ま、ワクチンに限らず、世の中は「デマ」って多いですよね。「デマとは信じてならないもの」と誰でもが思う。
ここで問題は「それはデマである」と誰がどう決めるのかってことじゃないんですかね。
今回のワクチンは「本来、やるべき治験データの積み重ねがない」わけで、【何が起きるかは誰にもわからない】と言っても言いすぎじゃないと思うんですよ。
そういうワクチンを広めることは出来ないし、「本来は広めるべきではない」から日本に限らず、世界中で徹底的に治験をしてデータを集め、評価し、そして「審査」「認可」を経て世に出すわけで、99%の医師、専門家が「問題はない」と言っても、では「治験はせずにそのまま行きましょう」とはならない。
でも今回は緊急事態なので、超法規的措置を取った。
つまり何が起きるかは誰にもわからない状態で見切り発車したわけで、「何か困ることも起きるんじゃないか」と考えるほうが私はまともだと思うわけです。でもワクチンに詳しい専門家は「ほぼ大丈夫だろう」と考えるだけの経験や知識があるにしても、それさえも「本来は認めない」のが世界のお約束で、だから十分な治験をする。
今回のワクチンは、数種類の性質が違うワクチンがありますが、「どれが安全でどれが危険か」という考え方も意味がないと思うんですよ。差は間違いなくあるにしても、どちらも「何が起きるかわからない」「十分な治験データはない」ということで同じなはず。
ワクチンに疑問を持つ人達は「妊産婦に影響があるんじゃないか」とか、「抗体依存性感染増強現象(ワクチンが広まった国で感染爆発が起きている)」が起きているようだと、そういうニュースが気になるわけですが、世の中はこれを「デマ」と否定する。
ここもちゃんと見て欲しいんですよ。
「こういう副反応、副作用がある」と断定しているわけではなく、「そういう疑念がある」という人が大半なのに、「疑念をデマだ」と言われても困るのね。
中には「妊産婦に影響があると思うなら、その証拠を出せ」という人が出てくる。
ちょっと待ってくれ。
「疑念が生まれる証拠を出す必要なんかない」んじゃないんですかね。逆に、そういう疑念があるとしたら、「それは心配する必要はありません」と「証拠を出す」のはワクチン推奨派がすべきことでしょう。それがまさに医師に課さられている「説明責任」じゃない?「グタグタ言わずに、この薬を飲め」なんてことは認められない。
十分な説明をし、疑念を晴らす責任があるのは、医師側であるというのを忘れてしまっちゃ困る。
でも十分な治験をしたわけじゃないから、「大丈夫だという証拠も無い」んじゃない?
これに関して厚労省はなんと言っているのか。厚労省のホームページのここを見てみましょう。
安全性について
主な副反応は、注射した部分の痛み(※)、頭痛、関節や筋肉の痛み、疲労、寒気、発熱等があります。
(※)接種直後よりも接種翌日に痛みを感じる方が多いです。接種後1週間程度経ってから、痛みや腫れなどが起きることもあります。
また、まれに起こる重大な副反応として、ショックやアナフィラキシーがあります。
なお、本ワクチンは、新しい種類のワクチンのため、これまでに明らかになっていない症状が出る可能性があります。接種後に気になる症状を認めた場合は、接種医あるいはかかりつけ医に相談しましょう。
疑念を持つな、それはデマだと言う前に、この厚労省の「可能性がある」という意味を説明してほしい。
そういう意味では河野大臣の「ワクチンに関するデマはひとつひとつ潰していく」と明言したのは良いと思うわけで、それが多くの人たちの望むこと。細かいことを言えば、「潰す」という言い方は疑念を持つ人達を侮辱しているとも思えるのだけれど、ま、納得がいくような科学的な説明をして欲しい。
ただそんなのは簡単にはいかない、なんてのも誰しもがわかっているわけで、それが出来るなら今の時点でこんな話も出てこないはず。
そんなときに、新たなニュース。
国内の医師ら450人がワクチン接種中止を求めて嘆願書を提出
新型コロナウイルスワクチンの安全性に懸念を訴える全国の医師ら計450人が24日、連名で接種中止を求める嘆願書を厚生労働省に提出した。
嘆願書に同意したのは国内の医師390人と地方議員60人で、発起人の高橋徳・米ウィスコンシン医科大名誉教授(クリニック徳院長)は同日午後に国会内で会見。「死亡率が非常に低く、感染者の80%が軽症にもかかわらず、安全性もまだ分かっていない遺伝子ワクチンを国民全員に接種させる必要があるのか疑問だ」と説明。
この日は河野太郎ワクチン担当相が自身のブログを更新し、ワクチン接種を巡って「医師免許を持っているにもかかわらず、デマを流す人もいます」と批判。「長期的な安全性がわからない」などの意見も具体例に挙げたが、高橋氏は「情報の出所は厚労省のホームページ」と話し、他の医師からも「大臣がデマだと言い切る根拠は何か」と驚きの声が上がった。
このニュースはあの「サンスポ」で、他の大手のメディアは積極的にこれを報道していない。なぜ?
河野大臣はワクチンを推進する側だから「ポジショントークがある」のが当たり前で、大臣という権威を利用しているとは言いたくないけれど、「つべこべ言うな、ワクチンを打て」という【都合】は誰にでも見えてしまう。
「じゃ、ワクチンを打たずにどうすんだよ」とまた短絡的な考え方も出てくるとは思いますが、それっていくらお腹が空いていても「眼の前の毒まんじゅうを食べる理由にはならない」のと同じでしょう。
私はどのワクチンにしても「何が起きるかわからない」と思っていて、そういう意味で、厚労省の「本ワクチンは、新しい種類のワクチンのため、これまでに明らかになっていない症状が出る可能性があります」という言葉が正直に全てを語っていると思うわけです。
どちらにしても白黒つけるのは簡単ではなくて、それこそ何年も掛かることなんでしょう。だからそうやって一般的なワクチンは何年も掛けて治験を重ねるという歴史がある。
「自己責任で決める」
それしかないわけで、選択肢は3つ。
○ ワクチンを打つ
○ ワクチンは打たない
○ 様子を見る
私は三番目の「様子を見る」という選択肢を選んでいるだけで、ワクチンが安全とは思っていないものの、危険なのかも【わからない】【判断のしようがない】と思っています。
ただ気になるのは、「ワクチンを打て」という強制、同調圧力、打っていない人たちへの差別がどれほど大きくなるかってところ。
あちこちでワクチンパスポートに準じるものが出てきそうな動きがありますが、正直なところ、それはやりすぎだと思ってはいるものの、「思うように移動もできずに困っている」人も多く、また旅行業界に代表されるように「経済的打撃が半端じゃない」ところが苦肉の策としてそれに望みをかけるしか無いのもわかるし、私には許容範囲。
当然、行動制限に我慢ができない人がワクチン接種を選ぶのも人それぞれの都合やリスクの考え方が違うわけだから、私がとやかくいうことでもなし。
ただ最近、ちょっと気になるのは「ワクチンの危険性」を話すのも自由だとは思うものの、「もうすでにワクチンを接種した人がそれを見たら何を思うのか」ってこと。これを無視してはならないけれど、でもそれを重視したら何も話せなくなるわけで、困ったなぁと。
どのワクチンにはどんな危険性がある、なんて研究機関や大学、あるいは専門家の報告も話せなくなる。
実際に、ワクチンを打った人で、自分が打ったXXX製のワクチンは大丈夫だと、自分に言い聞かせるようなことを書いていると感じるブログもあちこちに出てきている。また疑念を持つ人とは逆に「大丈夫、問題ない」という発言をあえて探しているような。
ま、そういうこともあるから河野大臣は「疑念」を「デマだ」と強い口調で否定するしか無いのだろうとは思うけれど、益々、事実探求は「やってはいけないことの様に」隅の方に追いやられてしまうのが気になっています。