明日は日本人同士の飲み会。
20数年前にゴールドコーストに渡ってきた夫婦が、とうとう完全帰国するとのこと。もう10年ぐらい前から行ったり来たりしていたのに・・・
長く住んでいると悲しみが積みあがります。
新しく来た人と知り合って「うれしーー」って思うことは少ない。これから付き合いが始まるんだから当たり前ですね。
でも知り合いが完全帰国と聞くと「悲しい」って思います。
本当にこの10年ぐらいは別ればかりを体験しました。新しく入ってくる人も減っているんだろうと思うけれど、またそういう人たちと知り合う切っ掛けもないし、この10年の比率は「出会い」が1に対して「別れ」が5ぐらいかな、10かな、そんな感じです。
子供達が小さいときにはこの別れの辛さも大きかったです。こちらに家族で渡ってきた人たちは私たちも含めてまずその家族だけで渡ってきますから、親兄弟、親族なんかいないのが当たり前。ですから仲の良い家族は親戚同士みたいな付き合い方をしてきました。子供達はみな兄弟みたいに仲が良く、我々も叔父叔母の立場で他の子供達に接していました。
そんな家族が帰国するときにはショックもかなり大きかったです。
もう随分前ですが、そういう帰国は特に駐在員家族に多いわけで、あるときヨメさんと永住権じゃない人とはあまり仲良くしないほうがお互いのためかもしれないね、なんて話し合ったことがあります。でもそんなことで区別ができるわけもなく、別れは続くばかり。
それと同じで我々がマレーシアに行く話をすると、
「行くのやめなよーー」
「すぐ帰ってくるんでしょ?」
「行ったり来たりするんでしょ?」
「完全引き上げじゃないよね?」
という話ばかり。
正直なところ、私にはゴールドコーストに故郷と言うイメージは持っていません。私の故郷はもう変わり果ててしまったけれどやっぱり東京です。だからゴールドコーストは流浪人生の中の一つの点でしかありません。
でもそんな話をしていたとき、子供達が、
「俺たちの故郷はゴールコーストだよ」
と言ったのにはハッとしました。長男は3歳、次男は1歳の時にこちらに来ましたから、日本の思い出は皆無と言っていいはず。そんな彼らが昔、学校でいじめられて帰ってきたときの
「パパ、どうしてこんな国に僕たちを連れてきたんだよ~~」
と泣きながら食い下がられたのが忘れられません。でもその中で彼らは逞しく育ち、またオーストラリアの日本人を取り巻く環境も劇的に変わり、それと同時に私の洗脳もあるのですが、子供達が素晴らしいと信じていた日本に対して最近は何か違うものを感じているようで、今ではオーストラリアが良いと言うようになりました。で、彼らの故郷はゴールドコースト。
ヨメさんも世界で一番好きなのがゴールドコースト。私も良いと思います。特に新居を借りてからはそう思うことが多くなりました。あのコンドから眺める事ができるゴールドコーストを見ていると、ああ、これがゴールドコーストなんだ、綺麗だなぁ、良いなぁ、って思うんです。
でも生きていかなくちゃならないわけで、観光、長期滞在で遊びに来ているならいざ知らず、この地に根を下ろして生きていくのは簡単じゃありません。これは経済的な理由なのはこのブログに何度も書きました。物価も高い、税金も高く、それこそ毎日往復ビンタを食らっているような気さえします。でもその大変さは、私が何も言わないのがいけないのでしょうが、マレーシアへ行かなくてはならない理由もヨメさんにはちゃんと伝わっていなかったようです。
「わかってるわよ!」
なんて一応言いますが、心がそれに対抗して乾癬なんていうわけの分からん病気に罹ったのだと思っています。
この2年は大変でした。足の裏の皮膚も割れてろくに歩く事もできず、外には一切出ず、人との係わり合いも一切拒絶し、完全な引きこもり状態のヨメさんを抱えて、このまま続いたら結婚生活も破綻だな、なんて思っていました。でも去年の夏ごろからきっと彼女も観念したんでしょう、マレーシアへ行く話をすると知らん顔をしたりまるで無視したりするのは変わりませんが「行かなくては生きて行けない」ことは理解したようで、以前のようにぐずる事はありませんし、それと同時にあのしつこかった乾癬も消えていきました。
理性で物事を判断し自分をコントロールできないヨメさんには困ったもんだと思っていましたが、ある出来事が忘れられません。
私たちが初めてKLに行った時です。今は無き天麩羅専門店の美久仁さんに行きました。そこのカウンターで飲んでいた時に、なんと隣に座っていた方がブログを通して知っていた男性でした。そしてその隣にはまた違うブログの主の女性。また他にもマレーシア関連ブログで人気のKLタクシーさんにも偶然お会いしました。
なんて世の中は狭いのだろうと思いつつ、話をし、一緒に飲み盛り上がりました。かなり食べて一升瓶も空になったものの盛り上がりは納まることなく、次に行こう~~と言う話になって大西さんの「やしのみ」になだれ込みました。
飲んべぇばかりで恐ろしい事になりましたが、そのときにいたあるブログの主である女性。ヨメさんはその女性と気が合ってしまったようで、
「彼女一人さえいれば、私はマレーシアに住める。」
と言ったほどです。初めて会ったたった一人の女性にヨメさんは救いを見出したんでしょう。おかしな話であるとは思いますが、それほど彼女は気持ち的に追い込まれ、寂しい思いをしていたのだと思います。
でも私としては「しめた!」と思いました。その女性とはブログ上でも私と気が合うと思っていましたし、ヨメさんがその気になれば全く問題なしで、「シメシメ」と思っていたのが本音です。
ところが、リーマンショック後の景気の落ち込みはマレーシアでも大変だったようで、駐在員を含む多くの方々が帰国を始めた。そしてなんとその女性、そしてご主人も駐在員ではなかったものの帰国が決定。
その話をヨメさんに伝えるかどうか迷ったのですが、嘘もつけないと思い話しました。普通だったら、「へーー、そうなんだ、残念ね。」で終わると思うのですが、なんとヨメさんは泣き出しました。たった一度会って一緒に飲んだだけの女性がいなくなることに涙を流したのです。
こんなことからもヨメさんがどれほど気持ち的に追い込まれているのかわかりましたが、それでマレーシア行きを棚上げにすることはもちろん不可能。
まぁ、そんなことがありましたが、やっぱり時間が解決するんでしょう。今ではヨメさんも観念しています。
明日は歓送会の飲み会でまた悲しみが一つ増えますが、やっぱり海外に住む場合の人間関係の重要性をヒシヒシと感じます。まだ子供達がいればそれなりに忙しく、馬鹿なことを考えている余裕もありませんし、また、ワイワイガヤガヤいつもうるさいぐらいですが、子供がいない生活となりますと、本当に火が消えたような、昇った太陽が沈んでいくような寂しさを感じます。
海外に住むのにそこでの人間関係が滞在の質を変えてしまうなんてバカみたいな話ですが、それは事実だと思います。そういう意味で我々も、特にヨメさんは友達重視で生きている女性だし、マレーシアでの人間関係がどうなるのか気にならないと言ったら嘘になります。
でも我々は、基本的に日本人同士でつるむのは好みませんし、日本人独特の村社会に関してはゴールドコーストでも嫌な体験もいろいろありましたし、夫婦ともども非常に強いアレルギーがあるので、きっと日本人グループにはあまり近づかないようになると思っています。というか適当な距離を保つって感じでしょうか。私そのものは日本人会にも入るし、入るのが在留邦人として当たり前だと思っていますし、全く日本人社会と縁を切ろうとは思わないもののKLにあるであろう村社会に不安があるのは間違いがありません。
ま、行ってみればなんてことがない、なんてのが普通だと思いますが、ヨメさんがあんな調子ですから心配です。私一人ならお調子者ですからどうにでも出来るんですが・・・・。
「もっと早く来れば良かったね」
この一言をヨメさんにどうやって言わせるか、それを常に考えています。