戦争?何がなんでも絶対に駄目!とそこで思考停止するのはそれはそれで勝手ですが、駄目とか良いとか言う前に、一体戦争ってどうして起こるのか、そんなの金儲けを考える悪い奴らがいるからでしょ?とこれまたそこで思考停止することなく、一体何がどうなっていたのか、そして何が起こったのか、結末はどうなったのか、私はそこを知りたいという強い願望があります。過去を知らずして未来も築けないわけですから。
実体験こそありませんが、湾岸戦争、イラク侵攻に関してはかなり注視して見ていました。そしてそこに満ち溢れていると感じたのは大国により偽善。当然損得勘定で戦争が起こるわけで、その実態はなんなのかじっくり見ているとわかってくるものがある。
では大東亜戦争って何だったのか。
我々は単なるキチガイ日本国が植民地を増やすために行った侵略でしかないと結論付けられた歴史をそのまま教えられてきた。これって非常にわかりやすい論理で、ややこしいことは知ろうともせずにすぐに思考停止する日本人にも外国人にもすんなり入ってくる。とにかく日本が手出しをしなければそれで悲しい思いをする人はいなかったのだと。
でもそんな簡単な話じゃないのは世界で起きた戦争をちょっと見ただけでわかるわけで、NYの911テロもイスラム過激派による狂った一方的な攻撃であると結論付けたら何も見えてこない。では大東亜戦争の背後にあったのはなんだったのか。そしてあの戦争によって何がどうなったのか。それを知りたいと思っても真実はなかなか見えてこない。でもそれを知らないまま死にたくはない。
長年いろいろと自分なりに調べてきたし、最近はネットの中に溢れんばかりの新情報、これは捏造も含めてあるわけで、自分の中でも大東亜戦争に対する評価が二転三転してきました。でもある頃から、評価することそのものをやめようと思ったんです。当然、日本人としては「極悪非道の日本」といわれ続けてきたわけですから、そうじゃないと反論したい気持ちはどうしたってあるわけで、でもそれがあると色眼鏡で見てしまう。今の若い人たちは経験がないかもしれないけれど、海外に出て、戦争のことでネチネチいじめられたことも何度か経験がある私としては、反論のための情報集めになってしまう傾向を払拭するのは簡単ではない。
これはこれで成果があって、こんな事実があったのかと驚くことは山ほど出てきた。
でも近年の中韓の動きが切っ掛けで沸き起こった日本国内の愛国主義には、事実を左から右へ強引に変えようとする動きもあるのが目立ってきた。これじゃ駄目だと私は思うんですよ。点数で言えば今まで0点だったのが、実は採点者が間違えていて100点だったというのに似ている。これはこれで心情としてはわかるし、私もそう思いたいけれど、事実はやっぱり100点ではない。
つまり、点数をつけようとするから事実が見えなくなるのは0点派も100点派も同じ。そういう意味で、簡単に答えが出る話じゃないし、今後、私は「評価」そのものをやめようと思うようになりました。でもそれは大東亜戦争を肯定もしなければ、否定もしないってこと。
このブログで良く紹介するチャンネル桜というCSのメディアがニコ動やユーチューブで発信している情報は、右に偏ってはいるのは確かだけれど、情報源としては非常に良いと思っています。その情報によってどう何をどう「評価」するのかは彼らと全く同じということは無いのだけれど、情報源として私には貴重。
前回紹介した「あらためて大東亜戦争を考える」ですが、Part2の紹介をするのを忘れていました。
Part1もPart2も大東亜戦争を大きな視点から見ているところが良いと思っていて、背後にあったもの、世界はどう動いていたのか、その中で日本がどう翻弄したのかが見えて来ます。Part1は学者やそこそこ地位のある人たちが集まっていましたが、Part2はもっと我々一般に近い人たちの考え方が出てきて、またそれは多岐に渡っていて、こんな視点があるのかとびっくりするようなことも多くあった。また細かい戦争としての戦術、戦略の話は出てこず、思想戦、言論戦、文化と文化のぶつかり合い、それが世界中で起きている中の一つの衝突であって、しかしそれは「不可避」であったと私は思うように至りました。
これは「ハルノート」がどうのこうのじゃなくて、衝突するように世界が動いていたと思うということで、その衝突を避けるためには、「自国を敵に明け渡す」しかない。軍門に下るということを意味するわけで、戦争を避けられるのであるならばそれでも良いじゃないかという発想は私の中には皆無。奪ってでも自国の利を伸ばそうとする勢力に対して、彼らの望むものは何でも差し出すべきという考え方は、生きることを放棄したのと同じだと思うわけです。当然、武力を使って向かってくる相手に話し合いでの解決を求めるのも理想論以外の何物でもない。戦争は避けたいと願う一般市民の思いは、人類が世に出てきて何十万年も変わらない願いであるはずだけれど、戦争はなくならない。
違う面から戦争を見る必要もあると思っていて、我々日本人にしてみると戦争とは「全面対決」「総力戦」であって非常に悲惨なものであると信じ込んでいる。これはもしかしたら世界の戦争観とは違っている部分を認識する必要があって、世界では「戦争も交渉の一つ」みたいなところがある。つまり、小競り合いが非常に多く、日本もかつては多くの小競り合いを経験してきたわけだけれど、その事実はあの大戦争の中に埋もれてしまっている。これの何が問題かというと、話し合いで済まない事が小競り合いに発展して、それが一つの解決への道筋になるのに、日本人にとっては小競り合いも大戦争も同じだと考えてしまう傾向がある。つまり、小競り合いにもならない時点でも、相手とどう妥協するかという方向で物事を考えてしまうようになる。自分の主張は取り下げる方向で考えてしまう。
また話は飛びますが、私は高校生時代にフェンシングをちょっとかじっていました。フルーレという一番軽くて細い剣を使うのですが、常に疑問に思っていたことがあるんです。これって日本刀とはまるで違っていて、武器そのものが一撃必殺の武器じゃないんですね。西洋では「決闘」という習慣があったのは誰でも知っていることですが、どうして相手を殺すことも難しいような武器で「決闘」が成り立つのかわかりませんでした。でも文化がわかってくるとそれも氷解しました。「決闘」も戦いそのものが相手を殺すという目的を持っていないということ。つまり、極端な話、顔でも腕でも、傷をつけられた方が負けなんですね。それで白黒をつけるという文化がある。
昔から欧米人は根性がなくて、情勢が悪くなるとすぐ降参する。白旗を揚げると言われてきたけれど、それも決闘と同じ文化のうえに成り立っていると思うようになりました。戦争とは決して殺し合いじゃないと言えるかも知れない。
西欧の戦争って日本人には理解できない部分もあって、第一次世界大戦時に、詳しくは覚えていませんが、クリスマスの時期でしょうか停戦期間が設けられた。その時に、なんと敵味方でサッカーを楽しんだ、なんて信じられないことまで起きる。だから捕虜もそれなりの扱いをするという伝統があるんでしょう。
でも、それとは真逆の惨殺も起きる。これを見ていくと、戦う相手を人と思っていないケースがそれであると言えると思います。つまり、利害がぶつかった戦争ではなくて、宗教上の理由であったり、全く別の人種が相手であったり。で、日本を巻き込んだ大戦はまさにそれであったと。
日本にとっての戦争ってそれが普通で、だからこ死ぬ気で戦うから強かったのだろうし、世界に与えた恐怖心も半端じゃなかったはず。
だからこそ、日本を世界の表舞台から引き摺り下ろそうとした大きな勢力が存在したのだと私は考えています。これって今のアジアの中の中国に似ていて、秩序を乱す者、異端者として相手に映る。
何が言いたいかと言うと、大東亜戦争は日本が起こした戦争ではないってこと。文化と文化がぶつかり合う必然であったように思うんです。大国の植民地主義が常識であった時代でも、その植民地支配の思想が諸先輩方(笑)と全く違うところも排斥する理由の一つであったかもしれない。どちらにしても大国が作った秩序を乱す敵となる。これは決闘でその場の白黒をつけようという戦いじゃなくて、相手を完全に排除、抹殺することを目的にした戦い。日本はその標的として認知されていた。いわゆる大国に取っては異物以外の何物でもなくて、日本排除の計画の中の一場面があの戦争でしかないと思っていて、その計画は戦後も当然続いた。というか戦争は終わっていないとも言える。
フライングタイガーというアメリカの義勇軍があの大戦前に中国で日本と戦っていたのは知っていましたが、それはあくまで小規模のそして義勇軍であると教えられてきました。アメリカ政府もそう言っていた。ところが1991年に、それはアメリカの正規軍であるとアメリカが認めたんですね。つまり、真珠湾攻撃の前に、アメリカは日本と戦っていたということ。また当時は大型爆撃機で日本を爆撃するには近い基地がなく、つまり、サイパン、テニアンが陥落してから日本への爆撃が始まったわけで、戦争前には日本を爆撃する手立てがなかった。そこでアメリカは中国から日本を爆撃する計画を立て、ルーズベルトはその計画に承認のサインまでしたという事実が近年わかってきた。ただその実行前に真珠湾攻撃が起きた。
だからハルノートが大戦の切っ掛けだとかいうのは、それは近視眼的な見方でしかなく、アメリカは日本を絶対に叩いて骨抜きにし、服従させる計画通りに戦前から動いていたということ。もちろんGHQでどう日本を変えるかの計画もすでに出来ていた。これはアメリカが蒋介石をずーっと支援していたことからも、たまたま大きな衝突は真珠湾で、それも日本が最初に仕掛けたことにするアメリカの罠にはまったのは明白。ルーズベルトは日本の駐米大使館宛の電報を傍受して解読していたと言われているし、真珠湾攻撃前にオーストラリア軍が日本海軍の動きを察知し、アメリカに報告したのも握りつぶされたという証拠が出てきた。
この動画ではこの件はそこまで突っ込んで話されていないけれど、話の取っ掛かりから調べていくとどんどんその手の情報に繋がっていくのが興味深いです。
特にPart1で話されていた、アメリカは当時反共ではなくて、それどころかコミンテルンがアメリカで力を持っていてルーズベルトでさえ社会主義思想を持っていたこと。そしてアジアに社会主義国家を作ろうと企んでいたこと。これと歴史的には古い金融財閥の計画もあったわけで、単にあの戦争が日本による侵略だとかそういう簡単で単純明快な話じゃないのが良くわかります。ただ、日本が邪魔者だったことだけははっきりしている。
で、日本は日本で、大東亜共栄圏が原点にあったというのはこじつけだと私は思うわけで、それは戦争が起きてからの主張。日本は石油が止められたのを切っ掛けに、準備もろくすぽ出来ないうちに戦争に突入してしまったし、うまく行きだしたらアジアの利権争奪戦に動いたのが事実だと思っています。でも実際に戦う人たちは聖戦であることを信じていただろうし、上部の失策によって無駄な死が重ねられていった。そして半端じゃない数の一般人も巻き添えを食らった。ここが私が思うあの戦争の一番の問題点。
朝鮮半島においては、日本軍と共に半島人は日本人として戦場に行ったわけですが、当時、徴兵制はなく、志願兵を集めていて、その応募倍率が50倍にも達していたこと、そして徴兵制にしろと半島においてデモまで起きたという事実。また日本人として戦ったことに誇りを持っているという旧軍人と会ったという体験談も興味ある部分でした。
こういう話や、昭和18年に日本で行われた大東亜会議で、アジア諸国が日本に期待を示し、そしてその会議は世界史上初めて有色人種である支配される側の国際会議であり、平等を表面に出した歴史に残る会議であったことが強調されています。これは世界的に見ても間違いが無いわけですが、ここで保守系の話って止まるんですね。ここが私は問題だと思っています。
アジアから植民地支配者を追い出して独立し平等な世界を作ろうという大義は素晴らしいし、そのまま進めば良かった。
ところが、この後、話が違うじゃないかという文句がその国々から出たことには保守派は触れないのね。最近、お前は保守じゃないと言われることがあるんですが、もし無理やり日本美化をするのが保守の条件なら、いつでも保守陣営とはおさらばします。
大東亜会議に出席したフィリピン大統領ラウレルが後に話した内容。「われわれフイリッピン人は日本軍のお蔭で独立しました。心底から有難い。この感謝は永久のものです。しかし独立後に一体日本軍は何をしてきたか。われわれを抑圧するばかりである。われわれには現在実力がない。しかしもしわれわれが実力をもった後でもなお日本軍が今のように無軌道であるならば、必ず復讐します。」
日本軍がフィリピンを制圧したとき、日の丸を振って迎えた人民がいたのは事実。そして独立を果たし、大統領がラウレルが日本の大東亜会議に来たのも事実。ところがこの時点で、アメリカにフィリピンの亡命政府も出来ていて、二つの政府がフィリピンに存在した。さてどちらが本物?また、戦争後半ではフィリピンでは抗日運動が大きくなり日本軍と大きな戦闘が繰り返された。マッカーサーもアイシャルリターンの言葉通りに戻ってきた。親日のフィリピンなら、当然ここでマッカーサーと戦わなくてはつじつまが合わないのに、フィリピンはマッカーサーを迎え入れた。そして、実際にフィリピンで話を聞いたり調べてみても、フィリピンが日本に感謝しているなんて話は一切出てきません。グアムも同じなのは何度かこのブログにも書きました。
これはタイも同じで、タイは英米に対して宣戦布告までした親日国だと保守派はいうけれど、ではなぜ戦後タイは敗戦国にならなかったのか?ここに言及する人はいない。おかしいじゃないですか。
この辺も調べるとすぐわかることですが、タイの駐米大使は当時「タイはやむをえず連合国側に宣戦布告したが、連合国との協力により自由タイ運動の手はずを整えている」と発言している。イギリスではスァディワット親王が自由タイ運動の指導者となった。本国ではマヒドーン王の名代のパノムヨン摂政はタイ国内に抗日地下部隊を組織して、連合国側に協力、日本軍にも攻撃を仕掛けた。日本が負けてすぐ8月16日、パノムヨン摂政は「国会の同意に基づき1942年1月25日の対米宣戦布告は無効である」と宣言。アメリカ政府も宣戦布告は無効であると即時認めた。
また当時から親日といわれたビルマ。日本のおかげで独立したとのことですが、その独立宣言の言葉の中に日本への感謝が含まれている。「ビルマ人はアジアを結合せしめアジアを救う指導者を待望しつつありしが遂にこれを大日本帝国に発見せり。ビルマ人はこのビルマに対する最大の貢献に対する日本への感謝を永久に記録せんことを希望するものなり」独立宣言の中にこういう言葉を入れるのは大きな意味があるはず。(傀儡政権といわれているにしても)
このパーマウ首相は当時、一番の親日家と言って良いはずで日本に対して感謝している言葉をあちこちに残しているものの、後にこういう言葉を発している。「冷酷で短気な日本軍人が残虐な振舞いをしたこと、そして、もっと残酷なやり方でビルマとビルマ人及びその資源を日本の戦いのために利用したことについては、疑う余地がない。戦争そのもの、そしてそれが生み出す情勢は残酷であり、また人を残酷にするものではある。 しかしこれらの軍人はビルマ人の知っているすべての者よりはるかに残虐であった。これらの人々の残虐性、横柄さ、民族的自負はビルマ人の心に戦時中の記憶として深く残っている。東南アジアの非常に多くの人々にとっては、それらのみが戦争の記憶のすべてである。」
結局、大義名分は良いのだけれど、そこだけ見て、日本は偉大な開放者だというのには無理があって、各所でいろいろあったということでしょう。村山首相がマレーシアに行ったとき、過去の戦争に関して謝ったわけだけど、マハティールさんがそれに対して「日本が50年前に起きたことを謝り続けるのは理解できない。」と言った。保守の多くはこの言葉を持ち出して「マレーシアは日本に感謝している」と言うわけです。これって単純馬鹿な発想だと私は思うわけで、「もう終わった昔のことをいつまでも言うな」と言葉通りに取るのが普通だと思うんですが、いかがでしょうか。
マレーシアやシンガポールでどんな風に日本が言われていたかいくつか紹介します。
リーアンユー(シンガポール元首相) 私は、日本から多くのことを学んできたが、一方で率直に批判もする。とりわけ戦争中の行為への謝罪に明らかに消極的な姿勢を問題にする。過去を清算し、将来への新たな一歩を踏み出すべきだ。
リークーンチョイ(元駐日シンガポール大使) 日本軍のシンガポール占領は、苦しめられた者には簡単には忘れられない悪夢だった。五千万ドルと二万人の命が支払われたのだ。
トゥンクアブドゥルラーマンプトラ(マレーシア連邦初代首相) 日本占領下の三年間、我々が耐え忍ばなければならなかった数々の苦難のために、日本に対する恨みは根強く、国民の感情は敵しかった。数多くのマラヤの住民とその連合軍が殺されたのであるから、あの占領時代のことを忘れるということは無理であった。もう一〇年以上も前のことであったが、日本軍の専政とその残虐な行為は我々の心から消えることはなかった。
サイナル・アビディン・ビン・アブドゥル・ワーヒド(マラヤ国民大学教授) 日本は東南アジアのいくつかの国々に対して、新秩序実現のあかつきには独立を付与するとの約束を与えた。ところが、日本はマラヤに対しては将来の独立を認めようとしなかったのである。 これは、日本がマラヤをむしろ日本の植民地ないしは原材料の供給地とみなしていたためであろう。 大東亜共栄圏構想も、戦争初期の段階では、西欧植民地勢力による経済的搾取を民衆に意識させるのに役立ったことは確かであるが、日本は当時、戦争の遂行に全力を傾注せねばならない立場に追い込まれていたため、実際のところ、構想を具体化するだけの余裕をもちあわせてはいなかった。それに、もし機会さえ与えられれば、日本自身が西欧勢力に劣らず搾取の牙をむきだすこともまた考えられないことではなかったのである。
この手の文言はいくらでも出てくるわけで、それは日本賛美の声も同じ。ただ、日本賛美の声は長い間封印されてきたことは事実で、それが近年ネットを中心に広がってきて、その証拠も多く出てきたのは良いことだと思っています。でもそれが全てではないってことなんですね。0か100じゃないわけです。良い悪いも感謝も非難も多くの意見、考え方があるってこと。
私としては日本が英米蘭をいとも簡単に駆逐したとき、アジア人の多くは大喜びしたと思っています。でもその反面、絶対に勝ち目がないと信じていた英米蘭をやっつけてしまう日本に対してどれほどの恐怖を持っていたかも簡単に想像できてしまう。彼らは日本が日清戦争に勝ち、ロシアにも勝ち、そして満州国を傘下にし、日韓併合し、中国を制圧していたのを知っていたんですから。こういう日本に対してどう向き合うべきかアジア諸国は考えたんでしょうか。宗主国は逃げていった後、どうすりゃいい?
こんな答えは子供が考えてもすぐわかるわけで、そして潜在的な恐怖を持ちながらも、日本の言う大東亜共栄圏思想に賭けてみようと思ったのは間違いがないでしょう。でも絶対的な信用もしていなかった。そして日本軍の負けが見えてきたら今度はどう動くのか。
ですから彼らの日本賛美の言葉や態度にも誇張があるだろうし、また後に日本を非難するのも「日本とは本当は仲良くなかった」という連合国に対する言い訳で言っているのかもわからない。さて、真実はどこにあるのか。きっとバリバリの保守派は、彼らは嘘をついているというのでしょう。でもそうだとしてもそれは彼らが選んだ彼らの、そして世界の歴史なんだと思うんですよ。彼らが事実だということにどうやって日本が反論できるのか。うまく行っている時の、みんなが喜んでいる写真をいくら並べても説得力は無いと思います。日本は戦争に負けたという重さを忘れてはならないはず。
近年、韓国を事大主義だと馬鹿にする風潮があるけれど、小国がどうやって大国の狭間で生きていくのか。それの難しさや悔しさ悲しさを一度も経験したことがない日本が彼らの事大主義を馬鹿には出来ないんですね。上から目線以外の何物でもない。そのくせ、そういう事大主義が理解できないから、ちょっとリップサービスを言われると嬉しくてニコニコしてしまう馬鹿さが日本にあることにも気がつかない。結局、どの国もしたたかなんですよね。ところが日本にはそれがない。スーパーマンの格好をして自己満足している子供のように見える。で、怒られるとシュンと萎んでしまう。
やっぱりここは冷静に、一体何が起きたのか、それがどう変化していったのか、諸外国の本音はどこにあるのか、我々としてはしっかりみていかなくてはならないと思うわけです。日本を悪く言うのは中韓だけで、他のアジア諸国は日本に感謝している、なんて本気で考えていいのかどうか。これじゃまた同じことの繰り返しじゃないですか。
こんな考えを持っている私を保守じゃない!という人もいるんですが、今、またアジアは半信半疑ながら日本の大東亜共栄圏の夢をもう一度みたいと思っていると私は想像していて、それがどう進んでいくのか楽しみにしています。
また前にも紹介したことがありますが、水間政憲氏の話。
彼は日本美化が過ぎるというか、ある一時点だけ見て全てを語ろうとしていると私は感じるのですが、でも彼が発掘した様々な事実には多くの日本人がびっくりしたはず。あれが全てだと思っては道を間違うと思いますが、反日勢力に対するカウンタープロパガンダという意味ではかなり頼もしい人で、これからも応援したいと思っています。私に大きな財力があったら彼の書籍を多言語に翻訳して出版するのを援助したいくらい(マジで考えています)。それと彼は「写真」を元に事実を探ろうとしていところも面白いと思います。で、彼が良く使う写真は、今では反日勢力のメインであるあの朝日(朝日グラフ)が過去において使った写真を多く引用しているという点。つまり、朝日が当時、日本礼賛のプロパガンダに使った写真(やらせ写真も多数あるはず)を、今持ち出してくるなんて、朝日もタジタジでしょう。
関係ない話ですが、私は彼の日本美化は極端だと思うのだけれど、彼は自分の書籍を買ってくれた人に、その本を読んだ後、自分の本棚で眠らせないでくれと言うんですわ。それこそ床屋でも美容院、病院でも目の触れるところに置いて多くの人に読んで欲しいと。私はこういうことを言う物書きって聞いたことが無く、それだけでも応援したくなります。