アメリカに行くべきだったか・・・・

最近、変なことを考えることが多くなってきました。

アメリカって自由だなぁと強く感じるんです。そして何をするにしてもその環境が整っているんですね。仕事でも遊び、趣味でも同じ。

20数年前に自由を求めて見ず知らずの、そして仕事も何もないオーストラリアに家族4人で渡ってきましたが、今思うとオーストラリアで「妥協」したのかな?みたいな気がしないでもないんです。

ただ子育てが私にとっては何よりも大事で、子育ての環境としてはオーストラリア、それもゴールドコーストは最高だと今でも思っているのですが、子供たちもおとなになった今、そして私やヨメサンが一人の人間に戻った時に、フト、自分にとってはこれがベストだったのだろうかと思うようになりました。

子供たちのことばかり考えていて、自分たちのことは二の次でしたから。

アメリカだったらゴールドコーストにいたようには子供たちが育たないのかどうかはわかりません。ただ、私には人種偏見みたいなものが根強くありまして、アメリカ人の特性に関して私自身が考えていることがあります。それは良い面として出れば良いのだけれど、悪い面として出たらどうしようもないみたいなところがあります。もし子供がアメリカで育ったらどうなるのか、それを考えた時にアメリカは怖い、リスクがあると感じたのは確かです。それはアメリカが悪いという意味ではなくて、それだけ自由度が高いってことです。子供がどんな生き方を選ぶのかが想像できないんですね。

その点、オーストラリアにいると安心と言いますか、子供は環境で変わりますから、その環境としては適当に田舎で、適当に保守的で、でも日本人的村社会は(オーストラリア人の中には)存在しませんし良いと思っていました。アメリカとは全然違うと思います。

ただもちろん個人個人まるで違いますし、都市によっても違いますし、アメリカとかオーストラリアとかそういう大きな括りで囲むのが良いとは思わないのですが、でも大雑把にいって「日本人的」というのがあるのと同じように「アメリカ的」「オーストラリア的」そして「ゴールドコースト的」という違いがあるのもはっきりしています。

子供たちに関しては、息苦しい、もっと羽ばたきたいと思えば羽ばたけば良いと思っていましたが、自分に関してはそんなことは考えたこともなかったんです。

でも子育てを終えると、60も過ぎたジジーになったのに若いころの感覚が戻ってくるんですね。そしてあれもしたかったこれもしたかったと「わがまま」が出てくる。

じゃぁ、それがゴールドコーストでは出来ないのか?ということですが、出来なくはない。でもやっぱりアメリカに比べるとかなり保守的な考え方を持った、ある意味、常識的であると言っても良いと思うのですが、アメリカ人みたいに好き勝手にやりたいことを追求できる環境ではないんですね。

自分自身が好き勝手なことを追求したいタイプだとは実は思っていなくて、他人様が見るとかなり好き勝手に生きてきたように見えるようですが、本人はかなり抑えて生きてきたつもり。つまり、「やりたいこと」「やるべきこと」「やっても良いこと」「やらないほうが良いこと」などいろいろな見方がある中で、私は「やるべきこと」を優先して生きてきたんだなと自分でも思うんです。

でも今、一人の男としてこれからの人生をどう生きようか考えた時に、アメリカが気になるんです。そうそう、彼らの庭が青く見える。 (笑)

例えば、なんていうのかなぁ、昔々はゴルフって贅沢な遊び、スポーツだったじゃないですか。庶民がやるものじゃなかったし、金もかかるし、それ以上に人間の「分」みたいのがあるのを感じていました。敷居が高いとか低いとかって、そういう「分」に関係していると思うのですが、そういうものは間違いなく存在するはずです。でも今となっては、ゴルフは庶民のスポーツ、遊び、趣味になったし、決して憧れの対象ではなくなった。

それと同じように、あれは?これは?と今まで尻込みしていたようなことを考えた時に、アメリカって普通の人が普通にもうとっくにそれをやっているんですね。

昔、アメリカで見た、高校生でさえもゴルフ場で普通にプレーする国。サラリーマンでも夏の日が長い時期には会社帰りにラウンドしたり、モーターボートやヨットを持って、まさにそれらが子供の自転車くらいの感じで普通に所有し、それで遊ぶ国。(日本と比べればオーストラリアはアメリカに近いですが)

そんなのを見て、アメリカに負けてたまるか!なんて思った時期がありましたが、自分自身はそれを乗り越えたつもりでも、フト今のアメリカを見ると、どんどん先に行っていて結局また取り残された感じがするんです。やっぱりオーストラリアって田舎。遅れています。まだまだアメリカに比べると質素というか先進的ではない。アメリカではいいジジーが子供みたいな笑顔で楽しそうに生きているのがわかります。ま、それもオーストラリアとて似ているのですが内容がまるで違うんですね。でもそれは余裕があるからそうなんだってことじゃなくて、苦労は誰にでもどこの国にも存在するわけで、そういう苦労があるのと同時に、自分の楽しみを追求できる場所なんですね。アメリカって何をしようとしても、その為の環境が出来上がっている。選ばれた人じゃなくて、普通の人たちが普通に楽しみを、あるいはあえて苦労だとしても、仕事にしても自分の生きたいがまま自由を追求できる先進国。。

日本人なら「あの人変わってるね」と言われるような人ばかりの国。 (笑)

あの世界に飛び込んでみたかった・・・・・

そんなことを考える今日このごろ。

私達がオーストラリアを選んだのは永住権が取れる国であったから。もしあの時アメリカも同じように永住権が「必ず」取れる国だったらどうだったろうか。そんなことを今までに何度も考えました。どうせ現地に友達も知り合いもなく、仕事もゼロから初めて収入を得ながら生きていかないとならないのはオーストラリアでもアメリカでも、当初考えていたカナダでも同じことで、そういう意味での縛りは私にはありませんでした。どうせどこに行っても苦労するのは同じ野良犬みたいなものですから。(笑)

だったらもっと自由を追い求めるべきだったかな、みたいな気が今になってするのです。

自分は妥協する生き方が嫌いでオーストラリアに新天地を求めて来たわけですが、結局、ここで妥協する生活をしていたのだと思うようになりました。適当に田舎で適当にユルいオーストラリアって居心地は間違いなく良いのだけれど、羽ばたくことを忘れてしまったような気がします。「偉大なる田舎」という言葉が似合う国だと思うのですが、あまりにもその中に浸りすぎたような気がします。

アメリカ。悔しいけれど、やっぱり凄い国だわ。毎年毎年すごい人数の人たちがアメリカに渡っていくのも今になってわかるような気がします。やっぱりアメリカなんでしょうねぇ。

もう今の私には、未知の世界に飛び出していく勇気はなくて、どういう生活になるか想像が可能でどっぷり浸かることなく片足を入れただけみたいな長期観光旅行とさほど変わりのないマレーシアでのロングステイ生活、そしてその後、老いと死を前提にした日本での本拠地づくり。どちらもアメリカみたいな自由な考え方、そして自由に生きる環境が存在しない、整備されていない国へ渡って、それが私のこれから行くべき所かと思うと、何かがおかしいような気がしないでもなし。

でも自分自身に大きな夢があるわけでもなく、こじんまりした生活の中に幸せを感じるし、小さな楽しみをいくつか作ってその中で老いて死んでいくことに我慢ができないというわけでもなし。

とは言うものの、息子がアメリカに行く!と言い出したら着いて行きそう。(笑)

 

 
    

     
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