「インドの論理」から見える今までの世界とこれからの世界

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インドってちょっと変わった国だという印象を私は持っています。

悪く言えば「八方美人」で、そして「したたか」。西側とくっついたり東側にくっついたり、でもそれが「発展途上国の生きる道」だと思うし、イデオロギーで凝り固まってもそれで国が発展するとは思えず。多くの日本人は韓国を「事大主義の国」と馬鹿にしますが【寄らば大樹の陰】で利益追求するのは日本も同じ。日本は「強いジャイアン」に常に寄り添って、威張っているツネオみたいなもんでしょうか。(笑)

近年、インドの存在感が増していますが、そもそも彼らの根底にある考え方はなんなのか、それが見えてくる動画がありました。

私はこれを見て、感動したくらいです。国のあるべき姿をはっきり主張している。また太平洋戦争後の日本の責任を追求した「(いい加減な)東京裁判」ですが、インド出身のパール判事だけが、「無罪」を主張したのにも【同じ流れ】を感じました。

【道義的に正しくあることが重要だ】と、一言で言えばそういうことだと思いますが、ちなみにパール判事は日本の味方をしたわけでもなく、連合国側の暴挙を見逃すべきではないという主張だったのね。

でも私が「日本って一体何をしたのか」と悩んでいた若い頃、パール判事の言葉に救われたのは一生忘れません。

インド極東国際軍事裁判判事 ラダ・ビノード・パール

要するに彼ら(欧米諸国)は日本が侵略戦争を行ったということを歴史に留めることによって、自分らのアジア侵略の正当性を誇示すると同時に、日本の十七年間(昭和3~20年、東京裁判の審理期間)の一切を罪悪と烙印することが目的であったに違いない。

私は1928年から1945年までの十七年間の歴史を二年七ヶ月かかって調べた。この中にはおそらく日本人の知らなかった問題もある。それを私は判決文の中に綴った。

その私の歴史を読めば、欧米こそが憎むべきアジア侵略の張本人であるということがわかるはずだ。

それなのに、あなた方(日本人のこと)は自分らの子孫に「日本は犯罪を犯したのだ」「日本は侵略の暴挙を敢えてしたのだ」と教えている。

満州事変から大東亜戦争に至る真実の歴史を、どうか私の判決文を通して十分研究していただきたい。日本の子弟がゆがめられた罪悪感を背負って、卑屈、頽廃に流されていくのを私は平然として見過ごすわけにはゆかない。

あやまられた彼らの宣伝の欺瞞を払拭せよ。あやまられた歴史は書き変えなければならない。

(昭和二十七年11月5日 広島高等裁判所での講演)
 

私が若い頃、この東京裁判は事件が起きたあとに作られた法律(事後法)によって裁かれた【日本叩き】の最たるものだと思っていましたが、判事の中に「無罪判決」を出したパール判事のことは知りませんでした。

でもこの講演の言葉、そしていろいろ調べるうちに、「これが事実だったのか」と思うようになった経緯があります。でもパール判事もそうですが、「日本が正しい、悪いことは何もしていない」とは言っていないのね。どちらかといえば、日本には批判的であったという専門家もいる。

とにかくパール判事は「真実」にこだわったことだけはわかる。そして「誠実であること」を大事にしたのでしょう。

そしてですね、この今日紹介する動画で見える「インドの論理」に、パール判事と同じように脈々と続いてきた考え方があるのを感じました。

私達はアメリカべったりで、アメリカの国際的大犯罪にも目をつぶる。そしてアメリカに寄り添う。

これってヤクザの子分と同じですが、日本の指導者層はそれが「日本を守る唯一の方法」と考えたのでしょう。

それはそれで私は理解できるのですが、本来はそうあるべきではないという考え方を常に持っています。

でもどうあるべきで、どう実行していくのか。

これが簡単なら誰も悩みはしない。

でもこの動画の中に「一つの答え」があると思ったし、これからのインドに期待したいとも思いました。

この動画の中でもパール判事のことに触れていますが、これがインド流なのだと思った。

是非、この動画を見てみてください。ところどころに何かハッとすることがあるはず。

 

 

 

 

 

 

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