子供の教育で「うまく行った」と思うある教え

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前の日記に、シドニー在住の次男坊が何の連絡もなしに突然ゴールドコーストに来たことを書きました。そして長男と胸ぐらをつかみ怒鳴り合う大げんかをしたこと。そして次男坊は仕事のプレッシャーに耐え切れず、精神科に通っていること。

その一連の出来事の中で、へ~~と思ったことがあるんです。それは

○ 兄弟の仲が異常なほど良いこと
○ 二人共「ダボ家」のことを真剣に考えていること。

これって「そうなれば良いなぁ」とは思っていましたが、どうやったらそうなるのか、またその育て方の効き目(笑)なんてまるで予想も付きませんでした。

ただ私がやったことは

 親子、兄弟の順位は付けない、ってこと。兄貴が偉くて弟は次みたいな育て方はせずに、「完全に平等」であることを我が家では徹底しました。だから二人が幼いころでも「オニーチャンの言うことを聞きなさい」みたいなことは一度も言ったことがなく「兄貴なんだからしっかりしろ」ということも言ったことがない。常に家族四人が平等で「目上、目下」の感覚は我が家にはない。これは親に関しても同じで、「親だから偉い。感謝しろ」みたいなことは一度も言ったこともなく、「言うことを聞け」という育て方もせず、「何が正しいか自分で考えろ」とやってきました。こういう環境だと「疎外感」とか「理不尽な押し付け」ってあり得ないわけで(本人たちは大いに理不尽さはあったといいますが 笑)、「こんな環境から早く抜け出たい」みたいな感情も起きなかったんじゃないですかね。ですから息子二人共に「反抗期」もありませんでした。「私はあんたたちの親なんだからね」と偉そうなことをいつも言っていたのはヨメさんだけです。(笑)

○ 誰にでも苗字があるわけですが、「お前がその苗字を名乗る限り、【家】に責任を持たなければならない」といつも言って聞かせました。そして「その名前を名乗る限り、お前の人生はお前だけのものではない」と。こういう教えを私は受けたこともなく、ある意味実験でもあったのですが(笑)、小さい頃からそれを言われているとそういうもんだと思うのかもしれませんね。だから二人共、本来なら「自分の将来だけを考えて邁進する年頃」なのに、家のことが心配だといつも口に出すし、気にかけてくれています。と同時に、その教えですが、「兄弟は一心同体で、もし兄の家族に、弟の家族に何かあったら助けるのが当たり前」という育て方もしました。これもまた面白いぐらいにうまく行っていて、信じられないでしょうが、「二人の財布は共有」みたいなところもあるんです。二人で飲みに行っても「割り勘ね」みたいな話にはならず、「金を持っている方が出す」のが当たり前になっています。そして「借りた、貸した」という話にもならない。ただし、我が家ではたとえ親子兄弟でも金の貸し借りは厳禁で(ああ、それがあるから奢り合うのかな?)、個人保証も「絶対に」しないというのは「我が家の掟」になっています。(笑)

ここまでになるとは私も全く考えていませんでしたが、子育ての実験としては大成功だと思っています。

あとは「嘘をつかない、つかせない」のはお約束で、親の都合の悪いことも子供たちには全て見せました。そして海外ですから人種的な問題とか、イジメとかがあれば、「絶対に許すな」と言ってきましたし、親の対応が必要であればそれもやってきました。これって見方によっては「クレーマー」かもしれませんが、学校に不手際があった時には子供に「泣き寝入り」を強制したり、「我慢しろ」ということは一切言いませんでした。一度は弁護士に頼んで正式に学校に改善を申し入れたこともありましたし、クラスの先生のところに行ってどういう対応をするのか正したこともありました。

だから子供たちにしてみると「親は自分の絶対的な味方である」と思っていたはずで、それを疑うことは一度もなかったと思います。また子供たちが親にブツブツ言う時も「黙れ」と言ったことはなく、とことん話し合いましたから「親に何を言っても通じない」という感覚は無かった様子。逆にそういう自由な雰囲気を作っていましたから彼らが「言葉では何も言わず、ひねくれる」ということも無かったし(ヨメさんはそれが得意 笑)、それが出来る環境でもなくて、彼らは彼らの言動に責任を持たなくてはならない環境を作りました。

ただし、それの弊害もあるようで、次男坊は「自分が強い」ですからどんどん自分で道を切り開いて行って、親の言うことも聞かないようなやつですが(笑)、逆に兄貴の方は、「親に依存する」気持ちが強いような気もします。サジェスチョンを求められる事が多いのですが、それに答えるとあまりにもすんなりそれを受け入れちゃうんですわ。これって言った方もそれじゃ困ると思うぐらい。

もし私が100歳になり、彼らが70歳になろうと親子は親子で、私は自分の育て方に責任を取らないとならないと思っていますし、「彼らを守る」というのではなくて「あるべき姿」になるように親として一生関与しなければならないと思っています。面白いのが、彼らも「親の生き方に関与するべき」と考えているようで、それは「家に対する責任感」から出てきている様子。私にしてみると「うるせぇなぁ」と思うこともあるんですが、それを気にかけてくれる息子たちが嬉しい。「親は親、勝手にやれば?」なんて言われたら真っ青です。

でもねぇ、なんでも言い合える親子なんですが、一つだけまだ口に出せないことがあるんですよ。

寝たきりになったらどうしよう・・・って話。

ま、我々夫婦は子供の世話にはならないと思っているし、動けるうちにシルバーマンションみたいなところに入り、具合が悪くなったりボケたらその施設に併設されたホームに横滑りではいれるようなところを探すつもり。でもねぇ、それはきっと日本になるはずですが、子供たちに迷惑をかけないで済むのは良いにしても、あいつらやあいつらの家族に会えないなんてこともあるのかと思うと、半端じゃない寂しさを感じます。でも彼らが将来どの国で住み、家族を作るのかもわかりませんから、どうにか自分の中でその寂しさと生きる方法を考えないとならないと思っています。

オヤジやオフクロが歳をとったら俺と一緒に住めば良いじゃん、なんて言ってくれたら、私はマレーシアのコンドのメイド部屋でも良いと思うくらい。毎日、便所掃除も拭き掃除もするつもり。(笑)

でも冗談じゃなくて本当にそう私は思っていて(ヨメさんは絶対に一緒には住まないと威張ります)、たまにテレビで日本の地方の3世代同居っていうんですか?おじーちゃんもおばーちゃんも息子もヨメも孫達もいて、大きなテーブルで皆でワイワイ食事をしている姿を見ると「羨ましいなぁ・・」って心の底から思います。私は人間の幸せの原点ってあれだろうと思うんですよ。世界のどこでも生きていける子供になって欲しいと願って来ましたが、本当にその通り、皆が世界で散り散りバラバラでも良いのか?と考えるとそれも疑問に思うことがあります。たとえ日本の田舎の小さな地域でしか生きて行けないにしても、あれが家族の本来の姿のような気がしないでもありません。

それと面白いのが私の姉のこと。子供たちにしてみると叔母に当たるわけですが、彼女の老後も同じなんですね。独り身ですからかなりややこしいことになる。そして金銭感覚も普通のオバサン的な感覚しかありませんから、たった一人で長い老後を過ごすのはちょっと難しい面があると思っています。もちろん私が面倒を見るつもりで居ますが、年齢は2歳しか離れていませんし、私のほうが先におかしくなるのは間違いがないはず。その話を息子たちにしますと、「俺達が必ず彼女の面倒を見る」と私が頼んでもいないのにその気になっています。

親とか兄弟を助けるってのはわかりますが、叔母までも同じように助けるつもりでいるってのは出来過ぎで、でもそうやって言ってくれる息子たちには本当に感謝したいと思っています。ま、現実的には彼らも結婚し家族を持つと考え方がガラッと変わるんでしょうが、それはそれで仕方のない事だと思っています。でもこれから私の両親が住むマレーシアに行って、一緒に住むことはないにしろ、親子はどうあるべきかを彼らも初めて考える機会になるんだろうと思います。

なんだか出来過ぎだなぁって思うのですが、彼らを育てる間に私がやったことは上に書いたことだけ。

ああ、それとですね、おだてることは結構やりました。(笑)

お互い言いたいことをガンガン言いますが、最後に「I’m proud of you」とか「お前の親であれたことが俺の何よりの幸せだ」とか電話でもチョロっというんですよ。これってわざとらしいけれど、彼らの心に残っているようで、今回次男坊が来た時に、「オヤジはいつもそれを言ってくれた」とマジな顔をして言っていました。こんな言葉が親子の絆を作るのかもしれませんね。

子育て中の方々にこんなジジーのたわごとがお役に立てば幸いです。m(_ _)m

ああ、思い出したことがありました。「人のものを盗むな」とか「拾ったものをネコババするな」なんてことも当然教えるわけで、かつて自宅の郵便受けに5ドル札が入っていた時に「もらっちゃえば?」という次男坊に、「お前そういうことを言ったり、そういうことをしたら本当に殺すぞ」と驚かしたことがあるのは前に書きました。そんな感じで真面目に育てたのは良いのですが、それも行き過ぎていることに今回気が付きました。

次男坊が言うのには「自分にはどうしても譲ることが出来ない信念がある」と言うんですよ。そりゃ良いことだと思ったんですが「もしその信念を通せないとしたらなら、俺は自分の命を絶つ」っていうんです。大げさだなぁと思うんですが、真面目な顔をしてそれを言います。そんな感じだから自分を追い込んで精神科に通うことになっているんだろうと思いますが、真面目に生きることと一緒に「嘘も方便」みたいなことも教えるべきだったと思ったり。(笑)

今からそんなことを教えることも出来ないし、次男坊もまだ25歳ですからこれからいろいろ学んでいくのだろうと思います。

嘘も方便ですが、こんなことが我が家にはありました。順風満帆で我が夫婦がやってきたわけでもありませんし、ある時、いろいろあって別れ話が出たんですよ。「あんたは、絶対に私を幸せにするって言ったじゃないの」ってヨメさんが言いますから、「お前ねぇ、言葉ってのはナマモノで月日が経つと腐るんだよ」って言ったんですわ。

そうしたらそれが受けちゃったようで、ヨメさんは大笑い。それで張り詰めた雰囲気もなくなって離婚話も立ち消え。そんなこともありましたっけ。

糞真面目なのは長男も同じで、女性に対してどんな考え方を持っているか、あの年頃だと想像は付くんですが、まるで違うんですよ。浮気は絶対にしないと、結婚もしていないのにそんなことを公言する。うそだろ~~?なんて冷やかすと怒るんですよ。俺が若い時には・・なんて話をしたら、まぁ軽蔑されるされる。(笑)

ヨメさんも曲がったことは大嫌いな性格で、もしかしたら一番いい加減なのは私かもしれない。(笑)

子育てって面白いですね~~~~。人生も面白い。

 

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