昔から「独立したい」と考える人はごっそりいて、しかしうまくいく人って「ほんの一握り」しかいない。
なぜそんなことになるのか。
やっぱり「自分の都合で仕事を始める」からなんでしょうね。
多くは飲食店だけれど、それは「高級和食店」も同じだし、他の業種の仕事もなんでも同じ。
日本の飲食店って「始めて1年の生存率が50~60%」という事実を知りませんでした。そこまで厳しいんですねぇ。
やっぱり「お客に望まれるから生存できる」のは何でも一緒なんだと痛感しました。
これは飲食業じゃなくても同じだと思うし、トレードや株式投資ももしかしたら同じかもしれないと思って今これを書いています。
「儲けたいからやってるに決まってるじゃないか」という人が多い世界。
でもそういう考え方だと、次から次へと現れるハードルを超えているうちに「力尽きる」のが普通だと思うし、このブログでも「私も頑張りますっ!」なんて人が現れたかと思うといつのまにか消えていくのを何度も経験しました。
なんで続かないのか。
それは上に書いた飲食業と同じで、「自分の都合で始めたこと」だからだと私は思う。
じゃ、トレードを含む投資を「自分以外のためにやる」なんてことがありうるのか?って思いますよね。「喜ばすべき対象の客がいるわけでもないのに」と思う。
でも私は思うんですよ。お金儲けって何でもそうだけれど、「自分のためにお金を得ることを目的としたら続かない」のが普通だろうと。
やっぱりお金ではない「他の大事な目的があるから頑張れる」はずで、「諦めるわけには行かない」という事情があるから続くんじゃないですかね。
前にも書いたことがありますが、アメリカ人のトレーダーと知り合って驚いたことがある。彼は敬虔なクリスチャンで「利益の90%は教会に寄付する」という。自分の取り分は10%でしかない。世界には多くのキリスト教信者がいますが、「収入の10%を寄付する」のは普通にしても「90%」というのは異常に思える。
でも彼にとってはそれが自分に与えられた「使命」だと信じているのだろうと思う。あるいは「神との約束」なのかもしれない。
となれば途中で諦めたり、休んだり、止めたりなんてことは勝手にできない。それこそ神父や修道僧になったのと同じなんでしょう。自分の生活を捨ててボランティアに精を出して、自分の命の危険も顧みないような人も世の中には多いですが、軍人もそうだし、それと同じなんだろうと思う。
ここで思い出すのはやっぱり私が衝撃を受けた「三島由紀夫氏の言葉」です。
人は自分のためだけに生きられるほど強くはない
と三島由紀夫は言った。
この言葉を聞いたときには「ん?」と思ったんですよ。世の中には「自分のことだけしか考えない人が多すぎる」と誰しもが思うのが普通で、「他人のことも考えろよ」なんて言うのが普通。
ところが三島由紀夫は「自分のためだけに生きようとしてもそれはできない。そこまで人は強くない」というのね。
何を言ってるんだ?と思ったけれど、ある程度の歳になるとこれが事実だというのに気がつく。
自分のためだけって意外に頑張れなくて、「この辺で良いだろう」「明日にしよう」「ちょっとサボっちゃえ」なんて誰しも思うわけで、お金にしても「自分ひとりで使い切れないほどのお金を稼ぎたい」とは普通の人は思わない。だからうまく行っても適当なところでスピードダウンしたりやめてしまったり。
でももし今自分がやっていることは「自分のためではない」としたら、手抜きも出来ないし、途中で諦めたり止めたり、勝手にはできない。これはスポーツの世界も同じで、個人競技なら自分の都合で諦めることはあっても「団体戦」だったらそうはいかない。
昔から「結婚して子どもが出来たら一人前」という言葉があったけれど、それの意味することは「他のためにやらなければならない自分の責任を全う出来るか出来ないか」のことを言っているのだと思う。今の時代、そんな言葉を言おうものなら非難轟々だけれど、意味するところは「自分を超えられるかどうか」ということなんでしょう。
これは当然、私自身もそういう経験はしてきたわけで、若い頃は「稼いだら自分で使うのが楽しみ」で、それを考えながら頑張ってきたけれど、稼げなければ稼げないで「自分が納得すればそれで良い」わけですよ。「稼げないのもしょうがない」なんて結構、簡単に考えてしまう。
ところが嫁さんも子どももいるとそんなことは言えなくなる。嫁さんや子どもたちが貧しくて食べるものも十分になかったら、「我慢すればいいじゃないか」なんてことは絶対に言えないし思わない。「なんで俺だけがこんなに苦労して働かないとならないんだ?」なんて思いながらも「責任があるからしょうがないか」と誰しもが思う。
だから頑張れる
トレードや投資も同じで、「お金持ちになった自分を想像してワクワクしている間は頑張る」けれど、ちょっと壁に当たると「やっぱり無理だよな。これでお金を儲けようなんて思った自分が悪い。どうかしていたんだ」なんて反省してやめちゃう。
私も「足るを知れ」「お金を持って死ねないんだぞ」なんてことは何度も言われたことがあるし、このブログの読者からもコメントでそう書かれたことがある。
でもその時に思ったんですよ。この人たちは「お金とは自分のために稼ぐものだと信じているんだろうな」って。
そりゃ昔から言われるように、自分のためだけなら「立って半畳、寝て一畳」なんて言われるように、「その広さがあれば十分」という考え方があって、「足るを知れ」という言葉と共に良く言われてきた喩え。
でもお金にしても住まいにしても「自分のためではない」としたら話は全く変わってくるわけで、私は実は「お金は何百億、何千億あっても足りない」と思っているんですよ。そんな程度のお金で私の考える理想の世界は作れない。
だから私に「足るを知れ」なんて言っても、全然、関係ないのね。逆に、私はそういう人たちに「自分以外のために稼ごうなんて考えたこともないのか」「やろうと思えばできるのにやらないのか」とがっかりするくらい。
だから私は、今、流行りの「ミニマリスト」「断捨離」の考え方ってあまり好きじゃなくて、どうにか頑張ってしっかり稼いで、経済を回すことも重要で、「余計なお金は使わない」のも大事かもしれないけれど、なんだか私にはピンと来ないんですよ。「金は天下の回りもの」と言われるけれど、本当にそのとおりだと私は思っていて、その回転を早くするだけで皆が豊かになれる。「資源の無駄遣い、浪費」は駄目だと思うけど。
でも私がどう頑張っても足りることもないし、理想の世界も作れないだろうことはわかっているのね。
でも「その道を歩むことが重要」だと思っているわけです。
だから私のトレードや投資も「どれほどの困難、ハードルがあっても諦めなかった」ということだと思っています。でももし自分のためだけを考えてやっていたら、とっくのとぉに止めていただろうと思う。
今回の「なぜ飲食店はすぐ潰れるのか」という話は、そういう意味で「真理を語っている」と思ったわけです。
人生の目標ってひとそれぞれだと思うけれど、もし「自分の利益目標」を【人生の目標】としてしまうと、その意志は何よりも強いような気はするけれど、実は【弱い】んじゃないですかね。「自分に言い聞かせて諦める」のって簡単ですし。
でも「自分は誰のために、何のために頑張るのか」を突き詰めていくと、違う世界が見えてくるんじゃないですかね。そして、意外に「人間は皆、自己中だ」というのは違うのかも知れない。もしかしたら人間の本質って「利他主義」「他人本位」なのかも。あるいは「そこに幸せを見出す」のかもね。だから人類は滅びずに今も存在しているんだろうと思う。環境や自然、地球を大事にしたいと思うのも決して「自分のため」にじゃないですもんねぇ。
人は自分のためだけに生きられるほど強くはない
やっぱり三島由紀夫は凄いと思う。「自己中で生きようと思っても、それは出来ないように人間は出来ている」ってことでしょう。だから「自分の都合だけで始める仕事はうまくいかない」し、趣味の世界ってまさにそれで「高みに登るのは難しく、突き詰める前にやめることになる」のはそれが理由だと思う。
三島由紀夫は30代でそれに気がついていたのって大したもんだと思う。
「青年よ、大志を抱け」はウィリアム・スミス・クラーク博士が札幌農学校の生徒たちに送った言葉だけれど、同じことを言っているのだろうと思う。
歳を取ってからそんな事に気がついても遅いけれど、なんでも「思い立った日が吉日」で、ジジババだからこそ自分を離れて大志を抱くのって大事だし、年寄りだからこそ出来るのかもしれない。
たまに「とんでもない大金を寄付する老人」がいるけれど、そうしようと思って生きてきたと言うより、ある日ある時、「ハッと気がついたことがある」のかもね。