駐在組と付き合うのは止めようと思ったことがありました。
私たち家族がゴールドコーストに来たとき、私は30代後半、嫁は30代前半、長男は3歳、次男は1歳でした。来てすぐにしたことは、子供達の教育に関する調査で、偶然同時期に開園した日本人経営の幼稚園を見つけてホッとしたもんです。
日本人経営の幼稚園に通うようになると、当然そこで日本人家族と知り合い、家族ぐるみの付き合いが始まる。こちらに知り合いも何も無かった私たちの付き合いは、ここで知り合った日本人が中心になりました。
1991年、時期的にオーストラリアが注目され出した頃で、日本企業の進出、ワーキングホリデー、退職者の一時滞在、そして我々のような移住組がどんどん増えていた頃です。年代的にも同じような人たちが多く、状況も似たようなもので、どんどん彼らとの付き合いが広くなり、深くなっていきました。
私たちの友人の比率は駐在組7割、永住組3割という感じだったでしょうか。
そのまま何年か過ぎて行き、私もこちらで事業を興し、オーストラリア人との付き合いも広く大きくなり、ここの生活に慣れていくのと同時に、日本人との付き合いもどんどん深くなり、友人を通り越して親戚付き合いのような感じにもなってきました。家族単位でこちらに渡るのが普通だけれど、いわゆる核家族で、親兄弟親戚がこちらにいないのは皆同じ。友達同士の付き合いがより一層深くなって、心の支えとしてそれぞれが重要な立場になっていくのは当然の流れでしょう。
楽しい月日が過ぎていきました。三日に一度はどこかの家族が家に遊びに来ていたり、こちらが出向いたり、また月に一度は何十人も集まって大きなパーティーをやっていたっけ。一緒に近場の旅行に行くなんて事もしょっちゅうだったし、子供達もそれぞれが兄弟の様に仲良く育って行きました。
そうこうする内に、日本へ帰る人たちが出てきた。駐在組です。子供達も女性軍も目を真っ赤にして、さよならパーティを開いたもんです。と同時に、駐在組ですから後任が来るわけです。私たちは暗黙の了解というか、取り決めができていました。後ろに企業がついている駐在組といえども知らない土地に家族と渡ってきたら、旦那はいいにしても家族がどれだけ心細いかなんてことはよーーくわかっているわけです。ですので、会社の業務の引き継ぎがあるのと同様に、友達関係も引き継ぐという事をやっていたのです。
当然、それぞれ性格も考え方も違いますから、付き合い方も変わってくるわけで、前任者より深く付き合うようになった人たちもいたし、逆に歓迎パーティーだけの付き合いで終わった人たちもいたのは当たり前。でもそれはそれで良しとして、友人引き継ぎパーティーはよくやっていました。
そんなことを何度も何度も繰り返すようにやってきたわけですが、ある日ふと大きな悲しみを感じましたっけ。
気がついたら、本当に仲の良かった人たちが皆、自分の回りから消えていたんです。子供の年齢も上がってきて、当然こちらも歳を取ってきますと友人達との付き合い方も変わってくるんですね。若い頃は仲間意識みたいのが強いですが、歳と共にだんだんと距離を置いた付き合いになるんでしょう。言いたいことを言い合って、パーティの度に朝まで飲んで語って騒ぐということも減ってきました。
別れというのは本当に悲しい。
でも、新たな出会いで涙を流すことはないんですね。当たり前です。別れには大きな悲しみがあるけれど、出会いに大きな喜びを感じることはありません。
喜びは積み上げるものであり、悲しみは突然来る。
ところが逆に、心の中に友との別れという悲しみ、寂しさばかり積み上がっていることに気がついたんです。みんな、お互いに単なる友達以上の付き合いをしてきましたから・・・・
仲良くならなければこんな悲しみを感じることも無かったろうに、なんて考えたこともありました。それはバカな考え方だと思いますが、フト回りを見渡せば、人種も違う、考え方も常識も感性も違う人たちばかりいるわけで、その中で暮らしていくことに恐怖や不安を感じたことだって何度もあるわけです。そんな場所でこれから一生生きて行くわけで、何も気を遣わずに付き合える日本人の友人というのは想像以上の重要な心の支えであった、と気がついたわけです。それだけに別れの痛みは大きく、知り合わなかった方が良かったなんて何度も思いました。
そういう出会いがあったことに感謝しよう、なんていうのはただの格好付けで気持ちとしては辛さが積み上がっていきましたわ。
で、ある日ある時、必ず近いうちに帰ることが確実な駐在組とはもう付き合うのをよそうなんて考えるようになりました。
そんな気持ちを嫁に話したら、ウンと静かにうなずいたのが意外でした。何をバカなこと言ってるのよ、と言うかと思っていたのに・・・
しかし、現実的には我々が付き合う、付き合わないは関係なく、ゴールドコーストを取り巻く環境がどんどん変わり、駐在組はほとんどいなくなってしまった。今は観光業に携わる企業が若干残っているだけ。
ということで、話題はいつものお約束でどんどん違う方向へ行きます。www
駐在組に限らず、これはお年寄りも同じで、かつてかなりの数だった退職者一時滞在ビザで来ていた方々、私は日本人会の理事もしていたことがあるので、多くのお年寄りの方々と知り合いになりましたが、段々といなくなって行きました。
永住組も同じ。若くてやる気のある連中もたくさんいたけれど、夢破れて帰った人たちも少なくはありません。
とは言うものの、聞いてみるとそれなりにゴールドコーストに新規で入ってくる日本人は多いという話は聞きます。でも私たちとの接点は昔のようにはなくなってしまいました。
日本人の他にも友人はたくさんいます。当たり前です。私の場合、白系オーストラリア人よりアジア系が多いです。中国人、韓国人、インド人。そして白人としてはどういうわけか東ヨーロッパの人たち。これを聞いてピンと来る人はピンと来るだろうと思いますが、感性が違うんですね、やっぱり。
オーストラリア人は楽しくて親切で優しい。これはどこにでもよく書かれていることですが、間違いが無いと思います。でもねぇ、ちょっとねぇ、なんと言えばいいのでしょうか。アメリカ人を良く知っている人にはこの気持ちがわかってもらえるかもしれませんが、心の底で微妙なズレを感じるんですよ。
人間は皆同じだ、なんてことを言う人がいますが、私は違うと思いますね。びっくりするほど違う。まぁ、考えてみれば日本人同士でもそれがあるわけですから、ましてや外人となったら、信じられないような考え方、感性、常識を持っていると思って間違いがないと思っています。
そんな中で通じる物があるのを感じるのは、上に書いたアジア系の人たちと東欧の人たち。心のヒダヒダの部分に共通点があるような気がします。というか、理解し合えることが多いと思います。これは後で気がついたことですが、歴史的に迫害、抑圧、侵略を受けた経験のある国の人たちはひと味もふた味も違うってことのようです。
オーストラリア人と話していて、自分の英語の未熟さを感じたことが何度もあります。どうして通じないんだろうと結構悩んだことがある。でもある日ある時、言葉の問題じゃなくて感性の問題だと気がついたことがありましたっけ。その時はちょっとがっかりした。こんなことをハワイの日系二世と結婚してハワイに長かった姉(今はMM2H)に話したら、当たり前でしょう、あんた今頃わかったの?なんて言うし・・・・ www
私は根っからのアジア人なんだろうと思いますわ。そろそろオーストラリアを出る時期になったのかもしれない・・・・