まったくもぉ、ウクライナ・ロシア戦争も、イスラエル・イラン紛争も勘弁してくれよと思いますよねぇ。
喫緊の問題は「イスラエル・イラン紛争」が拡大するかどうかという点。
これは「大戦争に発展する可能性を否定できない」と私は思っていて、イスラエルが攻撃したのは「イランの核施設」で、それはまさにイランにとっては「何よりも重要な施設」でイランの「未来」にも大きな影響がある。
それを攻撃されてイランが黙っているとは思えないし、反撃も益々エスカレートする可能性がある。当然、「ホルムズ海峡の封鎖」やもっと大きな戦争になるかもしれない。当然、そういうゴタゴタがある時に「それを利用しようとする勢力は必ず出てくる」わけで、それは「ロシアの行動」にも影響があるかもしれない。そしてそれは「中国」も同じ。また「インド・パキスタン紛争」も同様。
「冗談じゃない」と思うのは平和に暮らして発展を享受している側なわけで、「今の状況をなんとしても打破したい」と考える側がいるのを忘れてはならないはず。ましてやイスラエルもイランも「相手を地球上から消滅させる」のは【国是】なわけで、彼らのやる気を平和でのほほんとしている私達が理解するのは難しいし、「どうにかなるんじゃない?」なんて理由もなく考えてしまいがち。
どうなりますかね~。「世界大戦争」に発展しなくても「長期化」すれば、「世界のインフレ」は再燃し加速するだろうし、「コメが高いの安いの」なんて言っていられないはず。
「戦争が起きれば終わりだ」と考えるのは【日本人の特徴】だと私は思っていて、世界中に「核シェルターが存在する」のも理解できない様子。国によっては「全国民が避難できる核シェルター」を持っていたり、万が一の時に「核シェルターに使える施設」を作るのは常識化している。そして個人で核シェルターを持つ人も多い。
戦争と侵略に明け暮れた歴史を持っている人達は「いつか紛争は終わり、また復旧される」と考えていて【何があっても生き延びるべき】という考え方が根底にあるんでしょう。
でも日本みたいに「大空爆や原爆で焼け野原にされて絶望した経験」があると「今後、世界戦争が起きたら人類は滅亡する」と考えてしまうのかもしれない。
これは「日本人らしい」とも私は思っていて、「戦う時にはとことん戦う」という歴史を持っていると「適当なところでやめて手打ちをする」という【世界の歴史】を理解できないのかもしれない。
ま、実際に何が起きてどうなるかなんてわからないものの、「生き延びる」ことと「その後どうするか」を常に考えるのが世界の常識だと思う。
さて、「イスラエル・イラン紛争」「ウクライナ・ロシア戦争」、そして「中国」にしても、「必ず来ると言われている日本の大震災」にしても、【どうにかなるっしょ】と考えるのはまさに「平和ボケ」だろうと思う。
こういう私も「世界の危機」を感じた経験はなくて、直近で言えばきっとそれはアメリカのジョン・F・ケネディとソ連のフルシチョフ時代の「米ソ戦争」が本当に起きる直前まで行った「キューバ危機」だとうと思う。1962年の出来事で「冷戦史上最大の危機」と言われる。
今回はまだそこまで行っているようには見えないものの、「世界中に火種がある」し、「弱体化しているアメリカ」なのは間違いがなくて「今がチャンス」と見る勢力もあるはず。
でももしかしたら「トランプが大統領である」のは良かったかもしれなくて、「何をしだすかわからない大統領」は【抑止力】として働くはず。
ま、そんなことさえ想像しても全く意味がなくて、「何が起きたらどうするべきか」の想定とシミュレーションを自分の中ですることは無駄にならないと思うし、「どうにかなるっしょ」とか「流されるしか無い」と考えるのは、「家長としての責任放棄」以外の何物でもないと考えます。
たとえ「無駄」だとしても、【見ているだけ】なんてことはできない。
ではどうするか。
ま、それに関してはいつも書いている通りで、「戦争を止めることも出来ない」し、「どこかに逃げることもできない」し、【多少でも生き延びることが出来る方法】を考えて、「経済的にも生き残る方法」を考えて実行するしか無い。
本当に困ったもんだし、勘弁してほしいですよね~~~。
参考資料
Clude Oil 先物 日足
金(ゴールド)も高いですね。実は最近の動きは「天井を構成する形」にも見えていて、どうなるのかと気になっていましたが、今回のことで「一気に上値を抜いてきた」。
「まだまだ金(ゴールド)を買え」という専門家は多いですが、難しいですよね。「高値圏」なのは間違いがないですから。また「金(ゴールド)」を持っていてもそこから「利益は生まれない」わけで、「投資」という観点とは違う見方をしないとならない。
私にはそこが一番の問題で、我が家はまだまだ「資産形成中」であって、「資産の保全」ではなくて【積極的に攻める】考えが基本にあると金(ゴールド)に資産を振り分けるのには結構大きな抵抗があるんですよ。また「金(ゴールド)は安全資産」と言われますが、それは「安定的に増えるという意味ではない」のであって、長い目で見ると「金投資」って結構難しいと感じています。
「上昇トレンドに乗っていれば【買い】」なのは私の信条ですが、やっぱり「心情的」には難しい。
かつて金(ゴールド)が今の3分の1ぐらいの1200ドルの頃にHSBCシンガポールに勧められてファンドを持っていますが、利益が大きく乗っているのは嬉しいものの、【たまたまそうなった】だけのことで、そして「投資金額は大きくない」わけで、そこが「金(ゴールド)投資の難しさ」だと思うのね。「資産形成には大きな影響がない(今の時点で総額の3%程度)」のが我が家のケースで、だからといって今更、積極的に金投資をしようとは私には思えない。
でもお金が有り余っている人には良いのかもしれないし、結果的にそういう人が「最後に笑う」なんてことになるのかもね~。(笑)
Gold 先物(GC) 日足 この一年の動き
この10年の動き 週足
基本的に金(ゴールド)の値上がりも、株式市場の値上がりも、私は【値上がりとは見ていない】のね。これはまさに「インフレ」で【お金の価値が下がった】からだと考えるようにしています。つまり金(ゴールド)や株式、インデックスで「含み益」があったところで、それは「利益ではない」という考え方。逆を言えば、それらの「値上がり」と同じ様に【資産全体が増えていないと、それは目減りしている】ことだという危機感を持っています。
ま、それは「極端な考え方」だとは思うけれど、そうやって自分に発破をかけないと、「ちょっと含み益が乗った」だけでニヤニヤして満足してしまう自分なのがよく分かるから。
インフレって本当に怖くて、何十年もデフレだった日本しか経験がないとピンとこないかもしれませんが、かつて「100万円は大金」で「1千万円なんて見たこともない」し、「1千万持っている」なんて人も会ったことさえなかったんですよ。給料も「数万円」の時代で、田中角栄が総理になってから大きなインフレになった。当時の私の周りは「収入が増えた」という印象しかなくて、でも「小金持ちは大変なことになった」のね。100万円あれば大丈夫だと思っていた人も多い中、そのうち新卒の初任給でさえ年収100万円を超えてきたわけで、当時の「年寄り」がどういうことになったのかは簡単に想像できるはず。
これは私の父も同じで、「インフレで大きく目減りする」というのを感覚的に理解できない人だった。だから「減らさないことばかり考えていた」のね。「インフレ率を上回る率で資産を増やさなければならない」「総額が変わらなければどんどん貧乏になる」というのを最後の最後(去年死去)まで理解できなかった様に思う。
近年言われている「老後の2000万円問題」も私は大問題だと思っていて、そこには「インフレが考慮されていない」じゃないですか。もうすでに高齢ならまだしも、今、40代かそこらで「どうやって2000万確保しようか」なんて計画を練る人もいる。そういう人達が実際に「老後の時代」になると「老後は最低4000万円必要」と言われるようになっているかもしれないことを「想像もできない」様に見える。
「とにかく頑張っていればどうにかなるだろう」と思う人も多いかもしれないけれど、では今の時点で「下流老人」なんて言われる人達は「バカだった」んですかね。私は全くそう考えておらず、彼らとて「将来の老後は考えていた」はずなのね。でも「まさかこんなことになるとは思わなかった」というのが正解かもしれない。
それも「インフレが大きくなくてもそういうことが起きた」ことが私は怖いと思っていて、「今現在のインフレが続く」、あるいは「もっと大きなインフレが来る」かもしれないと想定したら、「今の計画のままでよいのかどうか」は疑問。
「運を天に任せて生きる」のも良いかもしれなくて「若い頃の豊かな生活」を【良い経験をした】と今を諦める事ができる人なら良いかもしれないけれど、私は「どう頑張っても思うように稼げない若い時期」を経験したし、ヨメさんや子どもたち、孫も持つようになって、そういう生き方は「負の連鎖を止められない」と考えるようになりました。
だから「絶対にやらないとならないこと」は「インフレをアウトパフォームして稼ぐ」ことであって、「現状維持は負けを意味する」と思っています。これは子どもたちにも徹底的に教えましたが、「理解すれば出来るわけでもない」のは当たり前で、本当に真剣に考えないと「下流に流されるだけ」だと思っています。
「夢があるから生きられる」のが人間だと思いますが、「夢を追う」どころか「生きるのにカツカツ」みたいな生活の連鎖を私はどうしても止めたいと思う。
「子どもたちは子どもたちで好きに生きろ」と突き放すのは「聞こえは良い」と思うけれど、私はもうそういう時代ではないと思っていて、やっぱり私達は「先人の知恵や経験、資産の上で生きている」のは間違いがなくて、子どもたちに「お前たちはお前たちでどうにか生きろ」というのは、かつて働き口もなく、中学を卒業したら「集団就職列車に乗せて都会に子どもたちを送る」時代と何も変わっていないと思うのね。
生きぬくには「個人戦」ではなくて「総力戦」で戦わないと簡単に負ける時代になったと思う。農民も漁民も企業でさえ同じだと思う。
日本のシングルマザーの半数は「貧困家庭」だと聞いて本当に驚きましたが、まさにこれは「個人戦では生き残るのが難しい」ことの証明だと思っています。
これからの日本は「益々、やすい労働力が海外から流入する」のでしょうし、どう見ても現政権は「増税路線」だし、社会保険の負担も増え、インフレは止まらず、こんな時に「世界は火種をあちこちにかかえている」わけで、私には「明るい日本の未来」は全く見えないでいます。
それは「世界」を見ても同じ様に見えるし、本当に大変な時代に突入したと感じています。
でも「勝ち抜く」ことが「他の犠牲の上に成り立つ」のも間違いがなくて、でもそれはどうにも出来ないことで、私としては「親族を中心にした小さなコミュニティーのなかで落ちこぼれを出さないこと」を考えるしか無いと思っています。これに他人は入れないのかと言うと、他人は無理だと思います。参加者は守られるけれど当然、責任や義務もあるわけで、他人にそれを課すのは無理でしょう。でもそんな家族はかつての日本には結構あったわけで、それを再現するだけのこと。でもま、それが長く続くことはないだろうし問題も出てくると思うんですよ。でも「そういう思想がダボ家にはある」ことを印象付けたいのね。
これからの時代は「総力戦」で戦わないと生き抜くのは難しいと私は考えています。
そんなことを「カイワレ大根」を育てながらも感じるんですよ。弱肉強食の世界で「弱いものは淘汰されるだけ」の世界。
でも少なくとも、生き延びられても「勝ち誇ること無く」、「格差が広がらない世界を目指したい」と思う。
生きるって「楽しくて素晴らしいこと」だと思うけれど、いつも「悲しみが同居し、溢れている」とも思うし、それは未来永劫、変わらないんでしょうね。でも「悲しみ」を見ないように生きると、それは「人であることの放棄」にも思えるわけで・・・。