戦争が始まりましたか・・・・

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いや~~、驚きでした。

ロシアがウクライナに侵攻したのは間違いがない様子。

私はプーチンは「やるぞ」というパフォーマンスで、実際にはやらないと思っていましたが、「やらざるを得なくなった」感があります。

世界は「プーチンが悪い」という方向で動いていますが、私は今までの過程を見ていて「ロシアの立場も理解できる」と思っていたんですよ。

それは「ロシアの歴史」と「あの地域の特殊性」を考えた時に、「ロシアが被害妄想に囚われる」のも仕方がないと思ったから。それらを無視して「プーチンが言うこと、やることは悪い」と決めつけたら真相が見えないんじゃないかと。

そもそもNATOって一体何なのか。ソ連が崩壊してから本当にNATOが必要だったのか。なぜ西側諸国はロシアを追い詰めようとするのかが私には理解できないでいました。今まではウクライナが【緩衝地帯】になっていたのにウクライナがNATOに加盟して、【ロシアに向けたミサイルが装備される】となればこれほどロシアにとって恐ろしいことは無いのは誰が考えてもわかる。喉にナイフを突きつけられるのと同じだから。

そりゃロシアだって正しいことをしてきたとは私は思っていなくて、クリミアの併合にしても近隣諸国の持つロシアに感じる驚異って半端じゃないはず。だからこそかつての東側諸国もNATOに加盟して、ロシアとの対決姿勢を取るのだろうは思うのですが・・・。

ウクライナがNATOには加盟しない。あるいはNATOがウクライナの加盟を認めないとなれば、このようなことは起きなかったとは思うのですが、「ウクライナがどうあるべきかはウクライナの自由だ」とするなら悪いのはプーチンのみとなりますが、今回の動きを見ていて「アメリカが主導権を取ってロシアを追い込んでいる」感じが非常に強いと思いました。

実際に一週間ほど前には、ウクライナの大統領さえ「バイデンはちょっと黙っていて欲しい」というような態度をしていましたよね。ウクライナとロシアと対話をするからと。

でもバイデンは2月16日にロシアが侵攻を始めるとか、16日に何も起きなかったらオリンピックが終る20日は侵攻するとか、ロシアが侵攻するという決めつけ、あるいは侵攻するのを期待しているような感じさえ受けました。あの態度は異常だと思ったし、ウクライナの大統領のほうが冷静だと思ったくらい。

なんだか日本の真珠湾攻撃とダブルところがあると感じるんですよ。攻撃をせざるを得ないところまで追い込んで攻撃させる、みたいな。そりゃ世界は「手を出したほうが悪い」となるわけで、仕掛けた方の責任は問われない。

またケネディ大統領の頃、アメリカとソ連と本当に戦争になる一歩手前まで行ったじゃないですか。アメリカのお膝元のキューバがソ連と手を組んで、ソ連がキューバにミサイル基地を作っているのが判明した。このときケネディは絶対にそれを許すこと無く、「戦争も辞さない」という態度であったので、すでにミサイルをキューバに輸送中だった船も引き返した、なんてことがあった。

政治的背景は違うものの、「喉にナイフを突きつけられればどの国もどうにかしてそれを排除しようとする」のは当たり前だと私は思っていて、あの時のアメリカと今のロシアがダブって私には見えます。

なぜNATOが今でも必要なのか。なぜウクライナはNATOに加盟する必要があるのか。その辺が私には理解できていないので、逆に「ロシアが感じる恐怖」の方がわかりやすいと思ったわけです。

ロシアなんて無いほうが良いとか、プーチンは悪者だからと、そういう決めつけで世界を見てはならないと思うんですよ。それは北朝鮮もそうだし、中国も同じ。価値観が全く違おうとそれを一切認めること無く、「俺達の言うことを聞け」という態度で迫れば「窮鼠猫を噛む」ことも起きるはず。

でも「今の世界の秩序を変えてはならない」という考え方が私の基本にもあるわけで、それを変えようとする意志がある国に対してはそれなりの【痛み】を与えるのも当たり前。でもそもそも「世界の秩序がどうあるべきか」の答えは誰も持っていない。ロシアが悪い。中国が悪いと誰が決められるのか。またその逆もしかりで、どうして「自国の要求を世界に押し付けても良いのか」という問題もある。

結局、強いものの意志によって世界は動くとしか言いようがないのだろうけれど、そういう意味で今回の「バイデンの動き」は【強いアメリカのアピール】であったように見えるし、その後ろには「バイデンの支持率の低さ」も大いに関係しているように感じます。

でも私はバイデンの読みはハズレるような気がしていて、逆に「より大きな墓穴を掘った」感じがしないでもない。

あれだけバイデンはプーチンを非難し続けたのに、プーチンは動いた。さて、バイデンはどうするんですかね。そもそも外国の領土問題と言っても良いのに、バイデンは踏み込みすぎた感じがします。軍事介入も地理的に不可能だと思うし、それなのに主役のように振る舞った。そしてウクライナの大統領も安心したというのは違うと思うけれど、強気、あるいは増長したと言っても良いのかもしれない。

私は基本的に「アメリカは戦争好きな国」という考え方を持っていて、「アメリカの発展のためには戦争が必要」なのかもしれないと思っています。善悪は別にして、アメリカはそういう構造になっているのだろうと世界の歴史を見るとそう思うのです。そしてアメリカが戦争を始めたり、戦争が拡大するのは【民主党政権のとき】という事実。

トランプが破れてバイデンが大統領になったとき、「いつかどこかでアメリカは戦争を始める」と考えた人は少なくないはずで、私もそんな予感がありました。でもそれは「中国の周辺」であって、まさかロシアがきな臭くなるとは全く思いませんでした。今はアメリカが実力行使に動く方向へ行かないのを願うばかり。ま、そうなる前に世界は落とし所を見つけるのだろうとは思っていますが。

中国は中国で「必ず台湾を取りに行く」のは間違いがないと私は思っていて、問題はそれが実際に起きるかどうかではなくて、「いつ、どうやって」というところまで煮詰まっていると見ています。それをいかに引き伸ばして、諦めさせるチャンスを作るかが世界の課題であって、「そんなことは許さない」なんて世界が盛り上がったところで、「生きるための選択」をしている国はそう簡単には諦めない。

それは中国も北朝鮮も、そしてロシアも同じだと思うんですよ。

そしてそれはウクライナも同じだし、西側諸国も同じのはずで、だから必ず「落とし所」が必要でそれを見つけられない場合、あるいはそれを認めなければ「じゃ、一戦、交えましょうか」となるのは必然なんでしょう。

でも今回、ウクライナにそのつもりがあったかというと私は疑問で、アメリカを中心とした西側諸国に「背中を押されてしまった」感が強くあります。当然、ウクライナは「攻められば徹底抗戦をする」と言い続けるのは当たり前ですが、でもバイデンを黙らせて「俺達に交渉させてくれ」みたいなところが見えたのが印象的でした。

後ろには「エネルギー問題」があって、ドイツにしても中国にしても、「いろいろ思惑がある」のも見えますし、「プーチンが悪い」の一言で終わらせるような簡単な問題ではないと思っています。

もう一つ驚いたことがあります。それは日本の岸田政権。相変わらず【決められない政治】をしていて、こんなロシアが戦争を始めるかもしれない、制裁をしようという時期に、「林外相」は【ロシアと経済協力の話し合いをした】との報道。「協議を拒否するべき」とは言わないけれど、「先延ばしは出来た」はず。このことに(私の一押しの)高市政調会長が「林外相はロシアの術中に見事にハマった」と発言。そのとおりだと思う。

また最近、近代戦争史に興味があっていろいろ調べていたのですが、「アメリカはもう戦争はしない、できない」と思うようになりました。それは「アメリカは戦争をしても勝てない。犠牲が大きすぎる」という事実をアメリカ国民は理解したから。でも【短期間に、犠牲も少なく必ず勝てる見込みがある場合は別】で、泥沼に入るような戦争、大きな戦争をアメリカはもうしない、できないと思っています。

欲望と欲望がぶつかったとき、あるいは不安に耐えられなくなった時に「国は動く」んでしょう。それが世界の歴史だと思うのですが、解決策は無いというのが、最近、世界史に興味が出てきた私が思うこと。

また人がごっそり死ぬようなことが起きるんでしょうか。

戦争が起きなくてもかつてのソ連や中国みたいに、「自国民が何百万、何千万と死ぬことが起きる」のが歴史で、人の命の重さなんて無いに等しいと思う今日このごろ。

これって今、世界で問題になっている「子どもたちにワクチンを打つべきか否か」にも通じるところがあるように感じています。「犠牲は常に出る。容認するべきだ」とは言わないにしても、リーダーはそう考えているであろうことは丸見え。

「良い世界を作る」ことは不可能なんですかね。

でも良い世界とは「自分の理想に近づく世界」であって、それぞれが考える理想は違うし、真っ向から対立する理想を人も国も持つわけで、【邪魔者は消す】ことを世界は続けてきたし、これからも同じなのかなと思ったり。

【邪魔者が消えた世界】を人は「良い世界だ」と呼ぶんじゃなかろうか。

そんな中で無力な自分としては「勝ち組に着く」しか生きる道はないのか。でもだからこそ、歴史的にも「母国を売るか、嫌でも戦うしか無い」という選択を人も国も選んできたはず。

でもねぇ、勝てば官軍、負ければ賊軍、という常識から離れて生きていきたいと私は思うし、その思いは子どもたちにも伝えていきたい。「勝利に喜ぶ」のは「負けて泣く」のと【同じ紙の裏表】でしかなくて、全く同質のものだと私は思うんですよ。

でも勝敗にこだわらない人生を送ることって可能なのかどうかも私にはわからない。でも勝てば官軍、負ければ賊軍という常識を認めたくない。ま、自分の中にある矛盾に葛藤しているだけなんだろうとは思っていますが。

野原一面に咲き誇る花を見て私は美しいと感じるけれど、それは「勝ち組が敗者を一掃した姿」でしかないわけで、淘汰され消えていった生命力の劣る存在に私は心を寄せられる人間でありたいと思う。

こんなふうに昔から考えていたのだけれど、日本でSMAPの「世界に一つだけの花 」が大ヒットした時には私はとんでもない落胆を感じたんですよ。そしてあの歌は「欺瞞の塊」だと思いました。

この歌を聞いて、「これがあるべき姿」だと思うような社会は、「一人ひとりを大切にしよう」と言いつつ、「まず勝ち残らなければ意味がない」と言っているのと同じ。「花屋に並ぶことも出来ず、強い草花に駆逐された花々。また良い花を残すために人間によって生命を奪われたとんでもない数の命」、私はそういう「消える運命にあった命」に心を寄せる世界であって欲しいと思う。

この歌は【生き残った命の間で、順番をつけるのはやめよう】と言っているだけの歌。消えていった、あるいは消された存在に心を向けようという考え方は皆無。

私は「勝者が優しさを演出する偽善」をこの歌に感じます。

 

こういう歌がもてはやされる世界で、弱者が救われることは無いと思う。消えて行く負け組は見向きもされない。

さてさて、これからヨーロッパではどんな花が咲き誇るようになるんでしょうか。東シナ海、南シナ海ではどんな花が咲くのかな?

かなり昔に読んだSF小説を思い出します。

半村良というちょっと視点が変わったSF作家が大好きだったのですが、彼の作品でなんという題名だか忘れましたが、「宇宙人と日本人が一緒に旅をする」というのがあったんですよ。それも時代は江戸時代。

各地を訪れる中で、ある時、山道を抜けるとその草原は美しく咲く花で覆われていた。それを見た地球人は「美しい・・・」と絶句するわけですが、その中で一人の宇宙人は泣いているんですね。「なぜ?」という質問にその宇宙人が答える。

「なんて恐ろしい世界だ。私の星ではこのように命を奪い合うこと無く、すべての生命が生きている」と。

これを読んだ時に、半村良のSFを益々好きになりましたっけ。(笑)

また読んでみるかなぁ。半村良のSFってSFとしての設定が面白いというより、私達が持つ常識を超える精神論が基礎になっていることが多いのね。哲学的な面白さがあるSFが多かったような気がします。

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