昨日の大雨

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一昨日の夜半から降り始めた雨はかなり凄かった。

おかげさまであちこちで雨漏り。弱いところがわかった。

雨漏りがどういう時にどういう経路で起こるかってのは非常に難しいようで、小さな雨なら問題なくても雨ドイがオーバーフローするような雨だと雨水の流れる経路が変わり、弱点があるとそこに集中して水が流れ込む。

天井に数カ所シミが出来ました。それと地下の壁に水が浸みている。

そもそも雨の少ないゴールドコーストでは家の雨漏り対策が極めて貧弱だと思う。一年に一度あるかないかの雨の為に金を掛けるのは無駄という考え方があるような気がしてしかたがない。

以前びっくりしたのは、新築現場を見ていたのだけれど、屋根にシートも何もない骨組みの上に瓦を乗せていたこと。あの家は大雨の時には凄いことになるんじゃないかと思った。また、いつも変だと思うのはこちらの家には大黒柱が無いこと。何度新築現場を見ても、タケヒゴ細工を思い出す。地震が皆無であることもその理由だろうけれど、建築基準はかなり甘いような気がする。

どちらにしてももう一生一軒家に住むことはないと思う。いささか疲れました~~~。

鍵一つで出かけられる気軽さって良いなぁ。

オーストラリアもマレーシアもコンドミニアムって日本のマンションとまるで違うから、コンドミニアム=狭いという印象は皆無だし、庭がないという感じもしない。たとえ自分の住まいは小さなスタジオか1ベッドルームだとしても、コンドミニアムのファシリティであるジム、サウナ、プール、テニスコート、バーベキューエリア等を使えるのは凄いと思う。共有スペースの中には綺麗な庭、プレイグラウンドもあるのが普通で、大きなところではジョギングコースまである。

しかし自宅にプールなんてのはこちらでは普通だけれど、ジム、サウナ、テニスコートまで作る意味があるのかなんて思う。家族が多いとか子どもが小さければ使う機会も多いだろうけれど、子どもも大きくなって、また住人が老人二人なんてことになれば手が掛かるだけで良いことはまるで無し。

これはウォーターフロントも同じで、クルーザー遊びが趣味ならいざ知らず、せいぜい見晴らしがいい程度で終わりじゃなかろうか。隣の家は子どもも小さく、25フィートのクルーザーとジェットスキーを桟橋に乗せているけれど、ではそれを使っているのかと思って見ていると、月に一度も使わない。あれは飾りか?単なる自己満足か?

でも中には本当の海好きがいて、そういう人達は海へのアクセスが簡単な場所のウォーターフロントにするか、あるいは船はハーバーに預ける。

しかしまぁ、ゴールドコーストっていろんな人がいると思ったのは、自分の家の前に、なんとマストが3本ある大きな帆船を置いている人がいたり、どの家にも船が並んでいるのにある一軒だけは水上飛行機が係留してあったり。そうかと思うと船はないけれどHマークがついた大きな桟橋があったりする。ヘリコプター用ね。で、家を持たずに船の上で生活している人も決して少なくない。

ま、誰でもが好きなことを好きにやってるってことなんだけれど、こういう世界にポッと日本から来てもなかなか彼らみたいに趣味に打ち込んだり、環境を使いこなすのはむずかしいと思った。やることのスケールが違うし、そもそもボート、ヨット、そして水遊びという存在が我々の生活の中にないもんなぁ。せいぜいゴルフ三昧程度のことしかできない。

逆を返せば、日本っていかに遊びの少ない生活環境かというのも良くわかる。無駄が無いと言えばその通りかもしれないが、それは余裕の無さかもしれない。家で言えばせいぜい庭に手を掛けるぐらいだけれど、なんだか型にはまっていて遊び心をそこに感じることはない。伝統だか風習だかなんだか知らないけれど、住まいに若者文化が入り込む隙がない。社会もそういう感じだから、あるいは若者にはこれを与えておけばいいという上から目線だから、若者の行く場がなく、渋谷のような町でたむろしたり、あるいはコンビニの横にヤンキー座りして煙草を吸いだべることしかないんじゃなかろうか。若者は自由に個性を伸ばしてと口では言うけれど、出る杭は打たれる文化は何も変わっておらず、若者を押さえつけて育てる文化であるのは若者達は良く知っていて、だから、若者も諦めて自らどうしたいと考えることもなくなるんじゃなかろうか。

この辺がまだ希望を捨てられない多くの人が海外に出たくなる根源かもしれないなぁ。私も日本にいると息が詰まる思いがして我慢できなかった。日本は自由主義社会ではないと思うもの。個人主義も全く発達していないように思う。巨大なる村社会。個性の乏しい金太郎飴のような国民を社会は良しとする。でも口では違うことを言う。

でも今となれば、外に目を向けるより、日本を変える方向へ皆の意識が動いたら面白いと思う。そんな時が来るのか。無理なのか。あるいは何十年後には変わるのか。でも意識の切り替えなんかやろうと思えば簡単で、また、生活環境に関しては今後過疎地も増えてくるだろうし、実験的な環境作りなんてのやる企業、地域、自治体が出てくるかも。

でもま、日本に期待するより海外に出ちゃった方が早い、楽ってことなんですね。

しかし、今、我々のここでの生活を振り返ってみると、好きなことをやっているねとは言われながらも我々としてはやらなかったことに対する後悔がいっぱいあって、せっかくゴールドコーストに来たのに生活習慣、やってる事は東京にいた頃と同じみたいな感じ。あるいはそれの延長線上でしかない。そんなことに気がついた時にはもうジジーになっていて身体が言うことを聞かない。

私たちはここに19年住んだのか?いや、19年の長期旅行に来ていただけ。それが真実のような気がする。移民として中に溶け込んでいたつもりだけれど、所詮は異邦人、旅人、観察者であり続けていた感じ。

では私たちの本来の家はどこなのか。日本には住む家も帰る場所もない。これから放浪生活を楽しみたいなんて思っていたけれど、我々の放浪は19年前にすでに始まっていたってことなんでしょう。

いやいや、生まれたときから放浪が始まっていて、全ての人間がそうなんだろうと思う。

この浮き草みたいな人生。3年後5年後10年後にはどこで何をしているのかも全くわからない。黄泉の国にいるのかな?(笑)

マレーシアへ行ったら、今までの延長線上の考え方じゃなくて、まさかと思うようなこともいろいろやってみようかな。それには歳を忘れるという作業を一番最初にしなくちゃならないのかも。私はカルチャーショックを受けるのが好きで、だからこそ旅行も好きなわけだけれど、カルチャーショックを与えてくれるのは環境でも何でもなく、自分自身の考え方だというのに最近気がついた。

まずはXXらしく、XXXするべき、XXXあるべきという、その凝り固まった考え方を綺麗さっぱり捨ててみたい。自由でありたいと思うけれど、自由になるのは簡単じゃなくて、いや、やりたいこと好きなことをやる自由ってのは意外に簡単に手に入るのだけれど、ある時気がつくんですね。自分が自由になることを邪魔している最大の敵は自分自身だと。最終的には自分自身に縛られた自分がそこに存在しているのがわかる。国を替えたところでその呪縛から逃れることは無理。

自分から自分を開放すること。これが私の願う真の自由。出来れば死ぬ前にそれを手に入れたい。

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