一つ思い出したことがあったので、私の他のブログに過去に書いたものを転載させてもらう。
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「次男坊が学校で問題を起こした・・・・」
次男坊が学校で問題を起こした・・・
毎日、子供の学校の送り迎えをするのは私の日課なのだけれど、今日次男坊を迎えに行ったときに、ある事件があったことを聞いた。車の中で彼が私に話し出した。彼が学校で一騒ぎ起こしたとのこと。
彼とはかなり仲の良い親友がいつもの悪ふざけで、息子に対して「おーーい、アジア人」「どうしてお前はそんなにアジア人なんだ」と言ったらしい。そんな人種差別的な冗談は日常茶飯事で、普段なら冗談で返すところが、その日の友人の言い方にはいつもと違うトゲを感じたので、「いいかげんにしろ」と友人の肩を強く押したらしい。いつもなら笑って、ここで話は終わるのだけれど、今日はそこでは終わらなかった。肩を強く押された友人も元々虫の居所が悪かったのかもしれない。彼は私の息子に、本気で一発ボディーブロー食らわせた。さぁ大変、息子もそれに応えて彼を押さえ込んで、床に倒した。
そこは図書館の隣の部屋だったらしいが、そこへ偶然、図書館の中年の女性教師が入ってきた。そして彼女は、一人のアジア人が白人青年を押し倒したところを目撃したわけだ。普通なら、「あんた達、止めなさい」と言うはずで、いつもならそれだけで終わるはずだったのだが、その女性教師は私の息子だけを怒り始めたらしい。まず、息子を呼ぶときに、名前も知っているはずなのに、教師が普通使うべきではない「この大バカ」みたいな言い方をしたこと、そして息子の弁明を聞いて「アジア人と言われて何が悪いのよ」と言ったそうだ。興奮状態にある息子はそれを聞いて切れた。
「冗談じゃない、それは人種差別的発言なのに、言った本人じゃなくて、何で私が怒られなければならないのか」と食い下がった。
こんな話を書くと、息子が通う学校は酷い学校で、先生もろくでもないと思うかもしれないが、その学校は地域では一番伝統あるミッションスクールで規律もかなりうるさい、幼稚園から高校までの一貫教育をする進学高。喧嘩をすれば退学だし、先生への口答えは一切認められておらず、常に敬語を話すことを求められる。制服もあって帽子の着用が義務づけられているが、もし町中で制服を着ていながら帽子をかぶっていないことが見つかると始末書を書かされる。髪の毛も長いと注意を受け、次の日までに切ってこないとこれまた始末書という学校。そんな学校だから取っ組み合いの喧嘩をするなんてことは、まず普通はあり得ないのだが、親友同士である息子とその友達は、半分遊びのつもりで組み合ったのだろう。しかし、息子の口ごたえから話は段々大きくなってしまった。
なんだなんだと周りにいた生徒も集まってきて、皆が遠巻きに見ていたらしい。口ごたえされた先生も立場があるのだろう。「言い訳はやめなさい」と言ったらしいが、またそのときに、一言余計な言葉が付いたらしい。(こちらの教師は自分が悪かったと言うことは皆無。常に自分は正しいという態度を取るのが普通。)
それを聞いた息子は、引き下がるどころか余計頭に血が上った。
「人種差別的な発言をした者には何も言わず、私だけが怒られる理由を教えて欲しい。そして、貴女は私の名前を知っているのに、私をなぜそのような蔑称で呼ぶのか、教師としてそういう言葉を使っていいのか、答えて欲しい。」と反撃。
そんな生徒の口ごたえも、その女教師はあまり経験したこともないのだろう、あげくに女教師も自分が差別主義者の仲間のように言われて動揺したのだろう(オーストラリアは日本とは違い、人種差別は大きな罪で、絶対に許されない)。二言三言叫んでから、出て行けと言った。
これからが、また旨くない。息子と友人が出て行こうとしたときに、その女教師は「この生意気な子供が・・」というようなことを小声でいったそうだ。そして、それを息子は聞き逃さなかった。そして彼の怒りは絶頂に達した。彼は、ゆっくり振り向いてその教師に近づいて行った。
そのときの態度も顔も尋常ではなかったらしく、回りにいた生徒からどよめきが起きたらしい。そして誰もがその女教師を殴ると思ったらしい。だが息子は、大声で怒鳴った。
「私はアジア人に間違いがないが、私が選んでアジア人になったわけでもない。あなたは自分が偉い民族だと思っているのかもしれないが、外国へ出ればただの異国民だ。外国へ出て、私と同じように扱われたらどういう気持ちになるのか考えたことはないのか。もし自分が黒人だとして蔑まれたらどういう気がするのか、考えるべきだ。そんな心の痛みもわからない貴女には教師としての資格はない!!」
これを言われた女教師は反省するでもなく、いろいろと叫びだしたらしい(生徒の言い訳、口ごたえを許してはいけないという決まりがあるのかもしれない)。そこへ学年主任の先生がやったきた。もしかすると誰かが呼びに行ったのかもしれない。そこで一体何があったのか説明が始まるわけだが、女教師は「アジア人と言われて何が悪いのか」などと絶対に言っていないと言い張ったらしい。
その学年主任が来たことでその場の険悪な雰囲気は収まったものの、女教師の言うことを聞かず、それどころか大声で教師を罵倒した息子は、学校の規則通りに、ヘッドオフィースへ連れて行かれ、そこで報告書(反省文?)の提出を迫られた。罪人と同じ。そこで彼はその報告書に日頃の思いをぶつけたらしい。
「この学校はミッションスクールであり、神の名の下にみんな口では旨いことを言いながら、実は陰湿な人種差別が生徒間のみならず、学校全体に存在すること。マイノリティーが常に目をつけられること、そして救われる道が全く存在せず、我慢するしかないこと。」そんなことを書きつづったらしいが、最後の方に、「とはいうものの自分にも非があり、親友に対しても謝りたいし、教師や自分の立場も考えずに声を荒立てて反論したことは許されることではなく、どのような罰でも受けます。」と締めくくったらしい。(この女教師もそうだけれど、こちらの人は自分の非を認めることは普通せずに、最後の最後まで自分の主張にこだわるのが一般的。日本人のようにすぐに謝ったり反省することはまずありえない)
これを受け取って読んだ学年主任は突然息子に日本語で話しかけた。奥さんが日本人で彼も多少は日本語ができるようだ。彼は日本語で「ここには差別が存在しているのは私も知っている。ただそれをおおごとにすると学校としてもうまくないのは理解して欲しい」と言ったらしい。ヘッドオフィースには他の先生や事務員もいるわけで、その言葉を英語で言うわけにはいかなかったのだろう。息子はその言葉をすんなり受けるわけにもいかないと思ったらしいが、その後、その学年主任は英語で話を続けた。
「この学校が欲している、そして目指している理想の生徒とは君の様な生徒だ。全てを理解した上で、一歩退くことが出来る生徒だ。私は君を尊敬する。」と。
息子はこの一言で救われたと思ったと言う。そこで全ての怒りは消滅し、真に反省したらしい。そして何のお咎めもなかった。
私はこの話を運転しながら聞いていたのだけれど、胸が締まる思いをし、目頭が熱くなるのを感じた。そして「お前、よくぞやった!よくぞ言った!」と声を掛けた。
家族四人で誰一人として知り合いもいない、何のつてもないオーストラリアへ渡ってきたとき、彼は一歳にも満たなかった。その彼も長男も、日本人、アジア人と言われ、辛く、嫌な思いをしたのは数え切れないはず。お弁当に持っていったオニギリをバカにされるのでオニギリだけは止めてくれと泣いていた小学生のころを思い出す。日本の弁当を同級生に「まずそー」と言われ、それだけではなくて、その弁当を窓の外に投げ捨てられたこともあった。
長男は中学校の晴れの卒業式の日にもいじめに遭い、「死にたい」と泣いていたのを思い出す。これまでに彼らの心がどれだけ傷ついたか計り知れないものがあるが、そういうことも乗り越えてたくましく、まっすぐに育ってくれた息子達に、私は感謝したいと思った。まだ16歳だけれど、大人になっていく次男坊が眩しく見えた。
息子達よ、有り難う。お前達の父親になれた私は世界一の幸せ者だ。
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今では、長男も次男もちょっとやそっと差別的なことを言われても全く動じない青年になったし、冗談には冗談で返せるようになった。しかし、度を超した場合にははっきり言うし、決して卑屈になったり泣き寝入りはしないようだ。私でも、そこまで反撃するか?とびっくりするくらいのケースもたまに聞くけれど、「あったりまえじゃん」とケラケラ笑っている二人を頼もしく思う。
日本にいたら差別することはあってもされることはなかったろうし、良い経験が出来たと思う。
彼らをオーストラリアに置いたままマレーシアに行こうなどと勝手な事を言ってる親だけれど、彼らがしっかりしてくれているからそんな我が儘も言えるわけで、そこの所は子供達に感謝している。