あの参議院選って一体なんだったのか、どうも自分の中にモヤモヤがあって晴れないんですよ。争点らしい争点もなかったし。
近年の自民党って「デパート」みたいな感じがするんですよ。あの中に「すべての政策がある」みたいな。本来、野党が言わなければならないことも安倍さんが先に言っちゃって、野党の出る幕がない。でも野党は対立軸を持たないとならないから、わけのわからない理屈をこね回して、3分の2は取らせないとか、かなり無理のある話を持ちだしてアドバルーンを上げないとならない。これって言っている本人達も「的外れだ」って思っているんじゃないですかね。与党が3分の2を取ったからと言って、それで憲法改正が決まるわけじゃないのはわかってる。
発議ができるだけで、まずはその前に話し合いでしょう。それも自分の党の中からそれぞれがまとめないと。ここで発議が出来ないように3分の2を取らせないという理屈だとすれば、それは「護憲ありき」で一体我々の憲法ってどうなっているんだ?と考えることも話し合うことも駄目だと言うのと同じ。これじゃ言論弾圧じゃないですか。みんな「バカのまま」が一番良いという理屈に思えます。
でも野党が自分たちの政策で戦うことなく、4党共闘なんて、敵の敵は味方みたいな集まりと同じで、もし倒したらどうするのか。倒せないのがわかっているから4党共闘が出来るんじゃないですかね。自分たちが政権を取れると思ったら絶対に共闘なんかしないでしょう。
でもそういう野党にしたのは自民党でもあると私は思っていて、「我が党はデパートですからなんでも任せて下さい」的なものを感じるわけで、そうなれば野党は対立軸なんか作れない。安倍さんはそれを狙っているであろうことは彼の言動を見ているとわかるけれど、でもそれが結局はわけのわからないことで揉める原因にもなるんじゃないですかね。本来はそれぞれの党が違いをはっきり打ち出して、それを国民が見て、聞いて、判断できるようにしないとならないんじゃないかと。
結局、票が取れなければどうにもならず、「票が取れればなんでもあり」になるのは分かるんですが、なんだかしっくりしません。
これがそのまま都知事選に繋がっていて、鳥越さんはリベンジのために出てきただけだし、増田さんは「現状維持」を考える体制派が出してきた様にしか見えないし、小池さんはこのままじゃ国政で芽が出ないのは見えているから都政に出ようとしているように見える。でもま、私としては都政の闇、オリンピック絡みでも利権の構造があるのが我々庶民にもうっすら見えてきたわけで、それを小池さんならいじれるのかなと思ったり。あれほど自民党都議連が小池氏を嫌うって何かあると思うほうが当たりだと思う。
でも選挙戦を見ていると、これが選挙なんだ・・・ってのが見えて、組織を持っているところは組織を使い動員し、握手をして歩く候補者の周りに集まる都民はファンクラブに似ていて、ああ、やっぱり知名度、人気が大切なんだ・・・と思うだけ。
参議院選にしても都知事選にしても「勝利」とは何かといえば当選することでしかない。でもそれは候補や党に取ってはそうだけれど、我々有権者にとっての勝利ってなんなんだろうか。私は保守系だけれど、自民党や日本のこころが勝てば良いとは思わない。野党を叩きのめせば良いとも思わない。我々の勝利とは日本が、東京が良くなることであって、推す議員が当選すれば勝利だなんてことはありえない。
では議員や政党が自分が思う日本を作ってくれるのかというと、いくら大志を持っていても日本には「大きな壁」がいくつもあると思うんですよ。それはいつも書いている変化を嫌う国民性、学者や官僚がもつ上から目線のセクショナリズム、既得権益、縦割り行政、プロパガンダ、そんなのがごちゃごちゃしたカオスの状態に見えて、全員が集まって膝を突き合わせて「俺達の日本、東京をどうしようか」と考えることはない。「俺は正しい、お前は間違えている」という争いばかり。
そんな時に青山繁晴氏みたいな熱血漢が出てくると期待したくなるのだけれど、これも冷静に考えてみると「情緒的に良いと思う」だけであって、小泉劇場の時と同じかもしれない。あるいは本当にこのままだと戦争になると信じて日本を救いたいと願う若者や母親たちと同じかもしれない。
なにか大事なものが見えてこない。そんな感じがしてなりません。
情緒に任せて良いのかってのが私がいつも自分自身の問題として悩む点でもあるんだけれど、私はヨメさんとの長い付き合いの中で一つのことを学んだんですよ。それは「理外の理」というものの存在。ヨメさんの判断基準は「情緒」であって、「どうしてそれが良いと思うの?」と聞くと「好きだから」という返事。駄目だと思うのは嫌いだから。(笑)
これってどうしようもない馬鹿だ、みたいに理屈っぽい私は思っていたんだけれど、ある頃から、ヨメさんが言ったことが正解だったってことが結構あって、なんでも理屈、論理で攻めれば良いってもんじゃないのがわかった。それはその論理に問題があるからだという考え方もあるとは思うのだけれど、「直感の凄さ」って誰しもあるんだろうと思うわけです。でもその直感がどこから来るものかはわからない。
選挙を見ていても、選挙民ってイメージ、ムード、情緒に流されるとは思うのだけれど、「見ているところは見ている凄さ」があるのもわかる。理解できない難しい論理を言われても、「なんかおかしい」と思うところは結構当たる。舛添さんの問題もそうで、あの話が出て来た当初から「駄目だ」という直感があって、次々に暴露されることを多くの人は予感していた。
だから情緒的なもの、直感をバカにしてはならないと思うわけで、選挙を見るとムードで動くのはわかるけれど、意外にそこに正解はあるのかもしれないと思ったり。でも情緒に訴えるのが上手い人には引っかかるのも間違いなし。
ま、そんな感じで、私は保守だけれど保守がベストだとは全く思っていなくて、左派はいなくても良いとも思わない。それぞれが違う視点、考え、理想を持って、それがぶつかるところに私は進歩があると思っていて、選挙に勝てばそれで良いなんてことはありえない。
選挙を見ながら思うことは、自分が推す自民党でさえおかしいところがたくさんあるという反省が必要だと思うし、野党も「とにかく反対」みたいなところから抜けだして、自分が政権与党だとしたら何をするのかをはっきりと明確に示して欲しい。そして足を引っ張り合うのではなくて、大いに議論して欲しい。「あいつは馬鹿だ」的な上から目線に進歩はないのだから。
右派も左派も問題があるのは間違いがなくて、それを考えるのに良い討論会の動画がありました。いつものチャンネル桜ですから、出席者は保守系。でも保守もリベラルもないという立場で彼らの話を聞くと、いろいろ見えてくるものがあると思いました。保守の中にも保守批判は当然あってしかるべきだし、政敵を叩いていればよいなんてことはなく、この討論会は左派が聞いても(頭にくるであろうけれど 笑)なにか見えてくるものがあるような気がします。
討論の中で面白いことを言っていました。政府主導で(朝まで生テレビみたいな)各党の政治家、そして朝日、毎日、産経でも各メディアの人たちも集めて徹底的に主張を言わせてみたらどうかと。おかしな理屈はそれで馬脚を現すはずで、それを国民の目にさらす。もちろん逃げる人たちもいるだろうけれど、「逃げた」というのが国民にわかるだけでも良いはず。そしてその後、討論会。まぁ、ぐちゃぐちゃになるだろうけれど、是非、徹底的に討論してもらいたいし、見てみたい。
左派が集まってこういう討論をすることってあるんだろうか。是非聞いてみたいのだけれど、なぜかネットの中では見つからない。