やっぱり「トレード」の上手い下手って【素質】が関係する

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このブログの読者にはそこそこの人数のトレーダーがいるのはわかっていますが、常時、連絡を取っているわけでもなく、やり取りをしていた方が突然、連絡も無くなることが多く、私としてはそれなりのことを書くしかないと思うようになっています。だから細かい手法に関してはもう書かない。常に進化しますし、その説明は簡単ではないし。

で、最近、感じることですが、やっぱりトレードには「適性がある」ってこと。

ダボ家としては「一族の中に一人はそこそこのスキルがあるトレーダーがいた方が良い」と思い、長男にそれを期待したのですが、思ったようになっていないというか、進捗があまりにも遅い。

これは私の教え方、育て方が悪いのは間違いがないし、そもそも私自身がトレーダーとして大成したわけでもないし、普通の人なら諦めるところで諦めずにやってきて、ま、どうにかなっているレベルでしか無いのね。だからやっぱり大事なのは努力と諦めないことだと思っているんですが・・・。

トレードに関しては長男より次男坊の方が向いているのはわかっていたことは前からブログに書いていますが、私はそれ故に「長男の方が良い」と思ったのね。次男坊は性格的には「ギャンブル好き」「勝負好き」なんですよ。これってトレーダーの基本的な気質として必要だとは思うものの、【その気質が強すぎると危ない世界】でもあると思うんですよ。

実際にトレーダーというか、かつては多くの人がそうであるように「株式投資」をしていた私ですが、多くの「上手い人」と出会ってきました。それこそあっという間に3千万を稼いだ若者やビビること無く億単位のお金を動かす青年もいた。ところがですね、そういう「勝負師」ってやっぱり気がつくと消えていくことが多かった。

まさに(今年亡くなった)私の父もそうで、まだ元気な頃に「今の動きをどう思う?」なんて聞くと、私が驚くような「読み」を聞かされたり、「買いだ売りだ」なんてタイミングを見るのはかなりうまかった。私がやっぱり父は凄いと思ったのは、私達家族がオーストラリアに渡った後のことですが、円高が凄かったのね。そしてある時、「もう円高はこれまでだ。日本円を豪ドルに替えた方が良い」と言い出した。

これってただ単にタイミングの問題ではなくて、日本人なのに「日本円を外貨に替える」なんて普通、考えられないわけですよ。「外貨投資をしよう」じゃなくて、「金融資産を外貨に替えてしまおう」ってことですから。

私達家族はオーストラリアに移住していたわけですが、当時はまだ「日本企業の転換社債」も年間7%程度で回っていたんですよ。当然、豪ドルの利回りも凄い時代で、定期預金でも10%に回る時代でしたが、私達はやっぱり全てを豪ドルに替えることはしなかったのね。というか出来なかった。

ところがですね、日本に住んでいる父が「日本円を豪ドルに替える」と言い出した。

これって驚きなんてもんじゃないのはおわかりいただけると思います。オーストラリアに住む私達が「全部豪ドルにしよう」というのならわかりますが、普通に日本に住んでいる父が「金融資産を豪ドルに全て替える」なんて言い出したんですから。

私は当時は株式投資はやっていましたが、やっぱり日本企業の社債の方が額が多く、当然、FXや先物を一般人がやる時代ではなくて、当然、デイトレなんて言葉さえ無かった時代。だから自分がトレーダーなんて思ったこともなければ、チャート分析はやっていましたが、それは「株の分析」であって、【自分が持つべき通貨の分析】なんてしていなかったわけです。

でも円はどんどん上がっていき、80円台をつけ、世の中では「50円になるんじゃないか」なんて声も多かったわけです。そして円建ての日本企業の転換社債は7%で回っていましたから、それを見れば「良い調子で資産は増えている」と私は考えていた。

でも父は「円高はもうこれまで。円を売る」と言い出した。

私は父のそういう相場師としての「勘や読み」は凄いと思っていましたし、確かに豪ドルの利回りは日本円より良いわけで、私も円建ての転換社債は全て売り、豪ドル建ての社債(主にアメリカ企業)に乗り換えました。でも日本の株式はそのまま持っていた。

そしてその後、「円高は終わった」のね。

正直なところ、私は「父は天才だ」と思ったし、かつて相場で大敗したけれど、「売買技術、読み方」に関しては一流だと思っていたし、それは過去に大敗した経験があるからこそそうなったのだろうぐらいに考えていました。

私が今、「チャート分析」に主眼を置いているのはそんな父の影響もあるわけです。私が幼い頃、我が家に父の相場仲間が毎日来て、一緒にラジオの短波放送を聞きながら「各社の株価変動の罫線(ローソク足のチャート)を大きなグラフ用紙に書き込んでいた」のを覚えています。かつては「オンライン」なんてなくて、株価は「その日の短波放送」か「翌日の新聞」を見るしか無い時代。当時は「チャートアナリスト」なんて言葉もなく、「罫線屋」と呼ばれていた。

父は「空売りがうまかった」と聞いています。ただ「トレンドフォロワーではなくて逆張り専門」だった様子。

罫線の読み方で「岩石落とし」なんて空売りの手法を編み出して、それを書籍として出版したこともあると聞きました。

だから一時はかなりうまく行っていた様子。その当時は私は子供で印象として父が相場師としてどうだったのかは全くわかりません。ただ幼い頃の写真を見ると「金持ちの子供」に見える写真もあれば「下町の普通のガキ」に見えるような写真もあって、「浮き沈みが大きかった」のは想像できます。(笑)

そして父は若い頃に大敗して、破産こそしなかったけれど、全ての財産を失い、借金も残し、「増やしてあげると友人知人から預かったお金も飛ばし」て、最悪の状態になりました。そして母に土下座をして謝り、もう二度と相場には手を出さない。これからはトラックの運転手でも何でもやって、【まともに生きる】と約束をした。(その後、当時の花形だった「弱電の輸出」を始める。でもその会社も後のドルショックで閉鎖。倒産する中小企業も多く、閉鎖で済んだのはラッキーだった時代)

ま、本人も相場師なんて「まともじゃない」と自覚していたのだろうし(笑)、私も成人してから株式投資を始めましたが、金持ちでもなんでもない一介の青年が株を売買するというのは「ただのギャンブラー」という見方をされた時代でした。

そして日本にバブルが到来し、一般の奥様投資家、OL投資家も増えて時代は変わって行きましたが、やっぱり頻繁に売買することが多い「相場師」というのは「ギャンブラーだとバカにされた時代」だったのは変わりがありませんでした。

そしてバブルが弾け、多くの人が大損した。私はと言えば「世の中の買い物かごを下げた主婦やOLが株式投資の話をするようになったらそれは終わりの合図だ」と思っていて、高値のかなり前の日経平均が3万円を超えた辺りで撤退しました。でも最高値をつけて暴落した後、「いつかまた戻る、上がる」と読んだ投資家は「買い増し」をして傷口を大きく広げた時代。それが何年も続き、「株を買えば損する時代」は20年もの長さだった。そして日経225の最安値は最高値の5分の1以下にまで落ちた。もしもこの時代に「政府が新NISA」みたいなものを言い出したら、その政権は潰されていたかもしれませんね。

高値から5分の1以下に下がったなんて想像できます?そしてそれが元に戻るのに34年という月日がかかった。でも若い人は直近の10年ぐらいの動きしか見えない様で、過去の暴落、長い下げトレンドは「過去のこと」としか思わない様子。

相場には絶対に二度と手を出さないと誓い、相場に手を出してはならないと家訓まで作った父ですが、なぜかまた手を出した。それはもしかしたら(家訓を破った)私を見ていて我慢ができなくなったのかもしれませんが、父は自分の人生の「汚点」をどうにかしたいと晩年思ったのでしょう。そして母に「勝負をさせてくれ」と頭を下げた。そして母はなぜか「OK」を出した。

そして、二度目の大敗を経験することになったわけです。

その後のことは前にも書きましたが、父は精神的にもおかしくなり、医者にも掛かりましたが「夢遊病者」みたいにわけのわからない言動をしたり、寝たきりだったり、皆は「このまま死ぬんだろう」と本当に思ったんですよ。

ところが、ある日突然、「普通に戻った」のね。その理由は全くわかりませんが、常に一緒にいた母のおかげだったろうと想像しています。その後、何年か経って私達家族と姉がマレーシアに渡る(これは偶然)のを知り、父と母も世界に散らばった家族が合流できると思い、マレーシアに渡ってきた。そして静かに晩年を過ごしていました。

ま、そんなこともありまして、「相場が上手い人は間違いなくいる」のね。

でも「勝ち続ける人はいない」のであって、「勝負好きはいつか地獄を見る」のが世の中の常だと私は思っています。いわゆる昔の「腕のたつ武士」みたいなもので、先頭を切って戦い武勲を上げる武士はいても、いつか殺られるのと同じ。

だから私は「トレードに向いている性格」だからこそ、【危険である】と考えます。

ですから「絶対に勝負はしない」のを自分に言い聞かせてきたし、商品先物も始め、デイトレに目覚め、株式投資は一切やらなくなった今は「自分の予想を信じて投資するから負ける」と考えるようになったのはいつも書いている通り。

「予想をしなければ負けもしない」

こんなことをいう投資家、トレーダーに私は会ったことがありませんが、それが「トレードの真髄」だと思っています。

「要は常に流れに乗っていけば良い」という非常に単純なところに【答え】があったのね。

それは言い方を変えれば「トレンドを重視する」というだけのことで、そう言えば「その通り」と納得する人は多い。でも「投資家」は違うのね。予想をしなければ投資もできない。それはそれで正しいと思いますが、私は「投資家ではない」と自分に言い聞かせてきたし、「自分は川の流れに身を任す落ち葉であれば良い」し、それが「トレードだ」と思っています。

そして落ち葉には意思もなければ、流れの先の予想もしないし、「勝負(自分勝手な行動)もしない」のね。

だから「勝負好き、ギャンブル好き」は【自分の欲望を抑えることが難しい。危険だ】と思うわけです。パチンコや競馬競輪(そしてカジノ)で身を崩す人は多くいますが(私の親族や親友にも複数いる)、ああいう刺激と同じかそれ以上のものがあるのが相場の世界なのね。カジノで何億何十億も損する人がいるのと同じ。

いつものごとく話は長いですが、そういう意味で「我が家の次男坊は危ない」と思うのね。でも長男は「慎重派でギャンブルをしない性格」だからこそ、【トレーダーとしては最適】だと読んだわけです。

でも今、その次男坊もデイトレに目覚めた。それで将来を築いて、今の「有名監査法人に務める公認会計士」という立場を捨てようとしている。

ダボ家としてはそれが良いのか悪いのかわからない。

私も長男も「野良犬として生きる」ことは確定しているものの、お硬いサラリーマンである次男坊というのは、ある意味、ダボ家のヘッジでもあるんですよ。サラリーマンのデメリットってあるわけですが、オーストラリアのサラリーマンは日本と違って「社畜みたいな感じは皆無」ですし、自由な時間は多く、毎年1ヶ月ぐらいの長期休暇もあるし、残業もなければ、突然、転勤命令が出ることもなく、私には想像すら難しいぐらいに恵まれている環境です。

だからサラリーマンのデメリットはダボ家が「穴埋め」すれば良いし、「皆が野良犬となり、一緒に全滅することは避ける」という計算が私にはあった。

でも次男坊は幼い頃から自立心旺盛で常にやる気満々でどんどん前に進んでいくタイプだし、当然、「自分の家族の将来は自分が作りたい」と考えていて、「ダボ家の一員として恩恵を受ける」ことを良しとしないのね。

それは男として親として立派だと思うし、尊敬もするのだけれど、その頑固さとアグレッシブさに私は危険を感じるんですよ。

今はほぼ毎日、discordというLineみたいなもので繋いで延々3人で話をし、トレードをし、情報交換、勉強もしていますが、やっぱり次男坊は自分でどんどん進んでいくのね。私に対する尊敬の念がないとは思わないけれど、「トレードの世界を自分でどんどん開拓していく」のにちょっと不安を感じています。

そしてMEXCのSolanaの先物を売買するのに、BinanceのBitcoinのSpot(現物)と同じくBinanceのSolanaの動きを見て、アービトラージみたいな手法を開発してスキャルをやっている。

それで「勝てている」からこそ、私は不安なんですよ。今はまだまだですが、利益を出すペースとしてはそろそろ彼のサラリーマンとしての収入と並ぶところまで来ました。これってある意味、うまく行き過ぎなのね。

次男坊のモニターのセットアップ。初心者には思えない。

だから彼は自分の特殊な手法を「自画自賛」するわけで、私が注意をしても聞かない。

「それは誰でも通る道だ」と私は思うし、それをいかに早く大きな失敗もせずに通り越して「次のステップに上がる事が重要」だと説いても、彼にとってそれは「知ったかぶりをする年寄りのお節介」でしかない。

私はいつも「彼を押さえつけようとしている存在」でしかない。

【自分で学びながら自分の行くべき道を探す】のが重要ですが、それをやっていると5年10年はすぐに経ってしまうのがこの世界だと私は思っています。

だから私は「常に指針を示す」事が重要だと思うし、それが私の存在価値だと思うのですが、なかなかうまく行かない。次男坊は結構初歩的なこともわかっていないところがあるし。

ところがですね、最近、「オヤジが言っていたことがわかるようになった」と彼の手法も段々と変化しているのが見えるんですよ。

「トレンドを重視する」「逆張りはしない」「チャンスを待つ事が重要」だと、これが私の考える「3大原則」ですが、もう次男坊は自分でもそれをいうし、実行を始めているのね。

かつて私がそれをいう時には「うるさいなぁ」と彼が思っているのがわかっていましたが、今では自分でそれを言うようになった。

これって実は私にしてみると驚きで、私がその三大原則に気がついて実行するようになるには10年以上の月日が必要だったんですよ。長男もわかっていますが、それは「理屈として理解している」だけで、自分の感情があっちこっちに動くのをコントロールできているわけじゃない。

でも次男は実行している。

私はあえて「どうしてそう思うんだ?」と聞くと、彼は「俺は自分の全てのトレードの記録を取って手法別に統計を出しているし、それを見るとどうするべきかはわかるんだよ」という。「へーー」というと、「俺は統計の専門家なのを忘れないでね」と笑う。ま、確かに彼は大学院では「actuary(数理)」を学び、それを買われて公認会計士でもないのに大手会計事務所に呼ばれ、会社のお金で公認会計士として学び直して資格を取ったような男。

でもそれだけに自信過剰なのは間違いがない。

これが吉となるかどうかが、私にはまだわからない。「自信過剰なトレーダーがどうなるか」なんてのは簡単にわかるけれど、彼のように「進捗が早い初心者」には会ったことがないのね。

彼の才能を押さえつけること無く、もっと伸びるようにしたいけれど、私を追い越すのは時間の問題みたいな感じもしています。実際に、彼が加わってからチャートの設定や読み方で参考になることも多くあって変更を加えた箇所はいくつもありますし。そもそも暗号通貨のデイトレで「15秒足」なんて時間軸でトレードをするなんて発想は私には皆無だったんですよ。

今では5秒足も見るようになっています。で、5秒足で取るトレンドに乗る手法というのは、他人から見ると「スキャルに見える」だけで、やっていることは同じ。ちなみに私のチャートの見方は「長期投資でも同じ」です。

長男はというと、そういう次男坊に遅れを取って悩むとか自虐的になるとか全くそういうこともなくて、私にしてみれば、もっと慌てろよと思うのだけれどそれはないし(笑)、やっぱり性格がトレードに出るのね。私が教えてきたこと、世の中で言われる王道に忠実で、次男坊みたいな変則的なトレードはしない。

そういう意味では、3人で話しながらやっていても、三人三様なのがわかる。

私は「どうしてこいつら、私の言うことがわからないんだ。勝手なことばかりして」と思っていたのだけれど、今はちょっとその見方も変わって、やっぱり三人三様の良さが私にもわかるようになってきた。いわゆる「三人寄れば文殊の知恵」って本当で、三人三様だからこそ「リスクコントロールが出来る」のだろうと今は思うようになりました。私もまだまだ修行が足りないのを感じます。

ただ一つ気がかりなのは、彼がトレードで私より良い実績を叩き出すこと。これはそんなに時間は掛からないかもしれなくて、そもそもトレードする時間も彼は私の何倍もやっているし、3人で集まって話をする時に、「もうサクッと3回トレードしてXXXドル利益を出した」なんていう。最近は(私が教えたことでもあるのだけれど)市場の動きが鈍いときと動き出したときと違う手法でトレードすることもやりだした。

彼が私より利益を出すようになったら、自信家の彼は「オヤジにもトレードの基本を教えてあげるね」なんていうのはほぼ間違いがないのね。今の彼の変則的な手法を私達にもやらせようとするし、そして益々、私のいうことは「お節介」だと思うようになるはず。

ということで、スキャルパーの次男坊とデイトレーダーの私と長男の「熱い戦い」が始まった。(笑)

面白いのは、長男は私以上にトレンド重視、コンファメーション重視で基本に忠実な硬いトレードをするし、次男坊のスキャルの手法には批判的なところもあるのね。その中間が私みたいなもので、私もかつてはスキャルパーだったから次男坊の言う事を理解できないわけでもない。

基本的には仲の良い私達だから、大きくぶつかり合うこともなく、利益目標も3人の合計で追っていこうと思う。そしてそれぞれがどういう場面でどういうトレードをしているのかはお互いにわかっているし評価もし合うし(監視している)、道を大きく外れることは多分、防げると思う。

遠くない将来に私が抜けることになるわけだけれど、それまでに二人がいっぱしのトレーダーになるのを是非見てみたい。そしていつか彼らもデイトレードから離れるときは来るはずで、でもトレード手法は中長期でも同じなわけで、それプラス我が家の大黒柱である(唯一のガチホで持つ長期投資である)債券投資もうまく回して大きくなって欲しい。

そしてその時が、ダボ家にとっての本番の始まり。人として生まれきて、やるべきこと、やりたいことがたくさんある。私自身はその「橋渡し」が出来るだけで十分で、それが私のたった一つの使命かもしれない。

その日を夢見て・・・・。

「このままでは終われない。まだ夢の途中、諦めない・・・」

 

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