投資の神様と言われるウォーレン・バフェットが「持ち株の多くを現金化した」のは広く知られていますが、今、警告を発したとのこと。
私も「アメリカの衰退」は必ず来ると見ていて「米ドルも下落するだろう」ということは前からブログにも書き続けてきましたが、とうとう始まったかと言う感じ。
我が家は「米ドル中心」で生活していますので、「米ドルの下落」はそのままダイレクトに影響があるので困るのですが、「持っている米ドル資産のヘッジ」なんて出来ないのね。これって「南海トラフ大地震が来るから拠点を移そう」というのに似ていて、じゃぁ会社や工場、住まいまで替えますか?というのに似ている。
FXは常時やっているからといって「資産のヘッジ」なんて出来ない。これは私が小心者であるのも大きな理由の一つで、かつては「日本円を豪ドルへ」「豪ドルを米ドルへ」と大変換したのも今になると「なんてとんでもないことをしたんだろう」と思うくらい。なんでそんな「恐ろしいこと」が出来たのか自分でもわからない。チャレンジ精神が無くなったのか、それとも「まともになったのかもしれない」なんて思うこともあるくらい。(笑)
ただ「無策」「流されるまま」なんてのは【自殺行為】でしかないわけで、どうにかしないとならないわけですが・・・。
私の対策としては「日頃の収入を上げることに注力する」という感じでしょうか。
今は「米ドルの下落」が喫緊の私の課題ですが、世界を見ていると「インフレが猛威を振るう」という危険のほうが大きいと感じています。これって「米ドルの下落」が問題にしても、各国は「同じような問題を抱えている」と思うし(日本も同じ)、つまり【各国の通貨が安くなる】ということだと思うのね。「どの通貨を持とうが皆、下がる」と私は見ているわけで、それは「通貨同士の変化」を見ていてもわからないのね。「下げる通貨同士を比べても変化はない」じゃないですか。
つまり「通貨そのものの危機」であると思っていて、それはまさに「インフレ」ということ。
だから「米ドルが下がる」としても【どの通貨に乗り換えるか】というのは「解決策にはならない」と読んでいるわけです。
じゃぁどうやってインフレに立ち向かう?
一般論としては「インフレに強い資産を持つ」となりますが、そもそもそれが私にはわからない。(笑)
不動産はもともと苦手ですし、自分には不動産投資のスキルはゼロ、マイナスぐらいに思っているし、もしもたまたま利益が乗っても「不動産の売買は簡単ではない」し、「所得税も高い」し、「持っているだけで維持費、税金も掛かる」なんてのは私にしてみると「三重苦」みたいなもの。
「金(ゴールド)か?」なんて思っても、金は「持っていても利益を生まない」のね。また過去のチャートを見ても「金が良い」とは言われているものの、それは「上がっているときだけを見て皆はそう言う」と私は思っていて、実際に私は「HSBCシンガポール」に勧められてファンドを長らく持っていてすでに3倍近くに値上がりしていますが、「金相場」ってかなり難しいという印象がある。持っている額は微々たるものですが、それを増やそうというのも「なんだかなぁ」と思うし、「金を買っておけ」というのは、私は「金持ちの発想」だと思っていて、「資産形成を考える」のなら金が良いとは全く思わない。
株式・インデックス投資も同じようなもので、「買って持っていれば安心」なんてのは、私は「かなり悪質な新興宗教」と同じだと思っていて、「これって凄いぜ」なんて時期は必ずあるものの、私みたいに50年も株式市場の動きを見ていると、「安心」なんてどこにあるんだ?と思うくらい。でもどんな時代でもどこでも「バカ勝ちする人」っているのね。その確率って私は宝くじに似ていると思うのだけれど、「自分にも出来る」と錯覚する人が多い。でもその中からまた「次の成功者が出てくる」から難しい。そんな世界にどっぷり浸かっていると「見えてくるもの」があるはずなんだけれど、株式の長期投資は「そこが問題の核心」だと思うんですよ。成功するにしても失敗するにしても「結果が出るのにかなりの年月が掛かる」から、つまり【経験を積むのが難しい】のね。
今、ビットコインが良い調子ですが、これもまた「他にこれという投資対象がなく、上がる可能性が高く思えるから買ってみるか?」みたいな感じで、本気になって積極的に買い進める対象とも思えず。
こういう「四面楚歌」に思えるのは、まさに私が歳を取った証拠だと思うのだけれど、じゃぁ、無理やり尻を叩いて積極的にやるか?となれば、それじゃ「何もわかっていない若い頃」と同じになってしまう。
つまり、「自分が稼げることはなにか」を冷静に考えて、それをどうにか増やすしか無いというのが私の結論。
私の場合はそういう仕事があって、それはたまたま「デイトレ」だというだけのことで、サラリーマンでも商店でも「今の仕事で収入増をどうにか狙う」のが最善で、新しいことにチャレンジするのは「聞こえは良い」けれど、チャレンジ精神が旺盛なのは「若気の至り」でもあるのは人生70数年生きているとわかるような気もするわけです。成功確率ってかなり低い。
「チャレンジが駄目」ということではなくて、【自分ができることの幅を広げる。スピードアップすることにチャレンジするのが現実的である】という考え方。でもま、それもそれだけ人生で経験した積み重ねが必要なわけで、私も若い頃なんて「俺に何が出来るんだ?」という【疑問しか無かった】のね。でも若さって素晴らしくて、それは「無限の可能性があるってことだ」と信じることが出来る。神様は本当にうまく作ったと思いますわ。若い頃は「現実的に考えたら、あれもこれもそう簡単に出来るわけがない」なんてことでも平気で手を出せるし、それは結果的には「成功に結びつくことはない」にしても「七転び八起き、七転八倒」を繰り返すうちに、なんとなく「自分が進むべき道が見えてくる」のね。
人生って面白いと思う。だからやっぱり「チャレンジをしたほうが良い」と思うし、それは単に「経験を積むだけ」だったとしても、「その経験はいつか活かせる」のね。な~~んてことを歳を取ると考えるようになる。(笑)
でも世の中には「余計なことをしなければよかった」と反省ばかりが積み重なっていく人も多い。
「自分の引き出し」はいくつあるのか。「使える手」はどれほどあるのか。それを見極めて、それに今まで以上に磨きをかけて、その方向で大きくなるようなチャレンジをするのが重要なんだろうと思う。
私も「大きな変化」に飲み込まれたら大惨事になるけれど、それから逃れる妙案は思いつかないし、また「ゼロからでも立ち上がるしかない」のね。でもそれは決して「やる気の問題ではない」のであって、「スキルの問題」だとつくづく思うわけです。
「やる気」が重視されるのは経験も少ない若いうち、あるいは最前線の兵隊だけで、管理職や指揮官に「やる気で乗り越えろ」という人はいない。
「当たって砕けろ」って、砕けちゃって良いんですか?となりますよねぇ。