こんな動画を見ていました。
【派遣・非正規社員・雇用崩壊】ワーキングプアに関するドキュメント(2006)
2006年ですから今から18年前。当時、私は52歳で、すでにオーストラリアはゴールドコーストに住んでいて、事業は売り払い「専業トレーダー」としてすでに生きていました。どちらかと言えば「順風満帆」だったと言えて、まさかその二年後に「リーマンショックで大打撃を被る」なんて想像もしていない頃。
思い出せば、若い頃から結構大きな浮き沈みがあって、どうして今、普通に生きていられるのかが不思議なくらい。
だからこういう動画を見ても、他人事には全く思えないんですよ。
家もなくホームレスで仕事もない、あるいは普通に頑張って仕事をしていたのにある頃から歯車が噛み合わなくなって収入も激減して極度の貧困に陥る人たちがいる。一体、この人たちは「何を間違ったのか」って思うのね。でも私にはその「間違い」が見つけられないんですよ。何が悪かったのかもわからない。どうすればそういう状態にならなかったのかもわからない。
ああいう人たちと自分を比べた時に、「自分がああなっていても全く不思議じゃない」って思うのね。
実際に私も結婚してからも仕事がうまく行かない時代もあって、本当にお金がなくて「五反田のサラ金に行って30万円を借りた」ことがあるのだけれど、どうしてその後、復活できたのか、どうしてまた同じ状態にならなかったのか、それもわからないのね。
【頑張るしか無い】のだけれど、では貧困に喘いでいる人たちが頑張らなかったのかというと、「そんなことはない」とこういう動画を見ると思うのね。そりゃ本当に駄目なヤツっていて、【自業自得】のケースはあるとは思うけれど、多くは【運が悪かった】としか言いようがないと思うわけです。
つまり私は【運が良かっただけ】だと思うし、今の自分があるのは「努力の賜物だ」なんてことも思わない。
だからああいう困っている状態にいつ自分がなってもおかしくないし、自分の家族、子どもたちもそうなるかもしれないとも思う。
そうならないように「ちゃんと教育も受けさせよう」「世の中の常識を教えよう」「自分が知っている生きるノウハウも伝えよう」なんて思うわけだけれど、では今、困ってる人たちは「そういうものが欠けていたのか」というとそんなこともないのがわかる。
我が家は「今は大丈夫」だけれど、親族の中にはやっぱり倒産して、親族から借金を重ね、そして皆の前に出ること無く音信不通になり、ヤクザに追いかけ回されて、自分の親の葬式にも出られない、来なかった様なのもいるわけです。その親族もかつては飛ぶ鳥落とす勢いで大きくなり、庭も広い大邸宅に住み、三人の子どもたちはみな小学校から有名私立校に通っていて、「一族の中では出世頭」だったし、私も若い頃にはいろいろと教えてもらったしお世話にもなった。そんな親族でも結局は倒産し、貧乏になり、そして消えて行って、今どこでどうしているのかもわからない。あの贅沢三昧で育った3人の私の従姉妹たちもどうなっているのかもわからない。
こんな動画を見ると、そんな親族を思い出すし、自分もああいう風になる危険は十分あったことにも気がつくのね。
きっとそれって「世の中では普通のこと」だというのを多くの人は知っていて、だから「学歴」や「就職」で【上を目指さなければならない】と思っているんでしょう。そして自分を殺してブラック企業でも耐えて生きる。でも私は自分でも気づかずに恵まれすぎていて、サラリーマンになろうなんて考えたこともないし、またダボ家の家業も継ぎたくない、俺はもっと高みを目指して羽ばたく、なんて夢を見ていたのだから面白い。でもそれはただの「無知」でしかないと今になると思うわけです。
「若さとバカさは似ている」と思うのだけれど、バカなことをずーーっと続けていて、それでもどうにかなってしまったのは「何が理由なのか」が今になってもわからないんですよ。
だから、そして歳を取ると、【見えないものに守られていたのだろう】と思うし、その見えないものに「感謝をするしか無い」と思う。
またこんな動画も見た。韓国の高齢者も恐ろしいことになっているというけれど、どこも同じなんだろうと思ったり。
こういう状況を知ると、やっぱり「どの国に住むか」「どの国の市民権、永住権を持つか」「どれほどセイフティネットが充実している国に住むか」で大きな差が出るのがわかる。
そういう意味では、私はオーストラリアで【悲惨な話って聞いたことがない】のね。
定年退職も「これからどうやって生きていくか」なんて悲壮感はなくて、本当に「ハッピーリタイアメント」で喜び、これからどうやって「楽しいことをして生きていくか」を考える人が多かった。ま、それを言えば「日本人が定年退職してマレーシアに渡り悠々自適の生活を送る」というのとダブルけれど、オーストラリアって皆が似たようなことを考えていると思いました。
ゴールドコーストの我が家の「芝刈り」をお願いしていたオヤジさんは、かつてサラリーマンでそこそこの地位にいたのだけれど、面白くないと60歳前に退職してしまった人。でも当然、プール付きの一戸建てに住んでいて、ボートも持っていて暇さえあれば釣り三昧。そして年に1,2度は1ヶ月程度の休みを取ってイギリスの子どもたちに会いに行ったり、世界を回ったりしていたっけ。「芝刈りのオッサン」ですよ。
今は厳しくなったらしいけれど、かつては「老齢年金だけで生きていける。あるいは老人ホームで生活できる」国だった。いつの頃だったか「生活苦で自殺する老人が出た」と騒ぎになっていたのを思い出します。私は「日本だったらハッピーの部類だろうに」と思いました。
オーストラリアには「仕事もせずに(一生出る)失業保険」だけで暮らす人が集まる街もあるくらいで、私の日本人の友人もそこでそうやって暮らしていた。でも当然、贅沢はできないわけで、彼は考えを変えてゴールドコーストへ出てきて就職したんですよ。でも前に住んでいた人たちからは「なんでそんな馬鹿なことをするんだ?」と止められたといっていましたっけ。
シングルマザーも下手に仕事をするより「補助金」をもらったほうが良いという人も少なくない。離婚をしたけれど「相手から子どもたちの養育費が貰えない」なんてことはなくて、「政府がそれを出してくれる」のね。そして離婚相手は「政府が税金にそれを上乗せして徴収する」様なシステム。
今、マレーシアでMM2Hで老後を謳歌している人たちって、日本の中では「ほんの一握りの恵まれた人たち」なんだろうなと思ったり。多くのMM2Herは「贅沢はできない」なんて言うけれど、その生活ができることそのものが贅沢で、日本の一般的な多くの老人や「これからの老人」には【まるで夢のような生活】なんだろうと思ったり。
日本は本当に「坂道を転げ落ちている」ように私は思うし、益々夢がなくなっている。上に出した動画は2006年のものだけれど、今はもっと酷くなっているのかもしれない。
だから「老後はマレーシアで~~~」なんて人たちも激減していて、それはこのブログが登録してある「マレーシア情報」のブログの【閲覧数の変化】を見てもすぐわかる。過去の盛り上がりなんかまるで無いし、「老後はマレーシアで・・・」どころか生き延びることに真剣になるしかない老人が増えているんでしょう。
私が気になるのはやっぱり「若者」で、未来を作るのは若者だから、彼らがやる気を無くすような日本は本当にうまくないと思うのだけれど、これもまたどうしようもないのかと思ったり。
近年は「綺麗、可愛い女の子じゃなければ風俗でも稼げない」なんて声が聞こえてきて、風俗で働く、パパ活をするなんてことに抵抗がない女子が増えている感じがします。それどころか「海外に出て売春をして稼ぐ」のも流行っているようで、世も末みたいな感じも受ける。
でも私は「売春で生きられるなら良いじゃないか」と思っていて、倫理上どうじゃこうじゃと言っても「生きていけない人たち」を救うことは出来ない。特にシングルマザーの貧困は最悪で、お先真っ暗で「売春してでも生きる」という強さは、私は尊敬に値するとも思うぐらい。
かつて日本の戦後は「食えない人ばかり」で、アメリカ兵相手に売春をする女性が【ごっそりいた】のね。当然、それを今になって口に出す人はいないけれど、「それで私達は育つことが出来た」といえるのかもしれない。またアメリカやオーストラリアでもかつてのその手の女性が兵隊と結婚して海を渡ったケースが【非常に多い】のも売春が一大産業でそれで命をつないだ人が多いのがわかる。
あの韓国の「慰安婦騒ぎ」も私にしてみれば「自国の暗黒の歴史を隠したい」と思っているだけじゃないかと思うくらいで、韓国もオリンピック前なんて、売春婦が街に溢れていた。そしてそれは「歴史の事実」であり、「生き残る為の大事な仕事」だった。それは台湾もフィリピンも同じで、私よりちょっと上の年代は、「東南アジア買春ツアー」は花盛りで良く知っているはず。
そして過去には「娘を売る」なんてのは貧しい地域では普通のことで(私の知人にもそれを体験した人はいる)、地域によっては「口減らし(殺す)」なんてことも行われていたのは日本も韓国も同じ。嘘だろ?なんて思うけれど、「この村にいては生きていけないから、XXXさんに着いていけ」と親が娘を生かすために売ったなんて事実があったのは、韓国人だって知っているはずなのね。
当然、「女衒(ぜげん)」と呼ばれる人身売買の専門仲介業者も多くいて、彼らに騙されて連れて行かれた女性も多いのだろうとは思う。でも韓国ではそういう事は起きていないことになっている。ではそもそも戦前にも戦後にもごっそりいた売春婦ってなんなの?と私は思うくらい。私の年代で「妓生(キーセン)」の存在を知らない人っていないはずで、でも今の韓国人は「妓生(キーセン)」は舞踏家、芸術家で買春なんて関係ないという若者も多い。韓国映画を見ただけでも人間扱いもされていなかったのがわかるのに。
ま、それは横に置いといて、もしかすると「売れるものを持つ女性」はラッキーかもしれなくて、男性の方が生きられる世界は狭いのかもしれないと思ったり。
これじゃ犯罪が多発するのも当たり前で、貧すれば鈍するで、犯罪に加担するのに抵抗がなくなるのも私にはよく分かるんですよ。それほど「追い込まれた状態で生きてきた人」って決して少なくない。
私は運がよくてそこまで追い込まれることはなかったけれど、サラ金にお世話になるしか無かったこともあるし、それ以上、状況が悪くなれば「自分も犯罪に手を染めることになるのかもしれない」なんて想像をしたことがあります。自分一人なら「命を断つ」のも選択の一つとして良いと思うのだけれど、【家族】がいたら道連れにも出来ず、「犯罪に手を染める」ことも起こりうると思っていました。自分の子供が餓死するような場面を想像したら、親は何でもやってやると思うのが自然かもしれない。
犯罪者を擁護するつもりは全く無いけれど、やむにやまれずその世界に入る人たちは決して少なくないと思うし、私はそういう人たちを一方的に断罪し、突き放すことは出来ないと思っています。
でもどうしようもないから「見て見ぬふり」を決め込むんでしょうね。
マレーシアに住んでいますが、私の周りでは「悲惨な話」は聞こえてこない。ブログも同じで、「良い話、差し障りのない話のオンパレード」。ま、それも当たり前で、大きな問題を抱えていてもそれを書くことは無いだろうし、また悲惨な状況にある人がマレーシアに来たり、ましてやブログを書くなんてこともないだろうし、【読むこともない】だろうと思っています。
でもゴールドコースト時代もそうでしたが、「いろいろ問題は起きる」わけで、でもそういうことは「仲間内で小声で話すこと」であり、皆で情報共有なんかしないし、多くは「海外生活~~~♫」なんて舞い上がっているから、「問題があったら皆で解決しよう」とか「日本人会で対応しよう」なんて話も出てこない。
ま、それは当たり前といえば当たり前で、マレーシアの日本人は「駐在組とMM2Hが多い」わけで、「マレーシアに根を張って生きる日本人は少ない」。それは「永住権を取るのが非常に難しい」ことも関係していて、そういう人たちの「大きな輪」が存在しないような気がしています。でもマレーシア人と結婚して、マレーシアに根を張るご婦人たちのグループがあるのは聞いています。
かつてマレーシア在住の友人からこんな話を聞いたことがあります。
その彼女はいつものように日本人会館に行ったところ、受け付けで一人の老人がスタッフに詰め寄っていたらしい。どうしたのかと思ったら、その老人は「もうお金もなくなって生きていけない。どうにか助けてくれ」と懇願していたというのね。
でも日本人会としては何も出来ず、大使館に相談してくださいと繰り返すばかりだったという。
そりゃそうでしょと思いますよね。
でも私は「ああ、それがマレーシアの日本人会か」と思ったのね。つまり、駐在組と長期旅行みたいなMM2Hしかいないからそうなるんだろうと。
でもゴールドコーストみたいに「永住者が多い場所の日本人会は違う」のですよ。「そこで根を張って永住しよう」と考えている人が多いから、【互助会的な考え方が発達する】のね。だから「日本語補習校(日本人学校はない)」の運営にしても皆が真剣で積極的に参加するのね。
また一人住まいで困っている人が出ると、婦人部が動いて、その人がどうにか生き続けられるように皆で考え、行動して助けるのね。
ま、田舎の町内会みたいなものですが、マレーシアではそういう連帯感、結束みたいなものを私は一切感じません。これが普通なんじゃなくて、これは異常だと私には映るのね。
だから「おかしなやつとは付き合うな」となるし、「ややこしいやつは日本に帰れば?」となるし、駐在組は仕事中心だし、MM2Hは楽しむことだけに集中する。
私が「移住しました」という言葉を使わないのにはそういうことも関係していて、「住んでいる」という実感が私には希薄なんですよ。本来なら当たり前のローカルのコミュニティにも参加しないし、長期旅行みたいな、短期の駐在みたいな、この地でまともに「家族と暮らす」という感じは皆無。ま、永住権も有りませんし、社会保障も何もありませんから、家族でこの地に長く住むのは不可能なのは間違いないと思っています。
そういう意味では日本は私は福祉国家だと思っているし、それでもまだまだ足りない部分は多いにしても、他国と比べてもかなり良いと思っています。そしてそれなりにボランティアの活動もある。と同時に、貧しい人たちを食い物にする輩も闊歩しているものの、それは世界中、似たようなもので、まだまだ日本は素晴らしいと思っています。歳を取れば取るほど、【日本って凄い国なんだ】と思う。若い頃は「日本は遅れてる」なんて思っていたし、社会保障もセイフティネットもそして【医療】なんてのも無関係でしたから、日本の良さはわからなかったと言っても良いのかもしれない。
でもそんな日本でも「貧困問題」は解決していないし、不正規雇用の問題も含めて、恐ろしいことになっている。
これからどうなるんですかね。どうすればよいのですかね。
今日見た動画は2006年のドキュメンタリーですが、今と全く変わらないどころか、今は状況的にもっと酷いことになっている。政治を変えなくてはならないという声は大きいですが、私にはその声も「それぞれが俺たちに都合の良い社会にしろ」と言っているだけにしか聞こえなくて、「抜本的な改革」の話は全く出てこない。
だからもし、日本でとんでもない技術革新があって、経済的にも良くなることがあっても、【日本の構造】が変わらない限り、格差が開くばかりだと思っています。利権を持っている勝ち組がわざわざそれを手放すわけがない。
これは日本だけでなく世界の流れも同じだと私は思っていて、やっぱり「国や政府、自治体、あるいは企業をあてにすること無く、【自らの足で立って歩く決意】が迫られている時代だと思うんですよ。年金じゃ給料じゃ、社会保障じゃとそういうものを無視するべきではないけれど、「あてにしない生き方」をするしか無いんじゃないかと。自分には自分で泳ぐ力があるのに、泳ぐことをせずに流れに流されることをやめる決意が必要かと。
政府や企業に自分の将来を預けるのも良いけれど、それではもう生き抜くのが難しい時代なのは間違いないと思うんですよ。だからリスクは大きくても自分の足で立って歩くしか無い。
私は昔からそう考えてやってきましたが、そんな生き方を息子たちにもして欲しい。たとえ波乱ばかりでどうなるかわからないにしても、それこそが「自由であり、自己の開放なのだ」と追い求めて欲しい。
私は「死ぬまで現役」で老後を楽しむという考え方は無いし、まだまだ「息子たちを鍛える、伝えるべきことを伝える」ことに集中していますが、いつの日か目処が立った時には次の計画を実行しようと思っています。
でも命には限りがある。多くの時間が残されているわけじゃない。
急がなくては・・・・。
「このままでは終われない。まだ夢の途中、諦めない・・・」