天皇のお言葉を違う方面から考えてみる

NO IMAGE
古いエントリーが表示されているかもしれないので、是非、「投稿日」を確認してください

今日の天皇のお言葉ですが、これが出てくる前から考えていたことがあるんですよ。

「天皇個人としての思い」と言われると、天皇は我々一般と全く変わらない個人であるから、我々と同じように「個人の思い」があると誰しもが考える。

でも私は違うと考えていました。

天皇は「個人」ではない、と。

言葉で現すのは私には簡単ではないのですが、また私が天皇が何を考えているか想像するなんて大それたことかもしれませんが、天皇は「自分そのものが日本であり国民である」という考え方を持っているんじゃないかと思うんです。これってああいう立場に限らず、その手の「日本人観」を持つ人は私は結構いると思っていて、本当に表現が下手で申し訳ないのだけれど、たとえば木には葉っぱがある。そして個人がその葉っぱだとすると、似たような葉っぱがあちこちにあって、それぞれは独立した葉っぱだと思う。ところがそれぞれの葉は枝に繋がり、幹に繋がり、一つの木の一部であるという考え方。

こういう考え方は仏教の阿頼耶識やユングの言う集合的無意識、神道にももちろんそれがあって、その向こうに神の世界があるのかもしれないと私は思っていて、精神的には大きな一つの塊のその一部(あるいは層)がそれぞれの個人であって、それぞれの個人は別々だけれど、奥の方では繋がっていて一つでもあるという考え方。私は天皇とは個人とは違うその世界に生きる人ではないかと思っています。

天皇が「私」とか「個人」という言葉を発してもその概念は我々とは違うと思うんです。これは日本古来からリーダーの最も大事な資質であって、たとえ家庭でも「子供の為には命を投げられる母親」がいるように、あるいは自分のことは横に置いといて家族や一族のことだけを考える家長、昔の武将もそうで私心はなく「家」や「国」が全てで、それが自分自身そのものであるという感覚。日本人の奥底にはそれが流れているから、舛添氏をも軽蔑するはずで、本来は公務員も政治家も私心があってなならないというのがある。一般市民も「自分」を横に置いといて行動できるのが日本人の特徴で、多くの日本人が国のため、会社のためと頑張ってやってきた。これは今の時代でも「災害地での行動」にもでていると思うんです。

そしてその「私心がなく、日本が全て」のトップであるのが天皇だと思っています。

だから私は天皇という存在は(我々の言う)「個人」という言葉を使っても意味が違っていて、そういう考え方で「生きている内に退位をしたい」、また今日の言葉にあった「天皇の高齢化に伴う対処の仕方が、国事行為や、その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには、無理があろうと思われます」というのは、天皇個人の気持ちではなくて、「日本」あるいは「国民」の立場から「このままでは駄目」、「やるべきことがもう出来ない」という非常に重大なことをカミングアウトしたように聞こえるのです。

ここで私が言っているのは「公務」とか「儀式」の話じゃなくて、宗教的なというか、本来の天皇の仕事のこと。天皇は自らも象徴という言葉を使うし、マスコミも評論家も同じ。ただ私は天皇がただの象徴になったのは日本のとんでもなく長い歴史の中のこの70年でしかなく、またその考え方は欧米的な唯物論があるから象徴という表現しかできないのだろうと思うし、しかし憲法で定められている限りそれ以外の言いようもないし、天皇が出来ることにも制約があるわけですが、綿々と天皇家の奥底の方に流れる、「天皇家の仕事」ってのはあるはず。それを国民が忘れて、あるいは「法的な」あるいは「ただの儀式」としか考えなくなっても、本来の仕事を皇室の根本的な存在価値として天皇家は認識しているはずで、またそういう天皇家を守ろうという人、グループも存在するんですね。

天皇は神ではない、普通の人間であるという考え方が一般的だと思いますが、私は天皇は「神と繋がる者」としての大きな役割があると思うんですよ。それを神官というのかなんというのか良くわかりませんが、天皇が行う様々な儀式や祈りがありますが、あれを「ただの形式的なもの」という見方ではなくて、「意味あるもの」と考えた場合、また話がオカルトっぽくなってはならないと思うのですが、私のように「ある種のエネルギー」がこの世に存在していると確信しているものから言うと、天皇は「そのエネルギーの使い手でもある」と考えています。

あるいは「祈りの力がある」と言っても良いのかもしれない。これは我々の祈りとは全く異質なもので、「全く自己、私心を持たない、頂点にあるものの祈りの力」というのが存在するのかもしれない。ま、宗教をばかにする人には全く理解できない考え方だと思いますが。(ちなみに私は一切の宗教、宗派にも属していません。でも神はいると思ってます(笑)。それは決して絶対神ではなくて、ある種のエネルギーと言っても良いのかも)

まぁ、またバカな話を・・と思われるでしょうが、また俗にいう霊能者とか審神者(サニワ)じゃないですが、それが存在するとしたら当然、それに必要な能力があるんですね。そしてそれに似たようなものを天皇は受け継いでいると私は想像するのです。

で、その本人が「やめたほうが良い」と言うってことは、「自分にはもうその能力がない」「もうすぐその力が尽きる」と言っているのと同じだと思うんですよ。

目に見えない存在、力、エネルギーとか、あるいは神道の奥深いところにあるものを全く知らない、信じない人から言えば、本当にバカみたいな話だろうと思うのですが、天皇が神と日本、国民を繋ぐ代表だとした場合、「もうそれができない」と言っているのに等しいわけで、これはとんでもない告白なのかもしれない。

空海上人、日蓮上人、あるいはローマ法王が「私にはもう法力がなくなった」と言っているような・・・。

多分、私のこの考え方ってある種のエネルギー、あるいは「気」でも「レイキ」でもそうですし、また様々な神事を経験したこと、知識がある人は同じ様に考えているんじゃないかと思うんです。

そんな人はこのブログの読者にはいないかな?(笑)

天皇しかできない神事ってありますよね。誰ひとりとしてその場に立ち入ることも許されず、天皇一人でひたすら祈る神事があるという。そういうのを単なる「儀式」と考えるのか、それとも意味があることとして捉えるのかで、まるで考え方が変わってくるはずですが、「もう私にはできない」「無理がある」と本人が言うって、本当はとんでもない大事なのかもしれない。

そういうところに思いをはべらすことが出来ないと、「天皇もお歳だし、お可哀想に・・・」って思うはずなんですが、実はこれは「日本にとって一大事なのかもしれない」と考えることも必要じゃないかと思うんです。

だから「天皇のお気持ちを真摯に受け止めて・・」なんて話じゃなくて、本当に交代しないとならないんじゃないかと考えるべきなのかもしれない。「無理であろうと思われます」ってところが重要で、「何がどう無理なのか」は我々一般が考える、体力的、精神的なものとは違う「何か」があるのかもしれない。でもそれを我々が理解しようとしまいと、本人が言っている重大性を無視してはならないと思うのです。

今回のお言葉に関してはいろんな人がいろいろ言っていますが、「神道の世界」から見るとどういうことなのか、それに言及している人はまだ見つけていません。あるいは宗教家から見た場合はどうなんだろうか。

そもそも天皇ってなんなのか。法律的な立場とか、同じ血肉を持つ同じ人間という見方ではない、「あっちの世界」からの見方もあると思うんですよ。

気になる・・・・。

天皇陛下のお言葉全文は以下の通り。

天皇陛下のお言葉全文=生前退位 (時事通信) – Yahoo!ニュース

 
 
 

「にほんブログ村」のランキングに参加しております。是非、応援のクリックをお願いします。

にほんブログ村 海外生活ブログ マレーシア情報へにほんブログ村 海外生活ブログへにほんブログ村 海外生活ブログ ゴールドコースト情報へ