海外に住むなんてまっぴらごめんだ?

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このブログを始めたのはマレーシアへ渡るという切っ掛けであるわけだし、これを通して知り合った人は同じような計画を持っていたり、あるいはもうすでに海外で住んでいる人ばかり。

「海外に住む」ってのがキーワードになっているけれど、実は私は日本のことばかり考えているのは前にも書いたとおり。海外に住みたくないし、日本に住んでいたい。と、思うようになった。

こんな事を言う人はこのブログの繋がりの知り合いには一人もいない。私だけ。でもさー、多くの人たちは海外に遊びには行きたいけれど、住んでみようなんて思ってもいないし、住みたくもないというのが大半なんですよね。

私が変わっているんじゃなくて、私が普通だということ。

どうして海外に出たいのか、そこに夢を感じて自己実現の場を探しているようなことを皆さん言うけれど、私から見ると、逃避しているだけじゃないの?って思うこともたくさんあるわけです。まさに私がマレーシアに行くのも逃避してるだけ。

プラス思考が大事だなんて言いつつ、本音を隠して海外での生活を美化しても良いことはないんじゃないですかね。もちろん出るべくして出る人もいるけれど、そうじゃない人もたくさんいるってこと。

大体さぁ、マレーシアは物価が安いから良い、なんてのがそこへ移り住む理由になるんですかね。歳も取って資産もなくて収入もなくてこれじゃやっていけないから物価の安いところへ行こうというのはわからなくはないけれど、若者が同じようなことを考えたとしたら、ちょっと待ってよ、って言いたくなるわけです。物価が安いのだけがマレーシアの良い所じゃないのも確かでしょう。では日本と物価が同じだったらどうするんでしょうか。

マレーシアの国力が上がって日本を追い越す日も来るかも知れませんよね。実際にシンガポールが一人あたりのGDPでは日本を追い越してアジア一になったし、産油国であるマレーシアはもっともっと発展していくかも知れない。で、発展すると言うことは為替も変わって行くわけで、かつて日本が1ドル360円だったのが変動相場制になってどんどん値が上がり、50円になるだろうなんて言われた時もあった。今は107円前後をウロウロしていて、リンギットは33円程度だけれど、これが100円になる時代が来るのかも知れない。

もしそうなったらマレーシアの物価は安いという日本人はいなくなる。年金を頼りにしている老人は総倒れ。つまり、マレーシアにお世話になって、マレーシアにはどんどん発展して国力も上がって欲しいけれど、実は為替だけは上がっては困るというのが本音。マレーシアの国力が上がるのは嬉しいけれど、自分が生活できなくなるくらいまでは強くなって欲しくない。マレーシアに対する愛情も所詮その程度ではないのだろうか。

マレーシアが良くなるのと同じように日本ももっともっと伸びていけば、対リンギットに対しては今の水準が保てるかも知れない。そうなら良いけれど、マレーシアだけ伸びては困る状態になる。

私としては、その国に渡るのなら、その国と心中するぐらいの腹つもりで渡るべきだと思うわけです。その国が良くなれば自分も一緒に伸びるし、その国に貢献するんだという強い意志も欲しいと私は思いますわ。

物価が安いなんて喜んでいながら、実は為替を見ながらハラハラしてふところ勘定ばかりしているなんておかしいと思うんですよ。老い先短い老人ならまだしも、そんなことに男児たるもの一生を賭けるべきじゃない。やるならやるで四つに組んでどっぷり浸かって行かないとーー。

なーーんて偉そうなことをフト思った一日でした。

ま、人それぞれで好きなように生きれば良いし、私も好き勝手にやりますが、大体、自分も含めてそういう日本人が増えたことこそ、今の日本の国力が落ちた理由じゃないかと思っちゃいます。今、自分がやるべき事は他にあるのかもしれない。

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こんなことを書いたんですが、載せてから読み直してみると、こんな事を書く私はやっぱりバカだと思って消しました。

ところが、載せてあった短い時間の間にそれを読んだ方からメールが来て、記事が一つ消えてるとご指摘を頂きました。そして私の性格がよくわかる記事なのに、という感想。

本音を自分のブログに書けなくなったらブログなんか辞めた方がいいわけですので、やっぱり載せることにしました。

正直なところ、私自身がマレーシアに渡ろうと考える根本的なところに、私自身が納得できていないんですよ。自分で自分のことを、せこい奴だと思うんですわ。

もしも、マレーシアの物価が安くなかったら、そしてMM2Hの場合だと所得税がほぼ無税であるタックスヘイブンと同じであるわけですが、もしその恩典がなかったとしたら、どうするのか。もしそうだとしたら、私はマレーシアへ渡ろうとは絶対に思いません。

現実的には物価が安いこと、そして所得税がほぼゼロであることって本当に凄いことで、普通ではそんなことはあり得ない。そういう場所を選ぶというのは、仕事や就職なら自然だと思うわけです。例えば東京から静岡に事業所を移したら税金がゼロだとか、給料を倍くれる会社があるのなら、そこに移ろうと考えるのは当然だと思いますから。

でもね、そういう考え方にはロマンがないんですね。今思い出してみると、17年前にオーストラリアへ渡った頃は純粋な気持ちでこの国を愛したと思います。そしてこの国の土になろうと本当に思いました。でも、その時と同じような気持ちをマレーシアには、今のところ持っていない。

結婚相手を選ぶ時に、高収入、高学歴、おまけに背が高いなんてのを言うのと似たようなもので、自分の将来をそんなことに賭けることが私には我慢が出来ないんです。マレーシアの物価が高くても、税金が高くても、俺はそこに行きたいんだ!!という燃える物が今の私には無い。

そういう意味では、マレーシアで起業してる人、働いているたちは凄いと思います。一般的に考えると、動く金額自体が低いわけですし、なかなか儲けるのも大変だろうと想像します。ビジネスチャンスというのは物価とは関係がないものの、一般的には目の前を通るお金の大きさによって稼げる額の範囲も決まると私は信じているのですが、そういう意味で稼げる額、給与がマレーシアで大きいとは想像できません。駐在組と現地採用の給与が違うのも当たり前のこととしてあるわけで、しかし、そういう状況でもそれを選ぶというところに、私の一番の興味があります。稼げないとしても人を惹き付ける物がそこにあるはずで、一体それがなんなのか、私はそれを知りたい。

私は若い頃から、食うために働くことは人間として最大の屈辱だと考えて生きてきました。働かなくては食えないのは当たり前で、屈辱だなんて考えない人が多いのかもしれませんが、私にはどうしても我慢が出来ないことでした。しかし、現実的にはそれを強いられるわけで、食うために働く呪縛から逃れるのは簡単ではありませんでした。それを越えるために見えない物に対して挑戦して戦ってきた人生のような気がするのですが、そういう生き方に私は満足感はありませんでした。元々自分の考え方がおかしいわけで、きっと自分で自分を縛っていたのだろうとは思いますが、そうなのだからしょうがない。

人を好きになるのに理由はいらない、という言葉を私の大好きなペ・ヨンジュンが冬ソナの中でチェジュに言う場面があり、それが忘れられないのですが、国を好きになるのもきっと同じようなものがあるはずだと私は考えています。

それを私がマレーシアに感じることが出来ないまま、物価が安い、税金がないなんていう理由でマレーシアに渡るとしたら、つまらない人生が始まるのだとしか思えないわけです。

逆に、ある選別基準を満たす物を選んでから、あとから良いことを探すなんていうのも恋愛・結婚にはあると思うのですが、そういうのが私は嫌いなんですよ。そういうのを卑怯だと考えてしまう性格。住む国を選ぶのも同じ。

もしも、世界中の国が、日本も含めて今の日本の物価の3分の1になったとしたらどうするか。もしも同じように、世界のどこに行っても所得税がないとしたらどうするか。一体どこを選ぶのか。そんなありえないことを想像してもしょうがないけれど、そういう風に考えた時に、自分の本音がわかると思うんです。で、私はやっぱり日本を選ぶ。

それでもやっぱりマレーシアが良いと思える物を私が発見できるのか否か。それが今後の私の最大の課題だと思っています。

今まで生きてきた年月より、これから残された年月の方が確実に短い歳になった今、これ以上妥協して生きていきたくありません。お前、妥協なんかしたことあるの?なんて友人には嫌味を言われそうですが、我が儘な性格はきっとこれからも変わりはないのでしょう。いや、今まで以上に強くなるのだろうと思います。

今、私には私の魂の声が聞こえてこない。一体何をしたいのかがわからない。しかし、何をすべきかというのはわかるんです。それはマレーシアに渡ること。これは望みではなくてそうするべきである状況にあるということ。

では、私の本音は?それがわからない・・・・・・

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