調味料、ケチャップやソース類を変えないと「調理実験」も飽きてしまう & やる気が失せた

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調理実験って本当に面白くていろいろ作っています。

基本的には「良いものを作りたい」と思っていて、「お腹がいっぱいになれば良い」という考えはなくて、自分でも家族でも「う~~~む、美味いっ!」と思うような物を作りたい。

それと「未知のものを作る」のも楽しみの内で、「知らない国の知らない料理」や「古代の食べ物」や「昔、流行った食べ物」「昔の味の再現」もユーチューブ動画を主に見ながら作ってみたり。当然、「どうあるべきか」なんてのはわからないわけで、「こんな感じかな?」とあくまで「想像上」の味を目標にするしか無いのね。でもそれはそれで結構面白い。中世期のフランスはこんな料理だったのか、日本人が洋食に出会った明治から大正の頃はこんなのを食べていたのかなんて思いながら食べると、タイムマシンに乗ったような気にもなってくる。

良いものを作るにあたってやっぱり難しいと思うのは「和食」で、「美味しさの定義」って結構、決まっていると思うんですよ。たとえば「出汁」もそうで、美味しい美味しくない、料理に合う合わないはすぐにわかる。こういう料理を突き詰めるのは私みたいな素人には半端じゃなく難しいのね。

そういう点で「洋食」「中華」は本場の人たちにはこだわりがあるにしても、門外漢としての私が作る場合は「自由に作ることが許される」と思うのね。勝手に作って勝手に盛り上がっていても良いと思う。でも当然、本場の人たちに「食べてみてください」なんて言えないものばかりとなりますが、自分の家で盛り上がる分には自由に作れる。

ところがですねぇ、例えば私が得意で家族にも絶賛される「麻婆豆腐」にしても、最初は「狙う味」もあってそれに近づけようとするわけですが、そしてそれがある程度出来るようになるとその味に飽きてくるのね。

これも不思議だと思うんですよ。和食の場合って「常に自分のできる限りの美味しさのてっぺんを狙う」し飽きることはないのね。というか、どれだけ頑張っても頂上は遠すぎて届かない。

でも「麻婆豆腐」だと、「ちょっと毛色が違うものを作りたい」とすぐに思う。「味変をしたい」とも思う。こういう思いを和食で持つことはほとんど無いのに、なぜ洋食や中華だとそう思うのか。ま、「自分が向かうべき頂上がわかっていないから」だろうなとは思っていますが。

で、いつもと違うのを作りたいと思っても、「素材、具材、調味料」が同じだと、どうしても【似たようなものしか作れない】のね。

でも「同じものを作るのが重要」なのもわかるんですよ。飲食店はまさにそれで「その都度、味が違う」なんてことは許されない。

ところが「家で作るもの」は同じだとすぐに飽きてしまう。そして家でも「安定した味」を追う必要があるのかと思う。

それは得意な「麻婆豆腐」もそうで、作っている時に「出来上がりがわかってしまう」のが作っていても面白くないのね。「餃子」も同じで、「作り終えてから食べる時の感動がない」んですよ。毎日同じものを作る「定食屋のオヤジみたい」だ、なんて思ってしまう。だから作るたびに、「変化をつけたい」と思うのね。でも不思議に「肉まん」「ワンタン」は【こうあるべき】というのが決まっていて、いかにそれから外れないように気を使って作る。

で、「いつもとちょっと違うのを作る」ってのが結構難しいのね。

でも「調味料やソース類」を変えるだけでかなり変わるし、新鮮な気分になるのが最近かなりわかってきた。

私は「ケチャップ」が好きで、また使う頻度が多いのですが、「いつも同じ味」になるのね。それは言い方を変えれば「安定した味」とも言えるのだけれど、なんだか面白くない。

そこで「ケチャップ」を使うべきところで「ピザソース」「マリナラソース」「トマトペースト」等を使うようにしたんですよ(基本的にイタリア料理が好き)。また辛味ソースの「スリラチャ」を足したり、本場イギリスのスパイスが効いているウースターシャーソースをちょっと混ぜるだけでもかなり変わる。そもそも市販のケチャップって「子供用か?」と思うくらい甘いのが気に入らない。本来は自分でトマトベースで作ればよいのだけれど、そんな面倒なことはしたくないし、「出来合いのソースはいろいろ売っている」からそれを使うのが手っ取り早いし思ったほどハズレがない。それって単純な和風スパゲティナポリタンやケチャップライスも同じで、「懐かしい味」を楽しむのは良いけれど「いつも同じ、あの味」って飽きる。

でもケチャップの代わりにピザソースや様々なパスタソースを使うとこれが大当たりで、なんとなく「いつもと違う」し「本場の味」みたいな感じも出てくるのね。そしてふつう使わないような「バジル」とか「イタリアンパセリ」、あるいはイタリア料理でよく使うスパイス類があるだけで「家庭の味から一歩出られる」感じがある。これはよく使う「マヨネーズ」も同じで、「キューピーか味の素、どちらが良いか?」なんて話はよく出てくるのだけれど、どちらを使っても「タルタルソースは似たような味」になってしまう。ちなみに我が家は「味の素派」。

ところが「いつも買おうなんて思ったこともない、外国産のマヨネーズ」を使うと、世界が突然開けてくるような気がする。レストランで食べたタルタルソースに感激したこともあるけれど、それをどう真似て作ったら良いのかはわからないけれど、「市販の外国産のマヨネーズ」を使う、ちょっとアレンジするだけで、良いレストランで外食している気分にもなるから面白い。それは「カラシ」「和辛子」「マスタードのいろいろ」も使い分けると「ローストビーフやステーキ」も幅が広がる。「わさび」もそうで「ホースラディッシュ」が欲しい時ってあるじゃないですか。

当然、バターやエクストラバージンオイルも同じで、それらは「料理のベースにかならず使うもの」という意味で使うのではなくて「調味料」として考えるようになると「バターの使い分け」も考えるようになって、マレーシアでは日本より安いと言われる「フランスの抜群に美味しい発酵バター」を使うだけで「スクランブルエッグ」が【高級ホテルの味】になるのね。

塩も同じで、私は「塩の味の違い」って良くわからないのだけれど、【塩の形状による違いは大きい】と思うのね。つまり「粉みたいな塩」もあれば、「粗塩」もあれば、そして「結晶になっているマルドンの塩みたいな塩」も【歯ごたえが全く違う】から料理の場面場面での使い分けの面白さは大いにあるのはわかる。(でも味そのものの違いは私には良くわからない)

こういう「いつもと違う味にする」のってシチューやカレーも私には非常に難しい。

特にカレーなんて「市販のカレールー」をいつも使うから「いつでも同じ味」で面白くない。我が家では常に「二種類以上のカレールーを混ぜて使う」けれど、それだって使い方が同じなら「いつもと同じ」になってしまうのね。でも不思議なもので「大好きなハヤシライス」の場合は「いつも同じ味」なのが嬉しい。そして「ビーフシチューの素」は美味しいと思ったことがないから私は使わない(ヨメさんは使う)。

ただ「食材を変える」「下処理を変える」ことでカレーは大きく変わるし、最近は「市販のルーは半分ぐらい」にして、自分で小麦粉とバターを炒めてルーを作ったり(焦げ茶のブラウンルーが好み)、ワインを大量に使ったりして、そして「ガラムマサラ」を使えばどうにか「ありきたりの味を超える」ものを目指せるからまだ楽しみはあるけれど、単純な料理ほど「味を変える」って難しいのね。

だから調味料やスパイスの種類の在庫を増やして、上に書いたようにソース類もいろいろ買ってくるわけですよ。

ところが~~~~~~~~~~~~~~

「また使いもしないわけのわからないものを買ってくるんだから!!」

とヨメさんと息子から総攻撃をくらう。(┰_┰)

そりゃ種類が多ければそれぞれの使う量も少ないわけで、ヨメさんや息子にしてみれば「買ってきても使わない」と思うみたいね。

そんなことがありまして、いろいろ持っていた調味料やソース類を大量に捨てることになりました。

賞味期限切れになったものもあるわけで、それに神経質な息子はあれもこれもとどんどんゴミ箱に投げ入れる。特に「中華料理に使う調味料」は大量に捨てられた。

「ああああ、それは捨てないで~~」なんて言っても無駄。「古いもので料理してそれを食べさせるつもり?」と言われれば反論のしようがない。

いろいろ実験をするから調理も面白いわけで、ヨメさんや息子に言われるままの料理を作るなんて全然面白くない。

まさに「売れない定食屋のオヤジ」みたいなもん。

つまんね~~~の。

やる気が失せました。

 

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