なぜか昔からありとあらゆる場所で間違われる事が多いのですが、今日、生まれて初めて「中国人?」と言われました。中国人に見られて嫌だってことじゃなくて、初めての経験なので、へーーーーと思っただけ。
まぁ、よく間違われることが多くて、ゴールドコーストではマオリ(ニュージーランドの先住民)と思われるのがほとんど。ポリネシア系の顔立ち、体つきなんですが、マオリの人たちと街ですれ違っても彼ら流の「目をピクピクする挨拶」をされるのは毎度のこと。私も同じことをして返します。(笑)
やっぱり南洋系なんでしょうねぇ。
ハワイに行くとXXXXセネター(上院議員)の親戚か?と街を歩く人に聞かれたり、グアムに行くとハワイから来たのか?と聞かれ、サイパンに行くとグアム人か?と。
しかしアメリカは嫌でした。メキシコ人に間違われるんですが、明らかに軽蔑してるのがわかるのね。バス停で白人の年寄りから汚いものを見るような目で見られたり、飛行機の中ではメキシコのことで酔っぱらいに絡まれたり。若いころですが、アメリカの滞在許可期間を延長してもらうためにロスのイミグレに行ったんですよ。すると周りはメキシコ人ばかりで、係官がまぁ偉そうにとんでもない口のきき方をするんです。なんだコノヤローと思って、口のきき方に気をつけろと文句を言ったところ、周りに居たメキシコ人が私に懇願するように黙ってくれと言うんです。この時はびっくりしたというか、彼らがとばっちりを受けるわけで、余計なことを言って申し訳ないと思ったし、差別の深さを感じましたっけ。その時は、冗談じゃないと思って滞在は延長せずに帰国しました。
面白いのは日本人ってアメリカ人(白人)側だとなぜか思っているのね。だから黒人やメキシコ人に距離をおいたり。でも実は日本人も彼らと一緒。私の従兄弟が日系3世の同じ年で、一緒に遊びに行くといつも黒人ばかりがいるところに連れて行かれるんです。私としてはちょっと怖い感じがするし、「どうして黒人ばかりの所に行くのか」聞いたんですよ。すると「ダボは白人のほうが良いのか?」とびっくりした顔をして聞き返されました。その時も、ああ、そんなもんなんだと思いましたっけ。
また白人が経営する床屋に行きましたところ、私の髪を切りながら「どうして日本人って魚臭いんだ(fishy)」と言うんです。コノヤローと思いましたが、その時は明け方から叔父に鮭釣りに連れて行ってもらい、そのままだったのを思い出して、苦笑。(笑)
日本でもよく間違われまして、広島の原爆記念館では地元の学生に英語で話しかけられたり、面白かったのは羽田の出入国管理で並んでいる時に英語で話しかける人がいた。日本人の列に並んでいるのにですよ。
でも日本人だと見られないほうが近年は良いと思っていまして、私が日本に遊びに行く時には大体5月か9月なんです。その理由は簡単で、ゴールドコーストと同じ格好で行けるから。つまり日本でも半ズボンをはいているわけです。真夏の観光地ならまだしも日本の5月9月に半ズボンで歩く人はまずいなくて、たまに子供が半ズボンで居るのを見るぐらい。でも私はそのまま繁華街にも行くし電車も乗るんですよ。普通、日本人だと「この人、変」と思われるわけで、私はあえて帽子をかぶってサングラスを掛けます。「どこか東南アジアのオヤジ」に見えるように。(笑)
こんな笑い話もありました。私が日本に行き、両親が住むマンションに向かったのですが、マンションのベランダに父と姉がいまして私に手を振っているんですよ。「おかえり~~」なんて出迎えのはずもなく、おかしいなぁと思ったわけです。部屋に行きますと勝ったの負けたのとオヤジと姉が盛り上がっている。何やってんの?と聞いたら、父が「あいつは絶対に半ズボンをはいてくる」「まさかぁ」ということで1万円賭けていたんですね。で、父の勝ち。(笑)
今日は買い物をしている時に、私に気さくに声を掛けてくる老婆がいたんです。私は自分から声を掛けることは少ないにしろ、話しかけられると結構話す方ですから、二言三言話を交わしたのですが、またレジのところで一緒になりました。するとまた話が始まって、「何人?」てなことを聞かれまして、「日本人」と答えると「えーーー?」の世界(笑)。その老婆はアジア人で、私は中国人だろうと思っていたのですが、聞いたらフィリピン人だと。私はフィリピンもグアムに劣らず大好きな国で、タガログ語も挨拶プラスアルファぐらいはわかるので、タガログ語で話しかけたんですよ。
そしたらまぁ、バーさん喜んじゃいまして、こっちへ来いとスーパーの外のベンチに腰掛けておしゃべりの延長戦の開始。そうこうしている内に、彼女の友人が来まして、3人で延々30分ぐらいおしゃべり。
私にまた「何人?」と聞くので同じ返事をしたのですがどうも納得が行かない様子。(笑)。
「何人に見えます?」と聞いたらゴチャゴチャと話を濁すんです。ま、いっかと思っていたら、また「本当に日本人?」と聞くので、私も「何人だと思った?」と聞きました時に「中国人」という返事が返ってきた。それだけのことです。m(__)m
なんだかんだ話をした後に、お互いに名前を名乗って「また会いましょうね~~」という別れ方がなんとも言えず嬉しかったです。
フト、昔のグアムを思い出すんですが、こういうシチェーションの時には「うちに来い」って話になるんですよ。ウソみたいでしょ?で、ノコノコ着いて行ってご馳走になって酒盛りしたり。で、そんな切っ掛けで知り合った人が後々何十年も付き合うようになるのね。グアムは楽園。あんな人達がこの世の中に存在している事自体信じられないです。
でも今は違うんだろうなぁ・・・。皆どうしているんだろうか。
グアムの緩さも好きでした。私がグアムの「運転免許」を欲しいと友人には話してあったのですが、いつかアガニャ湾という釣り好きが集まる所に、アジの大群が入ってきているというので釣りに出かけました。道端からサビキを投げるんですが、そこにパトカーが来たんですよ。ま、巡回しているだけなんですが、そのパトカーに乗っていた警察官が私の友人の知り合いだったんですね。で、「この日本人が運転免許を欲しがっている」と伝えたところ、「じゃ、今日の午後2時に警察署まで来い」って話になって、その警察官にはバケツいっぱいのアジを渡しました(これが賄賂? 笑)。
警察署に行きましたら「ハイ、ここにサインして」で終わり。まっさらの運転免許をもらいました。
またそういう友人関係とか親戚関係が非常に有効に動く島で、やっぱりグアムで滞在を延長する時に「イミグレに親戚がいるから」ってなもんで、その人がいる時に行ったんですよ。その時も、チョチョイのチョイで延長完了。
そうかと思えば、グアムで仕事を初めまして、政府の認可が必要な業種だったんです。この時もコネで簡単に行くと思ったらその時は大違いで、係官が私に「戦争責任」を言い出したのにはぶったまげました。「どう思っているのか」とグチャグチャ話しだすんです。「そんなのは関係ないだろう」なんて言えませんから適当に受け答えしましたが、「日本人を嫌うグアム人」も間違いなく居るんですね。
この辺の話もいつか書こうと思いますが、私がお世話になっていた日本人の血が混じっている一族で、日本人大好きもいれば、日本の占領下で「みせしめ」の為に斬首刑になったグアム人もいるわけです。ま、戦時中ですからスパイ、反乱者となれば殺されるわけですが、殺された一族の人は生涯忘れないでしょうね。
これはマレーシアも同じで、日本軍がマレー半島に上陸し、自転車に乗った銀輪部隊が南下するときには沿道にマレー人が出てきて歓迎されたという話は聞きますが、でも占領下においては反乱軍、ゲリラもいたわけで、その多くは中国人。また彼らは便衣兵みたいに民間の中に潜り込むんですね。だから戦闘員なのか民間人かわからない。つまり、怪しい奴は捕まえろとなるわけで、多くの民間人も逮捕された。で、ちゃんと裁判をすればいいものの、まとめて処刑してしまうことは多くあった様子。これじゃ納得しませんよね。右翼の中には「ゲリラ、反乱軍、スパイ」そして「それを匿った者」を処刑するのは違法ではないと言いますが、それはその通り。殺しても良いことになっているのが世界の戦時下の法律。でも「怪しきも罰する」じゃうまくないわけで「民間人を殺害した」となり、アジア各地で日本に敵意を持つ人が多いのもそれがひとつの原因だと私は思っています。
でも不思議ですよね。民間人、非戦闘員を殺してはいけないのは世界の約束事。でも戦時下の混乱の中にはそういうこともあったでしょう。しかしその国の指導者、最高責任者である大統領がそれにOKを出したってのは前代未聞じゃないでしょうか。そしてそれは一切罪に問われない。いや、原爆の話。東京大空襲も同じで、アメリカの当時の指揮官が「もし戦争に負けた時には大事になる」と言いつつ出撃させた。一夜にして恐ろしい数の民間人を焼き殺したその指揮官は、後に自衛隊に貢献したと天皇から勲章を授かっている。
民間人の殺され方にもいろいろあると思うんです。ひとつは多くの日本人が経験した爆撃によるもの。そして地上戦で殺されるもの。殺されることには変わりがありませんが、爆撃の場合は相手が見えないじゃないですか。ところが地上戦の場合は敵の顔がはっきりわかる。追い掛け回されて撃たれ、あるいは切り裂かれる。この殺されかたはいかにも野蛮で、その場に居た人は生涯忘れることが出来ない恐怖と怒りを覚える。武器を持って進軍してくる殺人鬼達を見た時の恐怖ってB29爆撃機を遠くに見た時の恐怖とはまるで別物じゃないでしょうか。
私はこの差って大きいと思っていまして、日本人がすぐにアメリカに馴染んだのもそれがあるんじゃないかと。多くは鬼のような殺人者の形相を見ていないんですね。そういう意味で地上戦のあった沖縄はかなり感覚が違うのだろうと思ったり。そういうのも基地問題に絡んでいるんじゃないですかね。もし本土決戦で、広島や長崎、あるいは東京にしても、あれだけの民間人が地上戦で惨殺されたとなると、今のアメリカとの友好関係は無かったかも。
その点、アジアの人たちは「開放してくれた」当時の「優しい」日本軍と、戦況がおかしくなって「変わっていった日本軍」、そして「人を殺す時の怖い日本軍」を知っているんだろうと思います。「アジア諸国は日本に感謝している」という右派がいますが、彼らが出してくる写真は開戦すぐの「余裕のある」「優しい」「現地人と交流をする」日本軍の写真ばかり。でも戦況が変わり敗戦に向かう「豹変した」日本軍の話はしない。アジア諸国も当初の「大東亜共栄圏」に賛同はしたものの言っていることとやっていることが違うので反旗を翻して日本に銃口を向けた国もあるわけで、そこを無視したら「アジアの救世主」としての日本像が出来上がってしまう。では「野蛮な悪魔のような日本軍」だったのかというとそれも違うはずで、両面あるんじゃないかと思っています。
何も知らないのは常に右だ左だとプロパガンダに翻弄された日本人かもですね。もっと知らないのはアメリカ本土に居たアメリカ人で、今でも宣伝に乗せられやすいんじゃないでしょうか。騒ぐほうが勝ってしまう。