大好きな「餃子」を作りながら思ったこと

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私は餃子が大好物なんてもんじゃなくて、今まで多くのバリエーションを作ってきたし、今でも「今回はどんなのにしようか」と考えるのが好き。

でも実は餃子より好きなのが「ワンタン」であり「肉まん」なのですが、【バリエーションの多さ】の楽しみは餃子が一番。

そして餃子って「完全食」だと私は思っていて、餃子をおかずにご飯を食べるというのは子供の頃しか思い出せなくて、ある頃から「餃子を食べるときには餃子だけ食べる」ようになりました。もちろん外食の時は「餃子だけ」というのはありませんが、家で餃子を食べるときには餃子だけということが多い。

というか私は調理実験が好きなだけで、ちゃんとした料理、食事を作ろうとは思わない。というか作れないのね。だからいつも「一品だけ」で終わる。実はそもそも、私は「ご飯の炊き方」も知らないんですよ。我が人生でご飯を炊いたのは数回あるかないかのレベル。

その点、料理だけが趣味みたいなヨメさんは中華料理でも3.4種を作るのは普通で、もう30年以上前ですが、10人以上の客を招いた時、ヨメさんが一人で8品作った時のことを今でも忘れられません。それもそれぞれがそこそこ本格的なものを作るから凄い。

でも私がヨメさんに料理を教わることはなく、かつて若い頃にそんなこともあったのですが、必ず喧嘩になるのね。当然、「お師匠様と何も出来ない小僧」の関係ですから、怒鳴られ、バカにされ、なんてのが普通。昔の料理業界と同じですが、蹴飛ばされることは無かったのは良かったのかもしれない。(笑)

それでも教えてもらいたい料理っていくつかあるのですが、それだけは頭を下げて教えてもらいたいと思ったけれど、「あんたには無理」と無視されています。(笑)

そんなヨメさんもマレーシアに来てから料理に興味を失ったようで、「料理をしたくない」というのが口癖で「手抜き」は増えてきたし、なにこれ?なんて思うものまでたまに出てくるように変貌。

だから餃子にしても私が勝手に作るわけですが、これはこれで楽しいし、評判も上々。

基本は豚肉ミンチですが、ミンチを自作したり(美味しさがまるで違う)、塊を大きめの賽の目に切って混ぜたり、背脂を煮て細かくしたものを入れたり、またミンチを多くしたり野菜を多くしたり(日本風の場合にはそうする)、またエビを混ぜてみたり、野菜はキャベツか白菜(私は白菜派)だけじゃなくて、野菜はすべて「春菊」にしたら激ウマだったり、バリエーションの数は20種類以上になるんじゃないかなぁ。でもキムチを入れたりチーズを入れたりすることはない。

本当に餃子って奥が深くて、外食で餃子を置いてる店では必ず食べて参考にするのですが、やっぱり自分で作る餃子が一番美味しいと思う。

これって自画自賛ではなくて、材料費はケチらないし、自分が好きなように作るわけだから一番美味しくて当たり前なのね。でも他人が食べたらどう思うかは全く別の問題。

今回は一番オーソドックスな白菜とニラが多めで、ミンチは少なめの「昔の日本の餃子」を目指して作ったんですよ。

上にも書いた通り、餃子は完全食で他のものはいらないと思う私ですから、3人で最低でも60個は作るのね。

でも餃子だけ食べることはしない「白米がないと生きていけないヨメさん」はご飯を食べるし、簡単なスープを作ってくれたり、ちょこちょこっとしたものは作ってくれるのだけれど、私が作るのは餃子のみ。

包み方もスピード重視ですから、皮の上下を合わせて、左右の皮を真ん中にまとめるだけの超簡単な包み方。

焼き方に拘りはなくて、普通の焼き方。ヨメさんや息子の分は「きれいに並べる」ことをしますが、自分の分はいつもこんな感じで適当です。

我が家はフライパンで餃子を焼くのですが、一番大きなフライパン(多分32センチ)でも一度に24個ぐらいしか焼けないので、最低3回に分けて焼きます。

当然、全部焼いてから皆で食べるなんてことはせずに、私もやっぱり焼き立てを食べてもらいたいから、第一弾はヨメさんと息子に先に食べてもらいます。

また包むのも、包んで放置するとダラケてベチャベチャになりますから、「24個、包んだら焼く」を繰り返します。

最初の第一陣でヨメさんは十分。残りを息子が食べますが、「まだまだいくらでも食べられる」と息子はいつも言う。(笑)

当然、私は食べないわけで、すぐに次の24個を包んで焼きます。

そしてそれを息子と私とわけて食べますが、当然、私は足りない。

また包んで焼きますが、その時点ではヨメさんも息子も「ご馳走様~~~」状態なわけです。

ヨメさんは餃子作りを一切手伝ってくれませんし、息子は気を使って「手伝うよ」と言ってくれるのですが、彼の包む餃子は「子どもが作る餃子」みたいになりますので(笑)、結局、私が一人キッチンで「餃子を包み、それを焼いて、一人で食べる」わけです。

これがいつもの我が家の餃子の食べ方。

なんだか寂しいですよね。

今回も一人で黙々と餃子を包んでいたのですが、「こんな生活ってあり?」と思ったのね。

いつものことなんですが、こんな生活を望んだことなんか一度もない。これで良いと思ったなんてことは一度もない。

「ま、しょうがないか・・・」なんて思いながら餃子を包んでいたのですが、フト、気がついた。

ヨメさんは何十年もそういう思いを「毎日感じていたのだろうな」ってこと。

かつては子どもたちももちろん私も「ヨメさんがご飯を作る」のは当たり前だと思っていたし、手伝うにしても洗い物ぐらいしかできないわけで、ヨメさんはたった一人でほぼ毎日、朝昼晩と3食を作り続けてきた。それも何十年も。

「ご飯よ~~」という声が聞こえるまで私も子どもたちも好きなことをしているわけで、でも食べ終わったら各自バラバラということはなくて「食べ始めて、食べ終わるまでは皆が一緒」という家族団らんの時間は確保していたのだけれど、「ご馳走様~~」となれば、また各自好きなことを始めていた。

当然、自分の食器はキッチンの流しに持っていって、水に浸すのは「約束事」でしたが、それ以上のことはしなかった。

その後、ヨメさんは洗い物をし、テーブルも片付けることを毎日毎日、朝昼晩とそれを繰り返し、延々と続けてきた。

ヨメさんって一体何を考え、何を感じていたのだろうか。

そんなことを一切、考えたことがなかった私と子どもたち。

私が一人で餃子を作るにしても、準備から作って焼いて皆が全て食べ終わるまで、せいぜい1時間半のこと。

それも毎日作るわけでもなく、朝昼晩ということもない。

それなのに「こんな人生、なんだかおかしいよな」と私は思うって、「おかしいのはお前だろう」と気がついた。

でも普通の家庭なら、主人は外に出て働き、場合によっては帰宅が10時11時になったり、家に仕事を持ち帰って夜中も仕事をするなんてことが当たり前にあるんでしょう。

でも私はゴールドコーストに住み、小さな会社を経営していた頃から好き勝手にやっていました。

そもそも「残業」なんてない社会だし、それでも年に数度は一人で朝まで事務所で仕事をしたこともあったけれど、普通は5時に仕事が終われば「いつもの飲み友達」と一緒に小さな和食小料理屋に行ってちょっと摘んで酒を飲み、8時ぐらいになれば「綺麗なオネーチャンがいるナイトクラブ」に行って、家に帰るのは午前様みたいな生活をしていましたっけ。カジノ好きな友人に付き合って、週末は「朝までカジノ」なんてこともあった。

で、土日は1日中ゴロゴロしているか、ゴルフの生活。

そんな生活をヨメさんが支えていたことに十分に感謝したかと言えばそれはなくて、「それが主婦の仕事」「俺は稼いでいるのだからそれで良い」と長い間、深く考えることもなく続けていたのね。

せめて「いつも感謝の意をあらわし」「食事はたとえ大げさでも美味しかった~」と褒めちぎるとか、「洗い物は俺達が全部やるよ」とか言うならまだ多少は良かったのかもしれない。

でも私も子どもたちも、「ご馳走様~~~」と言いながら自分の部屋に急いで戻るような生活を続けていた。

そしてヨメさんは食事以外にも掃除洗濯もしていたわけで、まさに「お手伝いさん状態」を何十年も続けていた。

でもヨメさんは「旅行に連れて行って」「ハンドバッグを買って」なんて一度も言ったことがないような女性で、たまに「外食に行こう」というと「うん、行こう行こう」と喜ぶ程度の人だった。

しかし不思議なのは、そんな生活を長年続けていたのに、なぜ強く私や子どもたちに文句を言わなかったのか。

気が付かなかった私達が大馬鹿なのはわかりきっているけれど、何も文句を言わないヨメさんも理解に苦しむ。

ヨメさんも65歳を過ぎてきて「料理をしたくない」という様になったけれど、私は「なんで?あんなに料理が好きだったのに」と思っていたんですよ。

バカだよね~~~~~~~~~。

私が餃子を作りながら感じた「寂しさ」や「こんなはずじゃなかった感」をヨメさんは何十年も朝昼晩、毎日感じていたはず。

これからはヨメさんに気を使って、今までの分を取り戻すことは出来ないにしても、大事にしたいと思う。

今からでも間に合うのだろうか・・・・。

 
 
 

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