我がコンドの「濃厚接触者」が規則を守らず問題を起こした

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私達が住むコンドで(サバ州に行って)「濃厚接触者」とされ、そしてその後「感染確定」した住人がいるのは前に書いた通り。そしてその本人は(多分)入院しているはず。

問題は、この感染者と同居していた人。

当然、この人は新たな「濃厚接触者」として認定され、赤いリストバンドを装着し、「自宅待機」をしなければならないわけですが、この人が自由に動き回っていたのがわかりました。

ある日、その住人は「外部から来た友人」を迎えにゲートに行き、その時にセキュリティーに「部屋に戻るように」言われても言うことを聞かずに一悶着あったようす。そして要請を無視してバトミントンコートを使ったらしい。バトミントンをするために友人を招いたんでしょう。

こういう人がいるんですねぇ。

その後マネージメントはバトミントンコート、エレベータホール、エレベータ、ゲート、隣接しているレストランなど広範囲の消毒をした様子。

その人がその後どうなったのかわかりませんが、当局(MOH)に報告したとか、連行されたとかそういうことはマネージメントのレポートには書いていない。

自分が規則をどう思うかなんて関係なくて、規則は守るのが当たり前じゃないですかね。

規則が間違えていると思うのなら、その規則を作った当局にそれをアピールするべきで、規則を守ろうとする人たちに文句を言ったり議論をふっかけてもしょうがない。

コロナは大したことなかろうが、風邪と同じだろうが、「安全を確保したい人、罹りたくない人の【権利】や【気持ち】」を無視して欲しくないと思います。ましてや規則は規則。

この話を聞いてすぐに思い出したのがホリエモン。

彼はいつも「俺は世の中のことを正しく理解している」という自信たっぷりの上から目線で言いたいことを言いますが、それは彼の勝手で良いにしても「友人と行った餃子店」で「マスクをしていないと入店できない」(「マスク未着用の方はお断り」という張り紙がある)という店主と議論をして問題になっている。その後、彼はSNSに「マジやばいコロナ脳。狂ってる」とあえてその出来事を書き、それに賛同する人たちが店をバッシングした。そして店は休業。

あのニュースを知った時も「ホリエモンってやっぱり馬鹿じゃないのか」と思いました。あの議論好きのホリエモンにいろいろ言われれば私は店主が強い語句を発するであろうことは容易に想像できるし、店には「客を選ぶ権利」もあれば「他の客を守る」「店を守る」ことが大事なのをホリエモンは全く理解できていない。というか理解してもあの調子で議論を持ちかけられれば、相手は何を感じるかはすぐわかるはず。彼にしてみれば「説明を求めただけ」かもしれませんが、説明を求める必要さえないと私は思う。そして彼は店主を「マジやばいコロナ脳。狂ってる」とSNSで罵倒したのは、私は犯罪と言っても良いと思うくらい。

世の中に訴えたいことがあるにしろ、そこで「スケープゴートとなった餃子店の権利や思い」は完全に無視したのは明らか。私はこれは重罪だと思っています。飛行機の中でマスクをせずに問題になったあのケースも同じ。

また韓国で今問題になっている「韓国外相の夫がヨットを買うためにアメリカに行った(アメリカでヨットを購入した後、友人らとヨットに乗り、カリブ海などにクルーズに行く計画)」のも思い出しました。本人は「コロナが一日や二日でなくなるわけではないでしょう? それなのに、毎日家でただじっとしているばかりではいけないから」と空港でのインタビューに答えてアメリカへ飛んだ。国民は「海外渡航も自粛」させられているのに。

なんだか、我がコンドのその住人も、ホリエモンも、外相の夫も「自分が正しいと思うことはやっても構わない」という傲慢さを感じます。あるいは周りを引き込んで迷惑をかけても「世の中に主張すべきことがある」と思っているのか。もしそうだとしたら、これってテロリストの発想だと思うわけです。あるいは「世の中を変えるためには犠牲は必要」という革命家の発想なのか。

変異を続けている今回のコロナですが、その実態を正確に把握している専門家はいるんでしょうか。きっといるのだろうとは思いますが、専門家の中でも意見はいろいろ。それにプラスして専門外の人たちがああじゃこうじゃと持論を展開。

そういう情報過多の中で、素人の我々に何がわかるんでしょうか。調べ魔の私としては調べれば調べるほど「自分にはわからないということがわかる」だけ。

まさか多数決で決めるわけにも行かず、「なんとなく納得できる意見を正しいと思いがち」ですが、それとて何の根拠もないと言えば無いんじゃないですかね。私は「規制は厳しく行うべき」なのか「規制は一切必要ないのか」もわからない。バカ丸出しです。

それでもああせいこうせい、あれはするな、これも必要ないと断定出来るって、自分は神のつもりか?とさえ私は思う。また自分の考え方を相手に飲ませるために【過激な言い方をする】のは私は幼児性の現れとしか言いようがないと思う。これは「コロナ恐怖症」の人にも同じことが言えるはず。

ま、自分がどう考えるのかはその人の勝手。

ただ他人がどう考えるのか、どう行動するのかに関してまで口出しするのは、やっぱり私には傲慢としか思えない。そして「規則や法律を守る」ことから逸脱するべきじゃないと思う。規則や法律が間違えていると信じるなら、それを決めた当局と議論をするべき。でも当局を動かすには「世論を動かす必要がある」ということなのかもね。

少なくとも命に危険を感じる人は間違いなく存在するし、愛する人を絶対に守ると心に誓った人も多い中、そういう人たちをバカにするような言動を私は認めようとは全く思わない。

「俺はこう思う」と言うのならそれで十分。でも決まり事は守るべきだし、汚い言葉を使って、規則を守ろうとする人たち、自分とは違う考えを持つ人達を罵倒するのは筋が違う。

言いたいことをいつも言う私としては「頭がイカれているのはお前の方だろう」と言いたい。(笑)

私達が考えるべきなのは、コロナそのものではなくて、人の感情、心理かもしれない。私はホリエモンが言うことが全て間違えているとは全く思っていなくて、世の中の「心配しすぎの傾向」は間違いなくあると思う。でもその基本にあるのは「人の感情、心理」であって、コロナを理解すればどうにかなることでもないんじゃないですかね。私の「オバケが怖い症候群」を治すすべがあるのなら、コロナに異常に反応する人たちも変えることができるのかもしれない。

少なくとも「お前、バッカじゃないの?」と言い続けてもそれで解決はしない。

福島の放射能汚染水もそうだし、あるいは子供向けのワクチンで「副作用で5万人に一人は死ぬ」場合、それを理由にワクチンをしないと決める人は少なくない。

ワクチンと言えば、コロナのワクチンも同じで、「やっと出来た~」なんて1億人がそれを受けた場合、そのワクチンによる死亡者がコロナの死亡者を大きく上回ることさえ起きるかもしれない。十万人単位の死亡者が出ている国ならまだしも、日本の場合は2000人以下なわけで、「ワクチンは受けないいほうが良かった」なんて可能性も考える必要がある。

とにかく私にはわからないことばかりで、どうあるべきかもわからない。

ただ「危険があるなら、それに近づきたくない」と思うだけ。そして「家族は絶対に守る」のは私が命を賭けやるべきこと。

志村けん氏やデザイナーの高田賢三氏に起きたことや、かつてスペイン風邪で5000万人が死んだことを私は無視できないのだけれど、そして武漢やイタリアで起きたことは映像や写真で嫌ってほど見たし、ああいうことが自分たちには起きないと考えるほうが私には不思議に思えるわけです。

新型コロナは「弱毒化している」という主張を信じたいけれど、それに反論する専門家もいるし、私達は「自分が信じたいことを信じようとする傾向がある」のを忘れてはならないんじゃないですかね。

ま、私としては「数字を重視しよう」とは思っていますが、「数字を重視すると危険ではないのがわかる」という人たちには、武漢やイタリアでのことやスペイン風邪で5000万人が死んだことをどう説明するのか、ちゃんとした「大丈夫だという根拠」を示して欲しい。

ま、少なくとも「ルールは守る」のは基本にして欲しい。
 
 
 

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