イポーの温泉「The Banjaran Hotsprings Retreat」に2泊3日に行ってきましたが、楽しみにしていたことがあります。
◯ あの温泉は日本人が開発した
◯ 戦時中も旧日本軍がその地を利用した
◯ 旧日本軍が洞窟の壁に書き残したものが多数ある
このような情報があったのでそれを確かめたいなぁと。ただ出発前に下調べをしましたが詳しいことは一切わからず。
「The Banjaran Hotsprings Retreat」内を散策しますと、真ん中に大きな池があり、周囲にある幾つかの鍾乳洞も利用され、
◯ 瞑想をする場(かなり広い)がある
◯ 見晴らしの良い鍾乳洞の先に「テラス」があり、プライベートな食事を取れるようになっている
◯ スチームサウナがある
◯ バー&ワインセラーがある
◯ 広い多目的スペース(?)がある
ことがわかりました。鍾乳洞の数は結構あるようで、それぞれを利用して使えるようにしているんですね。
そのうちの一つ。「テラス」と呼ばれているところに「日本人の痕跡」がありました。
このテラスは一つの鍾乳洞に入っていきますと、階段があってその先に「ちょっと開けた場」があり、それを「テラス」と呼んでいてこのホテルが見渡せて、プライベートな食事ができるようになっている。
そのテラスからの眺望。画像はホテルのサイトから。
日本人の痕跡はこのテラスがある「鍾乳洞の中」にありました。
まずその鍾乳洞に入ると、壁にこのような大きな文字で書かれたものが・・。
こういうのを見てもパッと理解できる知識が私にはないのですが・・。
「当山開基(とうざんかいき)」「龍神勧請(りゅうじんかんじょう)」の言葉から、「この山に龍神をお招きして寺院を設立した」という意味だと思いました。時は「大正二年九月」。
大正二年ですかぁ。この頃にマレーシアと日本とどういう関係だったのか、マレーシアに渡った日本人が当時何をしていたのかも私はさっぱりわからず。大正二年といえば1913年。第一次世界大戦の始まる(1914年)の前年。当時、マレーシアはイギリスの植民地。
当時のことを調べても簡単にはわかりません。ちょうどその時期の情報が抜けている感じがします。日本とマレーシアの関係というと「琉球とマレーシア」の時代である15世紀の話と、有名な「マレーの虎(ハリマオ)(日本名 谷豊)1911年生まれ」がありますが、マレーの虎がマレー人と徒党を組んで盗賊となったのは1930年代の様子。
ただ1911年の福岡生まれの彼が家族とともにマレーに移住したのが2歳の時。これがまさに1913年で、このイポーの温泉地の寺院が開基したのと同じ年。この頃から日本人がマレーに多く移り住んだのですかね?
時代としては第一次世界大戦前夜で、まだ日本はアジアの辺境の小さな島国。でも日露戦争で大国ロシアを打ち破り、世界に飛び出すようになったのがこの時代なんでしょうか。その後の第一次世界大戦での勝利によって日本が認められ、「世界の一等国」となったわけで、日本が一番波に乗っていた頃なのかな。
きっとこのイポーの温泉は、当時入植した日本人達の憩いの場でもあったんでしょうね。温泉とそして龍神を祀った寺院。
そして第二次世界大戦となる。1941年真珠湾攻撃と時を同じくして日本軍は「イギリスを叩く」ためにマレー半島北部に奇襲上陸。当時はどの国も多くの歩兵部隊を迅速に移動できる手段を持っておらず、十分な車両もなかった。ところが日本軍は「現地で自転車を徴発」し、自転車部隊を編成。う~む、現地人の自転車を取り上げたってことなんでしょうが、数が揃う目論見は最初からあったんですかね。そんなゲスな疑問が出てきます。
この自転車部隊(銀輪部隊)での南下は大成功で、55日間で1,100キロを進撃し、1942年1月31日に半島南端のジョホール・バル市に突入した。これは歴史的な快挙とのこと。
でもマレー半島での戦闘も多くあったわけで(イギリス側の兵士は主にインド人兵士)、その記録に関してはこの日記の最後に動画を紹介します。
マレー半島を南下していく途中にイポーがありますが、この温泉地にはきっと傷ついた兵士達の治療所、休憩所があったのかもしれませんね。「慰安所」もあったのかどうか凄く気になったり・・。
そんな人達が、「The Banjaran Hotsprings Retreat」内に「現存する」、日本人が開基した寺院の「周りの壁」にいろいろ書き残しています。
はっきりと文字を認識出来ないのが残念です。もし日付と名前がハッキリわかれば、ここにこんな言葉が残されていたと「遺族の方」にお知らせすることができるのに。
この壁に綴ったのは旧日本軍だとすれば、イポーの位置から考えても「大きな痛手を受けておらず」「快進撃中で意気揚々としていた」と私は想像するのですが、この後、シンガポールへ渡り、そしてまた南洋の島々やインド方面に移動したはずで、無事に帰ってきた人は少ないのじゃないかと思います。
戦争が良いとか悪いとか、大東亜戦争は侵略なのか開放なのか、はたまた「マレーシアは日本軍を諸手を挙げて迎い入れたのか」など様々な見方がありますが、それは横においといて、兵隊となった人たちは私達と全く変わらない普通の市民であったわけで、「命を国のために捧げた」のは間違いがなく、それに関しては私は感謝の意を表したいと思い、鍾乳洞の中には「南妙法蓮華経」とは書いてありましたが、鍾乳洞の真ん中で二礼四拍手二礼をし、心の思いを述べました。
こういう鍾乳洞とか洞窟の中で二礼四拍手二礼するなんてのは人生初めての経験でしたが、拍手が静かな洞窟内でピ~~ンと響き渡るところに何か神聖なものを感じましたし、思いは伝わったような気もしました。
この寺院は誰もその後、面倒を見ておらず放置されているはずで、それどころか「観光の場所」となっているであろうことは私としてはどうにもやりきれない気持ちがします。かと言って私に何ができるわけでもありませんが、ここに見捨てられた寺院があり、そしてそこに日本人の様々な思いを感じることができる言葉も残されていることは忘れること無く、もし自分に手助けできることがあれば「やろう」と思いました。またこの地の情報をもう少し調べてみようと思います。
大東亜戦争が始まり、真珠湾攻撃とともに旧日本軍はマレー半島に奇襲上陸しイギリス領マレー、そしてシンガポールを掌握したわけですが、その「マレー半島での進撃」に関する動画を紹介します。日本軍の司令官は「山下奉文中将」ですが、「マレーの虎」という時に彼を意味することもあるんですね。上に書いた「谷豊」もマレーの虎。
私は若い頃から旅行好きでしたが、歳を取ってからは「行きたい場所」がかなり変わってきました。行ったことがないところへ行くのも良いのですが、それ以上に、「俺って誰?」「日本人は一体どこから来てどこへ行くのか?」とか「かつての日本人は何を考え、何をしたのか」に非常に興味を感じるようになりました。歳を取って先が見えてきた時に、「自分は自分自身のこと、日本のことを知らない」ことに気がついた。
今、マレーシアに住んでいますから、「日本とマレーシアの関係」「あの戦争はマレーシアにとって何だったのか」とかそんなことを知りたいし、旧跡があれば訪ねてみたいと思っています。
日本とマレーシアの関係ですが、「日本による開放を喜んだマレーの人たち」がいたのは間違いがないと思います。でも「侵略でしか無い」と言う人もいる(中国系はまず間違いなくそう言う)。また当初は「開放のはず」だったのか、すぐに独立させるという約束も反故にし、「資源国」としてマレーシアを利用するばかりだった日本に対して「態度を変えてきた」のもマレーシアなんですね。だから「どの時点」で「誰に」話を聞くかで内容が変わってくる。
それを感じたのが、「Fallen of Penang(ペナン陥落)」というドキュメンタリーをマレーシアに来てから見たときのことです。
日本のマレーシア侵攻は「イギリスからの開放」であったはずなのに、「ペナンの住民」にしてみると「幸せに暮らしているところに突如として侵略してきた日本」でしかないのね。これには私も少なからず衝撃を受けまして、「国家の独立」に関してマレーシア人は何を考えていたのか疑問に思ったもんです。
じつはこれと同じ事を過去に経験したことがありまして、私がグアムに入り浸っている頃ですが、「アメリカからの独立」を叫ぶ人もいたんですね。私にしてみれば「当然だろう」ぐらいに思うのですが、多くのグアム人はそれに反対で「アメリカ人になれたことを誇りに思う」島民が圧倒的に多かったってこと。
この辺が自分にはよく理解できない点なのだけれど、東南アジアの植民地はまさにそういう人たちが多かったから進んでしまったのではないかと思ったわけです。
こういうのは国によっても受け取り方が全く違っていて、インドネシアでは「あの戦争は、本来は我々がしなくてはならなかった戦争だったのだ」という考え方も広く広まっている。でもフィリピンでは真逆で、日本は侵略者以外の何物でもなかったり。そうかと思えば、日本の傀儡国と言ってもいい状態だったにしても「ビルマの独立宣言」に「日本への感謝を永遠に記録する」みたいな文言が入っている。
様々な見方ができるわけで答えはないと思うのですが、「日本だけが悪の権化」というのは間違いなのははっきりしている。
ま、この辺の「世界の歴史」は未来永劫変えることは出来ないと思いますが、自分の中でどうにか「一つの結論」を出したいと思っていまして、その答え探しの旅は続けたいと思ったり。
戦争にまつわる場所だけではなくて、ボルネオ島には日本から「ジャパゆきさん(からゆきさん)」が渡っていましたし、そっち関係でも史跡があれば訪ねてみたいです。
あの戦争前のマレーシアと日本との関係。そこを重点的に調べてみますかね。