【マレーシアリンギット・日本円】がどんどん上がって円安が止まらない 「強者に食われる人生」からの脱却

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先日、マレーシアリンギットの対円の相場が28年ぶりの【高値】を記録したと報道がありました。

日本経済新聞

マレーシアの通貨リンギが対円で上昇している。25日の取引で一時1リンギ=37.94円台と1997年以来およそ28年ぶりの…

私がマレーシアに興味を持ったのはリーマンショックのちょっと前で、それ以前のことは全く知りませんし、MM2Hを取ったのは2008年、マレーシアに上陸したのは2016年で、実感として「マレーシアリンギが高かった頃」はわからない。

やっぱり記憶にあるのは2016年以降ですが、「リンギが高い」と思ったことはなくて、【1リンギ=25円】という感覚を長い間、持っていました。ところが段々とリンギが上がり(円が下がり)、【1リンギ=30円】の計算に変えたのは2023年ぐらいでしたかね。その後、まだリンギは上がり続けて【1リンギ=33円】の頃からは「随分、高くなった」というイメージを持ち、またマレーシアのインフレも気になりだした。

そして【1リンギ=35円】になり、あらら~~~なんて思っているうちに今の【1リンギ=37円台】となり、大雑把な計算はとうとう「1リンギ=40円」で計算するようになった。そしてインフレも加速しているわけで、感覚的には「とんでもないことになってきた」と思う。

2023年から最近までの動き。

実際には、私は「日本円の収入も資産もない」し「リンギットの資産も収入も微々たるもの」で、この【リンギット・日本円】の動きは関係ないと言えば関係ない。

でも私の頭の中にあるのは常に「日本」で、日本円と関係がなくなって30年以上経つのに「頭の中は日本円」状態。(笑)

不思議にヨメさんと息子は「オーストラリアドル」が頭の中にあるようで、いつもマレーシアの物価を「オーストラリアドル換算で考える」し、それで【まだまだオーストラリアに比べれば安い】という。でも私達は今現在「オーストラリアドルの収入も資産も全く無い」状態で、オーストラリアドルで考える意味もない。でもそれは私の「日本円で考える」のも同じこと。

私達は「米ドル中心」で生きていますが、マレーシアの物価を「米ドル換算では誰も考えない」のね。米ドル換算だと「高いんだか安いんだか全く、誰もわからない」状態。(笑)

一番大事な米ドルがリンギに対してどう動いているのかのチャートを見てみると、大きなトレンドとしては「リンギは下落方向にある」と見ることが出来るし、リンギが対米ドルで大きく上がることもこの10年、一度も起きていない。【変化無し】と考えて良いと思う。

いや、米ドル換算だと「安く感じてしまう」というべきか。何かを買おうとして「米ドル換算で500ドル」だとして、「ま、そんなもんだろう」と思うけれど、「日本円で75000円」となると【嘘だろ?高い!】と思う。

我が家の収入も資産も米ドルだけなのに、「米ドルでは全く物価も価値もわからない」変な状態。

でも最近は「わからない状態」って【良い】と思うのね。「多いも少ないもわからない」から【平常心も保てる】ように思うし、【足りない】のか【十分にある】のかもわからない。だから「焦り」も無ければ「余裕」もない。

「どんぶり勘定」と言えばその通りで、昔、私が幼い頃、「八百屋、魚屋」って「レジなんかない」わけで、【カゴをぶら下げて、そこにお金を入れる】のが普通だったのね。そんな頃を知らない人のほうが多いだろうけれど、そういう状態の方が「商人の歴史としては長い」はず。

今の感覚だと、「いい加減」だと思うし「それで経営ができるか」と思うけれど、【どんぶり勘定にはどんぶり勘定の良さがある】と私は思っていて、それは「しっかり計算をしない」という意味ではなくて【大筋はしっかり把握して、臨機応変に動けた】ということでもあるんじゃないかと。大事なのは「カゴの中の総量とその変化」のはずだから。

歳を取ると「細かくなる」と言われるけれど、私は、それは逆で「大筋を重視するようになる」という気もするんですよ。だからこそ「大きな流れが見えるから対応も早い」んじゃないかと。

いや、それもまた「合理的で細かい計算をする現代っ子である息子たち」がいるからかもしれない。

彼らは常に「数字を元に考えるし話す」のね。だから「エクセルは重要」で、彼らが作るエクセルにはタブがいろいろあって、それぞれ違う方面からの分析結果がわかるようになっている。

でもそれを私が見ると「細かすぎるんじゃない?」という感じを受けるのね。細かいことがわかるのは重要だけれど、なんていうのかなぁ、車の運転で言えば、「次の角は右へ曲がって、300m先の分岐では左に行くべき」というのはわかっても、【そもそも我々が向かうべき目的地はどこか】という大きなものが私にはそのエクセルからは見えてこないのね。

私としては「目的地が重要」で、そこに向かう途中の道路で右に曲がろうが左に曲がろうが、遠回りをしようが近道をしようが「関係ない」と思うんですよ。そんなことは「どうでも良いこと」とは言わないけれど、「現状分析」以上に【目的地はどこか?】を決めるのが実は一番難しくて大事だと思う。

さて、ダボ家が向かうべき目的地、目標はどこにあるのか。

これがはっきり見えないから困るし、「大きな目標」を持つにはまだまだほど遠い。

ただ、インフレはもっと大きな波が来る、米ドルは下落するという「2つの大きな変化が起きるであろう」ことは想定していて、

 

◯ インフレ率は平均して4%を想定し、その4%分、毎年、収入も資産も「減価する」という前提(しかし表面の額は変わらない。だからこの想定は非常に重要となる)

◯ 米ドル、日本円、マレーシアリンギットのどの通貨で換算しても、収入も資産も【前年比プラス】+インフレ分(平均4%を想定)を確保する

 

というかなり厳しいノルマを設定しています。難しいのは「どの通貨換算でもプラスを確保する」ことで、為替変動をアウトパフォームしなければならないのは「短期的には不可能な時は必ず来る」し、でもそれを諦めること無く、数年~5年以内には「アウトパフォームする」という考え方でいます。

私が考えるインフレ率って「米が、卵が値上がりした」というインフレ率ではなくて「自分を取り巻く環境での値上がり」であって、安い店が減って高級店が増えたり、昔は必要がなかったスマホを買わなくてはならなくなったり、年寄になったのに短パンとTシャツばかりってわけにもいかなくなったり、そういう「生活全般の支出増」をインフレと考えています。子供が小さい頃は小型車で良かったのが、中型のSUVが必要になったり、幼い頃は公園で遊ばせればよかったのが「海外旅行」にも行かせたり、「年齢とともに増える出費」もインフレと考えます。

そういうインフレに勝てないと「いつか必ず破綻する」「物価の安い国や地域に生活拠点を変え続ける」しかないと私は考えていて、どうやっても「穴の開いたバケツからこぼれ落ちる水がある」のを止めることは出来ないし、それ以上の水の供給を確保するしか無いと思う。

若い時には「収入とは労働の対価で、それを得て生きる」し、それがスタートだけれど、【いつか必ず労働の対価としての収入は止まる】のね。これが今の私の状態だけれど、若い人も「いつか必ず来るその時」を想定して、「労働の対価ではない収入を得る方法」を真剣に考えないととんでもないことになるのは明白だと思う。つまり「FIREなんて自分には関係ない」と思う人は多いと思うけれど、【いつの日か、必ずFIREさせられる】のが世の中の真相じゃないですかね。「年金の確保」も重要だけれど、将来的に「年金が増える」ことはありえないだろうし、今の時点でも年金だけで豊かに生活する人はいないと考えるべきかと。

私の友人知人には「豊かである必要はない」と考える人は少なくないけれど、「最低限の生活さえ維持できないケース」を想定しているのかどうかは疑問。またそういう友人知人の多くは「田舎在住」で、「持ち家がある」のが普通で、「田畑も持っている」とか「賃貸のアパートを1棟持っている」とか。私に言わせれば「すでに豊かな人達」なのね。自分としては「豊かだとは思っていない」だけの人たち。(笑)

だから「資産らしい資産もない自分は新NISAでアメリカインデックス、オルカンに投資している」と?それも「ガチホ」で?もしも「これから自分の老後が始まる」「子供の教育費に大きなお金が必要」という時に「株価が低迷していて含み損があったらどうするか」も真剣に考えていますかね?

【一歩踏み出したこと】ことは素晴らしいと思うけれど、その「新天地は地雷と落とし穴が多く、詐欺も横行している」のをお忘れなきよう。

「君師危うきに近寄らず」ということわざの重みも真剣に考える必要があるんじゃないかと。

また「株やインデックス投資」ではなくて「債券投資」も検討してみました?

でもどんな道に進んでも「簡単に儲かることはありえない」のは【歴史が証明している】んじゃないですかね。でもこの10年20年の歴史しか見ていない人は「自分に都合の良い歴史だけを見ている」としか言いようがないと思う。そして「そこを強調して【貴方もこうやれば利益が出ます】という嘘つき」がごっそりいる世界。これもまた「何百年も前からこの世界の良くある普通のこと」だし、「なるほど、そうすればよいのか」という思う人もごっそりいて、そうやって経済は回っている。(笑)

だから「皆と同じことをしていたらうまくいかない」と考えるべきなのは、これまた歴史が証明していている。どんな分野、仕事でも同じじゃないですかね。

でもそれに気が付かない人はいつの時代も大勢いて、そういう人たちが「大きなピラミッドの土台、皆の肥やしとなって支えている」のが【経済の本質】だと私は思っています。

じゃぁ、どうするべきか。

簡単なんですよ。「常識を疑えば良い」し、そこがスタートとなる。「常識とは強者が弱者を食うために広めている」という発想も重要かもしれない。日本の教育もそうじゃないですかね。「社会の歯車となって文句も言わずに働き続ける人たちを量産する」ようになっていませんかね。私も、きっと貴方もそういう教育を受けてきたはずで、そこから脱皮するのは簡単ではないけれど、脱皮しなければ強者の思う壺となる。「資本主義社会である」のは教えられたけれど、「どうやって資本家になるか」は一切教えない。おかしいじゃないですか?

もしかしたら「自分は奴隷の身分として生まれたのかも知れない」という発想も重要かもしれない。

人の行く 裏に道あり 花の山

「何をするか」の前に「自分が自由の身になるべく、まずは精神を解放すること」が重要かと。そして次に重要なのは「茨の道を歩く覚悟」ですかね。当然、「ボ~~~っとして生きられるほど簡単ではない」けれど、いつの日か、「野に咲き乱れる草花」に感動したり、「ご来光の有難さ」を感じる時が来ると私は思う。

そして「来年の今日、どこで何をして生きているのか」を【自分で決めることが出来る】ことの素晴らしさに自分でも驚く時が来ると思う。

私達は「強者に食われるために生まれたわけじゃない」という【事実】は忘れたくないですね。

私自身は「野良犬のように生きてきて、今も野良犬のまま」だけれど、【野良犬で良かった】と思うし、息子たちにもそれを勧めています。(^_^)v

  
 
 

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