私の世代の人は結構そろばんを習ったことがある人は多いですよね。そもそも「計算機」が世に出てきたのは大人になってからですし、私が子どもの時代からその後もそろばんで計算するのが常識。
だから私も小学生時代「そろばん教室」に通ったことがありました。でも2ヶ月ぐらいでやめちゃいました。なんせあれもこれも手を出したくて「一つに集中するのが得意ではなかった」のは昔も今も同じ。
ただ暗算は決して遅い方ではなくて「ちょっと早い方」だったかな。でも掛け算、割り算は2桁3桁になったら暗算ではできない。
それで人生に困ることはなくて、ましてや海外に出たら「簡単な計算もできない人達」がごっそりいて驚いたもんです。
1980年代だったでしょうか、初めてオーストラリに行った時のこと。
ホテルに泊まったのですが「朝食は別料金」だったので毎朝、朝食時に現金を払っていたのですが、ほぼ毎日同じ金額を払うのですが、「100ドル札をだしてもらうお釣り」がその日によって違うし、間違えている確率は70%ぐらいだったんですよ。これには本当に驚いて、「大体あっていればOKな国なのかな?」と思いました。当然、私としては、足りなければ言うし、多ければ返した。でもチェックもせずにそのままお釣りをポケットに入れちゃう人も多いと思いました。
スーパーや大きな商店には高性能のレジが導入されていましたが、「計算が遅い、間違える」のは普通の出来事だったのを思い出します。「レジがなかった時代」はどうしたのかと悩むくらい。
ああああああ、思い出した。
昔は、たとえば83ドルの買い物をして100ドル出した場合、お釣りは17ドルですが、店員は最初の83ドルにお札や小銭を足しながら渡していくのね。まず2ドル札を渡して85ドル。次に5ドル札を渡して90ドル。最後に10ドル渡して100ドルで終了、みたいな。こういうのがアメリカでも当たり前だった時代を覚えている人っているかな~?
つまり日本式はお釣りは「引き算」で計算し、海外では「足し算」で計算するところがあったのね。
オーストラリアもそうで、上に書いた例みたいに「お釣りが17ドル」というのはレジに表示されるからわかるわけで、ある頃からどこへ行っても「お釣りの額をそのまま渡してくれるようになった」のを思い出すし、オーストラリアもやれば出来るじゃん、なんて思ったっけ。
でもそんなオーストラリアで生活し、計算機も広まったし、パソコンを使う、エクセルを使うようになって「自分で計算すること」は非常に減ったのね。ましてや「暗算」なんて本当に簡単な計算しかしないようになった。
それでも問題はなく今に至るんですが・・・・。
70歳も超えてくると、簡単な足し算、引き算でも「あれ?間違えたかな?」と思うことが増えたのね。だから、かつては絶対に計算機を使わなかったようなことでも暗算はしないで、計算機を使うようになった。
そしてその「退化のスピード」ってどんどん早まるのね。
アルツハイマーのテストで「100から順次7を引いていく」というのがありますよね。100,93,86,79ってやつ。
あれもかつては簡単だったのが、今では「途中で止まる」「合っているかどうか悩む」ことが増えてきたんですよ。
それはまさに私もアルツハイマーになりつつあるのかもしれないし、まだ今の時点では「単なる加齢」かもしれない。
そんなことが気になっていた時に、ユーチューブでこんな動画を見た。
そろばんは計算をする道具ではなくて「脳を鍛え、進化させる道具」なのを思い出しました。
人生の初めの頃にその能力を得るのは重要だけれど、年寄りにも最適かもしれない。
指の動きも重要なわけで、「麻雀も良い。指の運動になる」というけれど、そろばんの指の使い方、速さは麻雀の比じゃないじゃないですか。
そして失いつつある「暗算能力」も逆に上がっていくかもしれない。それはつまり「劣化していく脳を鍛えるのに最適」かもしれない。
でもねぇ、麻雀なら面白いから何時間でも出来るけれど、そろばんを習う、練習するとなったら・・・、続けるのは私にはまず不可能。
ま、体の健康を保つのと同じ様に「脳を鍛える」ことを真剣に考えないと本当に危ないと思う今日このごろ。
ちょっと真剣に考えてみよう。