誰しも自由に生きたいと思うけれど、様々なしがらみもあってそれは「夢でしか無い」と諦めることが多いんじゃないですかね。
私が若い頃に思ったことは、それは「選択の違いでしか無い」ってこと。自分が自由で無いのは「そういう状況を自分が選んでいるだけ」なのに気がついたのね。
それは「親」であり「家族」であり、「学校」であり「職場」であり「仕事」であり、そして「友人たち」だった。
自分で選んでいる意識は無いことが多くて、「これが自分の生きる世界だ」といつの間にか信じていたのね。
これは【選択の問題だ】と思うようになったのは、「まるで違う価値観で生きているグアムの人たち」を知った時、そしてアメリカ本土に行って「とんでもなく豊かな人達」を見た時。人間の生活、一生って皆、似たようなもんだろうと漠然と考えていたのが「間違いだった」ことに10代の終わり頃に気がついた。
自分が自由になるには【自分がそれを選択すれば良いだけのこと】だったのね。
要は「流されずに生きれば良い」ってことで、そう思うようになったのは二十歳の時。今になればそれが「大人になる」ってことなんだろうと思ったり。
それからは「自分が思うままに生きる」ようになって、自分を取り巻く常識や価値観は一切無視して「自分が成りたいと思う自分、自分が正しいと思うこと、自分の理想にまっしぐら」だったわけです。
でも自分で道を開くのは簡単ではなかったけれど、「未来の幸せそうな自分の姿」はいつも脳裏にあったし、諦めるわけにはいかないと七転八倒を繰り返す日々、年月。
そして今があるわけで、70歳になった今、まぁ、幸せな人生だったなと思うわけです。
でも「何か変だなぁ」とこの数年、感じるんですよ。でもその正体がわからないのね。
そもそも今、「いい人生だった」なんて思うこと自体、【過去を見ている】わけで、【将来を夢見て突っ走る強さが無くなっている】のには間違いがないのね。
「やる気が失せた」と言っても良くて、【自由である】ことが若い頃とは逆に「悪い方向に作用している」と思うんですよ。
毎日が日曜日で、何時に起きても寝ても構わないし、時間に制約がある仕事があるわけじゃないから遊びに出かけようが、一日中映画(動画)を見ていようが、【何をしようが】【何をしまいが】全く関係ないのね。
もし「貧困状態」にあるか、それが近未来に見えていれば、【このままじゃ大変なことになる】からどうにかしないとならないと動き出すのだろうけれど、それもない。
これが私が夢見た自由なんだろうか。これが今まで追いかけてきた「自由」なのか。
自由であろうと思い立った20歳から60歳までの40年間は【走り続けていた】という自覚があるのだけれど、それ以降は「走るのをやめた」のね。そして今、「止まってしまった」のがわかる。
ああ、これが「老いる」ということなんだろうと思うわけです。
人生やるべきこと、やりたいことも全てやり遂げてそうなるなら良いと思うんですよ。
でも私は「富士山に登ろうと思い立って、いまだに五合目にも達していない」わけで、【これにて終了】なんて言えないし、言いたくない。
前に「坂の上の雲」というドラマを見て感動したのを思い出します。日本人が諦めずに進んできたから素晴らしい日本になったのは間違いがなくて、それは「(登るべき)坂の上」ではなくて、もっとその上の【雲】を目標として頑張ってきたからだと確信したのね。
自分もそうやって生きなくては・・、なんて思っていたのに、坂の途中、それも下の方で【登るのをやめて立ちすくんでいる】自分がいる。
これで私の人生は終わりなのか?
「何もしない自由」が自由の最終形態なのか。
そんなのは冗談じゃないと思いつつ、あの手この手を使って自分に発破をかけているのだけれど、どうにも動きが悪い。
あああ、これが「老いる」ということなんだろうと、再び痛感したりして。
どうしたら良いんですかねぇ。
ジジーになるのに「目がギラギラしている」なんてのは恥ずかしいと思うけれど(笑)、そんな自分に戻りたいって今は思うのね。【粗削りでも良い、強い男に成りたい】なんて思っていたのが、今じゃ「座って目を閉じているお地蔵様」みたいなもんですからねぇ。
これって「ホルモンの分泌の関係かな」なんて思うこともあるのね。
なぜか「食欲だけ」は若い頃と同じだけれど(笑)、その他の欲は「いつのまにか消えた」みたいな感じがしていて、それが【やる気と大きな関係がある】と思うんですよ。
かつては「スッポン」を食べたり、「貝類をキモと一緒に食べる(サザエ、アワビ、シッタカ等)」、「生肉を多く食べる」なんてことをすると、目が冴えて眠れないとか、朝はとんでもなく元気が良い(笑)、みたいなことがあったけれど、やっぱりあれって【やる気】と密接な関係があるのがわかるんですよ。
何よりも元気、やる気が出るのは【恋愛】で、「何を失っても構わないから、絶対に手に入れたいもの」がある時のやる気ってハンパじゃないのね。自分の親でさえ、自分の命さえ失っても構わないと思う強さって凄い。
「こちらを振り向いて欲しい」「自分だけを見ていて欲しい」「認めてもらいたい」「一緒になりたい」「一生一緒にいたい」という思いは凄まじいものがあって、そのためには【何でもするし、何でも出来る】のね。
ヨメさんに言われたことがあるんですよ
「貴方は昔は間違いのないストーカーだったわよね。今なら捕まっている」って。(笑)
私もその通りだと思っていて、とにかく「一途」で他のことなんか全く考えもしなかったのは間違いがない。二十代後半の頃です。
これって「かなり危ないやつ」なのは間違いがなくて、でも世の中で起きている「愛するがゆえの犯罪」って私には理解が出来るのね。それが良いとは全く思わないけれど、それが「本能」だと思うんですよ。普通「理性で抑える」わけだけれど、【抑えられない人】【抑えられないケースがある】のもよく分かる。愛が「憎しみに変わる」のもわかる。
相手にしてみれば「とんでもない」「冗談じゃない」のは確かだけれど、【そこまで自分を思ってくれている】と実感して「振り向いてくれる」ことが起きるのも自然界の道理だと思っています。
「追いかければ逃げる」のも道理だけれど、「守られること」を重視する女性にしてみると【一生守ってくれるかもしれない】という感覚は非常に大事で、動物や昆虫でも同じだと思っています。だからオスは異常なほどの求愛行動をするし、メスはそれに応える。ボーっとしているオスにメスが興味を示すことはないんじゃないかなぁ。
何の話をしているのかわからなくなってきましたが(笑)、そういう思いの強さと【毎日を強く生きる】【夢を追いかける】のは『同じ作用ではないか』と思うのね。
異性に対する興味がなくなって来たのと、【やる気が無くなってきた】のとどうも「同じ時期」のような気もしています。
【やり手はスケベだ】とか【英雄、色を好む】なんてことは昔から言われてきたけれど、それって事実なんだろうと思う。
だから「歳を取ってきたからこそ(あっちの方を)頑張れ」なんていう【医師】も少なくないのね。前に「寝たきりの旦那」にいろいろやってやると元気になるという医師の報告を聞いて驚いたことがあるけれど、そうなんだろうなと思ったり。
でも今更・・と思うし、そんな元気が出ても困るだけ。また恋人なんかできようものならかなりややこしくなるだけですもんねぇ。老人ホームではそういうややこしいことが普通に起きているという話は聞きますが。(笑)
ですから、そっちの方はちょっと横においておくにしても、【ホルモンの分泌】に関しては真面目に考えたほうが良いかもしれないと思ったり。
そして楽しみなのは12月になると、次男坊が(どんどん可愛く育っていく)孫を連れてマレーシアに遊びに来てくれること。
孫の写真や動画を見ると「可愛い~~」とは思うものの、やっぱり私は子どもたちが小さな頃を思い出すし、その当時の自分のやる気や決意を思い起こすのね。
あと一ヶ月もしないうちに次男坊が孫を連れて遊びに来てくれるけれど、それをキッカケに「私のやる気が蘇ってくる」のが楽しみです。
力もお金もいらない。「やる気」だけを取り戻したい。
さぁて、ユッケでも食べてみましょうかね~~~~。(^_^)v