私達の世界ってこれが「普通」だったんですかね。
かつては情報といえば「新聞」か「テレビ・ラジオ」しかなくて、また「週刊誌・月刊誌」「専門書」がそれを補っていた。
それらを見ていれば、「世の中に何が起きているのか」わかるし、「多くの考え方」もわかると思っていた。
ところがネットの世界がどんどん大きくなって、情報量が増えて来て、その世界は玉石混交で「何が事実なのか」を知るのはかなり難しくなってきたけれど、間違いがないのは「自分が今まで見てきたのは【世界の一部、一面だけだった】」ってこと。
いい加減な人たちが面白がって偽情報を出すこともあるにしても、本来なら「表に出てこない情報」もあるのがわかってきた。そして、私が想像していた以上に世界は「情報戦」を昔からやっていたのもわかってきて、プロパガンダ、洗脳、誘導は常に行われてきたのが世界の歴史なのも見えてきた。武力がぶつかる戦争というのは「そういう戦いの一部でしか無い」のもわかってきた。
ましてや「勝てば官軍」なのは人類史上、変化はなくて、「勝者が勝者の立場で歴史を作る」のもよ~くわかってきたし、それが真実かどうかは全く関係ない。
私が知っている「世界の歴史」や「真相」ってのはそういうものでしかなくて、本当は「何も知らない」「何も知らされていない」のもわかってきた。
でもネットがあれば、「真実を垣間見ることはできるかもしれない」と思っていたんですよ。
ところが2020年のアメリカ大統領選挙では、自由なはずのネットでさえも「情報統制」が凄くて、「XXX」「YYY」に関しては口に出してはいけないと。それがフェイスブックであり、ツイッターであり、ユーチューブ。彼らになんの権利があるのか私にはわからないけれど、彼らが「善悪」「真偽」の基準を作り、それに反するものは排除してきた。「大統領選挙に不正があった」というんじゃないんですよ。「疑惑があるのなら調査するべき」という論調でさえも無視されてきた。なおかつそれを補助するがごとく、親衛隊みたいな一般人がこういうカスみたいなブログにも出てきて文句を言う状態だった。
恐ろしいと思いましたよ。
でもフェイスブック、ツイッター、ユーチューブの様に情報の伝達が非常に早く、世界の隅々までそれを伝える事ができるメディアが「無法地帯」になったとしたらどうなるのか。
それを考えれば、彼らは「勝者側が決める基準」に従順でなければ生き延びるのは難しいのかもね。
それはわかるのだけれど、彼らの基準って私には異常にしか思えない。
若い人にこの喩えはわからないかもしれないけれど、「大本営発表」という言い方がある。これは日本が軍国主義だった頃、大本営が発表することのみが正しくて、それ以外のことは抹殺された。そして異論を唱える人たちは次々と逮捕されて、そして世論は形成されていったのね。真珠湾攻撃だって、すでに「開戦やむなし」の雰囲気は醸成されていたし、太平洋戦争の緒戦で日本が負けるようになっても「連戦連勝」と報道され、日本国民は舞い上がってしまった。その片棒を担いだのがあの朝日新聞。
私は今の「ワクチンを打て」という世界の潮流がまさにそれと同じに思えるんですよ。
これに対して反論、あるいは「他の考え方もある」と主張したら【ユーチュブから削除される】ことがまた起きている。
昨日のこのブログで、私はあるユーチューブの動画を紹介しました。これは「ワクチンに反対している」わけでもなく、インドが突然、感染者も減ったのは「イベルメクチン」かもしれない。そういう「ワクチン以外の方法にも目を向けるべきだ」という主張をしただけ。
また世界を騒がせている「デルタ株」ですが、このデルタ株を今のワクチンで制御するのは難しいという「研究発表」がなされ、それをニューヨークタイムズが記事にした。それを動画で紹介しただけで、その動画は削除対象となり、チャンネルそものが1週間の活動停止(Ban対象)となってしまった。
こんなのありか?
昨日の日記はこれ。
古いエントリーが表示されているかもしれないので、是非、「投稿日」を確認してください 世の中を見ていると「ワクチン=救世主…
この中で紹介した動画はユーチューブによって速攻で削除されましたが、動画の主が同じ動画をニコニコ動画に出したので、それを紹介します。
この内容も考えさせられるものだと私は思うのと同時に、この程度で「検閲対象となり削除されるという事実」を知るのも大事だと思います。
私達はこういう「情報統制された世界」で生きてきたんですね。これからも同じなのか・・・。
私は若い頃から「サファリパークの中で飼われる動物のようになりたくない」と考え続けて、今があるのだけれど、所詮、それは無理なのか、そんな気がしてなりません。
「長いものには巻かれろ」という人生訓がありますが、私はこれが大嫌いで、「長いものは【それが正しいように錯覚させられている】」とさえ思っています。そして「長いものほど【正しいような気がする】」のね。ここに大きな落とし穴があると【いつも】感じています。
人の行く 裏に道あり 花の山