新型コロナ。どうかこのまま終息に向かいますように・・・

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日本もマレーシアも、そして多くの国が「規制緩和」へと動いた。

日本もマレーシアも不思議なことに「感染者も死亡者も激減」。なんなんでしょうね。今までは「とんでもないことになる」と試算していた専門家も、この減少の理由がはっきりわからず、ワクチンが効いているだの、人流の変化だのと、私には苦しいこじつけにしか思えず。

これって今までも同じで、第三波、第四波、第五波と波が来ましたが、この波が大きくなる時、そして引いていく時も【これが原因だ】とはっきりわかるものはなかったと思っています。専門家はもちろん理由付けをしますが、私はそれに納得ができず。だって「ズレ」が大きく(新たな方針を発表した瞬間、数字が減るとか)、また方策がまるで効かないこともあったから。でもそれら全部がある日突然効いて、数値が下がるようなことが起きている。

ま、ワクチンが全く効いていないなんてことは私も考えてはおらず、効き目は確かにあるのは様々な世界のデータから見える。でも私達が当初期待していたのとは違って、ブレイクスルー感染は多い。でも重篤者・死亡者は減っている程度。でもま、それだけでも凄いことだとは思っていますが、そろそろ「ワクチンの効き目が切れる頃」でもあって「ワクチンを打ったからもう大丈夫ということではない」のは明らか。また、抗体の効き目が違う変異種の出現があるかどうかともわからず、専門家は「出てくるのを前提」として考えるのも理解できる。ここですんなり全てが終わるわけもないんでしょう。

でも目先の危機の減少を日本もマレーシアも大歓迎で、どんどん規制緩和が行われている。

そしてそれを待っていた人たちも大喜び。ワクチンパスポートを持っていない我が家みたいなのはまだ問題があるにしても、今はもう少数派で大した問題とはならない。

でもね、やっぱり違和感があります。

ワクチンパスポートもちょっと考えればわかることとして、「いつまで有効なのか」という議論が出てこない。一度打てばそれで良いというわけではないのは皆が知っているのに、有効期限の話にはならない。

またワクチンがコロナをやっつけるわけでもなく、「ワクチンは抗体を作るため」であるわけだから、本来は「どのくらいの抗体を持っているのかが大事」なんじゃないですかね。最近は「抗体の個人差」とか「どの程度もつのか」の研究発表もちらほら出ていますが、本来なら、「抗体を調べ、【抗体パスポート】をだすべき」じゃないんですかね。レポートの中には「ワクチンを打ったのに抗体がゼロのケースもある」のがわかっている。ワクチンの効きはそれぞれなのに、「ワクチンを打っている人は一律オッケイ」というなんともまぁ、いい加減なシステムだと思います。そして期限も決まっていない。

でも早く自分もそれを手に入れて自由に行動したいと考える人は、ワクチンパスポートがいかにいい加減なものかなんてどうでも良いんでしょう。これって手に入れれば良いで済ませて良いものなんだろうか。でもそれを手に入れるためにワクチンを打つ人も多いし、世間はそう考えるように誘導する。当然、ワクチンそのもの危険性は無視。

でも「持っている抗体の違いでパスポートを出すべき」という議論は聞いたこともない。

これって「臭いもの、面倒くさいものには【蓋をしよう】という考え方」そのものだと思うんですよ。これって「お金儲け」と同じで、「儲かればどんな手を使っても良いじゃない」という考え方と全く同じだと私は感じるわけです。

「政府の経済再生ありきの決定」でしかないってことですよね。また規制緩和を喜ぶ人たちも、「緩和を喜んでいる」のであって、「コロナの動きを喜んでいるわけじゃない」んじゃない?

私がここにはっきり見えるのは「それぞれのエゴ」だけ。そしてコロナウィルスがニヤニヤ笑いながら次の攻撃の準備をしているような気がしてなりません。

去年、コロナが広まり始めた頃、「規制をするべきじゃない」と声を上げた人たちは多い。でもそれは少数意見として封じ込まれた。

でも今、コロナの状況はあの当時と比べて格段に良くなったわけでもないどころか、遥かに悪い状態なのに、「規制に疲れた人たち」は【緩和。\(^o^)/】の大合唱。

結局、規制が厳しかろうが全くなかろうが「個人が気をつけていれば大丈夫だろう」という考え方を誰しもが持っていたという証拠じゃないんですかね。実は私は今でもそう思っているわけです。

でも「規制はするべきではない」とは思わなかったし、それを主張する人たちには反対の立場でした。なぜなら、皆が皆、注意を払って行動するわけではないし、危機感も人それぞれだと思ったから。

かといってコロナが世の中からなくなるわけではないし、「いつかは共に生きることを受け入れる日が来る」とは思っていました。ただそれには「時間が必要なだけ」だと。

そして今、その必要な時間は過ぎたのでしょう。多くの人が「規制をしなくても良い」と考え、緩和、中止には両手を上げて大賛成。

これを私がどう考えるかですが、皆が「コロナとの全面戦争に入ることを容認した」ということだと思うんです。つまり規制をして「逃げることはもうしない」と決めた。

上に書いたワクチンパスポートも問題がいろいろあるのに社会はそれを受け入れようとしているってことは、「もうビクビクするのには飽きた」ということでしかないと思うんですよ。そして政府も「これ以上の経済停滞を受け入れるわけには行かない」と決めたのでしょう。

今後は、次の波が押し寄せても規制緩和はしないと思う。誰が言い出したか知りませんが、一般の人たちも「With コロナの時代だ」というようになった。これがどういう意味なのか私には良くわからないのですが、「ロックダウンや自粛要請もしない」、「新たな波が来てもそれぞれがそれと戦う」時代を容認したのかと思うしか無い。

ま、コロナに感染するのも自己責任と考える私にしてみれば、多くの人たちが自己の責任においてコロナと戦うと宣言したのと同じで、それはそれで良いと思うのですが・・・・。

またここでも弱者は切られるのだろうと思う。弱肉強食の世界は今も健在。

こういう世界の動きに反しているのがオーストラリアでありニュージーランド。ニュージーランドの大都市オークランドで感染者が一人出ただけでロックダウンをしたのはいささか驚きましたが、そういう方策が良いとは私は思わないのだけれど、そういう風に決める国もあるのは忘れてはならないし、彼らの意図に私達も耳を傾ける必要はあると思っています。

規制が緩和され、自由に動けるなら\(^o^)/ってなんかおかしいと思うのは私だけなのかなぁ。恐怖心が勝っている時には「規制は当然」で、規制に飽き飽きしてきたら「緩和は\(^o^)/」って、それが人の心理だとは思うのだけれど・・・。

またかつては一日1000人の新規陽性者数で騒いでいたのに、今は1万人でも慣れちゃっているのが面白いと思います。

規制緩和は「もう打つ手なし」「経済を救うにはこれしかない」と降参したという意味だろうと思っている私(ノルウェイもインフルエンザと同等に扱うと発表があった)。そして降参するには時期が重要で、数値が悪くなっている時には言えないこと。でも今なら言えるし、反発は起こらない。というか多くの人は「降参したことに気が付かない」んじゃないですかね。「規制が緩和されたほうに気が向いている」んじゃない?

減ってきたとは言いつつ、マレーシアの死亡者は世界のトップクラスを爆進中。またこういう下降線がそのまま続いた例は私はインドしか知らず、他の国々は「期待が裏切られるのが普通」なのも変わらず。

ワクチンは様子見を決め込んでいた私の姉ですが、「ワクチンパスポートがないと生活できないからワクチンを打つと決めた」と連絡がありました。私としては複雑な気持ちですが、姉は姉。年寄りは好きにすれば良いとも思うし。(笑)

ま、世の中の流れに身を任せて生きるしかないのはわかっているものの、なんだかなぁ、私は大きな違和感を感じるし納得できないことばかりなり。

私達には「もう打つ手がない」のは明らかですし、政府を頼ることも出来ず、せめてこのままで再び大きな波が来ないことを祈りたいと思うのと同時に、どうにかイベルメクチンを含む新たな治療薬予防薬が【早く】でてくることを願うばかりなり。

日本もマレーシアも「規制緩和は間違えだった」なんてことにならないことを心の底から願っています。

我が家は我が家のNew Normalに従って今まで通り生活するのみ。でもこの生き方って将来に光が見えないわけで、このままで良いとも思わず。時間は止まったまま。

 

 

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