グアムウルルン物語 その1
オーストラリアに住んでいるのになんでグアムの話しなのか。グアム。それは私の心の故郷。東京生まれの東京育ち、江戸っ子の私には田舎がない。でもグアムは私の田舎、心の故郷。グアム無しには私の人生は語れないと思う。で、グアムの話し。
初めてグアムに行ったのは私が大学一年の時。1971年だろう。もちろん生まれて初めての海外。在学中にアメリカ本土に行かせてくれる約束は父としていた。いつと言うことではなかったけれど、お互いに最後の夏休みだろうと考えていたのではないだろうか。ある日、父の友人で旅行会社に勤める方から電話があった。グアムの面白いツアーがあるという。グアム大学の短期留学ツアーとでもいうのだろうか。本土の旅行前の練習のつもりで行ったらどうかと言う。私は将来MITに留学したいという夢もあったし、まずグアム大学という聞いたこともない大学だけど、いい体験になるだろうと思い、父に行かせてもらえるように頼んだ。
この時のツアーの内容やグアム大学の勉強はたいした話しにはならない。ただのお遊び短期留学体験ツアーみたいなもの。授業といっても英会話の勉強で、グアム大学という場所で、英語教室に通ったというだけのこと。後にまたグアム大学へ来ることになるのだけれど、それはまた先の話し。ただ、この時はグアム大学のドミトリーに滞在した。そしてそれが私の人生を変えることの切っ掛けになった。
グアム滞在中に忘れられない出来事が二つある。その一つは、同じドミトリーに住んでいた香港人の学生と友達になったこと。ちょうど年末の大晦日、授業は無いし、行くところも無い。一年の内で一番盛り上がる大晦日に静かなドミトリーでウズウズしていた。グアム大学は非常に辺ぴな所にあって、車がなければどうにもならない。ところがその時点ではレンタカーも借りていなかったし、大晦日、正月だというのに静かな大学でアホ面しているしかなかった。退屈している私を、その彼は哀れに思ったのだろう。彼女とニューイヤーズパーティーに行くのだけれど、お前も行くかと聞く。断るどころか誰かどこかに誘ってくれないかと待っていた私は、早速彼のポンコツフォルクスワーゲンに乗りこんだ。
大学を出るとすぐに大きな、というかメインの街道に突き当たる。そこで一時停止。香港人の彼は、私にどちらに行くかと尋ねた。?????誘ってくれたのは彼で、パーティーに行くのは私ではない。私にはどちらに行くかと聞く彼の問いの意味がわからなかった。もしかしたら私は大きな感違いをしていたのかもしれないと思い、彼が私を誘ってくれた10分前の事を思い出していた。でも間違いなく彼が彼女とパーティーに行くのだけれどお前も一緒に行くかと聞いたはず。間違いない。そんな時、彼はまた聞いた。私はからかわれていると思い、また返事をせずにいた。すると彼は再び、「Which way you wanna go, hah ?」だと。
らちが明かないし、私は「Left」と一言だけ言った。すると彼は左に曲がる。一体彼はどこへ行くつもりなのだろう。その内また、大きな四つ角に来た。私はまた彼が聞くのではないかという心配があったのだけど、その通りになった。私は今度は「Right」と答えた。その時、思ったのは、彼は私にただ言わせているだけで、きっと違う方向を私が言ったら、残念でしたと大笑いでもするつもりだろうということ。だんだん私はからかわれて頭に血が上ってくるのを感じていた。ああー、来なければ良かったと思いつつ、ムスーッとしたまま車にゆられている内に、車は住宅街に入っていった。あちこちの家でパーティーをやっている。あの安っぽい小さな赤や青の電球が繋がったやつで家を飾り立てている。ある家ではバンドを入れて凄い音を出している。どこの家に行くのかなと私が考えていたところへ、彼はまた聞いてきた。どこの家に行きたいか?と。ウソでしょ~~~!もう私はどうにでもなれという気持ちで、一番にぎわっている大きな家を指差し、あそこがいいと言った。すると彼は車をその家の横に停め、どんどん入っていくではないか。その時、きっと彼はとてつもなく顔の広い青年なのかもしれないと私は考え出した。意外な有名人なのかもしれないと。
彼と彼の彼女の後にくっ付いてその家の敷地に入っていった。100人以上はいただろう。凄いパーティーだ。バンドも入っている。初めての経験でキョロキョロと見回しているうちに、彼は一人の白人と握手をしながら話しを始めた。ああー、やっぱり彼の知っている家だったのだ。当たり前だ。そうこうしているうちに、その白人が私を見てようこそと言ったので、握手をして自己紹介をした。彼は私が日本人だというのを聞いて、かなり酔っていたが、自分は進駐軍で日本に行ったのだとか、渋谷は好い町だとかしゃべりだした。その話しにオーとかハハーーンとか言いながら合わせていると、まぁまぁ、飲めやということになった。知っているスコッチから見た事の無い酒までたくさん並んでいた。ビールは大きなドラム缶に何十本も浮いている。当時、日本ではサントリーのオールドでさえも我々学生には高嶺の華であり、スコッチなど飲める環境ではなかったので、シーバスリーガルの水割りを遠慮せずにガブガブ飲んだ。食べ物も凄かった。圧巻はブタの丸焼き。その他ステーキはもちろん、見た事も無いものから、春巻やヤキソバなども並んでいる。結構食べて、酔いも回っていい気分になった頃、香港人の彼がそろそろ行こうと言う。まだ1時間も経っていなかったが、彼が主人公だから言うことを聞くしかない。私は出来る限り丁寧に知っている限りの英語で白人の主人に礼を言い、そこを去った。
またポンコツワーゲンに乗り込んだ。彼にも礼を言った。いい友人を持っているね、と言ったところ、なんと彼は、私も初めて会ったんだよと答える。うっそーーー!!彼は知りもしない家のパーティーにずうずうしく入って行ったのだ。信じられない!!大変な奴と一緒に来てしまったと思った。その後、何もしゃべらずに車を走らせていた。5分ほど走って彼はまた言った。今度はどこの家にする?と。私はこの気違いめ、と思ってはいたものの、何か不思議な予感がした。もしかしたらこんな不思議な世界が本当に存在するのかもしれないと。今度は私はじっくり家を見て、一番大きな家を選んだ。そして我々はその敷地に入っていき、見ず知らずの家なのに先ほどと同じ事の繰り返し。飲んだ飲んだ。食った食った。ろくすぽ英語もわからないのに良くしゃべった。酔いもかなり回り、その夜は、結局朝まで「Neeeeeeext !!」と叫びながらそこら中の家のパーティーを荒らし回った。
ヘベレケになりながら、頭の片隅で、こりゃグアムという島は凄い場所なのかもしれないと考えていた。18歳のときであった。