自己責任

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マレーシアにおける「パームヤシ投資、生姜投資」で【契約が履行されない】問題が起きている様子。

この詳しい内容は私は知らないし、詳しく知りたいとも思っていないのですが、ちょっと気になることがあります。

被害にあっている方々は決して少なくないと思うのですが、この「責任」は誰にあるのかという点。

私は、「その責任は全て自分自身にある」と思う。

もちろん、その投資話を勧めた代理店の責任もあると思います。代理店ですから当然その投資話に顧客が乗れば【手数料】も入るわけで、「後のことは知りません」じゃ済まない。

問題が起きれば、「代理店が損失を補填するべきだ」という気持ちもよくわかるし、「代理店に騙された」とか「まさか日本人が日本人を騙すとは思わなかった」というのもわかる。

でもその考え方は間違えだと思うんですよ。

契約時に「万が一の事を考える」のは当たり前で、その時に代理店とどういうことになるかの話し合い、約束なりしなかったんですかね。口頭だろうが文書、法的に有効な契約書なりは交わさなかったのか。

もし代理店が「何かあれば保証します、補填します」と言っていたのであれば、その約束通りにやってもらえばよいし、でもその約束がなければ、「契約した自分がリスクを取る」のが当たり前じゃないんですかね。

そもそも、その投資話を聞き、契約した時、自分は「良い話を教えてくれて有難う」って思ったんじゃないですか?そして「儲かる計算ばかりしていた」んじゃない?

それがうまく行かなかったからと言って「代理店を信用するべきじゃなかった」とか「海外では日本人が日本人を騙すんですね」というのはおかしくない?

契約を履行しなかったのは代理店ではなくて、元の企業でしょ。本当にその代理店が危険を知っているのに「大丈夫だ」と私達を騙したと思います?

はっきり書きますが、そういうふうに思う気持ちはわかるけれど、そう思うタイプの人って、私はそもそも投資をするべきじゃないと思うんですよ。

もし私が代理店で、顧客がそういうタイプだと思ったら、私なら投資は勧めません。

代理店の肩を持つわけでは決してないし、代理店に一切の責任がないとも思わないけれど、【ほぼ全ての責任は自分にある】と思うべきというのが私の考え方です。

「良い話を持ってきてくれた」場合、「うまく行けば有難う」で、「失敗すれば騙された」っておかしくないですかね。

もしそういう人ばかりだとしたら、私だったら情報提供もしようとは思いません。

アメリカで金利が上がってきた2022年に、私は利回りが10%を超える米ドル建て債券を買ったとこのブログに書きました。

その時にですね、「私も買いたいのでその銘柄を教えて欲しい」というメールを読者から頂いたんですよ。でも私は「ご自分で調べればわかるはずだから調べてください」「リスクがあるので私はお勧めしません」と返事を書いた。

その読者とは付き合いも長く、「自分で色々調べるタイプではない」のを私は知っていましたし、その後、その債券に関しては何の連絡も受けていないので「買っていない」と思っています。

で、その債券とはクレディ・スイスのAT1債で、年が明けてからものの見事に破綻。私は人生初の大きな損失を出してしまいました。

そのこともブログに書きましたが、その「私も買いたい」と言っていた読者から「なんでそんな債券を買ったんだ?」という批判めいたコメントも頂いた。

私は正直なところ「よく言うよ」と思ったんですよ。でも「貴方も興味があれば買ったら良いと思います」なんて言わなくて本当に良かった。

でももしも私が「債券の販売」をしていたとしたら、もしかしたら「購入を検討するのは良いかもしれない」ぐらいのことは書いたと思うんですよ。販売手数料もそこそこ入るはずですから。

でも債券の場合、取引会社はその点はきっちり「責任の所在」をはっきりさせる。まず口座を開く時から、「リスクを理解しているか」「過去にどういう経験があるのか」とか根掘り葉掘り聞くのは「株式や先物取引」も同じで、「推奨銘柄を売買し、それで出た損失に当社は責任を負いません」という文言は必ず入っていて、それにサインしない限り「売買は出来ない」様になっている。

これはこの世界では常識で、なぜそういう誓約書を出させるかというと、「騙された」とか言い出す人が必ず出てくるから。

実はそのクレディスイスのAT1債も、私の取引のある銀行の「推奨リスト」に載っていたんですよ。だからそういう債券の存在を知ったわけですが、そういう推奨リストに「リスクは明示されている」し「責任の所在」も書いてある。そしてしつこいぐらいに「責任は投資家本人にある」のを書いてある。

で、実際に破綻してその債券が紙切れになった時、私は正直なところ「申し訳なかった」ぐらいの一言があると思っていたんですよ。実際に「推奨リスト」に載っていなかったら買わなかったと思いますもの。

でもその銀行の担当者は長年の付き合いで我が家の家族構成から何から全てわかっているような担当者ですが、「残念でした」の一言もなく、あまりにも「当銀行は関係ない」みたいな態度で、私も「ムッとした」のは間違いがないものの、その債券を選び買うのを決めたのは私だからしょうがない。

ただ、クレディ・スイスの債券の事をブログに書いた時、あるマレーシア在住の(有名なセレブの)方から「私もやられました」という連絡があった。でもその人は「パーソナルバンクにお任せ」だったようで、その銀行の担当チームが投資先を決めて、そしてやられたとのことで、かなり憤慨していましたが、それでも責任は投資家にあるのは間違いがない。

当然、銀行側は「申し訳ない」というわけもなく、もしそれを言えば世界は「否があるのを認めるなら、保証しろ」という訴訟に動きますからやっぱり謝ることはしない。当然、資産運用を任せる時に「分厚い契約書」にサインをしているはずで、そこには「責任の所在」は明確に書いてある。

さて、パームヤシ投資、生姜投資のケースではどうだったんでしょうか。

私は代理店は「間違いなくそういう誓約書を顧客からもらっている」と思いますが、もしそうじゃないとしたら、「代理店もド素人」としか言いようがないし、本来はそういう代理店をおかしいと顧客のほうが注意をするべきだと思うんですよ。

ましてや、そういう投資話を広め、それを販売するのを本業にしているのではない場合は「そこになんらかのリスクが隠れているであろう」ことぐらい想像できなくては駄目なんじゃないですかね。

私も当時、パームヤシ投資に興味があったので代理店とやり取りをしましたし、このブログ上でもやり取りがあった。でもそれはその投資の内容の話で、責任問題の話はしなかった。

ただ、この投資話を「他のマレーシア在住の一個人(日本人)も勧めていた(ネットを通して仲介していた)」のを偶然知って、こりゃヤバいと思ったわけです。そのことはブログにも書いたはず。

これってどんな投資話も同じで、代理店は代理店として「責任や義務がある」わけですが、「普通の一個人が勧める投資話」って【単に紹介料を稼ぐ仕事】なのはすぐにわかるじゃないですか。

これじゃ何か起きた場合、その紹介者は「窓口としても機能しないであろう」ことは簡単に想像できるし、マレーシアの地元の企業で、開発案件に投資をするなんて話に乗って、その企業といろいろやり取りをするなんてことは「自分には出来ない」と思ったし、どんなに良い話でも「なにか起きたら面倒なことになる」のは簡単に想像できる。

私達が買い物をしたり投資をしたりするとき、多くのケースは代理店、販売店を通しますよね。そして何かあったら、その代理店を窓口としてやり取りする。まさか大本の企業やメーカーと直接すったもんだなんかしないじゃないですか。保険も同じでしょ。

でも何かあったらそうなるであろうことは、今回の投資話はすぐにわかるはずなのね。そもそも代理店がその方面のビジネスの専門家じゃないじゃないですし、つまり「紹介料を得ているだけ」なのはすぐにわかる。

だから「何かあったら自己責任」なのは明らかで、「海外では日本人が日本人を騙すんですね」なんて発想はピントが大ボケなのがわかるはず。私はそういう発想をする人が、この手の難しい投資に手を出したこと自体、驚きなんですよ。ましてやここは海外で、日本の常識も通じない、法律も違う、下手すりゃマレー語でのやり取りが要求され、代理店も素人で紹介料を取るレベルだとしたら、どうするべきか簡単にわかるんじゃないですかね。

でも「冷静に考えればすぐにわかること」なのに【欲に目がくらんでいるとそれに気が付かない】事が起きるから、投資は難しいし、世の中に多くある詐欺もそこを利用する。

私が最近、しつこいぐらいに新NISAのことを書くのも同じ理由なんですよ。

アメリカインデックス、オールカントリーインデックス、日本株もまだまだ行ける、積立方式で長い目で見ればOK、下がったら買い増しのチャンスと見るべしと、世の中にはうまい話が溢れているじゃないですか。

これってまさに「パームヤシ投資をすれば年率7%以上で回る」という話と同じだと思います。

そして世の中には、自分はその方面の知識がない、売買のノウハウもない、うまくいかなかったらどうするべきかもわからない、代理店もあてに出来ない、現地の言葉で法律的なことも自分でやらなくてはならない、そんな中で、【フムフム、儲かりそうだ】なんて思うほうがおかしい。

もちろん「うまくいくかもしれない」のは株式投資や債券投資もパームヤシ投資も同じで、でも「うまく行かなかったケース」を【想定できない】人は、そもそも投資を考えるべきじゃない。新NISAも同じ。

特に株式投資に関しては、「安く買って高く売る」しか利益を出す方法がないのに、「とんでもなく値上がりしている頃」になってやる気を出すっておかしくないですかね。

本来は、「皆が見向きもしない安い時に買う」から利益が出るわけで、高くなってから「買いだ~」と言い出す人って【高値を掴まされて終わり】なのが世の中の常じゃない?

もちろんその高値からどんどん上がることもあるわけで、そういうこともあるというのは私も経験したのを前の記事でも書きました。でも「安く買って高く売るから利益が出る」という基本は変わらない。

相場の世界は「下げでもショート(空売り)することによって利益も出る」わけですが、そんなことは一切考えないで、「買うことしか考えていない」人たちが90%以上でしょ。

それで上手くいくなら「世の中に貧乏人はいない」と思う。

パームヤシ投資も考えてみてください。

どうして投資家には高い利回りの配当を出せるのか?

高い配当をだしても採算が合う計算をしているはずで、きっと20%程度の利回りは想定していたのかもね。私がその開発会社なら、「自己資本でやる」ことを考えます。確実に利益が出るのなら、「借金しまくってでもやる」わけで、なんで見ず知らずの人から投資を受け入れて、なおかつ高い配当を払わないとならないのか。

世の中の金利は3%程度なのに、なんで7%以上の配当を出せる?

答えは簡単で、「自社で全てのリスクを取りたくない」からでしょ。それは「あんたもリスクを取ってくれ。そうしてくれれば分け前を出すよ」という意味なのははっきりしているじゃないですか。

投資ってヤクザの世界に似ているかもね、欲が強い人達の駆け引きがそこにあるのを感じます。

もしかしたら「自己資本では出来得ない案件」で、「最初から他人の褌で相撲を取ろうとしているだけ」かもしれない。

これもですね、「皆が同等のリスクを取る」のならわかりますが、まさか自分の投資分は安全を確保して、一般からの投資分にだけリスクを被せるなんてこともあるのかもしれない。

そういう法律的なこと、商業習慣、ずる賢い連中のやり口もわからないド素人が手を出しても大丈夫なのか。

せめて、元の会社は「古くからの上場企業である」とか、ローカルでどの程度の信用があるのか、そういう投資は現地でどう受け止められているのか、そして当然、「バランスシート」を見て、資産状況を確認して、その投資の規模との兼ね合いとか、将来のリスクとか、それは【自分で考えること】じゃないんですかね。

ここで重要なことは「自分で調べて自分で判断すべきこと」であって「代理店に聞くべきことではない」ということ。

それで「大丈夫だろう」と思ってもとんでもないことが起きるのが世の中の常で、ちょっと前にブログにも書いた「中国の巨大不動産会社の恒大集団」のことを思い出して頂きたい。

ま、自分に興味がなければそんなニュースも気にしないのでしょうが、超巨額の負債を抱えて、「もう倒産する」という噂は前から出てきて、その恒大集団は「アメリカで破産申請をした」のね。

「とうとう来たか~~」と世界中が騒いだけれど、この後の話が酷い。

アメリカで破産申請をしたけれど、中国内では「破産させてない」。これじゃ、恒大集団が持つ中国内の資産を債権者が分けることも出来ない。つまり「海外は海外で適当にやってくれ」ということでしかない。

ひでぇなぁと思っていたところに追い打ちがあった。な、な、なんと恒大集団はアメリカでの破産申請を「取り下げた」。つまり、巨額の負債はそのままで「先送りした」ということ。当然、中国共産党の独裁者である習近平がそれで良いと考えているということ。

こんな国でまともに投資を考えるほうがおかしいのであって、株主はもちろん、売掛金がある業者も、不動産売買契約は済んで支払いも始まっているのにその不動産を手に入れることができない、建物に入居できない人たち、そして恒大集団にお金を貸している&債券を持っている投資家は泣き寝入りをするしかない。

こんなことって「日本ならありえない」と思うけれど、世界ではそんなことが簡単に起きている。

さて、マレーシアは?

私にはさっぱりわからないので、マレーシア国内での投資は一切考えないという立場でいるのはいつも書いている通り。

また、こんなこともあった。

私がこのブログに「楽天の債券(ユーロ建ての既発債)が26%で回っていると」と書いたことがあります。

Dabo's life in KL, Malaysia

古いエントリーが表示されているかもしれないので、是非、「投稿日」を確認してください たまに楽天の債券のことを書きますが、…

あの楽天の債券が利回り26%って異常ですよね。つまりこの時点では「多くの投資家は楽天の倒産確率は高い」と読んでいたわけで、「利回りが良いから買おうかなぁ~~♫」なんて考えるのは超ど素人なのは明白じゃないですか。

上に書いた私が買った「クレディ・スイスの10%で回るAT1債」も同じ。正直なところ、私は債券投資は30年以上やっていますが、このときは本当にド素人丸出しで、株価も低迷し、クレディ・スイスは危ないと言われているのに、勝負をかけてしまった。

そしてそんな私を見て、「私もその債券を買いたい」という読者まで出てきた。

その時、私はその銘柄も教えなかったし、買わないほうが良いと返事をして本当に良かったと思います。もし私が「私も30年の債券投資経験があるし、これが危ないと思えば当然買いません。滅多にない大チャンスです」なんて返事をしたらどうなっていたか、想像しただけでもゾッとするんですよ。

それと今回のパームヤシ投資も同じで、この事を調べていた時にその代理店である日系の会社の社長は「私も買っていますし・・」と言っていた。

どんな投資話もそうですが、販売者、紹介者の「私も買っています」という言葉は重みがあって、「それに乗ってしまう」ことってある。

でも「投資した案件もその大本の企業のこと」も全くわかっていない。「この人の言うことを信用しよう」と思っただけ。

でも私は言いたい。

「そういう考え方をする人は投資をするべきじゃない」

と。それは新NISAも楽天の債券でも、パームヤシ投資だろうが何でも同じ。

この問題が根深いのは、それを「自分は意識していない」というところ。

そしてそれは「私も同じ」なのね。

常にそういう危険に囲まれているのを私も常に自覚しているわけじゃない。

だから「自戒の念も込めて」思うわけです。

全ては自己責任であると。私もこれを常に自分に言い聞かせないと、フトあるとき「魔が差す」。

どんな投資だろうが、「失敗したら自分でどうにかするしかない」というのを常に考えていれば危険なことに近づくことは減るのだろうと思います。

ところがそんな事ばかり考えていると「投資なんか怖くてできなくなる。

でもそれは大正解で「怖いと思ったら近寄らないこと」だと思います。

新NISAも同じで、「80%は上手くいくと思うけれど、20%のリスクはあるな」と思ったら、その20%が「現実化する」と思って間違いがない。

世の中って面白いもんで、私も中小企業の世界に長くいましたが、新たな事業や新たな製品を扱うときでも「問題点は10あって、でも8つは解決可能だ」なんて思って始めるじゃないですか。でも不思議なもんで、「その残りの2つの問題が必ず起きる」のね。(笑)

人生でそんなもんだと開き直っています。(^_^)v

だからといって「ギャンブルをしたら駄目」なのであって、自分が嬉しいようにはならない「想定」を必ずして、そういう時でも「挽回」したり「利益を確保できる方法」を常に考えるしかない。

でも何が起きるかわからない。何の問題もなく上手くいくかもしれない。あるいはどうにもならない、にっちもさっちも行かないことが起きるかもしれない。

でもそれさえも「想定」して、これならどうにかなると思った時以外は行動に移してはならないと思っています。

「何もしないという選択」も一つの選択だと思うのはいつも書いていますが、そういう自分を「もっと積極的にならなくては・・」と考えるのは、私達をカモろうとしている多くの人達の「思う壺」なのを忘れてはならないと思っています。

「それでも投資をする」とするなら、「針の穴に糸を通すがごとく」こまめにリスクを想定し、それを避けたり、対策ができるであろう道を探すしかないと思っていて、【投資をするかしないか】なんて大雑把な考え方でどうにかなることはありえない。

「市民マラソン」を想像してみてください。プロもド素人も参加する中で、「自分は入賞できる」と思って走るド素人を。

新NISAも同じ。

勝つ道は間違いなくあると思います。でもそれは「迷路と同じ」であって、その道を探すのは「針の穴を通すのと同じ努力が必要」だということじゃないでしょうか。

アメリカインデックス、オールカントリーインデックス、日本株もまだまだ行ける、積立方式で長い目で見ればOK、下がったら買い増しのチャンスと考えるのも良いし、誰でも最初はそんなもんだろうと思います。

でもそれは「初めの一歩」でしかなくて、それは決して「最終解」じゃない。そこから「学びが始まる」だけのことで、もしかしたら「早い内に失敗するのが良い経験かもしれない」のね。それがあるから次のレベルに行ける。

でも長期投資が怖いのはそこ。

結果が見えるのに10年、20年は掛かるってこと。そしてその間、「ニコニコする期間」もあれば「頭を抱える期間」もあって、それがどうなるかは「神ぞ知る世界」で、そういう「運を天に任せるやり方」をしていると、何十年経っても「自力で利益を出すことは不可能」なのね。

でも業界としてはその方が良いということを、私達は理解する必要がある。プロやハイアマも同じことを考えているはず。

株式の世界は「値が上がっていれば皆が嬉しい世界」で、その中で一番有り難い存在は「株を買って、決して売らない人たち」なわけです。上がれば利食いしたり、下がれば売ったり、ましてや下げ相場でショート(空売り)なんてする人は「いないほうが嬉しい」。

株価が上がろうが下がろうが、常に持ち続けてくれて、それどころか毎月、毎年、資金注入してくれる人が多ければ多いほど、この業界は盛り上がるわけです。

企業とて同じで、「株価は高くても喜んで買ってくれる」「何が起きても株を持ち続けてくれる」「経営には口出ししない」。そういう株主が多ければ多いほど企業は嬉しいわけで、それは株式市場全体に言えること

だから証券会社も評論家やエコノミストも含めて「短期売買をしましょう」なんてことは絶対に言わない。ましてや「下げトレンドではショートしましょう」なんてことは口が避けても言わない。

「自分たちはそれをやっている」のにです。

こういう「実態」がわかれば、自分はどうするべきかもわかるはず。

それがわからず、そんな裏事情も考えない人たちが「カモ」となるし、そのカモが多いからこの業界は成り立っているわけです。

巷に溢れるようにある「儲け話」も、パームヤシ投資も、あるいは「詐欺」も根底に流れるものは同じかもしれない。

かなり厳しいことを書きましたが、これは私自身が自分にいつも言い聞かせていることでもあります。

気を緩めるとどうしても楽な考え方へ流れてしまうのは常ですから。

世の中には「投資話」は溢れかえるぐらいあるわけで、「投資と詐欺の境目」ってかなりアヤフヤだと思っています。そんな中から選ぶのは自分であって、「何か起きた時に紹介者や詐欺師に怒ってもしょうがない」のは世界の常識。

でも多くの人は、「自分ではわからないから、紹介者や専門家を信じて行動を決める」けれど、そもそも「自分にはわからないことをする」のが間違えていると私は思っています。それでも実行するなら「全ては自己責任だ」と腹をくくるしか無いんじゃないですかね。

自分が「お見合い結婚で結婚」し、うまく行かずに離婚した時に「紹介者を恨むのかどうか」と同じ。

でも「自己責任嫌い」の人って多くて、どうしても「誰かのせいにしたい」という方向へ行くタイプの人は多い。

私は日本人にはその傾向が強いと思っていて、詐欺にしても同じで、詐欺に合うと詐欺師ばかりを非難して「自分の落ち度は棚に上げてしまう」ように見えます。

詐欺師が増える、減らないのは、私達が彼らに「チャンスを与えているから」と考える必要があると思うし、「自分を守るのは自分しかいない」と考えるべきで、「信用できる人を探せば良い」という発想は間違えていると思います。

隙を見せれば、「善人でも悪いことを考えてしまう」んじゃないですかね。

「財布を落としても戻って来る」ようなことは、投資の世界ではありえないんじゃない?

日本は「年寄りがお金を握っていて使わないのが問題だ」と言われているけれど、私はそれがあるから日本は安定していると思っていて、下手に年寄りがやる気をだして投資を始めたら、それは「詐欺師、頑張れ。チャンスだぞ」というのと同じだと思う。

そういう意味でも、私は「新NISAの盛り上がり」って恐ろしいと思っていて、やる気を出すなら株価も低迷している時にやる気を出せよ、と思う。

私には「欲に囚われた夏の虫が、大挙して火の中に飛び込んでいく」ように見えています。

人の行く 裏に道あり 花の山
この意味がわからない人は、投資でも事業をしてもうまく行かないのは当たり前だと思っています。でも「サラリーマン生活が長かった人」は真逆のことを考えるかもね。今の日本は変わってきたにしてもです。

日本は「他人と同調して生きる」ことを重視する世界だし、「出る杭は打たれる」世界でもあるから、他人と違うことを考えて行動することに慣れていないのかもしれない。

これって「ネギを背負ったカモがうじゃうじゃいる状態」かもしれない。

だから「バブルが起きやすい国」で、「低迷した時も長い国」なのかもしれない。

明治維新からの発展は凄まじいものがあったけれど、それと本来なら考えられない「清やロシアという超巨大国との戦争」、そして「アメリカとの戦争」、また「焼け野原からの復興の速さ」、「日本が世界一になりそうなほどの世界が驚いた経済発展」、そして「バブル」、「バブル崩壊後のあまりにも長い低成長」。

これって「日本人の特殊な性格」があるからのような気がしてきます。

「行け~~」という号令が掛かると全国民が動くような。逆に「駄目だ」となるとこれまた皆がそっちに流れるような・・・。

私はそういう素直な日本人気質って好きなんですが、これからの時代はそれじゃやっていけないと「日本の政治」を見ていると思うんですよ。

日本人の真面目さがあるのと同時に、日本には「国士」も多くいたと思う。日本のために命を差し出すような日本人は多く居た。そういう人たちに「守られてきた」のが日本の歴史のような気もするんですよ。

「企業は従業員のためにある」と真顔でいう経営者も多くいたし、世界では当たり前の「企業は株主のもの」なんて口にしたらバカにされるような風潮さえあった。「助け合い」は当たり前で、「自分だけ良い思いをする」のは軽蔑されて、だから江戸時代に日本に来た外人たちが「日本人は貧乏だけれど豊かだ」と論評したのはそのとおりだと思うのね。

世界に比べれば犯罪も少ないし、大きな災害が起きても「民衆が暴徒化する」ことも少なく、【他人を疑いの目で見る必要がなかった珍しい社会】があったと思うんですよ。

でも今はあらゆる意味で「グローバル化」したのは間違いがなくて、そして「欲望をあらわにする」ことも【良いこと】になっていて、【今だけ、俺だけ、お金だけ】という世界にまっしぐら。

そして外国はそれが昔から常識のところが多いと感じているし、でもそれに気が付かない日本人は多いから、昔から「日本人は海外に出ると騙されやすい」なんてことが起きる。

そしてその動きは日本国内でも広がってきていて、「自分も考え直さないと危ない」と思わないと生き残れない時代になったのかもしれなくて、それを否定すると「弱肉強食で食われるだけの存在になる」のかもしれない。

でも私はまだまだ「騙さない」「騙されない」生き方は絶対にあるはずだと思っていて、そういう生き方のノウハウが必要だと思うし、そしてそれを共有できるコミュニティーも作れると思っています。

甘っちょろい考え方だろうと自分でも思うのですが、日本人って「親や社会、国に守られて育った子供」みたいな感じが私にはするわけで、でもそういう子どもたちも「社会に出て自分の力で生きる」時代に入って、戸惑っている最中。それが今の時代なのかもしれない。

そして【今だけ、俺だけ、お金だけ】と生きるようになるのか。それとも日本の伝統と文化を大事にしつつ生きるのか。私はもう70過ぎのジジーだけれど、中身はまだまだ甘っちょろい子供の自覚はあって、今からでも「大人になった日本人」を目指したいと思っています。

だから私は「保守思想」を大事にしたいのね。当然、グローバリズムなんて安っぽい全体主義に乗せられること無く、「個人の権利を異常なほどに重視するリベラル派」にも乗せられるまいと思う。

世界の潮流のLGBTに関することも、日本には古くから彼らを疎外しない伝統もあるのに、それを無視して「外国の真似」をしようとする。日本には日本の事情があるのにそれを無視する。明治維新から残る「海外の方が優れている」という宗教みたいなものがまた広がっていると感じます。

こういう日本の危険な動きを察知して、もう我慢できないと感じている保守層は多いと思うし、だから参政党や日本保守党が立ち上がり、彼らの主張に心動かされる人たちが多いんじゃないかと。

参政党も日本保守党も全く問題がないとは思えないのだけれど、それは時間をかけて解決することだろうと思うし、私は今の自民党より遥かに良いと思っています。というか、「自民分裂」が必要な時期に来たと思っています。自民党の中にも素晴らしい政治家は決して少なくないと思うし、国士も間違い無くいるし、「利権集団としての自民党が壊れる」時を待ち望んでいます。

野党?う~~~~む、頑張ってくださいとしか言いようがない感じ。

投資の話なのにまたダボは話が飛ぶとお思いでしょうが、私の中では全て繋がっているのね。

「どうやって投資で儲けるんだ?」なんてそこだけ注目して答えを探すことにそもそもの問題があると思っています。

「投資とは生き方そのものに大きく関係する」から。「儲かれば良い」なんて簡単なものじゃないと思う私。

学校に行くのも仕事をするのも、家庭生活、友人関係も同じで、その「根底にあるもの」を無視して上手くいくとは私には思えず。

 

 

 

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