昨日(11月6日)のマレーシアの感染者数を見ていませんでした。
で、さきほど見てびっくり。そろそろ減るかなと思っていたのと逆で1755人!
でもま、多くはサバ州であり、サバ州と言えばマレーシアの中では外国みたいなもので、なおかつ「刑務所」での蔓延が多い。
今マレーシアではCMCO(条件付き行動制限令)が発動中で、私達は好き勝手に国内を行き来できませんから、今の状態ならサバ州から全国に拡散する可能性を心配する必要はないのかもしれない。今の時点ではということですが。
感染の広がりを数値で見る時に「RO(基本再生産数)」が利用されますが、マレーシアのそれを見ると「ヤバいじゃん」状態。
でもこれはマレーシア全体で見た場合であって、全国的に同じ様に感染が広がっている状態ではないのにこのグラフを見てドキドキする必要もないと思っています。それこそマレーシアはマレーシア、日本は日本、アメリカはアメリカなのに「世界全体のRO(基本再生産数)」を見てもさほど意味がないのと同じじゃないかと。
本来見るべきは、もっと小さな範囲じゃないですかね。州であり、あるいは都市で見るべきで、「広い地域を平均化」して見ると実態がわからない。
そういう意味で、クアラルンプールはまだ大騒ぎするほどじゃないと思ったり。う~~む、そうでもないか。絶対数は大きくないにしても、スランゴール+KLの数字は増えているし。
しかしま、こういう数字を毎日見て一喜一憂したところで何が変わるわけでもなく、「自分の生活」もすでにパターン化されていて、感染が広がろうが収まろうが当分それが変わることはないし、そして我々がマレーシアの決定に愚痴は言えても参加することはできないし、その日その日を有意義に過ごすことを考えるべきなんでしょうねぇ。
今の我が家の生活パターン。これが我が家の「New normal」なんだろうけれど、マハティールさんがかなり早い時期に「New normal」の中でどう生きるかを【探すしか無い】と断定していたのが気になります。
我が家のnew normalはやっぱり「暫定的」でしかないわけで、まさかこれが今後もずーっと続くという想定はしていない。つまりNew normalではないんですよね。
でもマハティールさんが言ったNew normalはそれとは違う。「その中で時を待て」ではなくて「その中で生きる道を探せ」と。
この切り替えができる人のみが生き残ることになるのか。
「(もとに戻るのを)待つな」というのは私も理屈としては賛成だけれど、実際にそれが出来るのかどうかは疑問。
外出や旅行が好きに出来ない。家族に合うことも出来ない。日本と行ったり来たりも出来ない。
その場合、我が家の選択は決まっていて「マレーシアに根を下ろす」ことになるのだけれど、同じMM2Hで来ている人たちは「遊び」で来ているケースが殆どで、もし「元に戻るのを待つのは得策ではない」としたら、「帰国する」しかないんじゃないですかね。
少なくとも、今、今日のこの瞬間、自分が満足できているのか出来ていないのかが鍵を握るんでしょう。
「コロナはいつか収まるはず」とそれだけを信じて「待ち続ける」のが良いのかどうか、私には全くわからない。
しかし、この一年は時間がすぎるのが本当に早い。あっという間。
これまでのように心配したり、安心したり、期待したり、そしてまた不安に戻ったりって、目の前の移り変わりばかりに気を取られているから「時の流れが早く感じる」わけだけど、これが今後、数年続くという想定は誰もしていないはず。でも「続くかもしれない」という前提で計画を練るほうが正解じゃないんですかね。
マハティールさんのあの言葉が重く感じられます。
我が家も「マレーシアを出るべきだ」と考える時が来るんだろうか。その時は日本に行くか、オーストラリアに行くか。う~~む、全くわからない。というか「考えたくない」と思う。
思考停止状態。
いやいや「積極的に【流れに身を任す】選択をした」というべきか。(笑)