鳥のミンチだと思って買ったらまさかの「すり身」でした。ましてや美味しくないのね。鶏の味は遠い彼方にある、みたいな。
長男は「これ鶏?鶏の味がしない」なんていうし、それを使って何も作る気がないし、冷凍庫の奥の方にしまっておくのも駄目で、かなり気が引けるのだけれど「捨てる」ことにしました。
でもねぇ、食べ物を捨てるなんてのは我が家では「執行猶予無しの実刑3年の禁固刑」みたいなもんで、どうしても気になるのね。だから息子に「捨てようと思うのだけど・・・」と言ったら「しょうがないんじゃない?でも本当にどうしようもないの?」と聞くので「ミンチかと思ったらすり身で、美味しくないし使いようがない」「作るとしてもナゲットぐらいしか思いつかないし、美味しくないのがわかっているのに作る気も起きない」と言ったんですよ。
「ナゲットを作ってみるのも良いんじゃない?」と息子。「やっぱり?やってみるべき?」「うん」てなことに。
我が家は、というか私も息子もマックのナゲットは大好きで、一人10個ぐらいはペロッと食べてしまうのはオーストラリア時代から同じ。でも私はナゲットは作ったことがないし、レシピもわからない。でもま、想像ぐらいはできる。
「じゃ、作ってみますかね」とナゲットを作ることに。鶏のすり身自体は美味しくないから、「味付け」でごまかすしかない。ということでユーチューブで検索。なんとなくわかったけれど、これぞというのは見つからないので、自己流でやってみることに。
残っていたすり身は、なんと1.5キロ以上。(笑)
我が家は鶏のそぼろが皆大好きだし、三色丼ぶりも子供の頃から皆の大好物。だから鶏のそぼろだけでも作っておけば、三色丼ぶりにするも良いし、「レタス巻き」にしても、そぼろだけご飯に乗せて「生卵の黄身」で食べたらヨメさんがいなくてもそこそこ満足できるご飯が食べられると思ったのね。だから買ったのは2キロ。(笑)
これ、卸商から買ったのですが、もしかしたら「ナゲット用」なのかもしれない。1キロパックだし、ナゲットを作る店には良さそう。
残りは1.5キロだけれど、結構な量。こんな量の鶏のミンチは家では見たことがない量。
それを全て「ナゲット」にするために味付けをしました。これは私の「脳内シミュレーション」で良いと思ったレシピで、本当に食べられるレベルかはわからず。混ぜたものは「醤油、日本酒、塩、砂糖、多めの白胡椒、そして生卵、【ほりこし】という有名なBBQなどに使う調味料、チキンパウダー、ガーリックパウダー、生姜、顆粒コンソメ、そして片栗粉」。何でも入れれば美味しくなるかもしれないという素人丸出しの味付け。(笑)
ミンチじゃなくてすり身だから、歯ごたえを変える為にも「玉ねぎ」を入れたかったのですが、玉ねぎの在庫は無い。ハンバーグみたいに「パン粉」も入れようと思ったのですが、それはやりすぎだろうと我慢。すり身って「固く出来上がる」のはほぼ間違いがないので、「豆腐を入れる」なんてのも良かったかもね。「長芋を摺り下ろして入れる」のもアリかもしれない。
さてさて、これをどうするのかが問題。まさにチキンナゲットみたいに「衣をつけて揚げよう」と思ったのですが、量がすごいので「必ず残る」のは間違いがなくて、衣が着いていないほうが良いんじゃないかと判断。素揚げなら余ったものは冷凍しても良いし、チンするだけでも食べられるし、焼いて焼き目をつけたら美味しいかもしれないから。でも衣をつけると「後で食べる時にはベチャっとする」のは普通で、カリッとさせるにはまた手がかかるわけで、そういう面倒なことは排除したい。
出来たのはこれ。トライアルその1。素揚げ。
これはちゃんと丸くてから薄くしよう、大きさも揃えようなんて考えておらず、ベトついて柔らかすぎる餡をとりあえず適当に丸めて油の中に放り込んだだけで、他人様に見せられるようなしろものじゃなくて恥ずかしいのだけれど、ま、私の作るものはそんな程度。
味見をしたら「そんなに悪くない」と思いました。鶏の味はどこかに行ってしまったけれど、そもそもマックのチキンナゲットも似たようなものだし、マヨネーズを付けてみたら「これ、良いんじゃね?」と息子。「バーベキューソースかマスタードが良いかも」となって、まさにマックのチキンナゲットのように食べてみることに。
Heinzのマスタードって我が家では結構人気があるのですが、「マスタードと少量のケチャップ」を付けて食べたら「これ、かない美味しいと思う」と息子が言いだした。
確かにその通りで、なんとなくマックのチキンナゲットを食べているような感じがしてきました。
そのうち、息子が「オヤジ~。これマックのチキンナゲットより美味しいかもだ」と言い出して、バクバク食べだしたのね。私はそこまで美味しいとは思わなかったけれど、決してマックに完敗という感じではないし、「美味しいはずがない」という予想を裏切られたのは間違いなし。
「オヤジ、大成功じゃん」なんて息子は言うけれど、あいつは優しい性格で私を褒めるのも上手いやつだから、言うことを鵜呑みにはできないものの、美味しくない鶏のすり身が「化けた」のは間違いがない。
嬉しかった~~~。
やっぱり捨てないで良かった。これで安心して命をくれた鶏さんにお礼ができる。ありがとね~~~。美味しく頂きました。
実はトライアルその2で「衣をつけて揚げる」バージョンもやりました。
ところがですね、これだと「鶏の唐揚げ」を連想しちゃうのね。で、「やっぱり鶏の唐揚げが美味しい」と思ってしまうわけで、ましてや「大量に余る」のを考えると、後で「チン」して食べてもベチャッとするのは間違いがないので、これはトライアル2でちょっと作っただけで終わり。
トライアル3として「バター液につけて揚げる」のもやってみました。いわゆる「天ぷらやフィッシュ&チップス」の揚げ方ね。でも「餡が柔らかすぎて、バター液につけるとドロドロになる」のでトライアルは中止。
結局「素揚げ」が一番良いと言う結果に。
息子と二人で「もう当分、ナゲットは食べたくない」と思うぐらい食べましたが、まだまだ「餡」は大量に残っていて、丸めて揚げるのも面倒になって、段々と大きくなっていきました。拳ほど大きくないですが、子どもの拳ぐらいはあって、一口では食べられない大きさのがこれだけ「食べ残り」ができました。
この1日2日ですべて食べ切れることができるのかどうか。あるいはあえて「冷凍」してみて、あとで食べたらどうかという実験も良いかもしれない。
本当にそこそこ美味しくて、このすり身をまた買うつもりは全く無いけれど、ちゃんと美味しい「ミンチ」で【ナゲット】を作ったらかなり面白いことになると思いました。
私は「つくね」も大好物で、作る時にはああしようこうしようという案もあるのですが、その案を取り入れて自作のミンチで「ナゲット」を作ったらかなり美味しいものができるかもしれない。
そのとき、使うのは普通のミンチじゃなくて「親鳥」を買ってきてバラしてミンチを作るつもり。今まで親鳥は「スープを取る」時に使うぐらいで食べることはなかったのですが、調べてみると「もう年寄りの鶏」のイメージがあるけれど、ほとんどは「卵を効率よく産まなくなっただけの鶏」で、本来ならその2倍3倍の寿命があるとのこと。つまり、人間で言えば20代後半か30代で、「もう用無し」とされて潰されて安く販売されたり、ペットの餌やスープ取り、加工品に使われるのが「親鳥」だとわかった。
そういう鶏をバカにしたくないし、「ちょっと肉は固いけれど味がある」のは間違いがなくて、だから「スープ取りには最適」なわけで、それは牛とて同じで、「歯ごたえがあって美味しい」とも言えるし、「そういう肉こそミンチには合う」はずなのね。だから「親鳥」を好んで食べる人も多く、親鳥だけを使う焼き鳥屋があるのもわかった。固くても味があるのなら、「煮込みには最適」だとも思うし。
だからこれからは、皆に下に見られている親鳥を尊重して美味しい食べ方をしてみようと思うわけです。若鶏は柔らかくて良いけれど、マレーシアで売られている鶏って日本の平均よりもっと小さいのね。これは人間だとしたら「ロリコン」かもしれない。(笑)
まずはミンチから始めようかと。きっと味のある美味しいつくねができるだろうし、ナゲットも食べたことがないような美味しいナゲットができるかもしれない。またお店によっては「ミンチにいろいろ混ぜる」ところも多くて、コリッとした触感がある「ナンコツ」を入れる店も多い。
私は鶏のナンコツってあまり好きじゃないし、それではなくて「大好きなあるパーツ」をミンチに入れたら大化けするんじゃないかと思っているのね。でも今はそれは何かは内緒で、まずは実験してみようと思っています。これは焼き鳥屋としては大好きなPublikaにある「酉玉」のつくねを食べて気がついたこと。
とりあえず、捨てる直前だった鶏のすり身を捨てないですんで良かった。
でも捨てようとしたのは間違いがなくて、いつも「養鶏で生かされる鶏はかわいそうだ」と思っている私としては罪を重ねないで良かったと本当に思うんですよ。
皆さん、鶏がどういう状況下で「生産」されているかご存知ですよね。まさに「工場」と言って良いようなところで、太陽を一生見ることもなく小さなケージに入れられたまま育てられる鶏は多い。卵の生産も同じで、この現状ってユーチューブを検索すると多く出てきますし、ヨーロッパでは「ケージに入れる養鶏は禁止」されているとのこと。
でもオスは用無しなのは同じで、ヒヨコの時点で選別されて「ほとんどのオスは廃棄処分」され続けている。生まれてくるヒヨコのほぼ半数はゴミと一緒に処分されているなんて私はどう考えても納得がいかないんですよ。
だから「命を救え」と運動する団体は世界各地にあるし、育て方にも言及している。私は実はその手の「左翼運動家」みたいなのは好きではないのですが、でも鶏や牛や豚の「育て方に問題がある」のは間違いがないと思うし、そういう考え方が発展して「命を殺したくない」と菜食主義者からヴィーガンになる人達が多いのも、自分がそうしようとは思わないものの、彼らの主張はよーくわかる。
私は人間が生きるために他の生き物を殺すのは当然だとは思っていなくて、でも殺すべきではないとも思っていない。弱肉強食はこの世の定めであって、命さえも人間の都合で管理されることが良いこととは思わないのだけれど、それは野菜類も同じなのね。
私はオーストラリア時代に地下室で電球を使って育てる「水耕栽培」をやっていたけれど、それも同じで、トマトだろうがきゅうりだろうが、必ず途中で「間引き」をするじゃないですか。これって「子どもの優劣を見て、駄目な子供は殺す」のと全く同じで、当時、私は子育て真っ最中で、子どもの教育にも悩むことがありましたので、どうしてこんな酷いことをしないと人間は生きていけないのか。それとも人間も間引きをするべきなのかとか、結構毎日色々考えながら可愛い野菜たちを見つめていたのを思い出します。
私は私達のために殺されていく生命を助けることも出来ずに「ごめんね」「有難う」「頂きます」としか言えないけれど、【生きたい】と思う気持ちは全ての生命体に共通の思いであるのは間違いがなく、やっぱり「大事にしたい」という思いがあります。というか「気持ちだけしか無い」のが実情。
今回の「ミンチだと思ったらすり身で、しかも美味しくなかった鶏」ですが、そんなことをずーっと考えていました。美味しくない、使えないという理由で捨てて良いのかと。
でも息子の「ナゲットを作ってみたら?」という一言で救われました。
でも鶏が救われることはなくて、巷では「溝にハマった犬や猫」を救急隊まで出動して助けて、みんなで「良かったね~~」なんて喜ぶけれど、それを知った鶏や豚や牛はどう思うのか。それは魚も同じ。間引きされる野菜も同じ。クジラだけは助けろと大騒ぎするのも私には「偽善」としか思えなくて、本当に命を大切にするなら、「歩く時に蟻を踏み潰さないように歩け」と言いたくなる。蚊やゴキブリも同じで、殺した時に「やった~~」と思う人が命の大切さを説いても、私は信用できない。当然、私はそういう時に「やった~」とガッツポーズをする派。
でも食べる命に私には何も出来ないわけで、「ごめんね」「有難う」「頂きます」と手を合わすことしかできない。それで許されることとは思わないけれど、自分にはそれしかできない。申し訳ないといつも思っています。
私はいつも「不味い」とかいろいろ文句ばかりいうけれど、こういう考え方も根底にあるんですよ。日本人の私達は「命を頂いている」という感覚を持っている人が多いし、だからこそ「大事に扱い、美味しく頂く」のは当たり前のことで、魚にしても漁師=処理=流通=加工=販売店=お店を通して私達に届くけれど、その中のひとりでも手を抜いたら「美味しいものでも美味しくなくなる」わけで、私はそれがはっきり見えると腹が立つのね。もっと大事に考えて「美味しく頂く」のが私達の義務だとも思うくらい。関係者の手抜きで不味いなんてのは「犯罪」だと思うくらいです。
ところで、私にはヴィーガンの友人はいないけれど、菜食主義者で根菜類は食べる(その生命は死ぬ)くせに、命を大事にしろと偉ぶる知人(オーストラリア人)はいる。だからいつか本物のヴィーガンと一度ゆっくり話をしてみたいなんて思っています。でも私みたいなどっちつかずの偽善者と話をしても意味がないか。(笑)
このブログの読者にヴィーガンはいらっしゃるんだろうか。