(業務連絡)中島のおじーちゃん

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ゴールドコーストに長く住んでいる方で知らない人はいないであろう中島のおじーちゃんが亡くなったと連絡がありました。葬儀などの日程はまだわからず。(ご存知の方は教えてください)

中島のおじーちゃんで思い出すのは、私たちがゴールドコーストへ来た頃の話です。私たちに限らず、こちらに渡ってくる人たちは単独あるいは家族単位であって、こちらに親族がいる人はほとんどいません。ま、当たり前といえば当たり前ですが、そんなこともあって親しい人とは知り合いのレベルを超えて親戚づきあいするのが普通で、中島のおじーちゃんとも親しくさせていただき、大変お世話になりました。まだヨチヨチ歩きだった我が家の子供達を随分可愛がって頂いたのを思い出します。

知り合った20年前にはもうすでにおじーちゃんであった中島さんは、一徹と言いますか、曲がったことが大嫌いで言うことはしっかり言う。でも決して目立ちたがりではなく、日本人会の集まりがあっても常に遠くから見守っているという感じを私は受けていました。

忘れられない出来事があります。当時の日本人会はとにかくお金がなくて、いつも催し物をやってはお金を作ったり寄付金を集めたりしていました。あるお祭りがあったときでした。そのお祭りに参加するだけでもお金が掛かりますので、またいつもの金集めイベントを行い、日本人会の月報でも寄付のお願いをしていたのです。

その催し物の最中ですが、私にお客さんが来たと告げられました。誰かと思ったら中島のおじーちゃん。さぁどうぞどうぞと会場の中へ案内しようとしたところ、「いや、すぐ帰る」とのこと。どうしたのかと思ったら「寄付だけ持って来た」とのこと。中島のおじーちゃんはそういう律儀な方でした。

日本人会で一時期、老齢の方の為に施設を作ろうという話が上がったことがあります。その時、中島のおじーちゃんの喜びようが忘れられません。私はその会合にただ出席していただけですが、会合の後に握手を求められ、絶対に、絶対に作ってくださいねと真剣な顔もちで言われたのを思い出します。

また釣りが好きで、釣りだけのために生きているんじゃないかと思うくらい釣りに入れ込んでいまして、私は日本人会からは離れてしまいましたが、長い間、日本人会の釣り同好会を率いて頑張っておられた様子。

我が家にも何度かいらっしゃったことがあるのですが、中島のおじーちゃんは変っていまして、我が家の玄関から入って来たことがありません。いつも裏庭から突然上がってきます。我が家はネラング川沿いにあるのですが、きっと釣りの帰りなのでしょう。ボートで我が家に来てアジが一杯釣れたからとアジを山ほど頂いたり、またある時には貴重なキンメのような魚(カサゴだったかなぁ)を頂いたり。

異国の地で皆が心細くいるときに暖かい言葉を掛けてくれた方。そしていつも日本人コミュニティーの育成に力を注ぎ協力を惜しまなかった方。

私のゴールドコーストの思い出の中から決して消えるのことの無い方。

ご冥福をお祈りしますと書きたいのですが、そんな言葉で終わらせるわけにはいかない、そんな感じがしています。

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