心配性の私は早い時期から備蓄を考えてそれなりに食料品や必需品を買っていましたが、でもそれは私の気まぐれレベルでしか無くて、ヨメさんも備蓄をしようと言い出してリストアップした内容は、私とは全く違う。
なるほどねぇ、主婦ってこういうものかと感心しました。
コロナウイルスの世界的蔓延は、やっぱり私が想像していたものより大きくて、マレーシアはまだまだコントロールできているように見えますが、個別の感染例を見てみますと、「感染したであろう時から最低3週間ぐらいは経たないと感染が確定しない」のがわかります。これは日本でも同じ。
「感染した」→「発症した」→「入院した」→「検査で陽性」→「メディアで公表」
という順序なわけですが、かなり日数が経っているのは間違いがない。また感染がわかった人(A)と「同席した」人(B)の感染がわかるのにも1週間程度の差があるケースも多い。これはAからBに移ったのではなくて「同じ状況にあった」という意味。
そしてAまたはBから感染したであろうC、D、Eの感染がわかるのにまた日数が掛かり、そこからF、Gも出てくるのにはもっと時間がかかる。
だからどうしたって、「我々が見ているのは3週間前の感染状況」なのは間違いがないと思うんですよ。
我々がわかるのは「感染が確定した数字」であって、「検査結果待ち」がどれほどいるのかわからないし、「症状がない感染者」も全くわからない。自分だって感染していない確証はない。
今の状況を見ても「酷いなぁ」と思うのに、「今わかる状況とは、実は3週間前の状況である」とした場合、では今どうなっているのか、その先どうなるのか、これを想定しないわけにはいかない。
少なくとも言えることは、「3週間前に、私はこの状況が来るとは想像していなかった」わけで、そこから考えても3週間後は「もっと酷くなる可能性を前提に考える」必要があると思っています。
でもいつかは収束するわけですが、それがいつ、どんなレベルで収束するのかは誰にもわからない。1-2週間が山場と世界でも言われた結果が今の状態で、この「様子を見ようという先延ばし」の考え方っていつまでも同じであると私は考えていて、もし1-2週間で収束の兆しが見えてくるにしても、「万が一の時には【籠城しても】一ヶ月程度は食いつなげる方法」を考えようと思っています。
市場から商品が消えることはないのはあの武漢でさえも同じで、ただ「余計な外出はしたくない」と考えた時に【それでやっていけるのかどうか】が重要。もちろん備蓄があるからと言って、「もう買い物には出ない」ということもない。
備蓄とは「買い物に出られない」「出たくない」「商品が手に入らない」という最悪の状況を考えての備蓄。スーパーに行っても何もないような状況はまずありえないと思っています。武漢でさえスーパーは営業を続けたのですから。でも我が家は「買い物に出たくない」と思った時には「出ない」で済むようにしたいだけ。
ということで、私やヨメさんが想定して考えた「備蓄」をもう少し増やそうかと考えています。
でもあれもこれもと考えているわけじゃなくて、備蓄しておいても大丈夫なような、「米」「麺類(パスタ含む)、ミソ・醤油、缶詰類程度。そして「健康補助食品」、例えばミネラルとビタミン、常備薬程度。
ま、大災害の時の為の備蓄と同じ様な考え方。
我が家族で「備蓄に消極的だった」のは長男で、「大丈夫だよ、デリバリで取ればいいじゃないか」と何度も言っていました。でも「デリバリで取れば良い」と考えるのは皆同じで、実店舗以上にデリバリで買うほうが難しくなると私は考えています。これは配達してくれるスーパーも、食事の出前も同じ。
今日も晩御飯はデリバリと考えていたのですが(週に一度は擂茶=レイチャ 笑)、「その地区にドライバーがいない」なんて表示が出たらしく(デリバリを頼むのは長男の仕事)、感染が蔓延すれば状況はもっと悪くなるであろうことは簡単に想像できる。
また私達のコンドには「ミニマート」があって、生活必需品は大体ここで揃うのですが、数週間前にちょっと商品供給が遅れていたこともあり、これとてどうなるかはわからない。休業する可能性だって無くはない。
これはレストランも同じで、すでに「客は少なくなっている」状況なのに、感染が広がる中でそのままいつまでも営業するわけがない。
ま、心配しすぎたところで困ることはないのははっきりしているし、日本人的に考えれば「災害時のための備蓄」は常識でもあるし、今一度、備蓄内容をチェックして揃えるべきものは揃えようと思っています。
問題は野菜類ですね。生鮮ものも備蓄は出来ない。ま、肉や魚の冷凍物は常に冷凍庫に入っている我が家ですが、これを増やしたくても冷凍庫はすでに満杯。(笑)
でも肉や魚が無くてもどうにでもなるので、米、麺類はちょっと多めに備蓄しようかと。そしてビタミンやミネラルがあればいいかな。あああ、卓上コンロのガスボンベも在庫は少なかったのを思い出した。
ひとつ脳裏に引っかかっているのは、マレーシアの生活インフラはちゃんと維持できるのかどうか。私達がマレーシアに渡ってから3年以上経ちますが、その間に、「断水」「停電」は何度も経験したわけで、もしそれが起きるほどまでになったらどうするべきか。これは私達家族3人だけではなくて、姉やオヤジも同じ。備蓄も含めて助け合わないとなりませんが、そこまで酷くならないように「願う、祈る」だけで良いのかどうか。
どこかに避難するにしても、考えることは皆同じで、マレーシアってどんな国なのかさっぱりわかっていない我が家はどうすることもできない。そして「政府の公式発表や情報は【マレー語である】のが普通」でチンプンカンプン。全国どこでもスマホがちゃんと動いて「翻訳」が出来れば良いのですが。
また我々の滞在ステータスであるMM2Hは「長期観光ビザに毛が生えただけのビザ」でしかなくてマレーシア政府がしっかり守るわけもない。所詮、「何か起きたら帰ってね」というビザ。これは就労ビザとて同じで、「永住権があるか無いか」という差を見せつけられる時が来るかもしれない。
ま、それもまた「海外に住むリスク」でもあるわけで、マレーシアでも「あなたは日本人?」と聞かれ、目立つ差別は起きていないにしてもローカルの人達が「区別を考える」のは、我々が中国人に対する不安を持つのと同じで、それで私達に行動の制限が起きてもこれもまた仕方のないこと。
「問題があると思うなら、さっさと帰れば?」「貴方の国に助けを求めるべき」と言われるのが我々の立場。
でも私達家族はとっくのとうに「海外生活で持つべき死生観」ってのを持っていて、
男児立志出郷関
学若無成死不還
埋骨豈惟墳墓地
人間到処有青山
が基本にあります。「しょうがない」というより「積極的にそれを受け入れる」という考え方です。
でもその原点にあるのは「自己責任」で、誰もあてにしないのが基本。
助け合いも非常に重要だけれど、力もなく無防備な人の集まりでは非常時にはどうにもならない。大切なのは「強い人達の集まり」であって傷をなめ合う集まりは何の意味もない。
そういう意味で「日本人会」というのは大事で、遊びや退屈しのぎのためだけの集まりではない。でもマレーシアの日本人会がどういう理念で何をやっているのか私は会員だけれど、知らない。ただ言えることは「日本人会では法人の力が圧倒的に強く、バックグラウンドのない個人はおざなりにされる」のが普通。(これはゴールドコーストでも同じだった)
日本では災害が多いですから国も自治体も「備蓄」を持っていますが、さてマレーシアのマイノリティーである日本人があてに出来るものがあるのかどうか。このへんが私にはさっぱりわかりませんので、自己責任、あるいは同じ様な境遇の者同士でなんらかの対策は持っていてしかるべきだと思っています。
ジジババの集まりは大小いろいろあるようだけれど、なにか起きた時の「支援」を考えているところはあるのかな。
うーむ、私も随分とお世話になって恩義を感じているグループがあるから、私に何が出来るかそのへんも考えてみますかね。