私は昔から「牛肉に特別なこだわりがある」なんてこともない、普通の日本人でした。
でも良くあるパターンで「牛肉を好きなだけ食べる」ことに憧れた若い時代はあって、でも「美味しくても高い牛肉」なんて食べられないから「安いしゃぶしゃぶ」には良く行きました。ヨメさんと結婚する前も良く「しゃぶしゃぶ食べ放題」に行きましたっけ。
でも「高価な牛肉」を食べる機会なんて全く無くて、いつも「価格との相談」という感じ。
オーストラリアは牛肉の国ですから、1991年に家族で渡った時には本当に期待していたんですよ。でもそれは「大外れ」で、牛肉は確かに安くていろいろな部位もあって選び放題なんだけれど、「基本は牧草で育てた、いわゆる外国の牛肉」なのね。日本人が知っている「和牛」とはまるで違う。これが同じ牛かと思うくらい違う。
これって昔のアメリカに行ったことがある人ならほぼ全員が感じたであろうことと同じで、「大きなステーキを美味しそうに頬張るアメリカ人」のイメージばかりが先行して、ワクワクして食べてみたら「大きいだけ」で「硬くて噛み切れない」なんてのが普通。生まれて初めてアメリカ本土に渡り、ロサンジェルスに短期滞在していた時、ロス在住の叔母から「買い物」を頼まれて肉を買ってきたことがあるのですが、その当時、二十歳前後の私は「牛肉の部位」もろくにわからなかった。だから叔母は「とにかく一番高い牛肉を買ってきて」と私に言った。
「一番高い肉って・・・」と思ったけれど、驚くほど高価なことはなくて、その中でも高い肉を買って帰って食べたのだけれど、「これが長年夢見たアメリカのステーキか」と思った。全く美味しいと思わなかった。
それって50年以上の前の話で、「アメリカのステーキは硬くて食べられたもんじゃない」なんてのは普通に言われていたのを確認しただけみたいな。
それから月日も経って、私も収入が上がってきて日本でも良い肉を食べるようになりましたが、やっぱり「明治屋や紀伊国屋の高い肉」は見るだけで食べたこともないし、「有名な高級ステーキハウス」なんてのも「仕事で何度か行っただけ」で、美味しかったどうかを味合う余裕もなくてほとんど覚えてもいない。
そして30代でオーストラリアへ渡ってしまったのね。
これって日本で「美味しいものを食べる機会を逃した」ようなもんで、一般的には40代、50代で地位も収入も上がって、仕事でももちろん自費でも良いものを食べる様になる年代の前に私は日本を出てしまった。
だから私は本当に美味しい物って食べていないのね。ただ、実家が飲食店であったことや、高校時代から「食べ歩き」の面白さを知った私は年齢が若い割には結構良いものを食べてきたとは思うものの、「最高峰」なんて言われる類とは全く縁がなかった。
オーストラリアでは「安くていまいち美味しくない牛肉をいかに美味しく食べるか」ばかり考える25年間だったし、その間、日本に帰ってきても美味しい牛肉を食べるなんてことは考えもしなかったし(海鮮を優先 笑)、オーストラリアでもWagyu(日本では和牛とは呼ばれないF1ハイブリッド)が出回るようになってからは「和牛に近い美味しさ」があって嬉しくて良く食べたものの、「日本の美味しい本物の和牛」とは【全くのレベチ】でしかない。
そしてマレーシア。
マレーシアでは日本からの本物の和牛を売っていて嬉しかったのだけれど、なんと日本では和牛とは呼ばれない国産牛でしかないF1ハイブリッドでも「和牛」として売っていて、価格は高いし驚いたなんてもんじゃないけれど、マレーシアに「和牛の規格」があるわけでもなくて、「言ったもん勝ち」の世界。日本では「表示義務がある成型肉」もマレーシアは関係なくて、「普通の肉として売られている」のね(超有名な日系企業がそうやって売っている)。そして和牛と言えどもピンからキリまであるわけで、A5だなんだという規格は「歩留まりとサシの入り方」の基準でしか無くて「美味しさは全く関係ない」のね。
つまり「安いA5を売れば儲かる」という商売が成り立ってしまう。マレーシアの人達も和牛のことは詳しくわからないにしても「A5」の意味は知っているという人は多いから、逆に「日本からの牛肉はA5和牛じゃないと売れない」ようなことも起きていた様子。
これは日本でも同じことが起きているようで、「A5」というのがあたかも有り難い「勲章」みたいになっていて、それより美味しいと畜産農家が自信を持っていてもA5じゃなければ良い値で売れないと。だからどうしても太らせて、当然、ホルモンやビタミンも与え、太る環境で育てて「サシが多くなるように育てる」ようになっているらしい。
しかし、そんな中でも「美味しさにこだわり続ける酪農家は存在する」と。
特に「神戸牛」というのは「但馬牛」なわけだけれど、そもそも「但馬牛」というのが他の和牛とは歴史的にも違うグループに属する和牛だというのを私は知りませんでした。そして、その但馬牛の中で「特定の基準を満たした牛」だけが【神戸牛を名乗れる】という仕組み。そして「神戸牛」の中でもいろいろと差があると。
マレーシアに来てから「本物の神戸牛」を食べる機会はあったのだけれど、残念ながら私にはその良さはわからなかったし、本当にそれが「美味しい神戸牛」なのかどうかもわからない。
「豚に真珠」なのは間違いがないのだけれど、何十年も「牛肉には悩まされ続けた過去」があるし、そういういつになっても終りが見えない「双六」、ダンジョンにハマってしまった生活からそろそろ抜け出たいと思うんですよ。
「ああ、これが美味しいと言われる牛肉なのか」と酔いしれてみたい。
でもま、所詮私はケチだし、美味しいのがわかっていても「手が出ない」なんてのは当たり前に起きるのだけれど、「本当に美味しいものを知らない」ということが気になるのね。
一度で良いから「これぞ本物の神戸牛」のリブロースを食べてみたい。
サシが入ったA5の和牛(やマグロの大トロ)なんて「オエッとなって食べられない」と歳をこいた私は思うのだけれど、「良い和牛を知っている人」はそんな私を笑っているであろうこともわかるのね。だって「脂がそもそも違う」と言われていて、脂のくどさなど無いらしいじゃないですか。
何十年も美味しい牛肉探しに明け暮れた私としては、そろそろ「これが終点」みたいな牛肉を食べてみたい。
「美味しいものを知らない」のは実は「救い」のような気がすることもあるのだけれど、やっぱり日本人として生まれきて、これぞ本物の美味しい和牛とやらを一度で良いから食べてみたいと思う。
下に紹介するユーチューバーは若いけれど「いわゆるグルメ」でかなりの有名ドコロばかり食べ歩きをする人。そういうタイプって「自分とは違う世界の人」と思うのだけれど、やっぱり彼が行くお店はこだわりが半端じゃない店ばかりでやっぱり見てしまうのね。そんな「食べる側」だった彼が「日本のホントに美味しい神戸牛を広めたい」と神戸牛の卸を始めることになったらしい。
で、この動画を見ていると「神戸牛がどう特殊なのか」もわかるし、やっぱり「美味しいものを作りたい」「それを提供したい」と思う職人気質は私は素晴らしいと思うし、そして本当に美味しい神戸牛を食べてみたいとも思う。
彼は本当にいろいろな仕事に手を出していて、その一つに「Wagyu Mafia」という「美味しい和牛を売る」仕事をしている。
これってホリエモンの過去と現在を見ると「なぜ和牛?」と思う人が多いはずだけれど、彼は「和牛」という世界的にも認知されているトップクラスの牛肉を真ん中において「日本の良いものをもっと世界に売りたい」という計画がある様子。
ただその方法論がホリエモンらしいというかあまりにも「常識を逸脱している」わけで、私はそれが良いとは全く思わないものの、「売れることが重要」という経済的な判断をするのであれば、彼流のアプローチは「時代の流れに乗っている」のかもしれない。
私には「売れればよいだろう」という考え方は無くて、「売り方にも重んじるべき日本の文化伝統がある」という古い考え方を持っています。でもま、そんなのも時代とともに変わるわけで、変わらないと「表舞台から消えていく」のだろうというのもわかるんですよ。
でも私は彼のやり方が良いとは思わないし、彼の店に行きたいとも思わないのだけれど、それは単に「私が時代に乗り遅れた」、「時代の変化を認めたくない」だけのことだろうとも思う。
とは言いつつ、彼の計画だと「今まで以上に和牛は世界に認知され、広まる」のだろうとも思うのね。
このやり方が良いとは全く思わないのだけれど、これほど「ホリエモンと自分とのギャップ」を感じたことは初めてだったし、このホリエモン流が将来どういうことになるのか見続けたいとは思うので、それをここに紹介します。
そもそもこの「Real Value」という番組は、前にもブログで紹介したことがありますが、実は私はあまり好きじゃないんですよ。あまりにも現代的すぎるというか「売れれば勝ち」「売れないければ価値がない」というあまりにもはっきりした「線引」があるのね。まさに「金が全て」なのが前提になって話が進行していく番組。
私としては「世も末だな」だと思うのだけれど、「売れなければ敗者となって消えていくのが現実」なわけで、それはそれでわかるのだけれど、「仕事に賭ける熱意」にお金では測れない重要なものが私はあると思っていて、私はお金よりそちらのほうが重要だと考えるタイプ。そして「客はちゃんとそこを見ている」と思うし、その熱意に人は感動し動かされるのは客もスタッフも投資家も同じだと思うのね。
だから金持ちが「俺ってこうやって稼いだんだぜ」「俺の会社は上場したもんね~」みたいな話って【最悪】なんだけれど、そこに価値観を置いている番組。
恐ろしいとは思うものの、「現実を直視する」ならば、彼らのアプローチは正しいのかもしれないし、この番組そのものがどう育っていくのかも興味があって見ています。
そして、もう一つ紹介させて下さい。
「令和の虎」という番組がありますよね。起業家が「こういう仕事をしたい。協力してくれないか」と出てくる番組で、それはそれは「細かいところを突っついて批判したり罵倒したり」の番組。かと思えば、「それは良いんじゃない?」となれば「虎」と呼ばれる出演者が出資をしたり。
そしてその「令和の虎」から派生した「通販の虎」というのもあるのね。
これも似ていて「この商品、サービスを世に出したい。協力してくれないか」という人が出てくる番組で、多くは「令和の虎の通販に乗せてほしい」とやってくる。
そしてやっぱり番組の中では細々としたことを突っついて批判したり、良いところはもっと伸ばせとか、ああじゃこうじゃと言いたいことを言って、結果的に「通販に乗せるか乗せないか」を決める番組。
ある日のこと、「美味しい麻婆豆腐を開発した」という人が出てきて、これを「通販で売りたい」と。
ところがその人はちょっと一般的に見ても「駄目な部分が多すぎる人」だったのね。どんぶり勘定だし「ほんとうに経営者?」みたいな人。ツッコミどころが満載で、結局は「通販には乗せない」と決まったのだけれど、その人の「人となり」「情熱」とか「彼の人柄に惹かれて集まる人達」もいて、「こういう人が出てこないと食の世界は良くならない」という「虎(主催者側の出演者)」が出てきたのね。そしてそれは一理あって、今の時代、コストだ売上だ、見通しじゃ、資金計画じゃ、どんな利点を表に出して売るのかとか、ある意味「あたり前のことに終始してきた番組」の様子がちょっと変わったんですよ。
で、「この人を後押ししよう」という結果になったのね。でも「通販には乗せない」と。
この変化って非常に重要だと私は思っていて、上に紹介したホリエモンのReal Valueでいう価値観とは違うし、「通販の虎」でも過去にはそういうことがなかった展開となったのね。
私は商人の家に生まれ育ち、自分でも零細企業をやってきて大きくなることもなかったけれど、私がどうしても大事にしたいことってあるんですよ。それはお金では測れないものなのね。そしてこればかりは譲れないという大事なことってある。私はそれが「芯になるべきもの」であって、それなくして「売上じゃ利益じゃ」というのは【違う】という考え方を持っています。「儲かればそれで良い」なんてことは絶対にない。それは間違いなく古臭い考え方だけれど、私はジジーだし、そのまま信念は貫きたいと思うわけです。
で、現代的で数字にうるさい「通販の虎」もその出演者の「人となりに心を動かされて協力することになった」という今どき珍しい結果となったのね。
私はこの回は素晴らしいと思ったし、やっぱり令和の虎の連中もただの金亡者とは違うと思えたことが良かった。正直なところ、私も初めて「この番組を応援したい」と思った内容でした。
やっぱり「情熱」は大事で、お金はあとから着いてくるものだと思うし、「たとえ大きく売れなくても満足できる仕事」との出会いがある人生でありたいと思う。