我が家は「ゴミの山」なのが引っ越しが近づいて良くわかった (┰_┰)

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引っ越し先も決まって、そろそろ引っ越しの準備を始めているのですが、まぁ、我が家には「いらないもの」がごっそりあってまさに【ゴミの山】だと思う。

私には「収集癖はない」のだけれど、「凝り性」なのは間違いがなくて、何か始めるとそれに関連するものがどんどん増えるのね。それも「絶対に無いと困るもの」じゃなくて「あった方が良い」と思うと手に入れてしまう。

それも「無駄かもしれない」と思っても【試してみないとわからない】じゃないですか。そもそも「実験」が大好きだし。で、結局、ちょっと使って「やっぱりこれはやらないほうが良いな」なんて思うことも起きて、どんどんいらないものが溜まっていく。

でも基本はケチだから「高額なものはない」のね。いわゆる「小物類」がごっそりある。

一番高いものは、きっと「電動の肉スライサー」かもしれなくて、それとて「数万円」で驚くほど高いものではない。でも使ったのは2,3回で、「比較的良いもの」を買ったけれど、それでも私が望む肉のスライスは簡単には出来なくて、「業務用の何十万円もするスライサー」じゃないと駄目なのは買ってみてわかったことでしかない。

こういう「何でも買い集めるクセ」って若い頃にはなかったし、ヨメさんと一緒に住むようになったのは「22平米しか無い小さなワンルームマンション」で、シングルベッドを置いただけで居住スペースがないような部屋。作業机さえなくて、キッチンも本当に狭いし、調理器具にしても「仕舞う場所がない」どころか「料理するスペースも十分にない」みたいなところからスタートした。

こんな部屋。ベッドとテレビとタンスを置いたらそれで満杯。

そう言えば、その部屋でちゃんとした食事を摂ることは少なかったけれど、その時には30センチX50センチぐらいの小さな折りたたみのテーブルを広げ、横の床に食べ物を並べて食べていましたっけ。懐かしいなぁ。

子供が出来てからはそこそこ広い2LDK住まいだったけれど「あれもこれも買う」みたいなことはない、普通の生活。

ところがオーストラリアへ渡ってから「私は豹変した」と言っても良いかも知れない。

ゴールドコーストの家ってかな~~り広いのが普通で、屋内ガレージには3台止められる、プールがあるなんてのは当たり前で、ウォーターフロントの家も多く、自分の家の桟橋には大きなクルーザーを持つ家庭もあって(我が家はボートもなかった)、多くのオージーって「家で何でも作る」「車の修理もする」のね。だから皆さん、プロが使うような工具を持っていて、「丸太から何かを作ることはない」にしても、大きな木材をホームセンターで買ってきて、それを家で切ってテーブルを作るなんてのは誰でもやること。自動車も「オイル交換」は自分でするし、「大きなジャッキで車を持ち上げて、その下に入って修理、調整をする」なんてこともやる。まさに「小さな町工場」みたいな感じ。

私もそんな生活に「憧れ」はあったし、家のスペースはいくらでもあるから大きな作業台を作って、万力だの電気工具をいろいろ揃えて様々なものを作っていました。

でも「家庭菜園に凝りだした」時はひどくて、「水耕栽培」だったんですよ。水耕栽培って様々なやり方があって、「どの方法が良いのか」を知るにもまず「小さなシステムを作って実験」するし、私が中心にやりだしたのは【NFT(薄膜水耕): 薄い養液の膜を流して根に酸素と栄養を供給する方法】と【DFT(湛液型水耕): 植物の根を養液に常に浸しておく方法】で、NFTは「雨樋」を何本も並べて、そこに溶液を流して野菜類を育てるのだけれど、これが結構大掛かり。

趣味ってやっぱり「凝るから面白い」のは間違いがないのだけれど、私の問題は「それが長続きしない」のね。ある程度の「成果」が出ると、興味はまた違うものに移っていく。

結局、それの繰り返しで、どんどんわけのわからないものが溜まっていく。

マレーシアに来てからも同じで、まずは「家庭菜園を、水耕栽培、しかも人工光を使って部屋の中で育てる」から、これも「最小限の設備」にしても機材はそれなりに増える。

結局ですね、「住む家が広い、大きい」とこういうことになるのは若い頃を思い出せばすぐわかることで「狭ければ何をしたくても出来ない」のね。

引っ越しを眼の前にして、家のそういう小物整理を始めたけれど、もういらない、つかわないものがごっそりある。我が家は4BRのコンドだけれど、一部屋は完全な「倉庫」状態。当然それとは別の6平米ぐらいの倉庫も一杯。台所の横のストックルームも満杯状態。

家中に溢れている小物をどう処分するか。

今では「メルカリ」みたいなシステムがあって、日本ならそれに出すのも一つの手だと思うけれど、マレーシアにそういう場はないと言っても良いくらいだし、私の小物は「趣味性が高い」から簡単に売れるものじゃない。

オーストラリア時代も処分に困ったのだけれど、多くは「同じ趣味の人にあげる」「捨てる」なんてことをしました。

でもオーストラリアって「ガレージセール」が普通に行われる国で、引っ越しをしなくても「定期的にガレージセールをする家は多かった」のね。だから私もやろうと思ったんですよ。私自身がガレージセールでいろいろ買うことはやっていたし。

ところがですね、「自分がガレージセールをする立場」だとすると、ガレージセールの嫌な面が気になりだしたんですよ。

「現金化できる」し、買う方は「安く買える」からWinWinの関係なのだけれど、私はガレージセールの嫌な面も結構見てきた。それは「メチャ安いのに、まだ買い叩こうとする人たちの存在」なのね。

特に「ゴールドコーストに進出した和食店が店を閉める時のガレージセール」は、なかなか手に入らない和食器や良い調理器具が出るから嬉しかったのだけれど、「買い叩こうとする人たちの多さ」にも驚くほどだった。「店を閉めて撤退する」わけだから、「売らずに取っておくものはない」わけですよ。買い手はそれを知っているから、「これでもか」と思うほどに買い叩く。

そういう現場を観察していると、「今まで通った和食店の親しかった店主の顔がだんだん引きつってくる」のも見えるわけです。心の中で何を思っているのかもすぐにわかる。買い手は買い手で「今まで本当に有難う。備品も安く売ってくれて有難う」なんて思っていないのが見える。

買い手は「倒産処分品に群がるハイエナ」にも見えてくる。

私はそれを思い出すと、今はいらないものでもかつては大事にしていた小物類が「愛する子供を奴隷として売り飛ばす」ように思えてくるのね。それなら「大事にしてくれる人に無料で譲る」とか、「感謝をしつつ捨てる」方がマシだと思うんですよ。これって「可愛がっていたペットを殺す」のに似ているけれど、その方が良いと思うようになった。「飼っていた鳥なら逃がして自由にしてやる」みたいな気持ち。

やっぱり他人に譲るならWinWinの関係で、お互い【有難う】という気持ちが根底になかったら、私は「やるべきじゃない」と思うタイプ。

私としてはやっぱりそういう関係がなければ、一度は大事にしたものを他人に譲るなんてことはしたいとは思わないのね。嫌な思いをしつつ「現金化したい」なんて全く思わない。冗談じゃないと思う。「お金がもったいない」とも思わないし、そう思ったとしたら「自分の失敗、状況から逃げることなく、その分は頑張って稼ごう」と思うタイプ。

今回もごみの様な山を見て思うことは「申し訳ない」ということ。

でも全て処分してしまおうと思う。

そして思うことは、「同じことは繰り返すまい」ということ。

でもそう思いながら同じことを繰り返すのが何度もあったのが私の人生。

困りましたねぇ。

 

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