「PCR検査を増やしても意味がない」理由

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ダイアモンドプリンセス号の話が出た時に、私が一番最初に思ったことは

「全員下船」「全員検査」「個別隔離」

です。

まぁこれって素人でもわかるはずですが、でもこれってまさに素人の考え方、理想論でしか無いというのが段々と分かってきました。

「やるべきことはわかっている」「だけどできない」

なんてことを聞けば、何やっているんだ、危機管理能力がないと批判を受ける。でもそれは確かに当たっていて、では危機管理のために憲法9条は改正して、アメリカとの同盟も破棄、独自で軍備を増やすとなれば、今の軍事費の最低4倍は必要だと言われる。また日本は核ミサイルを持つ国に囲まれているのだから「核シェルターを作る」となれば、天文学的な額の経費がかかる。いや、天文学的な経費というならば、地震国日本で国民の安全を考えるのであれば、まさに天文学的経費をかけて国土強靭化をしないとならない。

コロナウィルス対策もこれと同じじゃないんですかね。できないことはできない。

そうは言っても多くの人たちが嘲笑った中国の「即席病院」「即席収容所」は間違いなくあった方が良くて、「現状の医療リソースだけで対応しよう」というのは私もおかしいと思う。また「収容施設が十分にない」のはどの国も同じなはずで、でもリゾートのホテルを急遽収容施設にしようと借り上げた国もある。

だから「日本はやれることをやっていないじゃないか」という点においては、私もそう思うし、各国から批判も出ている。これは日本での感染者数というよりも日本政府の対応に批判がおきているのだと私は理解しています。当事者能力がないと思われても仕方がない。「日本政府は丁寧な説明をしていない」と指摘をするアメリカの専門家がいたけれど、私もそれはそのとおりだと思う。

さて、PCR検査。

これもまた「必要なのはわかっていたのだから、十分な検査キットの事前確保と、多くの拠点で検査できる体制をなぜ組まないのか。望む人には検査を受けられるようにしろ」という批判が出るのも同じじゃないんですかね。私もそう思う。

ところが、これの前提になっているのは「検査をすれば信用できる結果がわかる」ということじゃないんですかね。こればかりは医療従事者じゃないと全くわからない話で、素人の理想論は意味をなさない。でも日本の左派とメディアは大騒ぎをしている。

私自身は、検査結果の信頼性は70%程度であって、検査する時期によってまるで意味がなかったりするのは見ていてわかるわけで、これならやらないほうが良いとすぐに思うようになりました。もし1万人検査をしたら、3千人が「誤診」となる。どうします?どうなります?

それでもやるべきだということこそ、私には理解できません。

(注)私が全てのPCR検査に意味がないというのではないのはわかりますよね(そこを勘違いしているコメントを頂いた)。検査は絶対に大事で、私の出発点は「(ダイアモンドプリンセス号のときの)全員検査」です。私が意味がないというのは、「誰でも受けたい人には受けさせる」とか、「全員検査」とか、それは意味がないと思うようになったということ。「医療現場が判断する検査が必要な人が必要な時に受ければ良い」ということ。今の政府厚労省の考え方に私は賛成です。

ただ「検査を受けるべきだと思えるような人も検査を受けられない事実は間違いなくある」のはわかる。でも今、暫定的な条件をつけて「検査が必要な人、必要でない人」をわけないと、もっと大変なことになるのもわかる。だから今は過渡期だと思うべきで、困っている人もいるけれど、全体のことを無視して個別対応を進めるべきではないというもわかる。

これの答えを高橋洋一教授がわかりやすく論理的に説明しています。いや、わかりやすくないかもしれないけれど、私としてはメディアは最低これぐらいの知識を元に騒ぐべきじゃないかと。左派、メディアが反論するなら、こういう高橋教授の言う理屈に対して、それは違うでしょうと言うべきで、単に理想論を振り回しても、段々といろいろ分かってきた現時点で、国民の不安という根拠も怪しく、コントロールが難しいものを前提として批判を続けてもそれに賛同する人って意外に少ないかもしれない。国民だって勉強しているんですから。

私はこの大騒ぎも「桜」や「モリカケ」に似ているものを感じていて、一体何を目的としているのかがよくわからないのです。ま、なんでも安倍が悪いに結びつけばそれで良いのかもしれませんが、それを冷ややかな目で見ている国民も多いのを無視してほしくないなと思ったり。

でも不安は誰でも持っているし、その不安を和らげる努力をするべきなのが政治で、現場に任せて正論ばかり広めてもそれを理解し、はいそうですかと国民が黙るわけもない。そういう意味での安倍さんの責任は間違いなくあるとは思う。安倍さんの支持率は下がり、台湾の蔡さんの支持率はうなぎのぼり。なぜなんでしょうか。私は蔡さんが「必要なことをやったから」だとは思わないんです。でも「国民がしてほしいことはした」んでしょう。それがコロナウィルスの対応策としてベストではないにしろ、「国民の心に沿う事ができない政権は潰される」のは間違いがないんじゃないですかね。それでも正論を押し通すとしたら私は政治家として失格だと思う。正論を言うべきなのは医療。

高橋教授の説明。07:28辺りから。その前の部分は「オリンピックがどうなるか」は何を見ていればわかるかの説明をしていて、これもまた我々は頭に入れておいたほうが良いと思いました。


オリンピックに関してちょっと書き出しておきます。

◯ オリンピックを開くには、「WHOの終息宣言」が必要。

◯ 終息宣言を出すには「最後の感染者から1ヶ月間、感染者がゼロ」の必要がある。

◯ オリンピックの2ヶ月ぐらい前にははっきりさせる必要がある。

◯ ということは5月24日頃に、終息宣言が出ていないと駄目

◯ その1ヶ月前、4月の24日頃には「最終の感染者」でないとならない

◯ 3月をピークに感染が収まってくれば間に合うけれど、4月に入ってあちこちで新たなクラスター感染が起きたらアウト

これはIOCの委員の開催云々の発言で騒ぎになりましたが、その内容と上の内容は符合する。

どちらにしてもですね、またなんでもそうですが、私は「どれが正しい」「誰が間違えている」とか、「誰の言うことを信用するべきか」「誰は信用できるのか」という考え方は駄目だと思うんですよ。

どれほどお偉い学者でも政治家でも「必ず異論はある」わけで、そして全ての人は「自分の立場でポジショントークをしている」わけで、「この人はこう言っている。こう考えている」と受け止めるだけで良いんじゃないですかね。私は自分にはわからない世界の話を聞いて「白黒つける」のは不可能だと思っています。

だから「権威のある人、権威のある機関の話を信用する」となりがちですが、これって「貴方は神を信じますか?」というのと同じ。そもそも総理という日本のトップの発言を信用できるのかって話し。「事実」「大事なこと」は全く別のところにあるという前提で私は常に疑うことにしています。

また発言者の地位とか賢威とかそういうのは一切無視することにしています。特に日本の場合は、私の人生の中でどれほどそういうお偉いさんたちに振り回されたかと思っているので、地位がある、権威があることこそ、距離を置かないと騙されるぐらいだと気をつけています。「学者」「専門家」という【肩書】も私は無視します。たとえば、「専門家委員会」「有識者会議」なるものがどういう問題を抱えているか誰だってわかっているじゃないですか。国連も同じだし、解体論さえ出てくる状態。

ただ発信者の性格とか思考パターンは見ているとわかってきますから、この人の情報なら聞く耳を持とうとか、その程度でしかありません。

そういう意味で、高橋教授には一目置いています。でもこの人が常に正しいなんてことは一切考えていません。でも私にとっては常に考えるべきネタを与えてくれる大事な人。

 
 
 

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