「コロナウィルス対策」結局やることは決まってますね~

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やっぱり時間って大切で、世の中の情報を見ていると段々とコロナウィルスの特性もわかってきて、我々個人もどうするべきか見えてくる。

不安を隠す必要はない

当初の不安はやっぱり凄くて「ゴジラが出るぞ~」みたいな。

私は風評、デマ、陰謀論も全ては「情報」であると思っていて(それを真面目に研究する学者もいるのをわすれてはならない)、「風評を広げるのはやめましょう~」なんてことこそ【問題の隠れ蓑になった】のは私達が福島原発事故で学んだことで、私達が考えるべきこと、判断材料にすべきことが「風評」として葬られたのも見てきました。今回のコロナウィルスに関してはあの当時の難しさがあるとは思いませんが、国民や様々な分野の人達、そして海外が「声を上げ」「批判」をしたのはやっぱり良くて、「どういう危険が想定できるのか」「それをどう防ぐのか」の理解は深まってきた。私達は幼稚園園児ではないわけで、「先生の言うことをとにかく聞けば良い」というわけにはいかないし、また不安が爆発するからこそ、それへの説明、対応も行われてきたと思っています。

と同時に、政府や医療現場では意味のない仕事も増えて本来のやるべきことができないこともあったのかもしれませんが、それもまた民主主義だと私は思うわけで、中国のように「決めたことは守れ」と強制される世界が良いとは思わない。

「ド素人は黙れ」「専門家の言うことを聞け」

という毎度の頭の良い人たちもメディアに出て来ましたが、やっぱり中国と違って日本は良いなと思ったもんです。テレビでも国会でもグチャグチャ感はありますが、あれが民主主義なんだろうと。

理解の広まり

でも結果的に「ド素人は黙れ」と言ってきた人のいうことに収束してきた感じはあります。

「正しく恐ろ」

これは当初から言われていましたが、結局、それしかないのもわかってきましたし、自分や家族にそれを理解し、心構えができる時間的余裕があったのは良かった。でも武漢や混乱真っ最中の韓国では落ち着いて考えるのは難しいだろうし、外国では「自国民さえ助けるな」という動きがあったのは驚きでしたし、そういう動きが日本には見られなかったのは良かった。

でも「風評を恐れる人たち」はまだまだ多くいるはずで、感染を隠していたり、またそうせざるを得ない立場の人も決して少なくないはずで、それが今後問題として出てくるかどうかがちょっと気がかり。

(ある自治体で感染者数の発表は少ないものの、【入院患者は多数】のところがある様子。でも感染者数が増えないのは「検査を積極的にしていないから」ですと。そうだとしたら「情報隠蔽」に限りなく近くなるはずで、今後そのへんもニュースとして出てくるかも)

私としては「インフルエンザには慄かないのに、なぜコロナウィルスでは大騒ぎするんだ?」と思っていて、これは実は今も同じです。インフルエンザには予防接種があるのにそれさえも受けない、病院にも行かない人のほうが多い。感染者数も亡くなる人も半端じゃない多さなのにも関わらずです。本当に不思議。

インフルエンザは感染力が高いから諦めちゃうのかな、みたいな気がしないでもない。

どう感染するのか

今回のコロナウィルスは感染の広がり状況を見ていると、インフルエンザのような感染力はないと私は思うわけで、クラスター爆発のようなことが起きてはいるものの、一番危険なはずの満員電車やバス、大きなイベントでの感染者の報告は少ない。ここは見落としてはならない大事なポイントだと思います。

ではどうしてあれほどまでに感染が広がるのか?

多分、「濃厚接触の度合い」もかなり関係があると思っていて、直接飛沫を浴びるとか、閉鎖空間に長時間いる場合は危険度が増すのであって、「一緒に食事をした」「会議に出席した」だけで感染したケースはあるものの、ちょっとやそっとの接触では感染しない印象を持っています。また「無防備かどうか」というのも大きな違いがあるんじゃないですかね。それは感染蔓延の事実がはっきりして危機意識が高まってからは、「簡単には感染しない」というのが見えてきましたよね。(それともこれから出てくるのか?)

触るものに注意

また盲点だったなと思うのは「接触感染」で、「同じ場所に居たけれど、濃厚接触はしていない」のに感染するケースがそこそこ出てきたこと。

これは「人」ではなくて「そこにある物」から感染したとしか考えられないわけですが、消毒と手洗いを徹底していれば防げるんじゃないかと。

消毒が大事

我が家はもともと引きこもりですから、人との接触は少ないのですが、デリバリを含めて人と合う時には「距離を保つ」「ドアノブなど皆が触る事が多い物」には消毒をするようにしました。また「配達された物品」「郵便物」も危険があると思って、消毒水を噴霧したり。でもまだスーパーで買った商品に関しては何もしていません。皆が触る商品ですから大丈夫なはずは無いんですが。これも今後考えていこうかな。「外から家に入ったものは消毒する」という基本があっても良いかも。それとも、家の中でも手洗いを徹底、そして換気を良い状態に保つのでOKなのか。

ただマレーシアでは「アルコール消毒」が有効でもそれを手に入れるのは以前から難しかったたくらいで、こんな事態になった今、手に入れるのはほぼ不可能。

消毒液を自作する

ですから我が家では「次亜塩素酸ナトリウム」で消毒しています。要は「ハイター」(塩素系漂白剤)ですね。これを500mlのペットボトルにキャップ1杯のハイターを入れて、水をいっぱいにすれば、大体0.05%のそこそこ強力な濃度になるはずで、それで拭いたり、噴霧したり。ただし、金属は腐食の原因となるので注意しています。

ただハイターは身体には良くないというか、手がヌルヌルするのは「手のタンパク質が溶ける」からなわけで、それを考慮した使い方をしています。でも「手洗いには使わない」なんてこともなく、私は手洗いに使っているし、手がヌルヌルしたら「効いてる効いてる」と思うくらい(笑)。ただ匂いも残るので水で濯ぐのはお約束。

この消毒水を小さなペットボトルに入れて持ち歩くことにしています。レストランのテーブルなんて一番危ないと私は思っていて、必ず消毒水で拭くことをします。

またモールなどのトイレにある「強風で乾かす機械」ですが、あれは使わないことにしました。以前、あの勢いで雑菌が広範囲に飛び散るのを証明する実験映像を見て、それ以来、なんとなくあの機械に恐怖を感じています。(笑)

またトイレの乾燥用だか匂い飛ばしだか、強力扇風機を床に当てている所も多いですが、あれも怖い。トイレで手を洗う意味が薄れる気もします。だから「手洗い目的」でトイレを使うのは気がひけるのですが、アルコール消毒液も無いし、ハイター液は使えないし、ダイソーで買った「ノンアルコール消毒テッシュ」を使えばよいか思案中。

でもま、所詮、我々は危険の中で生活していますし、あれもこれも不安に感じても「それは考えすぎであろう」ことは日本での感染を見てもそう思っています。

やっぱりマスクをしよう

感染がここまで広がる前の話ですが、あるジャーナリストの予防法を知り、それが忘れられません。彼女はサーズの時にも病院に入ったり患者にインタビューをした強者ですが、医療従事者のような重装備はしていなかったとのこと。でも手袋とマスクはしていたそうで、「手洗い」「手で顔を触らない」ことは徹底していたそう。

マスクをする意味があるのか無いのかも議論となりますが、私はこれを「科学的見地でどうなのか」を考える必要はないと思っていて、「意味がない」と専門家が言ったところで「直接の飛沫をかなり防げる」「マスクが邪魔で顔を手で触れない」ことから、マスクは有用であると考えています。また、隙間からウイルスが侵入するとか、N95じゃないと意味がないとかってのは、医療現場では重要なことだと思うものの、ウイルスが入る、N95じゃないというのが我々の「意味がない」ということにはならないと思っています。「無いよりはマシ」だし、それで少しでも不安が減ればそれで十分。

そしてこのマスク論争ですが、多くの人が注目しない大事な観点が抜けていませんかね。

「予防に効果があるか否か」と話されていますが、そもそも「自分は感染しているのかしていないのか」それさえもわからないんじゃないですかね。だから「予防効果はない」としても「感染者はするべき」であるとするなら、「我々はマスクをするのが正しい」という結論になるんじゃない?

これと同じ様なことをあちこちで感じるんですよ。皆さん、「自分は感染していない」という前提で話をする。それっておかしくない?

WHOが「感染予防にマスク着用不要 過度の使用控えてと」と発表しましたが、「そっかぁ、なるほど。そうしよう」と【自分が感染していることに気がついていない人が多数いる】ことを考えた場合、このWHOの発表が感染を広げるキッカケにさえなるんじゃないですかね。

ああ、それとうがいですが、このうがいってのも日本独特の習慣で海外には無いと聞きました。ま、うがいが良いとしても頻繁にできませんし、鼻はどうすんだよって思うわけです。鼻毛ぼうぼうだとしても(笑)、ウィルスにしてみればビル街を通り抜けるようなもんで意味がないでしょう。かといって、昔、鼻の洗浄っても鼻炎アレルギーがあったからやっていましたが、それを今やるか?と思ってもなんとなく気が乗りません。

ただある医者が「常時、水を入れたペットボトルを持っていて、15分おきに飲みます」というのを聞いて、なるほどなと思ったり。医者は危ない場所にいますし、毎日多くの人と接するし、うがいをしたくてもできないことってかなりあるんじゃないですかね。水道水でも弱いながら殺菌力はありますし、「食事からの感染」という話は聞いたことがなくて、「胃酸でウィルスは死滅する」のは事実かもしれない。となれば、「うがいではなくて胃に流し込む」というのも一理あるのかな、と思ったり。

うがいって頻繁にできませんが、ペットボトルを一つ携帯して、仕事場や通勤中でも飲めば良いわけで、これも何もしないよりかは良いのだろうと思ったり。

覚悟を決める

そして我が家の場合は、「覚悟を決める」ってことかな。

私達家族は結構、荒波に揉まれて生きてきたし、わけのわからないオーストラリア、マレーシアと居住地を変え、そこには日本では考えられない風土病もあれば、食べ物の安全性の問題もある。そしてその他、日本では考えられない危険は一杯で、いちいち心配していたらキリがないんですね。でも無防備で生活することはありえなくて、郷には郷にあったリスク管理があるわけで、それは当然、しっかりやる。ここでも日本の常識は持ち込まないのはお約束。

でも最終的に、どうしようもない時には笑って死のう、みたいなコンセンサスが昔からあるんですよ。生き延びるためには何でもするという考え方って我が家には全く無くて、私達が守って生きていきたいものを守れないのがわかった時には、手を取り合って死のう、みたいな。乗っていた大型客船が沈みそうな時に、争って救命ボートに乗るのはやめようとか。バカみたいな話ですが、この覚悟があると怖いものが無くなるんですよ。ま、我が家の死生観ですかね。

コロナウィルスに関しても同じで、駄目なら死ぬ。それもしょうがないじゃないかという考え方。でも当然、「リスク管理はしっかりやる」わけで、「大丈夫だよ、感染なんかしないよ」みたいな考え方は一切ありません。これは自分たちだけの問題ではなくて、自分の不注意が家族や他人の死につながることもあるから、絶対に妥協しません。

このブログには私は神経質なことばかり書いていますが、それは「リスク管理上当たり前」だと思っていて、でも毎日の生活はニコニコ能天気で暮らしています。

さぁ、来るなら来い、コロナウィルス!ってなもんです。(笑)

そもそも今の時点で自分が感染しているかどうかもわからない。感染していたとしても病院には行けない。重篤な症状にならなければ病院も受け入れないだろうし、そのまま放置して治るかもしれない。となれば、やっぱりやるべきことをするしか無いですよね。

我が家の考え方を書きましたが、「ええ~?そこまでやる?」と思った方も、「そんなんじゃ甘っちょろい」と思う方もいらっしゃるでしょう。でもま、我が家は上に書いたような感じでやってます。

 男児立志出郷関 
 学若無成不復還 
 埋骨何期墳墓地 
 人間到処有青山 

 
 
 

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