわかったり。
KLのど真ん中にもそういう場所があって、私が住もうと思ったリストに乗せていたコンドの一つもそこにあるのを発見。近くの川と海抜は同じで、回りより低い位置にコンドがある。そして地下数階まで駐車場があるので、「水が出たら、そのコンドに向かって水が流れてくるだろうし、地下の駐車場は完全に水没する」であろうことが想像できたり。でもそのコンドに行って、注意して周りを見ないとそれに気がつくこともないから怖いと思った。
そんなことに気がつくと、そういう場所にあるコンドはやめようと思うわけで、結局、「高台にあるコンド」に住むことにした。そうだとしても川の近くやかつては「谷」だったところは高台でも危ないのはどこでも同じ。
でも今回のミャンマーの地震、バンコックでの被害を考えると、地震から逃れるのは難しいと思ったし、「地震が少ない国に住む」とか「原発がない地域に住む」なんてことをわざわざ考えるかと言うとそこまでは私も考えない。でも万が一、そういう津波も含めた大災害、事故に遭遇すると「家族の命」はもちろんのこと、何十年も掛けて作り上げた資産が一瞬でゼロ、あるいは借金だけ抱えるのを報道を見ているとわかる。でも「借金して工場を建てたばかり」「ローンで家を購入したばかり」で露頭に迷う人たちまで細かく報道されることはなかったけれど、想像するのは簡単。
そこまで想定するべきなんですかね。それは私にはわからないし、日本も30年の内に80%の確率で来ると言われる「大地震」も関西、中部の大都市を直撃したらとんでもないことになるわけで、過去には必ずある周期で来ていた関東大震災も同じく。これが起きた時には「逃げれば良い」と言っても、「国そのものが麻痺する」はずで、逃げる場所もない、援助を待っても来ないことさえ想定する必要がある。
運を天に任せて生きるしかないのだろうか。
東日本大震災でもとんでもない被害が出たけれど、もし福島原発が手を付けられない状態だったら、それは近隣の原発にも近寄れないことを意味するし、日本そのもの、あるいは少なくとも「東日本壊滅」の危機にあったのは間違いがない。私はあの福島原発の被害があそこで止まったのは「神の采配」と言っても良いくらい、運が良かったと思う。
若いうちは「何度でもやり直せば良い」と思っていたけれど、歳を取ると「守るべきものも増える」し、流れに身を任せるのが良いなんてことは考えられない。
そういえば、最近、日本でも「核シェルターが売れるようになった」なんてニュースも見た。また世界の大金持ちがニュージーランドに移住したとか、大きな別荘というより「避難場所を建ててる」なんてこともニュースになった。
そこまでするかぁ?と思うけど・・・。
小松左京の「日本沈没」というSF小説が好きでした。映画化も二度かな?あって、それも見たけれど、私が感動した部分は小説の最後に出て来たシーンで、日本が沈むことを発見して世にそれを知らしめた「田所博士」と日本人の海外への移住を手助けした「政財界の大物」が、最後の最後、富士山が大爆発するのをその大物の別荘から二人で見ているシーン。
そして田所博士が言うんですよ。「これから祖国を失った日本人がユダヤ人のように世界に散らばって生きていけるのだろうか。日本人はこの祖国とともに沈むのが幸せかもしれない」と。つまり「日本が沈むことを発表したのは間違えだったかもしれない」ということ。
私も「そう思う」とそれを読んでそう思ったわけで、何が何でも生き延びるのが良いとは思えないのは、タイタニック号の大惨事も同じ。
でもねぇ、大惨事に合ったのは「自分の家だけだった」なんてことも世の中にはあるわけで・・・
今回の地震の被害にあった人たちが今、どんな思いで生活しているのかを想像すると胸が痛みます。頑張って立ち直って欲しいなぁ。やっぱりこれって他人事とは思えないし。
ところで今回の地震の波形を見ると「人工地震の波形に似ている」と主張する人たちがいる。
まさかと思うけれど、人工地震兵器の開発が行われていたのは間違いがないようで、かつてソ連時代に「その開発はやめよう」とソ連がアメリカに申し入れたなんて話も聞いたことがある。
あの東日本大震災も「人工地震である」と真顔で話す人も少なくなくて、明確な誰が見ても事実とわかる根拠を示さない限り「陰謀論」「都市伝説」とバカにされても仕方がない。
でもそうやって「事実が隠されてきた」のも世界の歴史で、私は陰謀論とはバカにして無視するべきではないという立場。でも「これが事実だ」と声を上げることもない。
武漢から漏れたと言われるコロナウィルスも、事実と陰謀論がごちゃまぜになって世界中を駆け巡ったけれど、単なる陰謀論で片付けていたら、最近明らかになってきた様々なこと、関わった人間も闇に閉ざされたままだったはず。
それはロシアのウクライナ侵攻も同じで、狂ったプーチンが善良なウクライナに侵攻したという建前になっているけれど、もっと長い年月であの地域に起きていたこと、そしてアメリカのある勢力が何を考えて何をしてきたのかを考えると、世の中で言われるのとは全く違う「絵図」が見えてくる。
でもま、私達一般は「結果しかわからない」わけで、理由はなんであろうと「変化に対応するしかない」のがなんだか悔しいと思ったり。
でも地震や水害、津波の多発地域には住まないとか、日本が推進している「エボラ出血熱の研究所を都心に作らせない」とか、やれることはまだまだあると思うし、傍観者であり続けるのはうまくないと思ったり。
国土強靭化もそうで、公共投資は駄目だと押さえつけるばかりの日本は老朽化したインフラも増えているし、やっぱりやるべきことはやらないと犠牲者は増えるばかりだと思っています。でも政府や財務省はその犠牲も数字でしか見ていなくて、「どこまでなら受け入れられるか」を基準に考えているのは間違いないと思う。
税金を払っているのは国民。なにか起きてとばっちりを受けるのも国民。
この図式は未来永劫、変わらないんですかね。
でもそういうものだと割り切って、「自己責任で生き延びるしかない」というのが私の考え方。
私としては「日本政府も官僚も国民のことを重視していない」と思うし、そういう国に税金も払いたくないし、その代わり、援助も受けないという考え方でいます。でも「日本のパスポートを持っている」というだけで多大な恩恵があるのは間違いがない。そして「日本に生まれ育っただけ」で世界では裕福な部類だし尊敬されることもあるわけで、そういう意味での「日本に対する感謝の念は大きい」のは間違いがない。
面白いもんで、そういう私に「日本に帰ってきて税金を払え」という読者もいるのね。
少なくともどう生きるかの選択肢があり、それが許されている日本ってまだマシなのかもしれない。