歳を取ると食べたいものの傾向が変わるのは両親を見ていてもわかるんですが、それが私にも起きているのが間違いない。
それもその変化が異常なほどに早いんですよ。
何を食べたいかというと、やっぱり和食で、でも高価なものでも何でもなくて、若い頃から好きだったものを食べたいという思いがどんどん強くなるんですわ。
これは餃子も同じで、昔食べた美味しい餃子をどうにか家で再現しようかと、他人が見たら馬鹿じゃないかと思うくらい悩んで作るし、どうにも出来なくてがっかりしているのが、実は「もやしラーメン」だったりする。高校時代は上石神井に通っていたのですが、美味しいラーメン屋があって学校の帰りにはかなりの頻度でそこのもやしラーメンを食べていました。でもいわゆるグルメが食べて美味しいもやしラーメンじゃなくて、もやしはとろみが付きすぎていて、麺はかん水が多すぎて黄色も匂いも強いような麺。でもそれが好きだったんですよ。
それとか新橋にあった肉屋の「メンチカツ」も、こんなに美味しいものが世の中にあるのかと思うほど美味しかった。
そういうものばかり、頭の中でぐるぐる回っていて、「食べたいなぁ・・・・」と思うわけです。
だからマレーシアにいてもマレーシアらしいものを食べたいと思う気持ちは全く消えていて、ジャランアローに行こうとか、どこかのホーカーズで食べるとか、そんなことも全く思わなくなってしまった。
大好きな中華も同じで、新時代の中華フュージョンみたいなのは全く興味がなくて、かつて香港より美味しいと思った新橋や田村町で食べた中華を食べたいと思う。日本式にアレンジされたものね。「本場の本物が美味しい?フン、俺には関係ないね」ってなもんです。若い頃は全く逆だったのに不思議です。日本式にアレンジされたものなんか駄目で、やっぱり本場で本物を食べたいと長い間、思い続けていたし、海外に住みながら「和食を食べたい」なんて人の話を聞くと「そんな人もいるのか?」ぐらいに思っていた私。
そして今回、どうしても食べたいと思うものがあって、ヨメさんに頼んで作ってもらったんですよ。私が作ると、作る前から味が想像できちゃって面白くありませんから。また市販のものは食べなくても日本人向きではないのがわかっていますから。
これですよ、これ。
お稲荷さん。
美味しい~~~と思った感激の大きさって半端じゃなくて、甘すぎないし、すし酢に少し梅を入れてあって、これほど感動したのは今年初めてかもしれないと思うくらい。
ヒーヒー喜んでいる私を見て、ヨメさんが「あんた、おかしいんじゃないの?」なんて言いますが、たしかにその通りなんでしょう。なんでお稲荷さんを恋い焦がれるほど食べたいと思い、食べてこれほど感激するのか自分でもよくわかりません。
最近は、自分が小さい頃の芸者も多く華やかだった新橋をよく思い出すし、日本で行きたいところを思い浮かべると、田舎の漁村だったり、「なんて日本って素晴らしいんだろう」「なんで俺は海外にいるんだ?アホじゃないのか?」なんて思う。
これも老化現象なんだろうとは思うけれど・・・・。