忖度をしないと生きていけないのは「日本の伝統文化」であって、これは今流行りの「おもてなし」、日本人の特色である「他人をおもんばかる」ことに通じていますよね。
良い時にはそれでいいけれど、悪く動くときもあるわけで、そして「忖度を強要する文化」も間違いなくあるから、問題が起きた時に「責任は誰にある?」となった場合かなりややこしいことになる。でも「忖度したほうが責任を取る」のもこれまた日本の伝統文化でもあると思うんですよ。それが良いのか悪いのかは別にしても。
前にシドニーで働いている次男坊からそれに関係するような話を聞いたことがあります。
彼のクライアントにはオーストラリア企業だけではなくて日本企業、アメリカ企業などいろいろある。
そんな中で日本人ではあるけれど中身はオーストラリ人に限りなく近い次男坊が「日本企業はやりずらい」というのを何度か聞いたことがあります。
「この処理の仕方は間違えている」「これをやると法律に抵触する可能性がある」なんてことはいくらでもあるわけで、それは犯罪を犯そうとしているのではなくて「解釈の違い」なんですね。この辺は税務署や会計士・税理士とやり取りしたことがある人にはすぐわかることですが、企業側としては「経費参入したいもの」でも「それは無理」とかいろいろあるわけですよ。またグレーゾーンのものも多い。
そんな時にそれを日本企業に指摘する時、「それを伝える相手」をまず考えないとならないと次男坊は言う。決定権を持つ上司に話せば簡単なことでも、日本の場合は上下のラインがはっきりしていて担当を飛び越えることは出来ない。だから決定権も何も無いような人に一から説明をする。するとその人は「持ち帰って検討させてもらいます」となる。
まずここがオーストラリア企業とは違うと次男坊は言います。大事な要件はそれをどうするか決定できる権限のある人に直接話しをして、早い時にはその場で結論が出ると。
前に刑事事件になった詐欺もあったらしくて、それの内容は彼も知らないことなんですが、企業風土に大きな違いがあるとは言っていました。
日本企業の場合、もし上司が「違法なことをやろう」としても、部下は基本的にはそれに従うか、自分が逃げる方法を考えるだけであって、それを即座に止めさせる、告発する土壌がないんじゃないかと言うんですよ。
ところが一般的なオーストラリア企業では、ほぼ間違いなく部下は「冗談じゃない。刑務所に行くのはあんた一人で行け」と誰しもが考えるらしい。
ま、この辺の誇張はあるんでしょうが、私にわかりやすくそういう言い方を次男坊はしたんだろうと思います。
でも私も小さいな会社をゴールドコーストで経営していましたからわかることは、会社に忠誠を誓うなんてオーストラリア人はいないと言って良いのね。仲間意識も日本人のそれとは違っていて、それぞれの個人が「会社と契約をしているだけ」みたいな感じ。「全社員が一丸となって」なんて意識はないし、「ここは我慢して会社を盛り上げよう」ということも考えない。
自分に利がないと思えばさっさと会社を辞めるし、いい話が外から舞い込んでくればすぐそちらに行ってしまう。まぁ、ドライと言えばドライなんですが、私も面食らうことはいろいろありました。そんな話を日本人の友人と話していたら、彼は部下が他の企業に引き抜かれた時、その部下に「なんで私を祝ってくれないのか」と言われたそう。彼に言わせれば「このバカやろう」でしかなくていろいろ教えて育てたことを本当に後悔していました。だから今は大事なことは誰にも教えないと言い切っていました。
そんなことで会社がやっていけるのかと聞きましたところ、「出来るやつを使えば良いだけ」だとの返事。なるほどねぇ、と思いましたっけ。
どうも従業員の中にもその考え方があるようで、「自分が知り得たことは安易に同僚には教えない」、「技術も伝えない」ことがオーストラリア企業には見えると次男坊が言っておりました。
そしてオーストラリ人って「公平、公正であること」を非常に大事にするんですね。これって表向きだけだろうと言えばその通りだと思いますが、一般の会話の中でも「フェアであること」を結構言うし、話が噛み合わない時には「It’s not fair」という言葉をよく使います。自分はFairだと思っているところがオーストラリア人らしい自信過剰のところに見えますし、ま、それが交渉術の基本にあるってことなんだろうと思いますが、「お前はFairじゃない」なんて言われると、日本人としてはかなりドキッとするんですね。そこが彼らが狙うところなんでしょうが。そんな言葉が不動産売買のやりとりでも出てくるほど、オーストラリア人はFairという言葉をよく使います。
そんな文化があるのはわかっていましたが、私は25年間のオーストラリア生活で「Fair」という言葉は使ったことはありません。日本人にとってそれは当たり前のこと過ぎて、あえて口にだすことでもないってことなんですかね。自分でもよくわからず。
そんな彼らですから、企業の中で危ないことを上司からやれと言われてもそう簡単には受けないんでしょう。でも「Fairであること」と「自分にはどういう利益があるのか」ってのを天秤にかけるんでしょうし、場合よってはその悪巧みにも参画するんでしょう。
でも間違いがないのは、「自分には何の利益もないのに上司の悪巧みに乗ることはあり得ない」ってことだろうと思います。
でも日本の場合は・・・。
どちらが良いのか簡単には言えないと思いますが、あのオーストラリア的な個人が確立している方が結果的には良い社会が出来るんじゃないかと思ったり。
実は私は「談合や終身雇用も日本の素晴らしい文化の一つ」と考えるタイプなんですが(笑)、それのデメリットも間違いなくあるし、特に現代は「欲望をコントロールできない時代」というか「欲望を追い求めるのが当たり前の世界」ですから、やってはいけない一線を簡単に超えてしまうことが簡単に起きるんでしょう。
となれば論理的に物事を解決していかなくては駄目で、法律の遵守もそうだし、それとともに「忖度」も変わっていかなくてはならないはず。
今の日本はそんな過渡期にあると、森友問題を見てても感じるんですよ。
あの自殺した職員は可愛そうですが、年齢は50代だったとのこと。この年代って微妙な感じがします。
是非ともこれからの若者は「そんなことをさせるなら告発しますよ」ぐらいの強さを持って欲しいと思います。そして大事なのは「首にしたり、左遷できるならやってみろ」という覚悟であり、「俺はこの国と国民のために働いている」というプライドではないかと。
なーーんて、理想論を言ってみる。(笑)
そういう意味で、マレーシアってどんな国なのか非常に興味があります。政府とか自治体の重要なところで働く人たちってどんな人なんだろうか。企業では?私にわかるのはどこにでもある「商店」でのことしか見えませんが、そしてそこからマレーシアという国そのものを考えてはいけないのだろうとは思いますが・・・・・、いろいろ大きな事件の内容を知ると驚くこともありますよね~。