私にゲイバーの事を聞くな!

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久しぶりの友人からスカイプが入った。

「最近さぁ、ゲイバーの面白さに気がついちゃってさ。どこか面白い店、知ってる?」だと。

アホか。

知ってるわけが無いだろうに。私がどこに住んでいると思っているのか。

いい歳ぶっこいて、今頃ゲイバーなんてどうしちゃったのかと思うけれど、ショーを見に行こうということで行ってきたらしい。そしたらゲイボーイが面白くてはまりそうだと。

確かに、あれは何十年前か忘れたけれど、彼をゲイバー遊びに引っ張り込もうと思って連れて行ったことがある。それをあのアホは思い出したのだろうと思うけれど、私が日本に帰るといまだにゲイバー遊びをしていると思っていた様子。

私は結婚してからはそういう遊びはきっぱりやめたのっ!結婚式にはゲイボーイ呼んだけれど(出席者は誰も彼女がゲイボーイだと気がつかなかった)。 (笑)

いや、本当にそっち系の遊びはやめて、今では行きたいとも思いません。というかあれはいつ頃だったかなぁ、ゲイという言葉も死語になってニューハーフとかわけのわからない言葉ができたころでしょう。テレビにも普通に出てくるようになって、またゲイバーが脚光を浴びて観光化しているような時代になった。でもなんか違うんだよなぁと思うところがあって、全く興味が消えてしまいました。

私は新橋のど真ん中で子供時代を過ごしたのですが、家の真ん前は芸者の置屋。その一本裏の道は烏森神社に抜けるかなり細い道がありまして、そこが日本のゲイバーの発祥地だったんです。昔の新橋は今みたいなサラリーマンの町じゃ無くて、歓楽街っていうとちょっと違いますが、良いお江戸の雰囲気がある街でした。芸者も一杯いたし、三味線を持った新内流しなんてのもいた。ただ当時はゲイなんて言葉は無くて、オカマ、女形(おやま)と言われる時代。なんで新橋がゲイの総本山になったのかは歌舞伎に関係がありまして、昔から新橋が歌舞伎役者の遊び場だったんですね。で、女形ってかなりの人数がいまして、お尻フリフリ歩いている男性が多くいました。歌舞伎役者っていうと有名な人しか頭に浮かびませんが、あの世界も芸能界と同じで、下積み生活をしている人がたくさんいるんですね。で、ゲイバーの発祥の大本こそ知りませんが、彼らが裏通りで店を始めたか、アルバイトでもしていたんでしょう。その後、銀座の有名な青江のママなんてのも出てきて、当時は男装でした。

そんなところで育ったものですから、女形、オカマには全く違和感がなくて、青年期にたまたまゲイバーに連れて行ってもらってもすんなり溶け込んじゃいました。(笑)

でもニューハーフと呼ばれる時代になってからは、なんだか自分の中の思いが壊される、崩れていくような気がして、あえて距離を取っていたような気がします。でもま、観光化したのは良いことで、ゲイボーイの生活、一生って大変なのは良くわかっていましたから、多少は日の目を浴びるのも良いかと。そして客も「ショーを楽しみに行く」のなら良いと思うんですよ。あの世界の深みにはまることも無いでしょうし。

でも、あの私の友人はこの歳になってゲイバー遊びを始めるなんて、やっぱりアホだと思うなぁ。良いカモになりそ。(笑)

以前書いたゲイと私の関係の日記 「ゲイの思い出」  ← クリック

 

 
    

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